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第37話 伝わらない言葉

「ごちそうさま! いやー、マジで美味かった!」

俺は、空になった皿を前に、満足感で満たされていた。

玲奈の料理スキル、恐るべし。見た目だけじゃなく、味も本格的だった。


「ふふん、そうでしょー♡ ま、玲奈様にかかればこんなものよ♡」


玲奈も、俺の賞賛にご満悦の様子だ。


さて、と。俺は立ち上がり、空になった皿を重ね始めた。


「よし、じゃあ片付けるか」


すると、さっきまでソファでふんぞり返っていた玲奈が、慌てて立ち上がってきた。


「あ、待って待って! 玲奈が洗ってあげるから、お兄ちゃんは座ってていいよ~♡」


その声は、やけに上機嫌で、甘ったるい。


「え?」


俺は、玲奈の申し出に少し驚いた。こいつが、自分から皿洗いをやるなんて……。


「いや、いいって。こんなに美味しいご飯作ってもらったんだから、片付けくらい俺がやるよ」


流石に、料理を作ってもらって、後片付けまでやらせるのは気が引ける。


俺がそう言って、皿をキッチンへと運び始めると、玲奈は意外にもあっさりと引き下がった。


「えっへへ~、そう? ありがとう、お兄ちゃん♡ さすが優しい♡」


そう言って、再びソファにちょこんと座り、嬉しそうに足をぱたぱたさせている。


(……なんか、今日の玲奈、やけに素直だな……)


俺は、キッチンで皿を洗いながら、少しだけ不審に思った。

いつもの玲奈なら「えー、めんどくさいー」とか「お兄ちゃんがやってよー」とか言いそうなものなのに。

料理を褒められたのが、そんなに嬉しかったのだろうか?


(いや……待てよ? こいつのことだ、何か裏があるんじゃないか……?)


俺は、疑念を抱かずにはいられなかった。日頃の行いというものは、本当に大事なのだ。

玲奈の場合、素直な態度=何か企んでいる、という方程式が俺の中で成り立ってしまっている。

(後で、とんでもない要求を突きつけてくるとか……? それとも、俺が油断した隙に、また何か仕掛けてくるつもりか……?)

俺は、スポンジを持つ手に力を込めながら、警戒心を解かないように努めた。


そんなことを考えていると、ふと、さっきの玲奈の言葉が頭をよぎった。


『好きな人に、自分の作った料理を、美味しいって褒めて欲しかったから……』


(……好きな人、か……)


やっぱり、気になる。どんな奴なんだろう。俺の可愛い(生意気だけど)妹が、好きになるような男……。


(……聞くのは、ちょっと怖い気もするけど……でも、やっぱり気になる……!)


俺は、意を決して、玲奈に尋ねてみることにした。平静を装い、あくまで自然な感じで……。


「あ〜、あのさ、玲奈……ちょっと聞きたいんだけど」


俺は、洗っている皿に視線を向けたまま、努めてさりげなく切り出した。


「ん? な〜に? かしこまって」


ソファから、玲奈の呑気な声が返ってくる。


「いや……さっき、言ってたじゃん? 好きな人に、料理褒められたかった、って……」

「うん、言ったねー」


「……そ、その……好きな奴ってさ……。ど、どんな奴、なのかな……って……」


しまった、声が少し上ずってしまった! しかも、聞き方がぎこちない!


玲奈は、しばらくキョトンとした顔で黙っていた。俺の質問の意図を図りかねているような……いや、違う!


ニヤリ。


玲奈の口元が、明らかに弧を描いた! しまった! またこいつに、からかわれるネタを提供してしまった!


「あれれぇ〜?」


玲奈は、ソファからゆっくりと立ち上がり、俺の方へと近づいてくる。その歩き方は、まるで獲物を見つけた猫のようだ。


「もしかしてぇ……お兄ちゃん、玲奈の好きな人が、気になっちゃってるのぉ?♡ ん〜?♡」


「ち、ちげーよ! 別に、そんなんじゃ……!」


俺は慌てて否定するが、時すでに遅し。


「ふーん? 気になってないんだー?」


玲奈は俺のすぐ背後に立つと、その細い指で俺の背中を、つーっ、となぞってきた!


「ひゃっ!?」


思わぬ感触に、俺の体がびくりと跳ねる!


「じゃあ、なんでそんなこと聞くのかなぁ?♡ もしかして……この可愛い可愛い玲奈が、どこの馬の骨ともわからない男に取られちゃうんじゃないか、とか? 心配しちゃってるのかな〜?♡ ねぇ、心配性のお兄ちゃん♡」


耳元で、甘く、そして揶揄うような声で囁いてくる。


「う、うるさい! だ……だって、そりゃあ、兄として! 妹がどんな奴を好きになったかは、気になるのが普通だろ!? だ、誰なんだよ!? 俺が知ってる奴か!?」


俺は、動揺をごまかすように、早口でまくし立ててしまった。完全に墓穴だ。


「あはははは! お兄ちゃん、必死すぎー! ウケるー♡」


玲奈は、口に手を当てて、楽しそうに笑っている。


「『俺が知ってるやつか?』とか聞いちゃうなんて、めっちゃ気にしてる証拠じゃーん♡ どんだけシスコンなのぉ♡」


「~~~~~~~~っ!!!!」


俺は、顔を真っ赤にして、何も言い返せない。完全に玲奈のペースだ。


「わ、わかったよ! もういい! 聞かない! 聞かなかったことにしてくれ!」


俺は、完全に不貞腐れて、再び皿洗いに集中しようとした。


しかし、玲奈はそれを許さなかった。

俺の体を、ぐいっと掴んで、無理やり自分の方へと向かい合わせたのだ。


「え……?」


突然のことに、俺は戸惑う。目の前には、玲奈の顔。息がかかるほどの、至近距離。


そして玲奈は、さっきまでのからかうような表情を消し、見たこともないくらい真剣な、真摯な目で、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「……玲奈が、好きなのは」


その声は、静かで、けれど、はっきりとした響きを持っていた。


「……お兄ちゃん、だよ」


「…………え?」


「昔から、今も。そして、これからも、ずっと。……玲奈が好きなのは、お兄ちゃんだけ」


「………………」


俺は、完全に固まっていた。

頭の中が、真っ白になる。


(……なんだ? 玲奈は、なにを言っている……?)

(お兄ちゃんが好き? 昔から? これからも……?)

(いや、でも、それは……いつも冗談で聞く「お兄ちゃん大好きー♡」とは、明らかに違う……。この真剣な顔は、なんだ……? まるで、本物の、告白……みたいじゃないか……?)


状況が、理解できない。

頭の中が、ぐるぐると混乱する。

目の前の、真剣な表情の玲奈。その瞳は、嘘をついているようには見えない。

でも、そんなはずがない。だって、俺たちは、兄妹なんだぞ……?


俺と玲奈は、しばらくの間、時が止まったかのように、互いの目を見つめ合ったまま、動けなかった。

リビングに、食器を洗うための水の音だけが、やけに大きく響いている。


やがて、俺の混乱した頭の中で、1つの結論が導き出された。


そうだ。

これも、玲奈の、手の込んだ「からかい」なんだ。

さっきのアニメの影響か? それとも、俺が好きな人のことを聞いたから?

理由はわからないけど、きっと、俺をさらに動揺させるための、新しい手段の嫌がらせなんだ。そうに違いない。


「……はぁ」


俺は、なんとか息を整え、必死に平静を装った。心臓のドキドキは、まだ収まらないけれど。


「……お前なぁ」


俺は、玲奈の肩を掴み、ぐっと距離を取らせた。


「またそうやって、俺をからかって……。今回のは、マジで心臓に悪かったぞ! まったく……!」


俺は、わざと呆れたような、怒ったような声を出した。

そうでもしないと、自分の動揺がバレてしまいそうだったから。


玲奈は、俺の言葉を聞いても、しばらくの間、無言で俺の目をじっと覗き込んでいた。

その表情は読めない。何を考えているんだろう……?


しかし、次の瞬間。

玲奈の表情が、ふっと緩んだ。そして、いつものニヤニヤとした、悪戯っぽい笑顔に戻る。


「なーんだ、もうバレちゃったかぁ」


玲奈は、俺の唇を自分の人差し指で、ちょん、と軽くタッチした。その仕草に、俺はまたドキッとしてしまう。


「ちぇー。もっと慌てふためくと思ったのになぁ♡ さすがのお兄ちゃんも、ちょっとはドキドキしたでしょ?♡」


「……何度も、そう簡単にお兄ちゃんが引っかかると思うなよ?」


俺は、勝ち誇ったような顔で(内心はまだドキドキしながら)言い返す。

よし、なんとか、いつものパターンに持ち込めた……はずだ。


俺は、改めて皿洗いを再開する。もう、玲奈の方を見ないように、意識しないように。


玲奈は、そんな俺の後ろ姿をしばらく見ていたが、やがて諦めたように、再びソファへと戻っていった。

そして、ゆっくりと深く座り込み、天井を見上げる。その表情は、どこか疲れたような、諦めたような色を浮かべていた。


そして、ぽつりと、呟いた。

その声は、あまりにも小さくて、皿を洗う水の音にかき消され、俺の耳には届かなかった。


「…………まだ、伝わってくれないかぁ…………」

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