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第36話 予想外の料理スキルと純粋な笑顔

「ふんふふ〜ん♪」


玲奈は、機嫌の良い鼻歌を歌いながらキッチンに立った。慣れた手つきで棚からエプロンを取り出し、手早く身に着ける。

その姿は、さっきまでのメスガキっぷりや、床で駄々をこねていた姿とはまるで別人のようだ。


俺は、リビングのソファから、半信半疑でキッチンの様子を眺めていた。

本当に料理なんてできるのだろうか? せいぜい、インスタントラーメンを作るくらいしかできないんじゃないか……?


しかし、玲奈はそんな俺の疑念を打ち砕くかのように、テキパキと準備を始めた。

冷蔵庫からサーモンの柵と玉ねぎ、ベビーリーフなどを取り出す。

戸棚からはオリーブオイル、酢、レモン汁、塩胡椒。まるで、手際の良い料理番組のようだ。


そして、まな板の上に玉ねぎを置くと、トントントン……とリズミカルな音を立てて、驚くほど薄くスライスしていく。

次にサーモン。これもまた、滑らかな包丁さばきで、均一な厚さの薄切りにしていく。

その手慣れた動き、迷いのない包丁の速さ……。


「……すげぇな」


俺は、思わず感嘆の声を漏らしていた。

正直に言って、普段の玲奈の言動や態度からは、家事ができるイメージなんて全く、一ミリもなかったのだ。

むしろ、家事能力ゼロだとばかり思っていた。


俺の声が聞こえたのか、玲奈がくるりとこちらを振り返った。その顔には、得意げな笑みが浮かんでいる。


「ふっふーん!♡ 私の凄さが、今更わかった? 鈍感お兄ちゃんにも♡」


いつもの煽り口調だが、声のトーンは明らかに上機嫌だ。


「でも、褒めるのはまだ早いよ! ちゃんと完成して、お兄ちゃんのその舌で味わってから、たーっぷり褒めてよね♡」


そう言うと、玲奈は再び調理へと戻っていった。

スライスした玉ねぎを水にさらし、サーモンとベビーリーフを彩りよく皿に盛り付け、特製のドレッシングをかける。

その手際の良さは、本当に見事としか言いようがない。


それからしばらくして、玲奈がキッチンから誇らしげな顔で出てきた。

手には、見た目も鮮やかなサーモンのカルパッチョが乗った皿を持っている。


「はい、お待たせ♡ まずはカルパッチョからね!」


それだけではなかった。


「こっちは、ポタージュ! 調理中に、この自動調理ポットが作ってくれたやつだけどね」

「あと、これ! 生ハムトースト! 薄く切ったフランスパンをカリッと焼いて、生ハム乗っけて、オリーブオイルかけただけだけど、美味しいよ♡」


次々と、お洒落なカフェで出てきそうな料理がテーブルに並べられていく。


俺は、そのクオリティの高さに目を丸くしながら、料理をテーブルへと運ぶのを手伝った。

二人で向かい合って席に着き、一緒に「いただきます」と手を合わせる。


まずは、メインのサーモンカルパッチョから。恐る恐る、一口。


「…………!」

「うわっ、美味っ!!」


俺は、思わず叫んでいた。新鮮なサーモンの旨味と、シャキシャキした玉ねぎの食感、そして爽やかなレモンドレッシングの酸味が見事に調和している!

オリーブオイルの香りも良い。これは……!


「でしょ〜?♡ 言ったでしょ? 私は料理も得意なんだ〜って♡」


玲奈は、俺の反応を見て、得意満面の笑みを浮かべている。


「いや、マジで美味いよ、これ! ちょっと! 店で出てきても全然おかしくないレベルだぞ!」


俺は、興奮気味に続ける。ポタージュも濃厚でクリーミーだし、生ハムトーストも、シンプルながら絶妙な塩加減とオリーブオイルの風味がたまらない。


「うんうん♡」


玲奈は、俺の褒め言葉に、満足そうに頷いている。


「玲奈、お前、本当にすごいよ! 勉強ができるのは知ってたけど、料理までこんなプロ級だったなんて……! 正直、尊敬するわ……!」


俺は、あまりの美味しさにパクパクと食べ進めながら、次から次へと賞賛の言葉を口にした。

普段、玲奈を褒めることなんて滅多にない俺が、ここまで手放しで褒めているのだから、よっぽどのことだ。


すると、俺の褒め言葉を聞いているうちに、玲奈の顔が、みるみるうちに赤くなっていくのがわかった。

さっきまでの得意げな表情は消え、どこか照れたような、恥ずかしそうな表情になっている。


「い、いや……あの……そ、そんな……褒めすぎ、じゃない……?」


玲奈は、視線を逸らしながら、小さな声で言う。


「何言ってるんだ。実際、すごいことなんだから仕方ないだろ? 本当に美味しいんだって」


俺は、素直な気持ちを伝える。


「それにしても……一体いつの間に、こんなに料理が上手くなったんだ? 全然知らなかったぞ」


俺が尋ねると、玲奈は少し考え込むようにしてから、ぽつりぽつりと話し始めた。


「えっと……小さい頃から、お母さんが料理してるの見て、時々お手伝いしたり、教えてもらったり……。あとは、ネットで色んな人のレシピを調べたり……かなぁ」

そこまで言って、玲奈は少し言い淀んだ。


「他にも……学校の家庭科の先生に聞いたり、料理が得意な友達……美月とかに、教えてもらったりした、かなぁ……」

恥ずかしそうに、付け加える。


「へぇ……すごいなぁ。そんなに色々やってたのか。でも、なんでそんなに頑張ってたんだ? 別に、玲奈がそこまで料理できなくても、誰も困らないだろ?」


俺は、純粋な疑問として尋ねた。玲奈が、ここまで努力して料理の腕を磨いていたなんて、本当に意外だったのだ。


すると、玲奈は、さらに顔を赤く染め、俯き加減になった。そして、消え入りそうな、小さな声で答えた。


「……それは……」

「……好きな、人に……自分の作った料理を……美味しいって、褒めて、欲しかった、から……」


「…………え?」


俺は、玲奈の言葉に、一瞬、思考が停止した。

す、好きな、人……?


(こ、こいつ……! 好きな奴、いるのか!?)


俺は、軽い衝撃を受けた。いや、玲奈ももう高校生だし、あれだけ可愛いんだから、好きな人がいてもおかしくはない。

むしろ、いない方が不思議なくらいだ。校舎裏で告白されてた時も、「心に決めた人がいる」って言ってたっけ……。


(でも……なんか……ちょっと、ショック……だな……兄として……)


妹に好きな人がいる。その事実が、なぜか俺の胸にチクリとした小さな痛みを与えた。

これが、兄心というやつなのだろうか。いや、それとも……。


(そうだよな……玲奈ももう、そんな歳なんだよな……。学校でもモテるって話だし……。どんな奴なんだろうな、玲奈が好きになるような奴って……。やっぱり、あの告白してきた田中くんみたいな、爽やかイケメン系なのかな……? それとも、もっと大人っぽい先輩とか……?)


俺が、そんなことを悶々と考えていると、玲奈が顔を上げた。


「……お兄ちゃん?」


上目遣いで、俺の顔をじっと見つめてくる。その瞳は、期待と不安が入り混じったような色をしていた。


「……本当に、美味しい……?」


「え? あ、ああ!」


俺は、はっと我に返り、慌てて頷いた。


「さっきも言ったけど、本当に、めちゃくちゃ美味しいよ! マジで!」


俺の返事を聞いて、玲奈の顔が、ぱあっと輝いた。

さっきまでの恥じらいや、俯いていた表情は消え、そこには、一点の曇りもない、純粋な、心からの笑顔があった。

いつもの、俺をからかう時の悪戯っぽい笑顔でも、得意げなドヤ顔でもない。

本当に、嬉しくてたまらない、という感情が溢れ出ているような、そんな笑顔。


「……えへへ……♡」


玲奈は、両手を胸の前でそっと合わせ、はにかむように笑った。


「……そっか……。頑張って、練習してきた甲斐が、あったなぁ……♡」


その笑顔は、あまりにも眩しくて、可愛くて……。

俺は、思わず、ドキッとしてしまった。


(……なんだよ、今の笑顔……反則だろ……)


そして同時に、俺の心の中に再びチクリとした、しかし今度はもう少し強い感情が芽生えるのを感じた。


(……この笑顔を、好きな奴にも見せてるのか……?)


それは、明らかに「嫉妬」と呼べる感情だった。

兄として、妹の幸せを願う気持ちと、なぜか独占したくなるような気持ち。

その二つの感情が、俺の中で複雑に絡み合い始めていた。


(……ちょっと、見てみたいぜ……。兄として、玲奈が好きになるような奴の、顔……)


俺は、そんなことを考えながら、玲奈の作った美味しい料理を、どこか上の空で味わい続けるのだった。

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