第35話 罰ゲームの行方と料理
「……で? 罰ゲーム、何にするの……?」
床に座り込み、頬をグリグリされた跡をさすりながら、玲奈が少し拗ねたように俺を見上げてくる。
さっきまでの暴走っぷりはどこへやら、今は敗者の哀愁のようなものが漂っている。
「え? ああ、罰ゲームか……」
俺は、すっかり忘れていた。そうだ、俺が勝ったんだから、玲奈に何か命令できるんだった。
さっきの暴走の仕返しに、何かとんでもなく恥ずかしいことでもやらせてやろうか……?
しかし、いざ考えてみると、玲奈にやらせたいことなんて、特に思いつかない。
部屋の掃除をさせるとか? 肩もみ? いや、なんか違うな……。
もっとこう、スカッとするような……。
俺が腕を組んでうんうん唸っていると、玲奈がじーっと俺の顔を見つめてくる。
「……な、なんだよ」
「……別に?」
玲奈は、ぷいっとそっぽを向く。
(まいったな……。玲奈に何かやらせたい事なんて、特にないんだよなぁ……。この前の仕返しって言っても、あれはあれで……いや、良くないけど! でも、何をさせれば……)
俺が玲奈の顔を見つめながら真剣に罰ゲームの内容で悩んでいると、玲奈が再び俺の方を向いた。
その目は、なんだかキラキラしていて、頬もほんのり赤い。
「……そんなに、ネットリとした視線で、無言のまま私を見つめて……」
「え? いや、俺は罰ゲームの内容を……」
「やっぱり! すっごい、いやらしいこと考えてるんでしょ!? この変態お兄ちゃん!」
玲奈は、ビシッと俺を指さして叫んだ!
「は!? ち、ちげーよ!」
「嘘! 絶対考えてる! 今のいやらしー視線といい! もうお兄ちゃんのエッチ!」
なぜか決めつけられている!
「一体、この可愛い玲奈様に、どんな事をさせるつもりなの!? まったくもう……!」
玲奈は、ぷんすか怒っているかのように見せかけて、次の瞬間、どこか嬉しそうな、恥じらうような表情になった。
「……しょ、しょうがないなぁ……♡ 罰ゲーム、なんだもんね……♡」
そう言うと、玲奈は、おもむろに自分の着ている上着に手をかけ、まくり上げ始めたのだ!
「だーーーーかーーーーらぁーーーーっ!!!!!」
俺は、デジャヴュを感じながら絶叫し、すかさず玲奈の手を掴んで服を下ろさせる!
そして、きちんと着ているか確認するように、裾を整えてやる。
「いーかげんにしろよ、お前は! なんでそうすぐ脱ごうとするんだ!」
「だって、罰ゲームって……」
「違うわ!!!」
こいつはひょっとして露出癖の気でもあるんじゃないかと疑いながら秀一が玲奈の服を整えていた、その時だった。
彼の指先が、玲奈の胸に触れてしまった。
「ひぁっ……!?」
玲奈の体が、びくんっ、と小さく跳ね息を呑む。
「ん? どうかしたか?」
秀一は、彼が玲奈の胸に触れた事に全く気付いていない。
あまりにも平坦すぎて胸だと認識できなかったのだ。
その事実に玲奈は気づき、虚無の表情。
あの「チベットスナギツネ」みたいな顔で秀一を見つめる。
「……」
玲奈は、何も言わない。ただ、じーーーーーっと、無言で俺の顔を見つめている。
(……? 本当にどうしたんだ……?)
俺は、玲奈の奇妙な反応に首を傾げる。
その時、ふと、俺の頭に罰ゲームの良いアイデアが閃いた!
そうだ、あれがあったじゃないか!
「よし! 決めた!」
俺は、ポンと手を叩いた。
「え……?」
チベットスナギツネ顔だった玲奈が、我に返ったように俺を見る。
俺は、ニヤリと笑って、玲奈に罰ゲームの内容を告げた。
「罰ゲームは……今度の夏にある『コミケ』! 俺と一緒に行ってくれ!」
「…………は?」
今度は、玲奈が完全にきょとんとした顔になった。
「え……? こみけ……? あの、なんか、すごい人がいっぱい集まる、オタクのイベント……?」
「そう! それだ!」
コミックマーケッター、通称コミケ。年に2回開催される、日本最大の同人誌即売会であり、オタクにとっての聖地だ。
俺も一度は行ってみたいとずっと思っていたのだが、あの膨大な人の数と、独特の雰囲気に、一人で乗り込む勇気がなかったのだ。
「え……? そ、そんなので、いいの……?」
玲奈は、拍子抜けしたような顔をしている。もっと、恥ずかしいことや、屈辱的なことを命令されると思っていたのだろう。
「っていうか、そういうのって、友達とか誘えばいいじゃん。なんで玲奈なの?」
「和泉は、その時期、いつも神社の手伝いで忙しいんだよ。夏祭りとかあるからな。それに、他にオタク趣味に付き合ってくれるような、暇な友達もいなくてだな……」
俺は、少しだけ情けない現実を認めつつ、続ける。
「オタクたるもの、一度はコミケという聖地巡礼を果たしてみたいんだ! でも、やっぱり一人で行くのは心細いし、色々と大変そうだし……。だから、頼む! 一緒に行ってくれ!」
俺は、両手を合わせて、玲奈にお願いした。これは、罰ゲームというより、もはや懇願に近い。
玲奈は、しばらく俺の顔をじっと見ていたが、やがて「ふぅ」とため息をついた。
そして、いつものように、やれやれといったジェスチャーをしながら、上から目線で言った。
「まったく……しょーがないなぁ、お兄ちゃんは〜!」
その口調は呆れたものだが、目元は少し笑っている。
「友達が少なくて、一人じゃイベントにも行けない、寂しい寂しいお兄ちゃんのために! この宇宙一可愛い妹である玲奈様が! 特別〜に、付き合ってあげる♡」
言いながら、指で俺の額をツン、と突いてくる。
しかし、その内心は、全く違っていた。
(こ、コミケ!? お兄ちゃんと!? 二人で!? それって、もしかして……イベントデートってこと!?♡♡♡ きゃーーーー! やったーーーー!♡♡♡)
玲奈は、予想外の展開に、心の中で狂喜乱舞していた。
兄の趣味に付き合うという名目で、一日中二人きりでいられる!
しかも、人がたくさんいる場所なら、はぐれないようにとか言って、手を繋いだり腕を組んだりしながら歩くチャンスも……!?
「ま、マジで!? やった! 助かるよ、玲奈!」
俺は、玲奈が了承してくれたことに、素直に大喜びした。
これで、長年の夢だったコミケデビューが果たせる!
しかし、玲奈はすぐにいつもの調子を取り戻し、あざといポーズを決めて言った。
「まぁ、その前に……♡ 今日の『お家デート』、まだ終わってないよね?♡ 続き、しよっか♡」
その目は、再び何かを企んでいるようにキラキラしている。
(……やっぱり、一日中俺をからかう気満々だな、こいつは……)
俺は、玲奈の真意に気づかないまま、苦笑いを浮かべる。
「そういえば、もう昼だな」
ふと時計を見ると、時刻は12時を過ぎていた。
「腹減ったな。昼飯どうする? なんか、ピザでも頼むか? それとも、コンビニで何か買ってくるか?」
俺が提案すると、玲奈は腰に手を当て、呆れたように言った。
「やれやれ……。そんな、『自分で作る』っていう発想が、一ミリも出てこないなんて……。本当、生活能力ザコザコお兄ちゃんだねぇ♡」
「え?」
「だから! そんなダメダメなお兄ちゃんのために! この玲奈様が! 直々に! ご飯を作ってあげるって言ってるの!♡ 感謝してよね!」
玲奈は、ふふん、と得意げに胸を張る。
「……は? お前が? 料理?」
俺は、信じられないといった顔で玲奈を見た。
我が家では、料理は基本的に母さんの担当だ。
玲奈がキッチンに立っている姿なんて、皿洗いか、冷蔵庫から飲み物を出す時くらいしか見たことがない。
「え〜? お前、料理なんてできるのか? 大丈夫か? なんか、変なもの入れたりしないだろうな?」
俺は、正直に疑いの言葉を口にしてしまう。
すると玲奈は、むっとした表情で俺を睨みつけた。
「し、失礼しちゃうなぁ! この私は文武両道、才色兼備な上に、料理まで完璧にこなせるスーパー美少女だってこと、知らないの!?」
「いや、知らないけど……」
「……ふん! いいよ! そこまで言うなら、見せてあげる! 玲奈様の華麗なる料理スキルをね!」
玲奈は、くるりと踵を返し、キッチンへと向かっていく。
「そして! そんな生意気なことを言ったお兄ちゃんに! 玲奈の料理の腕前がどれほどのものか、その舌で! 骨の髄まで! わからせてあげるんだから!♡ 覚悟してなさーい!」
その背中は、妙な自信に満ち溢れているように見えた。
(……本当に、大丈夫なんだろうか……)
俺は、玲奈が消えていったキッチンの方を見つめながら、一抹の不安を拭えなかった。
果たして、玲奈の作る料理とは、一体どんなものなのか。
蛇が出るか、蛇が出るか。
俺は、期待と不安が入り混じった複雑な気持ちで、その時を待つしかなかった。




