第33話 優しい兄と焦る妹、そして新たな企み
『――この戦いが、僕たちの旅の始まりだった』
画面の中で、主人公の独白と共に「機動戦士ガンダリア・ジークソード」第一話は幕を閉じた。
壮大な音楽と共に、スタッフロールが流れ始める。
通常なら「いやー、やっぱり一話は最高だな!」「作画、半端なかった!」と興奮しているところだが、今の俺にはそんな余裕は全くなかった。
(……やばい、やばい、やばい……!)
俺の心臓は、依然として危険なレベルでドキドキと脈打っていた。
理由は明白。俺の膝の上に座り背中をぴったりと預け、しかもご丁寧に俺の腕を「シートベルト」として腰に回させている、この妹の存在だ。
柔らかい体の感触、すぐ近くで感じる体温、そして時折うなじにかかる玲奈の髪から香る、甘いシャンプーの匂い……。
五感を通してダイレクトに伝わってくる妹の存在感が、俺の理性を容赦なく削り取っていく。
さっきのアニメの気まずさも相まって、もう限界寸前だった。
スタッフロールの光が、部屋を淡く照らす。その中で、玲奈が俺の膝の上に座ったまま、ゆっくりと顔だけをこちらに向けた。
くるり、と。
俺の顎のすぐ下に、玲奈の顔がある。大きな目が至近距離で俺を見上げてくる。
その目がぱちぱちと瞬きをするたびに(こいつの目、綺麗だな)なんて感想を思い浮かべる。
そして、その距離は……明らかに、キスできてしまうほどの近さだった。
「……いやぁ〜」
玲奈は、吐息がかかりそうな距離で、満足そうな、そしてどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「面白かったね、お兄ちゃん♡」
その瞬間。
俺の頭の中に、まるで古いフィルム映像のように、ある記憶がフラッシュバックした。
――あれは、小学生の頃。
まだ玲奈が引っ込み思案で、俺の後ろをついて回っていた頃。
今日と同じように、俺の膝の上にちょこんと座って、一緒にテレビでロボットアニメを見ていた。
確か、勇者が合体ロボに乗って悪と戦う、熱いアニメだった。
最終回を見終えた後、玲奈は今日と全く同じように、俺の膝の上でくるりと振り返り、キラキラした目で俺を見上げて言ったのだ。
『……おもしろかったね、おにいちゃん!』
あの時の、玲奈の笑顔。
純粋で、無邪気で、ただただアニメの面白さと、大好きな兄と一緒にいる喜びにあふれていたあの笑顔……。
「………………」
俺の中で、さっきまで激しく打ち鳴らされていた警鐘が、すぅっと静かに鳴り止んだ。
ドキドキしていた心臓の鼓動が、穏やかなリズムを取り戻していく。
(……なんだ。そうか……)
目の前にいる玲奈の顔が、小学生の頃の、あの無邪気な笑顔と重なって見えた。
煽ってきたり、からかってきたり、妙に色っぽい仕草をしてきたり……。
最近の玲奈の行動に、俺は確かに戸惑い動揺し、そして、もしかしたら少しだけ変な気持ちになっていたのかもしれない。
でも、違うんだ。
こいつは、ただ……俺と一緒にいるのが、楽しいだけなんだ。
昔と、何も変わっていない。
俺が勝手に、こいつの成長した姿や思わせぶりな態度に、意識過剰になっていただけなんだ。
そう気づいた瞬間、俺の心は、不思議なくらい穏やかになっていた。
さっきまでのドキドキは嘘のように消え去り、代わりに温かくて、どこか懐かしいような感情が胸に広がっていく。
(……そうなんだよな。こいつは、俺の可愛い実の妹なんだよな)
俺は、自然と笑みがこぼれるのを感じながらそっと右手を伸ばし、玲奈の頭を優しく撫でた。
「ん……?」
玲奈は、突然頭を撫でられ、きょとんとした顔で俺を見上げる。
「……そうだな。面白かった」
俺は、心からの笑顔で言った。
「ナレーションとか、ちょっと昔のアニメっぽくて、そこもまた良いよな」
そして、俺はさらに続ける。
「次は、どうする? このままジークソードの続きを観るか? それとも、何か違うアニメか映画でも観るか? 玲奈が選んでいいぞ」
その声は、自分でも驚くほど、優しく、穏やかな響きを持っていた。
それは、まさしく「妹と仲良く遊ぶ、優しいお兄ちゃん」の声だった。
「…………え?」
俺のその言葉と態度に、今度は玲奈の方が、完全に意表を突かれたようだった。
彼女は、目をぱちくりさせ、俺の顔をじっと見つめている。
その表情には、明らかに困惑の色が浮かんでいた。
(……あれ? あれれれれ?)
玲奈の頭の中は、軽いパニックに陥っていた。
(お、お兄ちゃんの反応が……違う!? さっきまであんなにドキドキして、顔真っ赤にして明らかに玲奈のこと意識してたはずなのに……なんで急に、そんな『優しいお兄ちゃん』モードに!?)
順調に進んでいたはずの「お兄ちゃんドキドキ♡意識させちゃうぞ大作戦」が、突如として暗礁に乗り上げた。
しかも、何がきっかけで兄のモードが変わってしまったのか、玲奈には全く見当がつかない。
(ど、どうしよう……! このままじゃせっかく仕掛けた気まずさも、ドキドキも、全部リセットされちゃう……! このまま『優しいお兄ちゃん』モードが続いたら玲奈の計画が……! 理性を崩壊させて、あわよくば『間違い』を……っていう計画が……!)
玲奈は、内心で激しく焦り始めた。このままではいけない。
なんとかして、再び兄を「異性と密着してドキドキする男子高校生」モードに引き戻さなければ!
(な、何か……何か、もっと強力な不意打ちを……!)
玲奈は、必死に次の手札を探す。その時、ふと、部屋の隅に置かれたゲーム機が目に入った。そして、閃いた。
(……そうだ! ゲーム!)
以前、スト6対決で兄を完膚なきまでに叩きのめし、罰ゲームで一緒に寝る権利をゲットした時の記憶が蘇る。
(ゲームで対戦して……また、罰ゲームを仕掛ければ……! 今度こそ、もっと過激なやつを……! そうすれば、お兄ちゃんもまたドキドキするはず……!)
玲奈の目に、再び悪戯っぽい光が宿る。崩壊しかけた計画を立て直すための、新たなプランが形になり始めていた。
「……ねえ、お兄ちゃん」
玲奈は、俺の膝の上で体勢を立て直し、再び俺に向き直った。
その表情は、もういつもの小悪魔的な笑顔に戻っている。
「アニメもいいけど、ちょっと飽きてきちゃったかも♡」
「え? そうなのか?」
「うん! だからさ……」
玲奈は、にっこりと笑って提案した。
「ゲーム、しよ?♡ お兄ちゃんと、対戦!♡」
「お! ゲームか! いいな!」
俺は、玲奈の提案に、素直に乗り気になった。
さっきまで妹を意識してドキドキしていた気まずさも消え、今は純粋にゲームを楽しみたい気分だった。
それに、この前スト6でコテンパンにやられた借りを返すチャンスでもある!
「よし、やろうぜ! 今度こそ、俺が勝つからな! 手加減しないぞ!」
俺が意気込むと、玲奈は、ニヤリと、それはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。そして、付け加えるように言った。
「うん♡ もちろん、本気でやろーね♡」
「……でね?」
「負けたらぁ……」
「……罰ゲーム、ね♡」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の背筋に、ぞくり、と冷たいものが走った。
さっきまで穏やかだった心臓が、再び嫌な予感を告げるように、ドクン、と音を立てる。
(……ば、罰ゲーム……!?)
玲奈の、あの悪魔的な笑顔。
そして、「罰ゲーム」という、不吉な響き。
前回、この組み合わせでどんな目に遭ったか、俺はまだ鮮明に覚えている。
(……ま、まさか、また何か、とんでもないことを……!?)
俺は、これから始まるであろうゲーム対決と、その先に待ち受けるかもしれない「罰ゲーム」を想像し、冷や汗が流れるのを感じずにはいられなかった。
玲奈の計画は、形を変えて、再び動き出そうとしていた。
そして俺は、そんな妹の企みに全く気づかないまま、ただただ嫌な予感に打ち震えるばかりなのだった。




