28.5話 お父さんはグイグイ来る
父の優しい言葉と温かい手のひらの感触に、詩織先輩はしばらくの間、ただ涙を流し続けていた。
やがて、嗚咽が少しずつ収まると、父親はそっと頭から手を離しゆっくりと立ち上がった。
そして、まだ地面に座り込んでいる娘に向かって、少しだけぎこちなく、しかし確かな温もりを込めて手を差し伸べた。
「……さあ、詩織。立ちなさい」
詩織先輩は、涙で濡れた顔を上げ、父の手を見つめた。
そして、ためらうように、しかししっかりとその手を握る。父親は、力強く娘の手を引き立ち上がらせた。
向かい合う父と娘。
父親の顔には、まだ後悔の色は残っていたが、それ以上に娘への愛情と、これから関係を修復していこうという決意のようなものが感じられた。
詩織先輩の顔にも、涙の跡は残っていたが、晴れやかな吹っ切れたような笑顔が浮かんでいた。
これからはきっと、すぐには難しいかもしれない。長年のわだかまりがそう簡単に消えるわけではないだろう。
それでも、この二人は不器用ながらも、今まで冷え切っていた関係を乗り越え新しい親子の関係を築いていけるはずだ。
俺は、そう確信した。
(……良かった)
俺は、心から安堵し、胸が温かくなるのを感じた。もう俺がここにいる必要はないだろう。
「……じゃあ、俺はこれで」
俺は、二人の邪魔にならないように、そっと声をかけ踵を返そうとした。
「あっ! 待ってくれ、秀一くん!」
詩織先輩が、慌てたように俺を引き留めた。彼女は俺の前に駆け寄ると、再び深々と頭を下げた。
「あの……その……今日は、見苦しいところをお見せした上に……ここまでしてくれて……本当に、本当に、ありがとう!」
先輩は、顔を上げると、両手を胸の前で合わせ、まるで祈るかのように切実な感謝の言葉を伝えてくれた。
その瞳は、まだ少し潤んでいたが、強い感謝の光を宿していた。
「このご恩は……一生、忘れない」
「い、いえ! 俺は本当に、何もしてませんから!」
俺は、そんな先輩の真摯な感謝に、なんだか照れてしまい、慌てて手を振る。
「先輩が、お父さんとちゃんと話せて、本当に良かったです」
俺は、心からの笑顔でそう言うと、今度こそ帰ろうと、父娘に改めて一礼した。
すると、それまで黙って俺たちのやり取りを見ていた父親が、不意に口を開いた。
彼は、腕を組み、うんうんと頷きながら満足げな表情でこう言ったのだ。
「うむ。いつの間にか詩織に、今時これほど骨のある『彼氏』ができていたとはな。父として、私は嬉しいぞ」
「………………はい?」
俺は、自分が何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
彼氏? 俺が? 詩織先輩の?
「私は、お前たちの交際を、認めよう。詩織をよろしく頼むぞ、秀一くんとやら」
父親は、どこか誇らしげに、そして完全に勘違いしたままそう言い切った。
その瞬間。
「「!!!!!!!!!!!!!」」
俺と詩織先輩の顔が、同時に一瞬で耳まで真っ赤に染まった!
「「いやいやいやいやいや!!!! ち、違います!!!! か、彼氏(彼女)じゃ、ないです!!!!!!」」
俺たちの絶叫が、夕暮れの境内にこだました。
「な、何だと!?」
今度は、父親の方が驚愕する番だった。彼は、信じられないといった表情で、俺たちを交互に見る。
「こ、これほどまでに、お互いを想い合っていながら……違うだと!? ば、馬鹿な!? ありえん!」
どうやら、俺が詩織先輩のために啖呵を切ったことや、二人のやりとりを見て完全に俺たちが付き合っていると勘違いしてしまったらしい。
いや、思い返してみたらそう見える気持ちはわかるけど、いくらなんでも飛躍しすぎだ!
「と、父様! へ、へへへ、変なこと言わないでください!! ち、違いますったら!」
詩織先輩は、真っ赤な顔で父親の腕をポカポカと叩きながら、必死に否定している。
その姿は、普段の凛とした姿からは想像もつかないほど、慌てふためいていて、なんだか可愛らしい。
しかし、父親はまだ納得がいかないようだ。
今度は、俺の方に向き直り、真剣な表情で問い詰めてきた。
その勢いは、まるで娘の結婚相手を吟味するかのようだ。
「秀一くん! 君は! 我が娘、詩織のことをどう思っているんだね!? 彼女として、いや、ゆくゆくは『嫁』として、これ以上ない逸材だと思うが!?」
「よ、嫁!?!?」
俺は、父親のあまりの暴走っぷりに、完全にキャパオーバーだ! まだ高校生だってのに、嫁とか!
「だめ! 逃げて! 秀一くん、逃げるんだ早く!!!!」
詩織先輩が、父親にしがみつきながら、必死の形相で叫ぶ!
まるで、敵からヒーローを逃がそうとするヒロインのようだ!
「は、はい! そ、それでは、また!!!!」
俺は、詩織先輩の言葉に従い、脱兎のごとくその場から走り出した!
背後から「待て! 秀一くん! 話はまだ終わっておらん!」という父親の声と「もう! 父様の馬鹿ー!」という詩織先輩の叫び声が聞こえてくる気がしたが、もう振り返っている余裕はなかった。
俺は、心臓をバクバクさせながら、神社の石段を駆け下り、夕暮れの街へと逃げ出した。
(な、なんだったんだ、今の……!?)
嬉しいような、恥ずかしいような、そしてやっぱり、めちゃくちゃ心臓に悪いような……。
今日の出来事は、俺の平凡な日常に、また1つ、忘れられない思い出を刻み込んだのだった。
詩織先輩と、お父さんの関係が、少しでも良い方向に向かってくれればいいな。
そんなことを考えながら、俺はまだドキドキと高鳴る胸を押さえ、家路を急ぐのだった。
……明日の朝、和泉にどう報告しようか……。それもまた、頭の痛い問題だった。




