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27話 夕暮れの神社と砕かれた宝物

「じゃあ、先輩、今日は本当にありがとうございました! めちゃくちゃ楽しかったです!」


神社の入り口、大きな鳥居の前で、俺は詩織先輩に向き直り、心からの感謝を伝えた。

初めてのゲームセンターは、先輩にとっても俺にとっても、忘れられない時間になったはずだ。


「うむ、私もだ。秀一くんのおかげで、とても充実した時間を過ごすことができた。こちらこそ、礼を言う」


詩織先輩は、胸に抱いた太宰さんのアクリルキーホルダーを大切そうに撫でながら、穏やかに微笑んだ。

その顔は、夕陽を受けて輝いていて、本当に綺麗だった。


「それじゃあ、俺はこれで」

「ああ、気をつけて帰るんだぞ。また近いうちに、ジークソードの話も……」

「はい! もちろんです!」


俺は手を振り、先輩も小さく手を振り返す。先輩が鳥居をくぐり、境内へと入っていく。

その長い黒髪が夕風に揺れる後ろ姿を見送りながら、俺はなんだか満たされた気持ちになっていた。


しかし、その穏やかな気持ちは、次の瞬間打ち砕かれることになる。


鳥居の奥、少し影になった場所から、厳格な雰囲気の男性が姿を現した。

背筋が伸び、隙のない佇まい。和泉に少し似ているが、もっと険しい顔つきをしている。間違いなく、詩織先輩のお父さんだ。


「……詩織」


低く、抑揚のない声が響いた。


「!」


詩織先輩の体が、びくりと硬直したのがわかった。

さっきまでの穏やかな表情は消え、緊張と怯えのようなものが浮かんでいる。


「と、父様……。お、お帰りなさいませ……」


声が震えている。


「随分と遅かったではないか、詩織。門限を5分も過ぎているぞ」


父親は、時計を確認するまでもなく、冷たく言い放った。

その声には、娘を心配する響きではなく、規則を破ったことへの詰問の色が濃い。


(うわ……やっぱり厳しいんだな……)


俺は、鳥居の外から、少し離れた場所で立ち止まり、成り行きを見守っていた。

これは、ちょっとまずい状況かもしれない。先輩、大丈夫だろうか。


俺が心配していると、父親の鋭い視線が、詩織先輩が胸に抱いているものに注がれた。


「詩織、それは何だ?」

「え……?」


詩織先輩は、咄嗟にキーホルダーを隠そうとするが、父親はそれを許さなかった。


「見せなさい」


有無を言わせぬ口調。父親は、詩織先輩の手から、無理やりアクリルキーホルダーをひったくった。


そして、そのキャラクターが描かれた小さなアクリル板を、まるで汚物でも見るかのように、眉をひそめて眺めた。


「……くだらん。このようなものに現を抜かしているから、時間を守れんのだ」


父親は、嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てるように言った。


「ち、違います、父様! これは……!」


詩織先輩が何かを言いかけた、その時だった。


彼は、そのアクリルキーホルダーを、何の躊躇もなく、足元の玉砂利の上に叩きつけた。


「!!!!」


詩織先輩の息を呑む音が聞こえた。

俺が、必死の思いで取った、先輩が宝物にすると言ってくれた、あのキーホルダーが……。


「このような、俗で、低俗なものは、この神聖な神社に持ち込むな! 不浄だ!」


父親は、冷酷に言い放つ。


詩織先輩は、まるでスローモーションのように、ゆっくりと地面に叩きつけられたキーホルダーへと手を伸ばした。

その指先は、かすかに震えている。


「あ……」

「あぁ……」

「あああ……」


そして、力なく、膝から崩れ落ちた。

まるで大切なものを、世界のすべてを、否定され、破壊されたかのように。

その瞳からは、光が消え、ただただ絶望の色だけが浮かんでいた。


その瞬間。

俺の中で、何かがブツリと切れる音がした。


気づいた時には、俺は全力で駆け出していた。

鳥居をくぐり、境内を駆け抜け、詩織先輩の父親の目の前へと躍り出る。

そして、その胸ぐらを、ありったけの力で掴み上げていた!


「!!」


父親は、突然の暴力的な行為に一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し、俺を鋭く睨みつけた。少しも狼狽えていない。


「……なんだ。誰だ、お前は」


俺は、燃えるような怒りで体を震わせながら、叫んだ。


「俺が誰かなんて、関係ねえだろ!!」


俺は、父親の胸ぐらを掴む手に、さらに力を込める。


「あんたは今! 人として! 父親として! 絶対にやっちゃいけないことをしたんだぞ!!!」


俺の怒声が、静かな境内に響き渡る。崩れ落ちたまま動けない詩織先輩の、小さく嗚咽する声が聞こえる。

それが、俺の怒りにさらに油を注いだ。


「昔から、この家の躾が厳しいってのは、和泉から聞いて知ってた! 厳しい教育、家庭にはそれぞれいろんな事情がある! だから、それは仕方ないのかもしれない!!」


俺は、荒い息をつきながら、言葉を続ける。


「だがなぁ!!」


俺は、父親の顔を至近距離で睨みつけ、まくし立てた。


「人の『好き』な物!『好き』な事! それは! たとえ肉親、親であっても! 勝手に否定して、貶めて、踏みにじって良いなんてことは絶対に! 絶対にねぇんだよ!!!」


父親は、俺の剣幕に少しだけたじろいだように見えたが、それでもまだ、冷たい表情を崩さない。


「……何を言っている」


「あんた、知ってるか!? 先輩が……詩織さんが! どれだけアニメや漫画が好きか! どれだけ、そういう話をする時、楽しそうにしてるか!」


俺は、今日、昼休みに見た、あのキラキラした先輩の笑顔を思い出す。


「知らないだろうな!? あんたには、絶対に見せない顔だからな!!」


「……知らん」


父親は、吐き捨てるように言った。


「そのような、時間の無駄で、害悪でしかないものを好きだなど……汚らわしい」


その言葉に、俺の怒りは頂点に達した。


「……っ!!」


俺は、ポケットからスマホを取り出し、あるフォルダを開いた。

そこには、俺が詩織先輩とオタクトークをしている時に記念のつもりでこっそりと(あるいは、和泉から送られてきて)保存していた、彼女の笑顔の写真が何枚か入っていた。


俺は、その中の一枚、最高に楽しそうに笑っている先輩の写真を、父親の眼前に突きつけた!


「あんた! 先輩の、この笑顔を見たことがあるか!?」


父親は、突然突きつけられたスマホの画面に、一瞬、戸惑いの表情を見せたが、すぐにその写真に目を凝らした。

そこに写っているのは、自分が今まで見たことのない、心からの笑顔を浮かべる娘の姿だった。


「見たことねえだろ!? 当然だ!! 躾と称して、恐怖で娘を縛り付けてるだけの父親に! 娘がこんな笑顔を見せるわけがねえんだよ!!」


俺は、次々に写真をスワイプして見せていく。

ジークソードの話で興奮する顔、好きなキャラのグッズを見て目を輝かせる顔、俺の冗談に照れて赤くなる顔……。

どれも、父親が知らないであろう、詩織先輩の「本当の」表情だった。


父親は、食い入るようにスマホの画面を見つめていた。

その表情が、徐々に変化していくのがわかった。

最初は訝しげだった目が、驚きに見開かれ、やがて、深い動揺の色へと変わっていく。


(……最後に、詩織の、こんな笑顔を見たのは……いつだっただろうか……)


父親の脳裏に、過去の記憶が蘇る。いや、違う。本当に「あんな」笑顔だっただろうか?


(いや……数日前に、学校のことで話した時も、笑ってはいた……。だが……)


父親は、スマホの画面に写る、屈託のない、心からの笑顔と、自分が今まで見てきた娘の笑顔を比較する。


(……違う……! 今まで私が見てきたのは……この笑顔じゃない……! あれは……全部……引きつった、愛想笑いだったのではないか……!?)


愕然とする。

娘は、こんな顔で笑うのか。

こんなにも、楽しそうに、幸せそうに。


(私が、娘のためだと信じて行ってきたことは……教育などではなく……ただの……)

(……虐待、だった……のか……!?)


その事実に気づいた瞬間、父親の世界が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくような感覚に襲われた。

長年信じてきたものが、根底から覆される衝撃。


「詩織は……」


父親の唇が、震えながら動いた。その声は、かすれて、力なく響いた。


「詩織は……こんな、笑顔で……笑うんだな……」


次の瞬間、父親は、俺が掴んでいた胸ぐらを振りほどくと、その場に崩れるように膝をついた。

そして何の躊躇もなく、玉砂利の上に、強く、強く額を叩きつけたのだ!

鈍い音が響き、額からは、じわりと血が滲み出す。


「!!!!」


俺も、そして崩れ落ちていた詩織先輩も、父親の突然の行動に息を呑んだ。


「すまなかった……っ!」


父親は、地面に額を押し付けたまま、嗚咽を漏らし始めた。その体は、後悔と苦痛に打ち震えている。


「すまなかった……詩織……っ!」


涙が、血と共に玉砂利を濡らしていく。


「私は……私は、お前の笑顔を……奪っていたのだな……! お前を……地獄のような、息苦しい空間に……閉じ込めていたのだな……っ!」


父親の、慟哭にも似た謝罪の声が、夕暮れの静かな境内に、いつまでも響き渡っていた。

俺は、その姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。

隣で、詩織先輩が、信じられないものを見るように、父親の背中を見つめている。

その瞳からは、再び涙が溢れ出していたが、それはもう、絶望の色だけではなかった。


夕陽が、土下座する父親と立ち尽くす俺と、涙する詩織先輩の姿をただ静かに照らし続けていた。

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