04 劇場と館へ
ハンカルが告げた事実に宴の空気は冷え切ったが、私は「とにかく詳しくは明日劇場で説明しますので!」となんとかその場を押し切って宴を切り上げた。自室に戻りながら、さっきのみんなの反応を思い出して、私は一つため息を吐く。
いやぁ本当に……こんなことになるとは思わなかったんだよ。
劇団の事業計画書を立てた時には、少なくとも十人くらいは成人貴族が劇団に入ってくれると思っていた。学院で話題になっていたし、演劇クラブの公演を観た卒業生の中で、興味を持ってくれた人もいるだろうと思っていたから。
劇団メンバーを募集していたここ数ヶ月を思い出しながら、私は再びはぁ……と息を吐く。
まあとにかく、みんなには正直に話さないとね。
そうして翌朝、玄関前のロータリーに用意された馬車に乗って、私たちは本拠地がある中位貴族の地区に向かった。みんなの荷物は先に別の馬車で運び出され、すでに向こうの館に着いている。
馬車に揺られていると、一緒に乗っているファリシュタとイリーナが名残惜しそうにうちの方を振り返った。
「素敵なお屋敷を、もう少し堪能したかったですわ。やはり高位貴族の中でもアリム家は洗練されてますもの」
「そうかな? アルタカシークの高位貴族の家ってあんな感じが多いと思うけど」
「こちらの他の家のことはわかりませんけれど、内装や飾られている布のセンスが抜群なのです。あれはディアナのお養母様であるヴァレーリア様が選ばれたのでしょう?」
「うん。元々お父様の屋敷として整えられていたから、全部がそうじゃないと思うけど……お母様は他国のザガルディ出身だから、多分おばあ様にも相談したんじゃないかな」
そんな私とイリーナの会話にファリシュタが加わる。
「私はヤティリと一緒に四ヶ月もお世話になったから、少し寂しいな。ヴァレーリア様やジャシュ様、アルトゥル様、ラズーリ様にも会えなくなっちゃうから」
「ファリシュタにはみんなすっかり懐いちゃったからねぇ。今まで遊んでくれてありがとね。イリーナも、弟や妹に服まで作ってくれてありがとう」
「いいのです。お会いした瞬間、ビビビッとデザインが浮かんでしまったのですもの」
「縫製機もないのに、すごいよねえ。さすがイリーナ」
「小さな子供服ですもの。あ、そうそう館には縫製機は入っているのですよね? ディアナ」
「もちろん、ティキに言って入れてもらってるよ。すぐに使えるようにしてるはず」
「助かりますわ。ああ、これで久しぶりに思いっきり服が縫えます」
ワクワクと目を輝かせるイリーナに、私とファリシュタはふふ、と笑う。彼女はここに来る前もあともずっと服を縫っていたのだが、どうやら彼女にとって手縫いは縫っているうちに入らないらしい。
しばらく街の通りを走っていると、そこまで時間もかからずに目的地に着いた。同じ北西街の中の移動なので、うちからそんなに離れていないのだ。
雇っている門番によって開かれた門を潜ると、こじんまりとした前庭があり、そこを抜けると白くて四角い建物が見えてきた。うちの家より一回りほど小さい館だが、住む家としては程よい大きさである。
「あら、うちの実家とよく似た大きさですわ。馴染みがあっていいですわね」
ロータリーに留まった馬車から降りたイリーナが、そう言って微笑む。中位貴族の彼女には安心する大きさのようだ。
というか、高位貴族の家が無駄にデカすぎるんだよね。
正面玄関へ続く階段も段差がうちより低いため、とても上りやすい。みんなと一緒に階段を上って玄関の扉を潜ると、玄関ホールにトカルやトレルたちがずらっと並んで待っていた。彼らはこの館に住む劇団員の世話をする使用人で、高位貴族から下位貴族まで各専属の人材を雇っている。うちの劇団員の身分に合わせる必要があるからだ。
まずはみんなに、この館の使用人の代表を紹介する。
「お初にお目にかかります。この館の筆頭トカルを務めさせていただく、スティラと申します。通常の館の運営とは異なりますが、皆さまが不自由なく毎日を過ごせますよう、精一杯努めさせていただきます」
スティラは表向きはこの館での私のトカル、ということになっているが、この館の全てを取り仕切る仕事を任せている。ここは普通の家とは違い、住んでいるのは劇団員たちで、劇団の代表の私は家からの通いだ。私が不在の時間、劇団員であるみんながここで困ることなく暮らせるように目を光らせる役目を負っている。
「女性が代表なのだな」
「いざとなったらトカルは男性館に入れますけど、逆は無理ですからね」
この世界の貴族は男性と女性で住む館が違う。緊急事態の時に女性使用人は男性館へ立ち入ることができるが、男性使用人は女性館へは絶対に立ち入ることができない。そのためこの館の代表はベテランの女性にお願いしたのである。
スティラは赤茶の髪に凛とした灰色の目をした四十代の女性で、高位貴族専属使用人の資格を持ったトカルであり、なんとイシュラルが所属している使用人ギルドの元上司である。この春にこの特殊な館で働いてくれる人を募集した際、イシュラルが紹介してくれたのだ。
彼女は今まで高位貴族専用の使用人を派遣する部署にいたのだが、管理職の仕事より現場に復帰したいと思っていたらしく、手を上げてくれた。
これがまた、よく仕事が出来る人なんだよねぇ。
スティラはまず劇団員のみんなに挨拶し、すでに決まっているトカルやトレルたちを彼らに紹介し始めた。そのテキパキと無駄のない言葉と仕草に、下位貴族や特殊貴族の使用人たちがびびっている。
いろんな身分の人たちが一緒に暮らす場所ってあまりないもんね。それぞれの使用人たちも慣れるまで時間がかかるかも。
その後は男性と女性に分かれて、今いる本館から男性館、女性館へ向かってもらい、自分の部屋を確かめてもらう。私は特にすることがないので、みんなの確認が終わるまで中庭に下りてお茶を飲んだ。夏の終わりと言ってもまだまだ外は暑いので、天幕付きの小上がりで一休みする。
ちなみにお茶のお世話をしてくれているのは、イシュラルである。
「……本当にこっちでも私に付いて働くつもりなの? イシュラル」
「もちろんでございます。学院の寮へは流石に行けませんでしたけれど、ここは貴族区域の中にある館ですもの。ディアナ様が行かれるところへは、どこまでも付いて行きたいと思っておりますよ」
「トカルって普通、館に付くもんじゃないの……」
私がお茶を飲みながらそうボヤくと、イシュラルはにっこりと笑う。これは「もう決めたことだから」という意志を固めた顔である。相変わらず私への愛がすごい。これからは毎日ここへ通う馬車にルザとイシーク、そしてイシュラルが同乗することになるようだ。
しばらくゆっくりしていると、中庭に部屋の確認が終わった男性陣が集まってきた。
「ケヴィン様、どうでしたか?」
「ふむ、思ったより広い部屋で驚いた。なんとなく学院の寮の個人部屋をイメージしていたんだが、中位貴族の自室の大きさのままだったな。調度品も品よくまとまっていて、落ち着く部屋だったぞ」
「一応身分によって部屋の大きさは変えてみたんですが、今後のことを考えるとあまり大きくもできなくて……」
「まあそれは仕方ない。劇団員が今度増えると部屋数もいるからな。トレルも洗練されていたし、私は問題ないぞ」
「それは良かったです。ハンカルもいけそう?」
「ああ、居心地のいい部屋だったぞ。改築するのも大変だっただろう」
「まあね……普通の貴族の家とは違う間取りだから、設計が大変だったよ。何度も職人と話し合ったし」
普通の館ならばある程度職人に任せることができるが、劇団員の寮という特殊な使用目的であるため、最初から私が設計に関わらなければならなかった。
「本館には食堂と談話室があって、それから大と中広間はみんなの練習場ね。小広間はイリーナの仕事部屋だから。音出し隊が練習する部屋もあるよ」
「なるほど、俺たちは基本的に男性館と本館を行き来して生活することになるんだな」
「食事は朝昼夜と食堂でとれるけど、朝は希望すれば自室でも食べられるから」
「ああ、それはトレルから聞いたよ。個人的には事務仕事ができる部屋も欲しいんだが……」
「事務室も作ってるよ。あとで案内するね。といっても今はハンカルしか使う人いないんだけど」
「……一応、劇団長にも事務仕事はあると思うが?」
「……そうでした」
「ぶははは! ディアナ、全く事務仕事する気ないな!」
私とハンカルのやり取りに、ラクスが爆笑して手を叩く。
「だって……事務仕事はもうこの夏で懲りたんだもん……やっとハンカルが来てくれたんだから、もう全部ペイって投げたくて」
「勝手に投げるな。はぁ……とりあえず事務仕事についてはあとだ。まずは劇場に行って、みんなに現状を話さないとな」
「はい……」
ハンカルのため息に神妙な顔になった私は、少し背筋を伸ばして女性メンバーたちの到着を待った。
現状の話は一旦置いて、劇団の本拠地となる館と劇場へやってきました。
館の確認をして、いよいよ劇場に入ります。
次は 貴族専用劇場、です。