26 初めての観劇 アンビシア視点
ガラガラと音を響かせて、馬車が北西街の道を進む。真冬の乾燥した空気を纏って、木製の車輪が軽い音を立てて回る。御者の「アンビシアお嬢様、劇場の門が見えてまいりました」という声に、私は馬車の窓を思いっきり開けた。刺すような冷たい風が入ってきて、向かいに座るクヤンが悲鳴をあげる。
「姉上、寒いよ。そんなに開けなくても」
「劇場がどんな建物か、こうしないとよく見えないでしょう?」
私はそう言い放って顔を窓に近づけた。御者の言う通り、向かう先に立派な門が見える。先日訪れた劇場の館の方と同じくらいか、それ以上に豪華に思えた。ただ気になったのはそこではなく、門を通っていく馬車の数だ。
「思った以上に多いわね。そんなに人気なのかしら」
ディアナの熱意に押されてなぜか演劇を観ることになったが、心の中ではまだ半信半疑だった。彼女の言うような特別な体験が、ここでできるとは思わない。だがそんな考えは門を超えてロータリーに入ったところで、クヤンの大声によって遮られた。
「うわぁ〜! すっっごい大きい。立派な建物だね!」
「これは……」
信じられない気持ちで、私は馬車の中からその建物を見上げる。
「あの大きな列柱……アルタカシークらしくないわね。どちらかというとザガルディの様式に似てるわ」
「アルヒンの建物にも少し似てるね。あ、でもあの大きなアーチ窓はアルタカシークって感じだ」
「素人が作ったとは思えないわ……彼女に協力した地元民の建築職人も腕は悪くないようね。ただ……屋根が少し寂しいわ。飾りがなにもないもの」
建物の上には大きな半円形の屋根が被さっているのだが、そこに飾り気が全くない。建物正面は一番人の目につくところで、屋根も凝った形にしたり、屋根の上にシンボルになる彫刻を置くことが多いのだ。
「アルタカシークは比較的すっきりした建物が多いからね。この建物はザガルディのものを参考にして、アルタカシーク流に変えてみたものなんじゃない?」
「そうかもしれないけれど、これだけ立体彫刻を施しているのなら、屋根ももっと凝るべきよ。例えば王立であることを示すために獅子の像を飾るとか……」
「姉上、ここはうちの建物じゃないんだから、勝手に建築案出さないで」
「仕方ないでしょ。職業病みたいなものなんだもの」
そんな風にクヤンと言い合っていると、ロータリーの正面で馬車が止まった。高位貴族の馬車は優先的に誘導されるようだ。そこには地元民と移住民の差はない。
……酷いところだと、移住民の馬車だけ違うところに停められたりするからね。
「降りるわよ、クヤン」
「……本当に大丈夫かな。地元民の人たちに変な目で見られない?」
「そんなことされたら帰ったらいいだけよ。あの子ともそういう約束で来たのだから」
不快な思いをしたらすぐに帰る。そう言ってここにやってきた。先日話したディアナのことを思い出して、私は少し息を吐く。
本当に、思ってたのと違ったわ。地元民に守られたエルフで彼らの教育を受けた人だから、きっと他の地元民と同じ価値観を持ってるのだと思っていたけど……。
ディアナは予想外に率直で、態度や言葉に嘘や含みがなかった。アリム家は地元民の中でも変わっているとは聞いていたが、ここまで個人の考えを尊重する家だとは思わなかったのだ。
彼女の祖父であるカラバッリ様も、自分の挨拶に真正面から答えてくれた。血は繋がっていないはずなのに、なんとなくあの二人はよく似ている気がする。
馬車を降りると、何人かの貴族たちが私たちの方に視線を向けて少し動きを止めた。地元民が移住民の私を見る時のいつもの仕草だ。アルヒンの伝統衣装を着ている自分は、すぐに移住民だと認識される。地元民はそんな私に気付いたあと大体コソコソと連れと内緒話をして、くすりと笑ってどこかに行くのだ。
だが今回は視線を向けられただけで、彼らは正面入り口に向かう階段を上っていく。
……なにか指示があったのかしら。
移住民を見ても、なにも反応しないようにディアナが根回しをしたのだろうかと思いながら階段を上っていくと、大きな列柱の先の扉の前にその本人がいた。劇場に来た人たちはみんな彼女に挨拶をしてから中に入っていく。
「劇団長自らお出迎えしてるんだね」
「……それよりも、この扉の彫刻の方が気になるわ」
大きく開かれた正面入り口の扉には、獅子と鷹の彫刻が施されている。今にも動き出しそうなくらい、力強いデザインだ。
……さすがにここは力が入ってるわね。客を迎える玄関だもの。
その作りを眺めているうちに、ディアナの目の前までやってきていた。
「アンビシア様、来ていただけて嬉しいです」
「え? ああ……ここまでは来ると約束したから」
「……ふふ、劇場の建物が気になりますか?」
「そうね……すでに気になるところがいくつもあるわ」
「そのお話を詳しく聞きたいところですが、見どころは中にあるので、まずそちらを楽しんでください」
「そうなの?」
「はい! 私の全力をそこにぶつけましたから。きっと気に入ってもらえると思います」
どこにそんな自信があるのか。胸を張って答えるディアナに少し呆れ、パンフレットと呼ばれるものを渡されて中に入る。そこで目に飛び込んできたのは、信じられないくらい豪華な空間だった。
「な……」
「うわぁ……なにこれ!」
大きな吹き抜けのある玄関ホール。まず目に飛び込んできたのは至る所に飾られた布の刺繍の色鮮やかさだ。天井に至る壁にびっしりとアルタカシークの柄を使った刺繍が施された布が貼られている。これだけ見事な刺繍の飾り布は一枚だけでもかなりの値段になる。
なんて贅沢な空間なの……!
正面に見える大階段もその手すりも、吹き抜けを支える大きな柱も純白に輝き、床に敷かれた絨毯や壁の飾り布の鮮やかさを際立たせている。それは圧倒される美しさだった。
飾り布だけならアルタカシークでよく見る内装だけれど、柱や壁に施された立体装飾がこれほどまでに迫ってくるようなデザインはあまり見たことないわ。これ、平民である工房の職人だけで作ったんじゃないわね。
彫刻は手作業だとかなり時間がかかる。本来は何年もかけて作るものだ。だがディアナはこの夏の間にこの劇場を建てたと言っていた。それが本当なら、この彫刻作業にも彼女の魔石術の力が必要になったはずだ。
「……クヤン、彼女は黄の魔石術が得意なの?」
「え? ああ……確か選択授業で黄の魔石術学をとってた気がする」
「なるほど……それで」
建築工房を営むのに、黄の魔石術は必須である。石を動かしたり加工したりするのに黄の魔石術が必要だからだ。私もそう思って選択授業は黄の魔石術学をとった。
だけど……黄の魔石術が得意だからって、いきなりこんな加工ができるものなの?
黄の魔石術は他の色の魔石術と比べてとても繊細だ。集中力もかなり必要になるし、失敗することもよくある。もちろんマギアも大量に使う。
「……私も一級だったらできたのかしら」
ディアナは一級で、大国の王子や王女に負けない力を持っているとは聞いていた。この豪華絢爛な建物をひと季節で作れたのは、彼女の力のおかげかもしれない。
そんなことを考えて大階段の方を見上げていると、そこに見覚えのある人物を見つけて、私は思わず眉を寄せる。
「……あの子」
「どうしたの? 姉上」
私は顔を顰めたままクヤンの腕を引っ張り、階段に背を向けて大広間がある方へと歩いていく。さっきまでの高揚感が一気に吹き飛んだ。
「今一番見たくない顔を見たわ」
「え? あ……もしかして、裏切った移住民の……」
「口に出さないで」
私に言われてクヤンが自分の口を手で塞ぐ。
「あ、姉上……彼女を見たからって帰らないでよ」
「さすがに顔を見ただけで帰らないわよ。あの子には地元民に嫁いだ姉がいたはずだから、今回招待されてるかもしれないとは思ってたし」
そう答えながら私は自分の中にイライラしたものが溜まっていくのを感じた。
大広間に入るとたくさんの小上がりが並べられていて、そこで貴族たちが座って談笑している。私たちに視線を向ける人もいたが、さっきと同じように特に気にせずお喋りに戻っていった。
私たちが入り口から少し入ったところの小さな小上がりに上がると、すぐに使用人がやってきて飲み物の希望を尋ねてくる。その態度や仕草も洗練されていた。
使用人たちの質もいいわね。……それにこの空間も変わってる。
大広間にある小上がりにはたくさんの貴族がいるのだが、座っている場所が身分順でわかれていない。高位貴族も下位貴族も同じ小上がりにいることもある。そして、地元民の中にちらほらと移住民たちも混ざっているのだ。これには驚くしかない。
「信じられない光景ね」
「ディアナが招待した人たちかな。地元民と繋がりがある人たちを招待したみたいだね」
「あの様子だとすでにお互いに紹介済みのようね。そのようなお茶会を開いていたのかしら」
「かもしれないね」
届いた飲み物に口をつけながら、私はさっき玄関ホールの階段にいた娘の顔を思い出していた。
……移住民の裏切り者。
いや、裏切ったのは彼女だけではない。他にもたくさんいる。
「……本当に、ムカつくわ。裏切っておいてしれっと暮らしているなんて」
「あ、姉上……っここでは抑えて。今日は穏便にいこうよ」
そう言って眉を下げるクヤンを見て、私はため息を吐きながらカップをテーブルに置く。
悔しいことに、ここひと月の間に移住民の結束は崩れていた。移住民は元々建築に詳しいうちと、もう一つ大きな派閥が協力してまとまることになっていたのだ。だがなぜか年明けから、移住民の集まりに出てこない人たちが現れた。その数はどんどんと増えていき、これはおかしいと感じて詳しく調べた結果、移住民の中位貴族や下位貴族たちが地元民の高位貴族に取り込まれていたことがわかったのだ。
地元民の高位貴族は、「うちの開発案に票を入れてくれたら、今度からそちらにも仕事をちゃんと回そう」と言って近づいてきたんだそうだ。移住民の中位貴族と下位貴族は生活に困っているところも珍しくない。生活を保証すると言われれば、そちらに流される人たちもいる。
それに気づいた時にはすでに手遅れで、移住民の勢力は半分くらいに削がれていた。このままでは開発案の投票で勝つことは難しい。
そのいやらしい手を使ってきた高位貴族の名前はいまだにわかっていないし、もしかしてこの件に関与しているのではと疑ったディアナは、どう見てもシロだった。……はぁ、一体どこのどいつなのかしら。わかったら思いっきりぶん殴ってやるのに。角材で。
移住民は待遇が悪いという共通点があってまとまっているが、元は各国から流れてきた者たちだ。人種も違えば性格も考え方も違う。他の移住者より優遇されると言われれば、簡単に裏切る人は現れる。それをまざまざと見せつけられて、私のはらわたは煮えくり返っていた。
「……本当は、こんなところに来ている場合じゃないのに」
「今日くらいはそれについては忘れて楽しもうよ。今のところ、劇場のせいで不快になったわけじゃないんだし」
どうにも緊張感が足りない弟をジロリと睨んでいると、使用人の代表らしき人物が会場へ向かうように案内を始めた。開演時間が近づいてきたらしい。私たちもそれに従って、玄関ホールの方へ向かう。
「一階席、二階席の方はそのまま階段の脇を通っていただいて、その奥にある扉から中へお入りください」
「私たち、一階よね?」
「うん、そう。真ん中の後ろの方だね」
招待状に書かれた数字を見ながらクヤンが先に会場の中に入る。続けて私も中へ入り、再び目を見開いた。
これが……劇場の内部? すごい高い天井……席の数もすごいわ。
子どものころに見た平民の劇とは規模が全く違う。上を見上げれば二階、三階席まで客が入っていっている。一階席のすり鉢状の席は広く、柔らかそうなヤパンが並んでいて、正面の突き当たりには大きな木製の扉のようなものが立っていた。
自分の席の方へ移動しながら、「あれが緞帳っていうものだよ。本番が始まるとあの扉が左右に開くんだ」とクヤンが少々得意げに話す。会場内に入ってきた貴族たちが声の音量を下げながら、楽しげに私たちの後ろを通っていった。移住民である私たちのことはすでに視界に入っていないのか、機嫌の良い声しか聞こえてこない。
「今日も楽しみにしていたのですよ」
「わたくしも。昨日の夜は興奮してよく眠れませんでしたもの」
「わかりますわ〜。あ、キジーニ様、帰りにグッズは買っていきますの?」
「もちろんですわ! ケヴィン様のサインが入った小冊子が売り出されるそうですから。絶対に手に入れなければ……!」
そうしてはしゃぐ声を上げながら通り過ぎていった夫人たちを見て、私は首を傾げる。
「普通、こういう場所は夫婦や家族で来るものだと思うのだけど……違うのかしら」
「どうだろう? よく見るとご夫人だけのグループも多いね。お友達同士なのかな」
席に座りながらクヤンも不可思議な顔をした。今まで感じたことのない空気に、なんだか体がソワソワする。
「ねえクヤン、演劇クラブの公演会もこんな雰囲気だったの?」
「うん。みんなワクワクしながら劇が始まるのを待ってたよ。ここは大人の貴族たちが多いからまだ静かだけど、学生の時はもっと騒がしかったな」
そう言って懐かしい顔になっているクヤンの顔を見て、私はますます眉根に力を入れた。私には全くわからない気持ちだ。小さなころから建築以外で自分がワクワクしたことなんてない。
こんな私でも楽しめるのかしら……彼女の期待には添えられそうにないけど。
さっき笑顔で私たちを出迎えたディアナの顔を思い出しながら、私は座席の背もたれにぼすっと体重を預けた。
しかし、そんな諦め半分、呆れ半分のような気持ちは、開演した途端に吹き飛んでしまうのだった。
劇団の第二回公演はアンビシア視点で。
彼女から見た公演日の劇場の様子です。ディアナとはまた違った着眼点を持ってます
次は 初めての観劇② アンビシア視点、です。




