09 特別補佐の時間
本の感想を言い合ううちに、夕食はほとんど食べ終わってしまった。食後のお茶を出した私は、お皿をワゴンに片付け始める。
「それにしても、そこまで食事の量が減ってるなんて思いませんでしたよ。折角体力もついてきたのに……」
「……この春から執務の体制をガラリと変えたからな。様子を見ながら進めているが、様々な部署で問題が多発している。今まではこの部屋で一人で解決策を考えて指示を出せば終わりだったが……」
「今はアルスラン様が王宮内の王宮執務館に行けるようになりましたもんね」
この王の塔から出られなかったアルスラン様が、病気が治って表に出られるようになったのはいいことだが、元々一人で考える時間を大切にするタイプのため、逆に疲労が溜まって大変なようだ。
問題が起こる度に直接顔を突き合わせて議論を重ねるのは、細かいところまで目が行き届くというメリットもあるが、なにをするにも時間がかかるというデメリットもある。
「執務の問題が落ち着くのはいつごろになりそうですか?」
「さてな……今までの身分主義から実力主義にガラリと変えたのだ。まだ様子見している執務官も多いであろう。これからもしばらくは問題は続くと予想している。……それに、少々大きな発表も控えているしな。その準備に忙しい」
「大きな発表ですか?」
「貴族に影響のある話なので、其方にも言えぬ。そのうち耳にすることになるであろう」
「……もしかして、婚姻関係ですか?」
私が首を傾げてそう問いかけると、アルスラン様は心底嫌そうな顔を作る。
「そのような話ではない。日々執務官たちから言われてることを、其方まで言うな」
「そんな顔しなくても……じゃあ、しばらくはこちらでゆっくり食事することもできないんですね」
彼の言葉に答えつつ、私は腕を組む。食事は健康的に過ごす毎日の基本だ。アルスラン様の食欲が減ったままなのは困る。
どうにかご飯の量を増やせないかなぁ。
「アルスラン様、執務官の皆さんとの食事は楽しくないのですか?」
「楽しいわけがなかろう。仕事の話か、実のない世間話しかしないのだぞ」
「まあ確かに、アルスラン様と一緒の食事は貴族にとっては緊張しかないですもんね」
一国の王と食事を共にする。貴族にとっては誉れだが、緊張感も相当なものだろう。話が弾んで盛り上がるということもないのかもしれない。
「私だったら食べるマナーとかが気になっちゃって、味もわからなくなりそうです」
「其方はさっきまで嬉しそうに食べて完食していたではないか。私の目の前で」
「もしアルスラン様のことを知らなかったらって話ですよ。うーん、ここではたくさん食べられるのに、どうして減っちゃうんですかね?」
「……あまり美味しいと感じないのだ。ソヤリに『ディアナの食べている顔を思い浮かべてみては?』と言われたが、あの場で想像するのも難しい」
「……アルスラン様とソヤリさんは私のことをなんだと思ってるんですか」
私の顔は食欲が増す装置なのか。と、口を尖らせるが、確かに自分のように美味しさを堪能して食べる貴族は少ない。仕方がないとは思うが、食事の時くらい楽しめばいいのにとも思う。
「あとは……そうだなぁ。あ、夜食をとるというのはどうですか? 健康的ではありませんけど、食事の量が減るよりはマシですし」
「夜食か……そういえばソヤリが果物などを置いていっていたな」
「果物だけでなく、軽食を置いてもらいましょう。この書斎か、王宮内の寝室でもいいですし、足りない分をそこで補うんです」
私がそう提案すると、アルスラン様はふむ、と頷く。どうやら前向きに捉えてくれたようだ。
私はそれから睡眠や運動についてもチェックする。睡眠は問題ないようだが、運動はこの夏の間あまりできなかったようで、本人も少し反省していた。運動は習慣化するまでが大変だが、一度その習慣が身につくと、できなかった日があるとモヤモヤするものである。
「ふふふ、アルスラン様もすっかり運動好きになりましたね」
「別に好きではないが……其方と五大老たちがうるさいからな」
「それは、うるさく言った甲斐がありましたね。夏は暑かったので仕方ありませんが、これから過ごしやすい季節になるので頑張りましょう、アルスラン様。食欲と、運動と、読書の秋です!」
「なんだそれは……」
アルスラン様はそう言って呆れながら笑う。
そこから話は学院のことへと移った。今は九の月の初め。ちょうど学院の入学式と始業式が終わったばかりだ。
「入学式には行かなかったのですか? 前の卒業式には出られてたのに」
「そういう声もあったが、体調がこの通りだったのでな。学生の前に出るのは卒業式だけで十分だろうと判断した」
「期待していた学生たちは残念がってるでしょうね。特に各国の王族の方とかは」
「学院では学院長と生徒という立場なのだ。学院に行って王族と社交する気はない……」
「そうではなくて。各国の王女様や女性貴族の方たちは、アルスラン様の姿を一目見たいと思っているのですよ。前の卒業式の時も黄色い声がすごかったではないですか。気を失った人たちもいましたし」
「……」
私がそう言うと、アルスラン様はいつもの無の顔になる。相変わらず自分の容姿の話に関しては全く興味がないらしい。
「そろそろご自分の影響というか、人気がどれほどのものなのか自覚された方がいいのでは?」
「……そういうことはソヤリに任せている」
人に任せることなんだろうか、それ。
そもそもこの世界では十五歳で婚約が可能になり、十八で成人になって結婚できるようになるので、結婚適齢期は十八から二十五歳くらいだ。アルスラン様は二十六になる年なので、本人にその気はなくとも周りは焦ってることだろう。しかも、今までは虚弱で人前に出れなかったが、今はそうではない。
さっきも嫌そうな顔してたから私からはなにも聞けないけど、この先どうするつもりなのかな? 執務がもう少し落ち着いたら考えるのだろうか。
しかしここで本人に聞いても碌な答えは返ってこないだろう。こういうことはソヤリに聞いた方が早いと思い、私は学院の話に戻る。
「そうそう、私も近々学院に行こうと思ってるんですよね。演劇クラブで使っていた録音筒が必要で」
「劇団で使うのか?」
「はい。十一の月の公演まで時間がないので、今まで作った曲も使おうかと思いまして。エルノに新曲を作ってもらうのも限界がありますから。音出し隊は今のところ彼しかいませんし。……学院には申請したら入れるのですよね?」
「ああ。正門で手続きをしたら良い。オリムに話を通せば許可が出るであろう。ただ入れる場所は限られるぞ」
「私が行きたいのは演劇クラブの練習室だけなのですけれど……」
「地下には降りられぬ。部外者が入っていいのは面談用の談話室だけだ。他はオリムの許可が別に要る」
学院には世界各国の王族や貴族の子どもたちがいる。そのため学院の警備体制はとても厳しく、学院の関係者以外は動き回ることができないらしい。
「私一応卒業生ですけど……」
「卒業すれば部外者と同じだ。其方が自由に学院に入るには、職員か教員になるしかない」
「うう……じゃあ演劇クラブのメンバーに談話室まで持ってきてもらうしかないですね。あれ? でもラギナは学院の中にちょこちょこ入ってきてましたよ?」
「魔石装具工房は学院と密接に関わっているからな。オリムが許可を出せば比較的自由に入れる」
「そうなんですか……いいなぁ」
卒業したあとも気軽にクラブの練習を見に行こうと思っていたのだが、そう甘くはないようだ。
そのあと私はアルスラン様に歌の魔石術を使うことにした。以前と違って、今のアルスラン様には回復力がある。食事を食べて少し話して歌の魔石術を使うと、肌艶がすぐに戻るのだ。
私は奥から弦楽器のドゥタークを持ってきて、膝の上に置く。
そして透明の魔石のネックレスを服の下から引き出し、魔石の名前を呼んだ。
「『シャファフ』アルスラン様に繋げて」
本当はアルスラン様に触れるだけで繋がりの魔石術は発動するのだが、それだと歌いにくいので毎回こうしている。
音合わせをして魔石からシャンッと音が鳴ると、白い光が飛び出してアルスラン様にぶつかった。
「なんの歌がいいですか?」
「目覚め唄と……あとはなんでも良い」
目覚め唄は疲労もとれるが、目が冴えてしまう効果もある。私は目覚め唄を軽く歌い、他に体が軽くなる効果がある歌をいくつか歌った。アルスラン様は目を閉じて、私の歌に身を委ねる。
しばらくすると、アルスラン様から穏やかで微睡むような感情が流れてきた。いつもは感情を抑えるのに、今日は珍しい。
ああ……私まで眠くなりそう。これからも、こんな時間が続けばいいな……。
そんなことを思いながら歌っていると、アルスラン様が少し目を開けて僅かに微笑んだ。
塔の吹き抜けに、白い光がポワポワと舞った。
アルスランとの時間でした。
ディアナにとっても大切なひとときです。
二人の関係性について詳しく知りたい方は前作を読んでください。
次は 家の談話室にて、です。




