97 アミーラ王国への帰還
――フレイル要塞が陥落してから、3週間後。
10月の中旬となり、冬の訪れを感じさせる風が吹いている。
また、生えている草は色を変え、木々の葉が落ちてしまっていた。
そんな中、アリアは、ダルム要塞から少し離れた場所に立っている。
目線の先には、ミハイル、ハインリッヒ、ミケーレ、マヌエルがいた。
四人とも、設置されたイスに座り、調印式の進行に従っている。
その様子を、調印式の場所を挟んで、両軍が見守っていた。
(それにしても、講和が成立するとは思わなかった。結構、難しいとは思っていたけど、案外、あっさりと決まったのかな? いや、そうだったら、もう少し早く決まっているか。話だとフレイル要塞をどちらのものにするかで、揉めたみたいだ。それ以外にも、なにか、揉めたことはあっただろうな)
一応、近衛騎士団の士官なので、アリアは講和の調印式が見える位置にいる。
他の士官も、居並ぶ部隊の前にいたため、調印式は見えているようであった。
(これで、2回目か。前回はハミール平原の戦いでの調印式に並んだからな。あのときから結構、時間が経った気がする。まぁ、やっていることは変わらないけど。あれ、おかしいな? 私、士官になったハズなのに、最前線で戦っているよ。はぁ……なんだか、悲しくなってきたな)
アリアは、終わるまで黙って立っているだけなので、暇つぶしに考えを巡らせる。
(とりあえず帰ったら、おいしいものを食べよう。あとは、ゆっくりとお風呂に入って、疲れを癒したいな。その後は、自分の部屋のフカフカ……ではないベッドで眠りにつきたい。もう、それだけで十分な気がするな)
アミーラ王国に帰った後のことを考えていたアリアは、思わず笑顔を浮かべそうになった。
(おっと、いけない、いけない。笑顔になるのは、調印式が終わって、帰る段階になってからだ。ふぅ~、それにしても暇だな。他の皆は、なにをしているんだろう?)
あまりにも暇なので、アリアは、目だけを動かして周囲を確認する。
(左隣にいるサラさんとステラさんは、眠そうなこと以外、いつも通りみたいだな。エレノアさんは……うん、ヤバいな)
アリアは、右隣にいるエレノアを目だけで見ていた。
問題のエレノアはというと、頭をガクンガクンと揺らし、今にも眠りそうになっている。
(くっ! 体が触れ合うほど近くにいれば、体をぶつけて起こせるのに! 微妙に離れているせいで、起こせないよ! 並んでいる人たちは当たり前だけど、誰も動いていない! 動いているのは、調印式に臨んでいる人たちだけだ! このままだと、マズい!)
アリアがそんなことを思っている間にも、エレノアの頭の振りが大きくなっていた。
その数秒後、とうとう、決定的な瞬間が起きてしまう。
完全に眠ってしまったエレノアが、前のめりになり、右足を少し動かしてしまったのだ。
ズサァと地面をこする音が周囲に響き渡る。
(あぁ! やってしまった! 調印式に臨んでいる偉い人たちが、エレノアさんのことを見ているよ!)
アリアは、驚きが表情に出ないよう、顔面の筋肉に力を入れる。
エレノアはというと、なにも起きなかったかのように、素知らぬ顔をしていた。
(全然、ごまかせていないよ! はぁ……エレノアさん、後で滅茶苦茶、怒られるだろうな……)
アリアは、顔面の力を緩めると、近いうちにエレノアの身に起こるであろうことを予測する。
一瞬、エレノアのことを見た偉い人たちは、すぐに視線を戻す。
(まぁ、この場で、どうこうするワケもないか。両軍にとっては、大事な調印式だと思うし。ふぅ~、エレノアさんがズサァってしてくれたおかげで、眠気が覚めた。それだけは、エレノアさんに感謝しないとな)
眠気が吹き飛んだアリアは、また、しばらくの間、いろいろな考え事をしていた。
それから、30分後。
厳粛な雰囲気で行われた調印式が終了をする。
途中、何度かズサァという音が聞こえて来たが、無事に終了することができた。
その後、両軍は指揮官の指示に従って、解散をしていく。
もちろん、その中には、近衛騎士団の姿もあった。
(調印式の時間自体は短かったな。ただ、疲労のせいか、滅茶苦茶、長く感じた。まぁ、とりあえず、これで、この戦争も終わりか。半年くらいだったけど、これまた長く感じたな。というか、レイル士官学校を卒業して、まだ一年経っていないのか。もう、3年くらい経った気がするな。間違いなく、顔は老けているだろうな。もう、こんな速度で老けていたら、あっという間に、おばあちゃんになってしまうよ)
ミハイルが乗る馬車に呼ばれたエレノアを見ながら、アリアは馬に乗る。
結局、エレノアが戻ってきたのは、王都ハリルの周辺についた頃であった。
どうやら、ミハイルだけではなく、近衛騎士団の本部にいる士官全員に怒られたようである。
相当、怒られたのか、ヨタヨタと歩いている姿が、アリアには印象的であった。
――王都ハリルに到着してから、2週間後。
道中、補給をしながら進んだ近衛騎士団は、アミーラ王国の王都レイルに到着する。
出迎えは、王都レイルにいる国民の拍手から始まった。
大きな歓声に対して、近衛騎士団の面々は、馬上から手を振って応える。
その後、王都ハリルを一通り回った近衛騎士団は、王城に併設されている基地の訓練場で整列をした。
お立ち台の横には、国王であるハインツ・アミーラを始めとした、お偉方がズラリと勢揃いしている。
(……もしかして、これから、ご苦労様的な言葉が延々と続くのかな? ちょっと、それは勘弁してほしい。移動してきて疲れているから、立ったまま、寝てしまうよ)
アリアは、寝ないよう、顔面の筋肉に力を入れた。
そこから、3時間、偉い人たちのありがたい話が続く。
途中、第1王子であるクルト・アミーラが、イスに座ったまま、寝ているのが見えた。
それほど、退屈で、眠くなるような時間であった。
終わった頃には、近衛騎士団の全員が、戦闘したワケでもないのに、疲れ切った顔をしてしまっていた。
最後にミハイルが、お疲れ様的な言葉を短く言った後、近衛騎士団は解散となった。
その後、中隊の終礼も終わり、真の意味でアリアたちは自由を手に入れることになる。
「もう、長すぎますわ! 絶対、ワタクシが偉くなったら、短い話で終わらせますの!」
サラは歩きながら、怒った声を出す。
現在、アリア、サラ、ステラの三人は、女子寮に戻っている最中であった。
辺りは、暗くなり始めている。
「私も、改めて、そう思いましたね。というか、この話、結構な回数でしていませんか?」
ステラは、いつも通りの顔でそう言った。
「毎回、毎回、思うことなんですよ! そんなことより、女子寮に帰って私服に着替えたら、街中に行くんですよね? 急ぎましょう! 暗くなっていますしね!」
アリアはそう言うと、女子寮に向かって、走り出す。
「あ! 待ってほしいですの、アリア!」
「駆けっこなら、負けませんよ。ちょうど、立ったままで筋肉も固まっていますしね。ちょうど、良いです」
サラとステラも、アリアの後を追って走り始める。
数分後には、女子寮の自分の部屋に到着していた。
「それでは、準備が出来次第、外に行きましょう!」
アリアは、嬉しそうな声を上げると、自分の部屋に入る。
サラとステラは返事をした後、ガチャリと扉を開けていた。
(……なんか、古臭い匂いがするな。まぁ、当たり前か。半年ぐらい、いなかったからな。明日は休みだし、掃除をしよう。って! そんなことより、今は、外に行くのを優先しないと!)
そう思ったアリアは、急いで、戸棚に入った私服を取りだす。
これまた古臭い匂いがしたが、気にせず、着替えていく。
その後、準備が完了したアリアは、サラとステラと合流をし、王城の入口にある詰め所に向かった。
「ふい~! なんだか、この瞬間に至るまで、凄く長かった気がしますの!」
詰め所を出たサラは、背伸びをしている。
その後ろには、軍の身分証の提示を終えたステラとアリアがいた。
全員、11月に相応しい服装をしている。
「私もそう思います。前回は、銅鑼が鳴って、即出撃でしたからね。というか、今回が、近衛騎士団に配属されて初めての休日ですね」
ステラは、あごに手を当て、感慨深げにしていた。
(3月に士官学校を卒業して、今は11月でしょ? あれ、おかしいな? 半年以上、休日がないぞ。いや……このことについては、考えないほうが良い気がする。恐ろしい事実に気がついてしまいそうだ)
アリアは、思考を強制的に遮断する。
今は、そんなことより、外に出ることのほうが重要であった。
「アリア、ステラ! 早く行きましょうですわ! また、銅鑼が鳴らないうちに、王城の門を潜り抜けますの!」
サラは大きな声を上げると、急いで走り始める。
アリアとサラも、後ろをついていく。
三人のはしゃいでいる様子は、詰め所からでも見えていた。
詰め所にいる近衛騎士たちは、恨めしそうな顔をしながら、遠ざかる三人を眺めている。
それから、20分後。
アリアたちは、王都ハリルの平民街に到着していた。
辺りでは、仕事終わりらしき人たちが、お店でバカ騒ぎしている声が聞こえてくる。
(平和そのものだな。まるで、戦争をしていたのが嘘みたいだ。実際、この人たちからしてみれば、遠い場所での出来事だから、しょうがないか。まぁ、フレイル要塞が陥落した後の宿場街よりは、全然、マシだけどな)
アリアは、キョロキョロとしながら、そんなことを思っていた。
隣では、サラとステラがどこの店に入ろうか、相談している。
(あのときの宿場街の風景は、今でも覚えている。現地住民と出稼ぎ労働者の人たちが逃げた後で、誰もいなかったからな。トランタ山に潜入したときとは大違いだった。寂しい風景が延々と続いて、悲しくなってしまったよ)
当時の風景を思い出していたアリアは、少し顔を曇らせてしまう。
「アリアさん? どうかしました?」
アリアの様子に気がついたのか、ステラは声をかける。
「いえ、なんでもありません。ちょっと、昔のことを思い出していただけです。そんなことより、今を満喫しましょう!」
気を取り直したアリアは、元気のある声を上げた。
「アリアの言う通りですわ! 久しぶりの休日を全力で楽しみますの!」
サラも、アリアと同様に、活気のある声を出す。
「そうですね。今を楽しむことに集中しましょう」
ステラも、アリアとサラの言葉に同意をする。
三人はワイワイとしながら、歩き続けた。
しばらくすると、良さそうな店を見つけたので、アリアたちは店内に入ろうとする。
「良い匂いがしますの! それ、突撃ですわ!」
「サラさん! 私もお供します!」
サラのかけ声に合わせて、アリアも店内に突撃していく。
「お二人とも、はしゃぎすぎですよ。そんなに急がなくても、お店は逃げませんって」
ステラは二人の後ろから、声をかける。
だが、気分の高揚しているアリアとサラには、聞こえていないようであった。
そんな状況で、お店に入ったサラは、声を上げる。
「アリア! 空いている机を探しますの!」
「もちろんです! サラさん!」
返事をしたアリアは、急いで、キョロキョロとした。
そんなアリアの視線に、ある人物たちが入ってくる。
(げっ! 中隊長とフェイ大尉の先輩方三人組がいるよ! 見つかったら、絶対、面倒なことになるな! ここは、戦略的撤退一択だ!)
そう思ったアリアは、サラの顔を見た。
ちょうど、サラも見つけたようであり、うなずくと、静かに店を出ようとする。
「私服を着ていても、一発で分かりましたよ。明らかに、一般の方と気配が違いますからね。近づいたら、危ないって、本能的に感じますよ」
ステラは小声でそう言うと、店の扉を開け、速やかに退路を確保した。
三人は、そのまま、店を出ようとする。
だが、戦略的撤退は失敗してしまったようであった。
「おい! お前たち! この店に目をつけるとは、なかなか、やるな! ちょうど良い! 奢ってやるから、一緒にご飯でも食べるか! 先輩方もそれで良いですよね?」
アリアたちの姿を見つけたフェイはそう言うと、先輩方三人組のほうに顔を向ける。
先輩方三人組はというと、嬉しそうな顔をして、うなずいていた。
(あ。これ、逃げられないやつだ)
店を出ようとしたアリアは、そのようなことを思ってしまう。