96 中長期的な視点
――フレイル要塞が陥落してから、1週間後。
ダルム要塞の会議室では、軍議が開かれていた。
主題は、連合軍との講和についてである。
「それでは軍議を始める。主題については事前に通達した通りだ。諸君に意見を求める前に、分かっているとは思うが、戦況の確認をする。参謀長、説明を頼む」
マヌエルはそう言うと、参謀長のほうに顔を向けた。
視線を受けた参謀長は、机に広げられた大きな地図の前で説明を始める。
「ハッ! それでは、現在の戦況について説明します! まずは、北部から説明します! 現在、北部の重要拠点であるフレイル要塞は、連合軍のものとなっている状況です! それに伴い、トランタ山も奪われてしまっています! ですが、連合軍は支配領域を広めようとせず、フレイル要塞に留まっているようです!」
「支配領域を広げていないのは、講和を結ぶためであろう。もし、北部一帯を取られようものなら、我々としても、引くワケにはいかなくなるからな。講和を目指しているのであれば、当然の判断だろう」
マヌエルは、腕を組んで、うなずいていた。
「……それにしても、フレイル要塞が陥落するとはな……攻撃の起点となったアミーラ王国軍の近衛騎士団というのは、相当、訓練された部隊なのだろう」
地図を見ながら、マヌエルはボソッとつぶやく。
「……閣下。申し訳ございません。私の指揮が至らぬばかりに、このような結果になってしまいました。将兵には、一切の責任はありません。全責任は、私にあります……」
フレイル要塞の総司令官であった男性が、悔しさをにじませる。
「中将、もう終わったしまったことだ。今は、この先のことを考えるべきだろう。とはいえ、済まないな。蒸し返すような話をして。竜騎兵隊から話は聞いているが、同じ状況であれば、私も同様の指揮をしていただろう。まさか、坑道から出てくる敵を叩こうとして、逆に倒されてしまうとはな。出てきたのがミハルーグ帝国軍であれば、こうはならなかったのかもしれない。まぁ、たらればを言い出したらキリがないがな」
「近衛騎士団の強さは想像以上でした。この件から考えても、局地戦で勝つのは、相当、厳しいでしょう」
「私も中将と同じ意見だ。今度戦うことがあれば、十分注意する必要があるだろうな。済まない、参謀長。話がそれた。説明に戻ってくれ」
「ハッ! 了解しました! 続いて、中部の説明をします! 現在、ここダルム要塞を攻めていた連合軍は、離れた場所に布陣している状況です。フレイル要塞が陥落して以降、攻撃をする気配がありません。また、こちら側の損害はほとんどない状況であり、この先も戦うことは可能です」
「動きを見ると、こちら側が陽動であったようだな。まぁ、薄々、そうではないかと思っていた。ローマルク王国軍しか、突撃して来なかったからな。残酷な話だが、陽動と処分を兼ねていたのだろう。今後のことを考えれば、反乱分子になりかねないしな」
マヌエルは、冷静に分析を述べた。
「……閣下、説明を続けても、よろしいでしょうか?」
「ああ、済まない。余計なことを言ってしまったな。最後は南部か」
「はい! それでは、南部の説明をします! 現在、南部は、相当、押されてしまっている状況です! 神出鬼没なイメリア王国軍の前に、防戦一方となってしまいました! 結果、南部の7割ほどが削りとられています! ですが、フレイル要塞陥落以降、攻勢をやめ、守備に徹しているようです!」
「兵数はこちらのほうが多いハズなのだがな……イメリア王国の指揮官であるミケーレの前には歯が立たないか。元帥をしていたのは伊達ではないな。私が南部侵攻軍の指揮をしたとしても厳しいだろう。そもそも、エンバニア帝国軍の中で、森林地帯の戦闘を彼より上手く指揮できる者はいないと断言できる」
マヌエルはそう言うと、はぁとため息をついた。
「……閣下。以上で概要の説明は終わりますが、よろしいでしょうか?」
参謀長は持っていた長い棒を机に立てかけ、マヌエルのほうを向く。
「……ありがとう、参謀長。これで、現在の戦況の概要は分かったと思う。次は、講和の内容を説明してくれ」
「ハッ! それでは、ミハルーグ帝国軍が4日前に送ってきた講和内容の説明をします! まずは、地図をご覧ください!」
参謀長は、居並ぶ面々にそう告げる。
その声を聞いた面々は、地図を見ることに集中をした。
マヌエルはというと、腕を組んで、その様子を眺めている。
(ローマルク王国分割案か。ダルム要塞より東側をエンバニア帝国に、西側をミハルーグ帝国に分割。イメリア王国への森林地帯の一部割譲。こちらが講和を結べるギリギリというところだな。とはいっても、多くの者にとって受け入れるのは難しいだろう。今回の戦争には、多くの物、人を費やしている。それを思えば、講和など心情的に不可能だ)
マヌエルは、目を閉じ、様々なことを考えていた。
そのような状況で、しばらくすると、参謀長がマヌエルに声をかける。
「閣下! 皆、確認が終わったようです! 説明を始めても構わないでしょうか?」
「頼む。説明が終わったら教えてくれ」
目を開いたマヌエルは、ふたたび、思考の海に沈む。
参謀長はというと、長い棒を持ち、細かい説明を始める。
(現状、巻き返しを図るなら、さらなる兵力が必要だ。ただ、どのくらいの戦力が必要になるかは分からない。そもそも、陛下がお許しにならないだろう。今回の戦争で、エンバニア帝国には相当な負担がかかっている。これ以上の負担は、厳しいハズだ)
マヌエルは、目を閉じたまま、眉間にしわをよせた。
(となると、講和をするしかないか。だが、陛下や上層部が許したとしても、エンバニア帝国軍本部、ひいては国民が許さないだろうな。それほどまでに、この戦争には、多くの物が費やされている。私としても、ローマルク王国全土をエンバニア帝国のものにしたいという想いは、たしかにある。だが、この局面で感情に流されるのはマズい気がするのも事実)
参謀長が説明している中、マヌエルは目を開き、懐から水筒を取りだす。
その蓋を開けると、水をゴクゴクと飲む。
沸騰していた頭が、水によって冷やされる。
(ふぅ~、少し楽にはなったか。さて、理性的になろう。少し先のことではなく、さらに未来のことを考える必要があるからな)
そう思ったマヌエルは、水筒の蓋を閉め、懐にしまう。
(仮に、我が軍がミハルーグ帝国軍を打ち破って、ローマルク王国全土を支配下に置いたとする。本来の目的はこれで達成であり、エンバニア帝国の誰もが納得する結果だ。だが、エンバニア帝国の力は大きく削がれてしまっているだろう。しかも、ミハルーグ帝国の国民が黙ってはいないハズだ。ローマルク王国に送った兵士の死が無駄になるからな。結果、民衆の圧力に負け、ふたたび、戦争になるであろう)
マヌエルは、さらに嫌な予想をする。
(そうなれば、全面戦争だ。おそらく、どちらが勝っても、ただでは済まないだろう。その隙を狙う国が今度は動き出すハズだ。ミハルーグ帝国より、さらに西にあるエザイア王国など喜んで攻撃を始めるだろう。しかも、ミハルーグ帝国打倒のために、周辺諸国は連合軍を結成し、一気に攻め寄せるハズだ。そうなれば、傷ついたミハルーグ帝国では防ぎきれない)
険しい顔のマヌエルは、さらに考えてしまう。
(当然、エンバニア帝国にも攻め寄せてくるだろう。そうなれば、勝ったとしても、国力は大きく落ちるハズだ。結局、なんのためにローマルク王国に侵攻したかが分からなくなってしまう。それでは困る。となると、現状取れる選択肢は講和だけだな。しかも、あくまで勝った仮定でこれだ。ミハルーグ帝国軍に負けた場合は、悲惨ではすまない事態になるであろう)
マヌエルは、はぁとため息をつく。
どのような行動をしても、厳しいことになるのは明らかであった。
しばらくすると、参謀長の説明が終わり、マヌエルが軍議を進行することとなる。
そこで、マヌエルは、自分の考えを居並ぶ者たちに伝えた。
当然、大多数の者が反対をする。
だが、マヌエル本人はもちろん、同じような考えに至った参謀長、フレイル要塞指揮官の粘り強い説得によって、講和を受け入れることとなった。
この軍議が終わったのは、始まってから4時間後である。
それほど、反対意見が大勢を占める軍議であった。
――ダルム要塞での軍議が終わった頃。
アリア、サラ、ステラ、エレノアの四人は、フェイ主催の特別訓練を受けていた。
場所は、王都ハリル周辺に張った天幕の近くである。
少し離れたところでは、エドワードと学級委員長三人組が、バール主催の特別訓練をこなしていた。
「あああああ! 強すぎますの! こんなの無理ですわあああ!」
サラは、大剣を持ったバール大尉の姉から逃げている。
どうやら、強すぎるので、訓練するのを放棄しているようであった。
「ちょっと! なんで、また、ワタクシだけ同じ相手ですの! 違う人が良いですわ!」
エレノアは剣を振り回しながら、そう叫んでいる。
だが、相手の先輩士官は、一切気にせず、エレノアの顔面に向かって、膝蹴りなどを繰り出そうとしていた。
その近くにいるステラは、険しい表情をしながら、フェイの相手をしている。
「ほら、どうした!? お前の実力はそんなものか!? もっと本気を出しても良いんだぞ!」
フェイは、槍での連撃を繰り出していた。
ステラはというと、凄まじい速度での突きを、なんとか剣で防いでいる。
当然、攻撃などできる状態ではなかった。
そのような状況で、アリアは、剣を持った先輩士官と対峙している。
(う~ん、どうやって攻撃をすれば良いんだろう? 隙が一切ないんだけど。まぁ、でも、相手をしてくれている四人の中では、一番当たりではあるよな。こっちに合わせて、訓練をしてくれるみたいだし)
そんなことを考えていたアリアは、横目で周囲の状況を確認した。
ちょうど、サラが、『あああああ! こんなの訓練ではありませんわああ!』などと言いながら、近くにあった天幕に突っこんでいくのが見える。
その近くにでは、剣を持った腕に関節技をかけられているエレノアが、『腕が! 腕が千切れますのおおおお! 降参、降参ですわああああ!』などと叫んでいた。
(ハハハ……サラさんとエレノアさん、大変そうだな。とりあえず、心の中で健闘を祈っておこう)
そんなことを思ったアリアは、剣を持った先輩士官との訓練に集中をする。
結局、フェイ主催の特別訓練が終わったのは、1時間後であった。
ボコボコにされた三人を見ながら、アリアは地面に座り、遅めの昼食を食べている。
「サラさん、大丈夫ですか? 相当、ボコボコにされていたみたいですけど」
アリアは、干し肉が挟まったパンを食べつつ、気遣う。
「はぁ……大丈夫なワケがありませんの。こんな訓練をしていたら、いつか死にますわ。というか、これ、何回も言っている気がしますの。せめて、ちゃんとした物を食べたいですわ。そうでないと、力が出ませんの」
サラはそう言うと、パンをモグモグしていた。
「たしかに、サラさんの言う通りですね。干し肉とパンだけでは栄養が足りませんよ。まぁ、とはいっても、文句が言えるだけマシですかね」
ステラは、いつも通りの顔をしている。
サラの隣にいるエレノアはというと、『早く魔法兵団に帰りたいですわ……近衛騎士団にいたら、命が幾つあっても足りませんの……』などと言っていた。
「……講和、まとまりますかね?」
アリアは、ステラのほうを向いている。
「分かりません。ただ、期待しすぎないほうが良いかと。駄目だったときの反動が凄そうですしね」
「……そうですよね。はぁ……早くアミーラ王国に帰りたいですね」
「ワタクシもそう思いますわ。フカフカ……ではないですけど、自分の部屋のベッドで寝たいですの」
サラは、パンをモグモグとしながら、そんなことを言っていた。
(講和、上手くいってほしい。まぁ、そう願っても、駄目なときは駄目だからな。それでも、願わずにはいられない)
アリアは、右腕をさすっているエレノアを見つつ、パンをモグモグする。