93 危機のち別れ
「それでさ、提案なんだけど、このまま撤退してくれないかな? 顔を知っている人を斬るのは、あまり気持ちが良くないからね!」
剣を右手に持ったまま、ミハイルは笑顔でそう言った。
「それは、難しいですね! アミーラ王国の近衛騎士団長を前にして、撤退したと知れたら、大変なことになってしまいます! それに、全騎でかかればいけると思いますしね!」
ノーマンは、ミハイルから目をそらさずに、そう告げる。
どうやら、自信があるようであった。
「いや、普通に無理だと思うよ! 犬死にするだけだから、やめておいたほうが良いって! 別に、馬鹿にしているワケではなくて、本心からの言葉だからね!」
ミハイルは、いつも通りの笑顔をしている。
対して、侮辱と受け取ったのか、周囲で滞空している竜騎兵から殺気が出始めていた。
(ああ、もう! 団長! なんで、そんな挑発するようなことを言うんですか!? 滅茶苦茶、ヤバい気配が漂っていますよ!)
アリアは、ミハイルの顔を見ると、無言で訴えかける。
サラたちの視線も、ミハイルのほうに向いていた。
全員、アリアと似たようなことを考えているようである。
「うん? なんで、皆、僕を見ているんだい? ああ、そうか! たしかに、僕が竜騎兵を倒している間、君たちは無防備になるね! ハハハ! せっかく、窮地を脱したのに、また危機的状況に逆戻りだね!」
ミハイルは、笑いながら、アリアたちを見ていた。
(いや、そっちじゃない! もちろん、団長が言っていたことも大事ではあるけど! というか、団長一人で、本当に竜騎兵全騎を倒せるのか? 強いのは知っているけど、さすがに無理だと思うな)
アリアは、ミハイルの動向に注目をする。
そんな中、ノーマンが口を開く。
「今、この場でアミーラ王国の近衛騎士団長を倒すことができれば、我が軍の勝利は確実なものになるだろう! 全騎……」
ノーマンが大きな声で、指示を出そうとする。
だが、言葉を発するよりも早く、ミハイルが動く。
その瞬間、滞空していた竜騎兵たちが吹き飛ぶ。
まるで、大きな物がぶつかってきたかのような動きである。
吹き飛ばされた竜騎兵たちは、次々と滞空していた他の竜騎兵にぶつかっていく。
その衝撃は相当なものであり、竜に騎乗していた兵士が何人も地上に落下してしまっていた。
「ふぅ~、血で汚れるのは、これで避けれたかな? 一応、手加減はしておいたから、蹴られた竜も大丈夫だとは思うよ! ただ、竜から落下した兵士は、打ち所が悪かったら、死ぬかもしれないけどね!」
いつの間にか、戻ってきていたミハイルは、ノーマンのほうを向く。
周囲には、蹴られた衝撃で地面に落下してしまった竜やら、骨折して動けなくなった兵士やらが多数いた。
(おお! さすが、団長! まったく動きは見えなかったけど、竜騎兵たちを無力化してくれたんだな! これで、私たちが死ぬ危険性もなくなったよ!)
アリアは、驚いた顔をしながら、そんなことを思う。
サラたちはというと、心なしか、ホッとしたような顔をしている。
「それで、ノーマン君? まだ、やるかい? 君の小隊の竜騎兵は、ほとんど動けないみたいだけど?」
ミハイルは、笑顔のまま、言葉を続けた。
「くっ! これでは、戦うことすら難しいか! かといって、撤退することもできないしな……どうすれば良いんだ……」
ノーマンは、判断に迷っているようである。
「なかなか、難しい判断だよね! 僕でも、悩むと思うよ! ただ、ノーマン君は小隊長でしょう? 任務を遂行するのはもちろん、自分の小隊を無事で連れて帰るのも大事なんじゃないかな? ここで全滅しても、しょうがないと思うよ?」
ミハイルは、剣を鞘に納めると、頭の後ろで両手を組む。
「……この場は見逃してくれるということですか?」
「うん、最初からそのつもりなんだけど! ノーマン君は、小隊をまとめて帰ると良いよ! 無駄に命を散らす必要はないと思うしね! まぁ、ノーマン君は怒られるか、最悪、死罪になるかもしれないけど、小隊を失う不名誉よりはマシでしょう!」
ミハイルは、笑顔で撤退を勧める。
ノーマンは、ミハイルの言葉を聞いてから、黙ってしまっていた。
どうやら、いろいろと考えているようである。
それから、しばらくすると、ノーマンは口を開く。
「……分かりました。今回は、撤退をしましょう。ですが、次にまみえた際は容赦をしませんよ」
覚悟が決まったらしいノーマンは、そう言った。
「うん、それで良いよ! お互いに、そのほうが良いだろうしね! それじゃ、最後に、アリアたちが自己紹介をするから聞いていってよ! 君たちもダマしたままだと、気持ちが悪いでしょう?」
ミハイルは、言葉の途中で、アリアたちのほうを向く。
「いや、さっき、エドワードさんが軽く説明をしていたので大丈夫です」
ステラは、ミハイルが言い終わると同時に、そう言った。
どうやら、名前を言うのが嫌なようである。
「あ、本当? それじゃ、大丈夫か!」
ミハイルは、ステラの言葉を信じる。
そんな中、サラがノーマンのほうに行ってしまっていた。
「ノーマン! ダマしていてごめんですの! ワタクシの名前は、サラ・モートンですわ! 覚えてくださいまし!」
サラの自己紹介をする声が、アリアたちに聞こえてくる。
すでに、学級委員長三人組も、ノーマンの下に行っていた。
「ステラ? 嘘は駄目でしょう? 今は敵同士だけど、いつ味方になるか分からないからね! しっかりと名前を教えておいたほうが良いよ! それに、ダマしたままだったら、戦いづらいでしょう?」
「いえ、別にそんなことはありませんけど……はぁ、しょうがありませんね」
ステラは、諦めたのか、ノーマンのほうに走っていく。
アリアとエドワードも、その後ろをついていっていた。
「ああ、君たちも来たのか。まったく、アミーラ王国の近衛騎士団長は、滅茶苦茶な人だな。ミルさんじゃなくて、ミハイルさんか。動きがまったく見えなかったよ。しかも、団長自らトランタ山に潜入するなんて、考えられないな」
ノーマンはそう言うと、はぁとため息をつく。
「それに関しては僕も同感だ。団長は、ちょっと、思考がおかしいところがあるからな。そんなことより、アリアたちが自己紹介をしたいそうだ」
エドワードは、アリアとサラに目配せをする。
「……ステラ・ハミルトンです。私はお互い知らないままのほうが良いと思うんですけどね……まぁ、ダマしていたことについては、謝ります。ごめんなさい」
ステラは、いつも通りの顔でそう言った後、ペコリと頭を下げた。
「私は、アリアです。ダマしてしまって、ごめんなさい。ノーマンさんが凄く良い人なので、正直、トランタ山にいたときから心苦しかったです」
アリアも、ステラにならい、ペコリと頭を下げる。
ノーマンは、二人が顔を上げると、口を開く。
「……もういろいろなことが起きて、疲れたよ。トランタ山に潜入したのも任務だったのだろう? そうであれば、しょうがないことだ。軍人は任務を選べないからね。まったく戦いづらいことだよ。はぁ……早く戦争が終わってほしいな。国同士では敵対しているが、個人的には君たちを友人だと思っている。また、戦場で会うこともあるだろうが、国同士が友好的な関係になったときには、個人的に会えることを願っているよ」
ノーマンはそう言うと、自分の竜に騎乗して、空に上がってしまった。
「…………」
エドワードは、その様子を黙って見ている。
しばらくすると、ケガをした竜やら兵士やらをまとめたノーマンは、フレイル要塞のほうに向け出発をした。
もちろん、ノーマンの小隊の竜騎兵も撤退していく。
「ふぅ~、これで、とりあえずは大丈夫かな? 他の場所に行っていた竜騎兵も、現地の近衛騎士団が撃退したみたいだし! 平地だったら、こうもいかないけどね! まぁ、これに懲りて、来ないでくれるとありがたいけど、どうなんだろう? そこは、相手の指揮官次第だね!」
ミハイルはそう言うと、天幕のほうへ戻っていった。
(出来れば、来ないでほしいけどな。やっぱり、顔を知っている人と戦うのは、難しいものがある。まぁ、あまり希望的観測はしないほうが良いか。というか、誰かを忘れている気がするな)
アリアは遠ざかっていく竜騎兵たちを見ながら、そんなことを思ってしまう。
その近くの土砂からは、見覚えのある右手が生えていた。
――3週間後。
結果からいうと、アリアの心配は杞憂に終わっていた。
アリアたちが追いつめられた日以来、竜騎兵たちは、後方にある森に近づいてこない状況である。
どうやら、近衛騎士団の手痛い反撃を受けた結果、敵の指揮官は割に合わないと判断したようであった。
その代わり、竜騎兵たちは、フレイル要塞を攻めているミハルーグ帝国軍に攻撃をし続けている。
依然として、陥落の気配を見せないフレイル要塞からの攻撃と上空からの竜騎兵の攻撃によって、ミハルーグ帝国軍は、甚大な損害を受けている状況であった。
開戦以来、死傷者数は5千にまで膨れ上がっている。
ケガなどを含めると、それ以上の人数が出てしまっている状況であった。
そのような状況で、アリアたちを含む近衛騎士団は、後方に潜入してくるエンバニア帝国軍の兵士を撃退し続けている。
だが、そんな日々も終わりを迎えようとしていた。
「よし! 各部隊の指揮官も集まったみたいだし、説明を始めるよ! 一回しか説明しないから、そのつもりでね!」
ミハイルは、集まった面々の前で、そう宣言する。
現在、近衛騎士団の士官は、木々が茂って、上空から見えない場所にいた。
地面には、大きな地図が広げられている。
(この局面での集合か。もしかすると、アミーラ王国に帰還する段取りの話かな? あと一週間でフレイル要塞を落とせるワケもないし。ミハルーグ帝国軍が撤退するのに合わせて、近衛騎士団も撤退するんだろうな)
アリアは、現在の状況から、そう推測をした。
周囲では、士官たちが持っていた地図を広げたり、鉛筆を手に持っていたりしている。
そんな中、ミハイルの説明が始まる。
「それじゃ、端的に言うよ! 近衛騎士団は、今日の夜12時、フレイル要塞に奇襲を仕掛ける。ミハルーグ帝国軍が死ぬ気で掘った坑道を通って、内部に侵入するからね! 各部隊の侵入する場所は……」
そこから、ミハイルは、地図を用いて、場所や順序の説明をしていた。
各部隊の士官は、メモをしながら、それを聞いている。
(くっ! 撤退の説明じゃないのか! ガッカリだよ! しかも、奇襲って! フレイル要塞の中に、何万の兵士がいると思っているんだ! 絶対、死ぬだろう!)
アリアは、ミハイルをジト目で見つつ、そんなことを思ってしまう。
隣にいたサラたちも、心なしか、ガッカリとしているようであった。
そんなアリアたちに気づいているのか、いないのかは分からないが、ミハイルは説明を続ける。
20分後、細かい部分までの説明が終わった。
士官たちは、地面に広げられた地図を確認すると、次々に戻っていく。
最終的に、説明の場には、アリアたち若手士官だけが残されていた。
「全員、戻ったみたいだね! それじゃ、最後に、君たちが行う任務について説明をするよ!」
ミハイルは、地図の前に集まったアリアたちを見ている。
(どうせ、ヤバい任務なんだろうな。はぁ……今回こそは、少しでも生き残る可能性の高い任務が割り当てられますように)
アリアは、ミハイルを見ながら、そんなことを思っていた。
サラたちはというと、すでに、げんなりとした顔をしている。
「そんな顔をしない! 今回は、僕もついているし、簡単な任務だよ! 他の皆が門開けやら、城壁の制圧やらしている中、君たちは、フレイル要塞の総司令官を捕縛するだけだから! ね? 簡単でしょう?」
ミハイルは、さも当たり前かのような顔をしていた。
(はぁ? どこが簡単なんだよ? それって、敵の真っただ中を突っ切るってことでしょう? いや、死ぬに決まっているだろう。百歩譲って、団長は大丈夫かもしれないよ? でも、私たちは、団長と違って、普通の人間だ。死ぬ未来しか見えないよ)
説明を聞いたアリアは、怒りに似た感情を覚える。
サラたちも、感情を抑えているようであった。
「多分だけどさ、君たちが思い描いているようなことにはならないと思うよ! いきなり奇襲を受けて、フレイル要塞は大混乱になっているだろうし! しかも、フレイル要塞の総司令官は、責任感が強そうだから、最後まで逃げないハズだよ! まぁ、これがローマルク王国軍の将官とかだったら、話は別だけどね!」
ミハイルはそう言って、アリアたちの怒りを鎮めようとする。
(本当か? 団長と私たちの感覚は乖離しているからな。疑わしいところではある。ただ、そうは言っても、やるしかないか……早く最前線から遠い場所で働けるようになりたいよ……)
アリアは、諦めた顔をすると、そんなことを思っていた。