87 捨て石
9月1日の朝。
連合軍は、北部、中部、南部の全戦線に渡って、攻勢を開始した。
南部では、イメリア王国軍1万8千が、今まで以上に森林地帯での戦闘を展開していく。
中部はというと、ローマルク王国軍3万とミハルーグ帝国2万の合計5万が、ダルム要塞を攻めたてる。
そんな中、アリアたちは、北部にあるフレイル要塞から離れた場所にいた。
「凄い兵士の数ですね! これなら、フレイル要塞を落とせるかもしれません!」
アリアは、眼下に広がる兵士たちを見て、興奮してしまう。
現在、近衛騎士団は、後方にて、ハインリッヒを含むフレイル要塞攻略軍の指揮官たちを守るために展開していた。
空から直接、指揮官を叩きにくる竜騎兵を警戒したためである。
そんなワケで、ミハルーグ帝国軍5万5千の全体を見渡せる場所に、アリアたち、若手士官はいた。
今回は、最前線ではなく、ミハイルの近くでハインリッヒの警護をすることになっている。
「本当ですの! 実際は難しいと分かっていても、そう思ってしまうのも無理はありませんわ!」
サラも、アリア同様、腕をブンブンと振って興奮していた。
「なかなか、お目にかかれない光景ですよ。これでいつ死んでも大丈夫ですね、エレノア?」
ステラは、いつも通りの顔で、エレノアのほうを向く。
「良いワケありませんの! まだまだ、やりたいことが一杯ありますわ! こんなところで、死んでたまるかですの!」
挑発されたエレノアは、プンプンと怒り出す。
「はぁ……君たち、いくら後方とはいえ、気を抜きすぎだ。少しは緊張感を持ったらどうだ?」
騒いでいるアリアたちとは対照的に、エドワードは気落ちしているようであった。
そんな様子を心配して、学級委員長三人組がエドワードを元気づけている。
(エドワードさんの心配事はノーマンさんだろうな。エンバニア帝国軍の竜騎兵だから、遅かれ早かれ、この戦場で再会することになるハズだ。まぁ、ノーマンさんがフレイル要塞にいなければ会うこともないんだろうけど)
アリアは、エドワードのほうを向きながら、そんなことを考えていた。
騒いでいたサラたちも、エドワードの様子に気づいたのか、静かになる。
「……まぁ、落ちこんでいても仕方がないか。いずれは戦場で出会うことになると思っていたからな。よし! 覚悟が決まった!」
エドワードは、自分の中で区切りがついたようであった。
「おーほっほっほ! 奴隷1号! 心配しなくても、大丈夫ですわよ! どうせ乱戦になりますの! そんな中、ノーマンが気づく可能性はありませんわ! なんたって、奴隷1号は、影が薄いですもの! ゴチャゴチャした状況で、気にかける余裕なんてないと思いますわ!」
エレノアは、元気になったエドワードのほうを向く。
どうやら、エレノアなりに元気づけようと考えた末の言葉であったようだ。
「……そうだよな。きっと、ノーマンは僕に気づかないだろう。なんたって、僕は影が薄い上、近衛騎士団でも弱い部類の人間だからな。ハハハ……ノーマンがそんな僕に気づくワケがないか……」
エドワードは、乾いた笑い声を上げると、再び、気落ちしてしまう。
今日は、いつもと違い、精神面がかなり不安定であるようだ。
「ちょっと! なんで、逆に落ちこみますの! ほら、奴隷1号! 今日の朝食で出た干し肉を上げますの! だから、元気になってくださいまし!」
エレノアはそう言うと、懐から小さい干し肉を取りだし、エドワードに渡す。
「……今日はなんだか優しいな、エレノア。ありがたくもらっておくよ」
エドワードは弱々しい声でそう言うと、エレノアからもらった干し肉を食べ始める。
その横では、学級委員長三人組が、なんとかして元気を出してもらおうと話しかけていた。
――1時間後。
フレイル要塞を攻めるための準備を完了させたミハルーグ帝国軍は、進撃を始める。
辺りには、喚声と銅鑼の音が響き渡っていた。
その音が地響きとなり、後方にいるアリアたちにも伝わってくる。
「始まりましたね。この独特の緊張感は、何度味わっても慣れませんよ」
アリアは、手から出てくる汗を軍服でふくと、再び、剣を握った。
「そうですわね! おうぇ! 緊張して、吐きそうですの!」
「大丈夫ですか、サラさん? カレン流拳法術に、緊張を抑える打撃技があるのですが、やりましょうか?」
「いや、大丈夫ですの! 今、体に打撃技なんてくらったら、余計、吐く気がしますわ!」
「そうですか。必要になったら、早めに言ってくださいね。そろそろ、竜騎兵も出撃してくると思うので」
サラとステラは、そんなことを言い合いながら、フレイル要塞方面の上空を眺めた。
まだ、竜騎兵は出撃していないようであり、竜の姿はどこにも見当たらない。
「ふぅ、今、竜騎兵は来ていないとはいえ、いずれは出撃してくるだろう! それに、後方を狙ってくる敵がいないとも限らないからな! 警戒をしておいたほうが良い!」
エドワードはそう言うと、いつ敵が来ても良いように準備をしていた。
どうやら、戦闘が始まったことで、気持ちが切り替わっているようである。
学級委員長三人組も、同様に、剣を抜いて、隙なく構えていた。
「おーほっほっほ! 皆、緊張しすぎですわ! やることは単純ですの! ここに来た敵を全て倒すだけですわ! なにも考える必要なんてありませんの!」
エレノアはそう言うと、剣をブンブンと振り回す。
思考が単純なせいか、あまり緊張はしていないようである。
「私は羨ましいですよ、エレノア。緊張とは無縁そうで。やはり、頭のネジがなくなっているだけはありますね」
ステラは、元気なエレノアに毒を吐く。
「キー! 皆の緊張をほぐそうと思いましたのに! なんですの、その言い草は! ワタクシの善意を無下にするなんて、許せませんわ!」
エレノアは、すぐ、ステラにかみついた。
どうやら、戦闘が始まったとあって、二人とも平静さを忘れているようである。
(まぁ、平常心でいろっていうほうが難しいよな。さて、そろそろ、両軍ともに衝突しそうだけど、どうかな?)
口論を始めたエレノアとステラを放置し、アリアは戦場のほうに目を向ける。
そこでは、フレイル要塞に目がけて、ミハルーグ帝国軍が殺到している様子が見えた。
だが、フレイル要塞の前面にある防御陣地に進撃は阻まれてしまっている。
両軍ともに、おびただしい量の矢と炎の球を降らせてはいるが、防御陣地に阻まれている分、ミハルーグ帝国軍が不利そうであった。
防御陣地にたどり着く前に、撃退されてしまっている。
「まぁ、分かってはいたけど厳しい戦いだよね。でも、ミハルーグ帝国軍の本隊には、あまり被害はなさそうだよ」
戦況を確かめているアリアの近くに、ミハイルがやってきた。
「え? それって、どういうことですか?」
アリアは、言っている意味が分からなかったので、すぐに聞き返す。
「今、最前線で戦っているのは、王都ハリルで暴れまわっていた暴徒たちだからね。この戦争で生き残れば、恩赦を与えてもらえる上、ミハルーグ帝国の貴族になれるらしいよ。それだったら、死に物狂いで戦ったほうが得だと思うよ。まぁ、捕まったままだと、処刑されるか、強制労働をするしかないから、事実上、選択肢はない状況ではあるけどね」
ミハイルは、頭の後ろで両手を組みながら答える。
「……私も最前線で戦っていたことがありますけど、生き残るのって、相当、難しいですよ。私と一緒に来た人たちも、ほとんど死にましたし」
「それはそうでしょう。ハインリッヒ殿もそのことは分かっているよ。目的は、少しでもエンバニア帝国軍に被害を与えることだからね。あと、不穏分子の処分も兼ねているかな。混乱に乗じて、人殺しをするような人たちだからね。いない方が、王都ハリルの治安も良くなると考えたみたいだ」
「ということは、恩赦とかの話は嘘っていうことですか? どの道、生かすつもりはないようですし」
「僕もそう思って、ハインリッヒ殿に聞いたんだけど、本当みたいだよ。一応、ミハルーグ帝国本国で実権がない貴族の枠自治は用意してもらっているらしい。ただ、誰も生き残らないだろうから、無駄になる可能性が高いって、ハインリッヒ殿は言っていたよ」
「そこは、本当なんですね。まぁ、嘘だということが外に広まれば大変なことになりますし、どこから漏れるか分からない以上、当然のことですか」
「それもあるだろうね。まぁ、どちらにしても、暴徒の人たちは、全員、気の毒なことになると思うよ」
ミハイルはそう言うと、最前線のほうに顔を向ける。
アリアも、同様に、最前線の状況を確認しようとした。
そこでは、早くも、最前線で戦っていた暴徒らしき人たちが、後方へ引き返そうとしている。
だが、ミハルーグ帝国軍の本隊が矢を放っているため、後方へ引き返すことはできないようであった。
(あそこで戦っている人たちも、平和なときであれば、普通に生きられたハズだよな。まぁ、混乱に乗じて、ヤバいことをするような人たちだから、犯罪で捕まってもおかしくはないけど。アミーラ王国の国民が、あんなことになったら、ゾッとするよ。これは是が非でも負けられないな)
アリアは、強制的に攻撃させられている暴徒たちを眺めながら、そんなことを思う。
結局、日が暮れる頃には、攻撃が終了していた。
結果、フレイル要塞の前面にある防御陣地を半分ほど削り取ることに成功する。
暴徒たちが捨て身での攻撃を仕掛け続けたおかげであった。
ただ、そのほとんどが、たった一日の戦闘で死んでしまってはいたが。
――真夜中。
「本当に来ますかね? まだ戦闘が始まって、一日も経っていませんよ? しかも、相手はフレイル要塞で守りに徹すれば良いだけ。そんな状況で、わざわざ、夜に奇襲を仕掛けてきますかね?」
アリアは、前方をうかがいながら、小声で話しかける。
現在、近衛騎士団は、今日、削り取った防御陣地に隠れて布陣していた。
「ワタクシもそう思いますわ。危険を冒してまで、防御陣地の奪回をする意味があまりないと思いますの」
サラは、少し離れた場所にあるエンバニア帝国軍の防御陣地を見ている。
「まぁ、でも、一日で防御陣地が半分も取られてしまいましたからね。フレイル要塞にいるエンバニア帝国軍からしたら、たまったものではないと思いますよ。兵士たちにも、本当に守り切れるか、不安が広がっていると考えられますしね」
ステラは、冷静に状況を分析していた。
そんな中、フェイが近づいてくる。
「まぁ、来なければ来ないで、それに越したことはないがな。ただ、占領したばかりのときが一番危険なのは、お前たちも知っているだろう? せっかく手に入れたのに、取り返されたら、なんのために攻撃をしたのか分からなくなるからな」
フェイは、暗がりの中、前方を見ていた。
「だから、近衛騎士団が配置されたんですかね? 大勢で来られても、ある程度、持ちこたえるようにするために」
アリアは、フェイに質問をする。
「まぁ、アリアの考えている通りだろうな。あわよくば反撃で、フレイル要塞の前面にある防御陣地を全て占領できれば良いなって、団長が言っていたぞ」
「さすがに、それは難しいと思いますの。範囲が広すぎますわ」
「まぁ、あわよくばだからな。私としても、第2中隊から死人が出るのは避けたいから、無理強いをするつもりはない。というか、多分、お前たちが一番死ぬ危険性が高いぞ。私について回って戦うんだからな。当たり前だけど、指揮官は狙われるから、巻き添えになる可能性が高いぞ。しかも、お前たち、中隊の中でも弱いほうだし、真っ先に狙われるだろうな」
フェイは、アリアたちのほうを見ながら、なんの飾りもなく、そう言った。
「それは大丈夫ですわ、中隊長! ワタクシたち、トランタ山でツルハシを振ったおかげで、剣を振るのが滅茶苦茶速くなりましたの! だから、後れはとりませんわ!」
サラは、自信のある声を出す。
「それは頼もしいな! じゃあ、お前たちが死にそうになっても助けないから、頑張れよ!」
フェイは、いつも通りの声で、そう言った。
「それは困ります! 私のことは助けてください!」
「できれば、私も助けてほしいです。サラさんは大丈夫そうですけど、私は不安なので」
アリアとステラは、すぐに助けを求める。
「ズルいですの! ワタクシも、助けてほしいですわ!」
二人の様子を見たサラも、同様に助けを求めていた。
「はぁ……お前たち、近衛騎士団の士官なんだぞ。自分の身くらい、自分で守れるようになれよ。そんなんじゃ、いつまで経っても小隊を任せられないぞ」
フェイは、アリアたちの情けない姿を見て、ため息をついてしまう。