86 狂気
8月27日の正午。
太陽が空高く昇る頃。
後世に『8月27日の惨劇』と呼ばれる公開処刑が、王都ハリルで行われようとしていた。
アリアたち、近衛騎士団の士官は、ミハイルによって見に行きたければ行けるよう、許可をされている。
だが、近衛騎士団の下士官以下の者は、王都ハリル周辺に張った天幕で待機をするよう命令されていた。
余計な心理的負荷をかけないようにと、ミハイルが配慮した結果である。
そんな中、アリア、サラ、ステラ、エレノアの四人は、自分たちの天幕にある簡易ベッドの上にいた。
「皆さん、今日行われる、あれを見に行きますか?」
アリアは、自分の簡易ベッドの上に座りながら、サラたちを見渡す。
「いや、ワタクシは遠慮しておきますの。人が処刑されるのを見て楽しむ趣味はありませんわ」
サラは、アリアと同じく自分のベッドの上に座りながら、答える。
「ワタクシもサラと同じ意見ですの。見に行って良いことなんて、一つもない気がしますわ」
いつもと違い、エレノアは真面目な顔をしていた。
「まぁ、気持ちの良いものではありませんね。ただ、ローマルク王国の人たちにとっては、重要な出来事だと思いますよ。反ミハルーグ帝国の人たちが処刑されるんですからね。誰がいなくなって、これから、ローマルク王国がどうなるかを想像するためにも、皆、見に行くでしょう。まぁ、大部分は、今まで悪事の限りを尽くしていた者の死に様を楽しむためでしょうが」
ステラは、いつも通りの顔で冷静に分析をしていた。
「人の死ぬところなんて見て、楽しいですかね? ちょっと、私には理解できない感覚です」
アリアは、疑問を浮かべた顔をする。
サラも、アリア同様、よく分からなさそうな顔をしていた。
「良く言いますよね、人の不幸は蜜の味って。それが、自分たちを虐げてきた者たちの処刑だったら、どうでしょう? 不満のはけ口として、これほど、大衆を満足させるものはないと思いますよ。直接、虐げられた恨みというのは、恐ろしいものがありますからね。あと、人は自分が正義だと確信したときに、最も残酷になるのも、理由の一つにはなると思います」
ステラは、疑問顔のアリアたちに向かって、説明をする。
「……もう聞いているだけで、頭が痛くなってきますよ。私がおかしいのかな?」
アリアは、髪をグシャグシャとしていた。
「アリアはおかしくないですわ。ただ、ステラの説明にはうなずける部分が多いですの。見た目は普通でも、中になにが潜んでいるかなんて、誰にも分かりませんもの。本性なんて、ちょっとしたことでも、すぐ露わになりますわ」
サラは、手をあごに当てながら、思案顔をしている。
「私たちも、ローマルク王国の国民と同じ状況になったら、同じような反応をするのかもしれません。サラさんの言うように、私たちにも表に出ない本性はあるハズですからね」
ステラは、アリアとサラのほうを見ていた。
「……もう、この話はやめましょうか。嫌な日がもっと嫌になるだけですよ。とりあえず、天幕で今日が終わるのを待ちましょう」
話を聞いていたアリアは、三人のほうを見ながら、提案をする。
「ワタクシも、そのほうが良いと思いますの。考えれば考えるほど、良くないほうにいく気がしますわ。 今は、眠るなりしたほうが有益だと思いますの」
真面目な顔をしたエレノアは軍靴を脱ぐと、ベッドの上に横になった。
提案にうなずいたサラとステラも、エレノアと同じ状態になる。
(いつも短絡的に問題ばかり起こすエレノアさんでも、さすがに、今回はいろいろと思うことがあるみたいだな。いつもみたいな元気もないし)
アリアは、三人がベッドに寝そべったのを確認すると、軍靴を脱ぎ始めた。
ちょうど、そのとき、天幕の外から声が聞こえてくる。
「お~い! アリア、サラ、ステラ、エレノア! エドワードだけど、いるか?」
「なんですか、エドワードさん?」
アリアは、脱ぎかけていた軍靴を履き直し、天幕の入口に向かうと、垂れ幕を上げた。
天幕の中の三人も、ベッドから起き上がり、軍靴を履いているようである。
「ああ! 天幕の中にいて良かった! もう、お前たち以外の士官の人たちは見にいっている! 現地で、見当たらなかったから焦ったぞ!」
垂れ幕の隙間からアリアの顔が見えたので、エドワードは安心していた。
「え? 士官は行っても、行かなくても大丈夫なんじゃないですか?」
アリアは、事前の話と違うため、確認をする。
「それはそうなんだが、君たち以外は全員、城壁の上に集合していたぞ! さすがに、そんな状況でいなかったら、後々、マズいことになるだろう! だから、君たちを呼びにきたんだ!」
「はぁ……それは行かないと駄目そうですね。少し待ってください」
アリアはそう言うと、垂れ幕を閉めて、サラたちのほうを向く。
当の本人たちはというと、会話が聞こえていたのか、出発する準備を始めていた。
(やっぱり、士官はいかないと駄目か。士官学校でも言っていたもんな。士官は見識を広めなければならない。そうでなければ、重要な意思決定を間違うと。今回の場合は、重要な情報が多そうだからな。あまり見たくはないけど、皆、士官としての責任感で見にいっているに違いない)
アリアも、そんなことを思いながら、出発の準備を進める。
――30分後。
アリアたちを含む近衛騎士団の士官たちは、王都ハリルにある少し高い建物の中にいた。
そこからは、公開処刑の舞台である王城の広間が良く見える。
すでに、外には、大勢の国民が道路一杯に詰めかけている状況であった。
皆、一様に罵声を浴びせ、持ってきたであろう石などを投げている。
当然、標的は、反乱分子とみなされた人たちであった。
「……凄い熱気です。どれだけ悪いことをしたら、こんなに恨まれんですかね?」
アリアは、あまり目立たないよう、窓から外の様子を眺める。
王城の広場には、今回、反乱分子とみなされた人たちが、木に縛りつけられていた。
そのすぐそばには、槍を持ったエンバニア帝国軍の兵士が控えている。
どうやら、槍で突き刺して処刑するようであった。
「きっと、これの影響ですの! こんなのを見れば、誰だって激怒しますわ!」
サラは、手に持っていた紙をアリアに見せる。
そこには、誰がどのような悪事を働いていたのかが、事細かに記述されていた。
「まぁ、その紙はエンバニア帝国軍が国民に配っていたものですからね。信用できるかは、微妙なものですよ。当然、自分たちに都合が良いよう、書かれているハズなので」
ステラは、冷めた顔でサラの持っている紙を見ている。
「でも、これが本当だとしたらやりたい放題していたみたいですよ。さすがに、ここに書かれている内容、全部が嘘ってことはないんじゃないんですかね?」
アリアは、紙の内容を確認した後、ステラのほうを向く。
「アリアさんの言う通りだと思います。ただ、私たちにはどれが本当の情報か、確かめようがありません。今、所狭しと王城の広場に詰めかけている人たちにも不可能ですね」
ステラは、アリアの疑問に対して冷静に答える。
そんな中、ミハイルが近づいてきた。
「まぁ、ステラのように考えるのが普通だよね。ただ、その紙に書かれている情報は、どうやら、全部本当みたいなんだ。僕自ら、バレないように編集の様子を見ていたから確実だよ」
「え? これが、全部、本当のことなんですか? タイリース中将には及びませんけど、それに準ずるくらいヤバいことばかりしていたみたいですけど」
アリアはミハイルのほうを向くと、確認をする。
「編集してた人たちも、アリアみたいに驚いていたよ。これなら脚色する必要はなさそうだって、言っていたのが印象的だったね。それでも、ひどいのを抜粋したものらしいよ。細かいことを上げたら、キリがなさそうだったね」
「……本当に、この国の上のほうにいる人たちは終わっていますね。もしかして、アミーラ王国の偉い人たちも、こんなことをしているんですか?」
アリアはげんなりとした顔をしながら、質問をした。
「まさか! 多少、自分の権力を使って懐を温めるくらいだよ! それも、常識の範囲内での話だしね! あそこで縛られている人たちみたいなことをしてたら、レナード殿に消されちゃうよ! まず、我が王が許さないと思うしね!」
ミハイルは、驚いた顔をして、アリアの疑問に答える。
「それは良かったです。アミーラ王国もこんなになったら困りますからね」
アリアはそう言うと、窓の外を眺める。
そろそろ処刑が始まるのか、そばに控えていたエンバニア帝国軍の兵士が動き始めていた。
と同時に、木に縛られた人たちが、体を必死によじりながら、なにかを叫んでいるようである。
だが、集まった民衆の声にかき消され、なにを言っているかは聞こえなかった。
「いや、民衆の怒りっていうのは恐いね。僕も貴族だから、自分の振る舞いには気をつけないとなって、本当に思うよ。まぁ、それは、ここにいる近衛騎士団の士官の皆も一緒かな。ほとんどが貴族だからね」
ミハイルは、部屋の中を見渡している。
アリアも、窓から目を外し、つられて周囲を確認していく。
(皆、かなり渋い顔をしているな。まぁ、今、処刑されかけている人たちも貴族が多いみたいだし、当然か。仮に、アミーラ王国がエンバニア帝国に征服されでもしたら、同じようなことが起きると思うしね。まぁ、そうなったら、平民にも大きな影響があるから、他人事ではないか)
部屋を見渡し終わったアリアは、窓のほうに顔を向ける。
そこでは、現在進行形で、兵士が見覚えのある顔の人物の胴体に槍を刺していた。
「あれは、タイリース中将だね。やっぱり、一番の極悪人から処刑を始めるみたいだ。そのほうが民衆の怒りを早く鎮められそうだしね。あんな人数で暴徒化されても困るだけだよ」
ミハイルは、アリアたちの近くで、窓の外を眺めている。
外では、タイリース中将が一度だけでなく、何度も体を刺されていた。
その度に、集まっていた民衆は大きな歓声を上げる。
どうやら、できるだけ苦しむ様を見せて、溜飲を下げる作戦のようであった。
アリアたちが見守る中、タイリース中将の処刑は続く。
しばらくすると、動かなくなったタイリース中将の首が斧で斬られ、民衆の前に掲げられる。
その瞬間、今日一番の歓声が上がっていた。
集まっていた民衆の狂ったように叫んでいる声が、圧力となってアリアたちに伝わる。
(もう本当にどうかしているよ、首を掲げられて喜ぶなんて。戦場で、大将首を掲げたワケでもないのに。まぁ、あの人たちからしたら、同じものなのかもしれないな)
アリアは、表情を浮かべることなく、窓の外を見ていた。
タイリース中将の処刑が終わると、次の人物に槍が何度も刺される。
先ほどと同様に、槍が刺さる度に、大きな歓声が上がっていた。
そんな中、エドワードが口を開く。
「そういえば、事前の話だと、女性や子供も公開処刑されると聞いていたが、どうやらいないようだ。まぁ、いないならいないほうが良いには違いないことだがな」
アリア近くにいたエドワードは、窓の外を見ながら、ボソッとつぶやく。
「ああ、それなら、ハインリッヒ殿が阻止したよ。さすがに、女性や子供が処刑されるのは許容できなかったみたいだね。本国にいる人たちを、なんとか説得してやめさせたって言っていたよ。でも、代わりに、身分はく奪の上、農業とかの強制労働をしてもらうことになったみたいだね」
ミハイルは、エドワードの疑問に答える。
「まぁ、死ぬよりはマシですかね……ただ、貴族の身分を失った状態で、強制労働をさせられるのは、大変だと思います。肉体的にも、精神的にも堪えるでしょう」
エドワードは、少し安心したような顔をすると、そう言った。
「貴族という身分を失ったら、ただの人ですからね。今まで、貴族という特権階級に甘んじていた者だったら、生き抜くことは厳しいかもしれません。まぁ、腕が立つのであれば、裏世界でのし上がれる可能性もありますかね」
ステラは、グサグサ刺されている人を見ながら、つぶやく。
「そんな優しい世界ではないと思いますの。カレンさんを見てたら、多少の実力があっても、裏世界で頑張ろうなんて、微塵も思えませんわ」
サラは、ステラの発言にツッコミをする。
「まぁ、それはそうですね。可能性があるというだけの話です。裏世界では、命なんて、戦場と同じくらい軽いですからね。少ししくじっただけで、死んでしまいますよ」
ステラは、いつも通りの顔でそう言った。
(強制労働するにしても、裏世界に行くにしても、厳しいことには変わりがないよな。元々、私は平民だから、なにも思わないけど、貴族だった人が平民になるって、相当な屈辱だと思う。それに耐えて、生き抜くのは、ステラさんも言っていたけど、大変なことだろうな)
アリアは、狂気の渦巻く光景を眺めながら、そんなことを思う。