70 運命的な邂逅
――アリアたちが出発してから、2週間後。
雨が降る季節が終わり、熱い日差しが照り付ける7月となっていた。
アリアたちがトランタ山の麓にある宿場街についた頃には、日が沈みかけていた。
「やっと、到着しましたね……」
アリアは、ぐったりとした顔をしている。
現在、アリアたちは、トランタ山の麓にある宿場街を歩いていた。
宿場街には、たくさんの人々が行き交っており、かなり賑わっている。
行き交う人々の顔には、笑顔が浮かんでいた。
対して、アリアたちの顔には、疲労しか浮かんでいない状況である。
「ここに来るまで、仮眠しかしていませんからね。さすがに疲れました」
ステラにしては珍しく、くたびれた顔をしていた。
「とりあえず、ベッドの上で寝たいですわ……」
サラは、足取りが重いようである。
「ワタクシは、とりあえず、何でも良いからたくさん食べたいですの……お腹が空きすぎて、倒れそうですわ……」
エレノアは、げっそりとした顔になっていた。
燃えるような赤髪も、くすんでしまっている。
エドワードと学級委員長三人組に至っては、なにも話さず、黙々と歩いていた。
どうやら、言葉を発することが億劫なようである。
それほど、疲れているようであった。
「もう日が沈みそうですし、今日のところは宿屋で休みましょうか。トランタ山に行くのは、明日でも大丈夫ですし」
先導していたカレンは振り返ると、アリアたちに聞こえるよう、声を出す。
その言葉を聞いた瞬間、アリアたちは笑顔になる。
(やった! ご飯も一杯食べられるし、ベッドの上で寝れる! 楽しみだ!)
アリアは、嬉しそうな顔をしながら、そんなことを思っていた。
やっと終わりが見えたため、元気になったアリアたちは、会話をしながら宿場街を歩く。
しばらくすると、多くの部屋数がありそうな宿屋の前に到着をする。
「この宿屋にしましょうか」
カレンはそう言うと、宿屋の中に入っていく。
アリアたちも、後に続いて、入っていった。
宿屋の一階には、受付はもちろん、食堂も併設されているようである。
大勢の男たちが、お酒を片手にバカ騒ぎをしているのが見えた。
「五人用の部屋を二つ借りたいのですが、空きはありますか?」
受付についたカレンは、イスに座っている男性に尋ねる。
「うっ! お前たち凄い臭いだな! 肥溜めにでも、落ちたのか?」
受付の男性は、開口一番、そう言った。
鼻をつまみ、口で呼吸をしている状態である。
「まぁ、似たようなものです。それより、部屋に空きはありますか?」
「あるぞ! 二部屋で5千ゴールドだ!」
「5千ゴールドですね」
カレンはそう言うと、懐から5枚の紙を取り出して、机に置く。
アミーラ王国で使われているゴールドは、エンバニア帝国、イメリア王国、ローマルク王国、ミハルーグ帝国で使用が可能である。
遥か昔、流通を活発化させる目的で統一通貨としてゴールドが導入され、その名残として現在でも使えるというワケであった。
ただ、ミハルーグ帝国より西にある国では、別の通貨が使われている。
そのような国で買い物をしたい場合には、ゴールドと交換する必要があった。
「たしかに受け取った! 部屋の鍵に番号が書いてあるから、間違えるなよ! それと、食堂に行く前にお風呂場に行ってくれ! 周りの客に迷惑だからな!」
受付の男性は、机の上に鍵を二つ置くと、そう言った。
カレンは、一方の鍵をエドワードに渡すと、2階に向かって歩き始める。
(もう慣れたけど、やっぱり、私たちって半端ではないくらい臭いんだな……というか、発酵した服を着る意味あったのか? 結局、周りから浮いているし……)
アリアは歩きながら、そんなことを思ってしまう。
サラたちも、アリアと同じことを思っているのか、カレンの背中をジト目で見ていた。
カレンは、視線を気にしていないようであり、無言のまま、階段を上がっていく。
――30分後。
1階にある風呂場で汗を流したアリアたちは、カレンの持ってきていた服に着替えて、食堂に向かっていた。
(少し古臭い臭いがするけど、全然、臭くはないな! というか、さっきまで着ていた服が臭すぎるのか! 本当に、なんで、あの服を着る必要があったんだろう?)
アリアは、着ている服の匂いをクンクンと嗅ぎながら、そんなことを考えてしまう。
そんな中、ステラがカレンに近づく。
「カレン。なぜ、あの服を着る必要があったんですか?」
ステラは、周りに聞こえないぐらいの声で尋ねる。
アリアは、聞き耳を立てた。
「カリスでお願いします、お嬢様。正直言うと、着る必要はありませんでした。ただ、せっかく手に入れたので、着てもらいました」
「……どうせ、そんなことだろうと思いましたよ。あの服はどこで、手に入れたんですか?」
「こちらに来る前、王都レイルにある貧民街で手に入れました」
「……まさか、貧民街の住人の物?」
「ご名答です。なにを勘違いしたのか、私を襲ってきた者たちがいたので、命を助ける代わりに衣服を差し出させました。ちょうど、お嬢様方の潜入用の衣服として、ピッタリでしたしね。でも、あそこまで汗が発酵するとは思いませんでした。雨が多かったせいで、発酵が進んでしまったみたいですね」
「……もう、良いです」
ステラは小声でそう言うと、カレンから離れた。
どうやら、聞いたことを後悔しているようである。
(うわぁ……聞かなきゃ良かった。あの服は、さっさと処分しよ。存在自体を記憶から消そう)
アリアは、固く心に誓った。
そうこうしているうちに、アリアたちは、一階の食堂に到着する。
全員が近くで座れるような席を探す中、アリアたちの足が止まってしまった。
(なんだか、見覚えのある後ろ髪だな……)
アリアの目には、イスに座って、食事を食べている人物が映っている。
その人物は一人で食事をしているため、イスには空きがあった。
しかも、ちょうど近くには、アリアたちが全員座れそうな場所もある。
まさに、アリアたちにとっては、理想的な場所であった。
だが、全員、どうしても座る気にはなれない状況である。
「残念ですが、違う場所を探しましょう」
ステラは、ボソッとつぶやく。
当然、食事をしている人物には聞こえないよう、細心の注意を払う。
「おほほ……そのほうが良いですわね……面倒ごとはごめんですの……」
エレノアにしては珍しく、ステラに同意する。
(まぁ、近寄らないに越したことはないよな。面倒からは逃げるに限る)
アリアは、白髪の人物に背を向けて、歩き出す。
サラたちも、視線でお互いの意思を確認すると、ステラの後ろに続く。
カレンに至っては、ステラとエレノアよりも前を歩いている。
余程、気づかれるのが嫌なようであった。
アリアたちは急いで、離脱をしようとする。
だが、現実は無常であった。
「君たち、ひどくない? 気づいているなら、声をかけようよ!」
いつの間にか、白髪の髪を後ろで結んだ人物、もといミハイルがアリアたちの前に立っていた。
周りでバカ騒ぎをしているような男たちと同じような服装をしているが、紛れもなくミハイルである。
(やっぱり、気づいていたんだな。なんとなく、そんな気はしてたけど)
アリアは、なんとも言えない顔をしていた。
サラ、エドワード、学級委員長三人組も、複雑そうな表情をしている。
対して、ステラ、エレノアは、露骨に嫌そうな顔をしていた。
そんな中、いつもは見せないような笑顔をしたカレンが口を開く。
「チッ! バレたか……人違いではないでしょうか? 私には、あなたのような友達はいませんよ。さぁ、違う席を探しましょうか」
声だけいつも通りのカレンはそう言うと、ミハイルの横を通り過ぎようとする。
アリアたちも、素知らぬ顔で続こうとしていた。
「君……それで、本当に騙せると思った? せめて、顔だけじゃなくて、声も演技しようよ……」
行く手をさえぎったミハイルは、疲れたような声を出す。
(カレンさん……さすがに、もうちょっと演技を頑張りましょうよ……その様子じゃ、小さい子でも嘘だとすぐ気がつきますって)
カレンの様子を見ていたアリアは、そんなことを思ってしまった。
結局、その後、アリアたちは、ミハイルと食事をすることになる。
(この潜入、大丈夫かな? まだ、トランタ山に入ってすらいないのに……)
陽気に話し続けているミハイルを見ながら、アリアはそんなことを思っていた。
――次の日の朝。
アリアたちは今後の打ち合わせをするため、宿場街の近くにある森に来ていた。
周りに人がいないことを確認してきたカレンが戻ってくると、ミハイルは口を開く。
「とりあえず、僕たちの設定は、あの紙通りでいくから! もちろん、覚えているよね?」
ミハイルは、アリアたちに尋ねる。
(えぇ!? あの設定でいくなんて、正気か!? 絶対、ヤバいだろう! 団長を説得して、やめさせないと! でも、私だと自信がないな。ここはステラさんに任せるしかない!)
そう考えたアリアは、ステラのほうに視線を向けた。
ステラは、アリアの視線に気づくと、いつも通りの顔でうなずく。
どうやら、アリアの考えていることを理解してくれたようだ。
(さすが、ステラさん! 私の考えていることを視線だけで気づくなんて、凄いよ! これで、大丈夫だ!)
アリアは、期待に満ちた顔で、ステラを見つめる。
そんな視線を受けているステラは、いつも通りの顔で口を開く。
「アリアさんは、あの設定でいくのが嫌みたいですよ」
「え? アリアは、あの設定が嫌なの?」
ミハイルは、アリアのほうに視線を向ける。
(違う! たしかに、言いたいことの意味はあっているけども! それじゃ、団長を説得できないでしょう! しょうがない! 私がなんとかするしかないな!)
そう思ったアリアは、決意に満ちた顔で口を開こうとした。
だが、その前にカレンが割って入る。
「ミハイル様。あの設定でいくのは、お嬢様方には難しいと思います。ここは、単純にエンバニア帝国から来た出稼ぎ労働者という設定でいきましょう。ただ、偽造身分証の名前は、事前に伝えられていたとおり、あの紙に書かれていたものにしておきましたので、名前だけ使うのは、どうでしょうか?」
カレンは、ミハイルの説得をしようと試みていた。
「う~ん、たしかに、かなり凝っていたからな~! アリアたちには、難しいか! 君たちも、難しいと思う?」
ミハイルはそう言うと、アリアたちの顔を見渡す。
全員、もげそうな勢いで、首を縦に振り続ける。
「はぁ……良い設定だと思ったんだけどな。しょうがない! カレンの案でいこう! 君たちがボロを出したら大変なことになりそうだし!」
ミハイルは、いつも通りの笑顔で、そう言った。
その言葉を聞いたアリアたちには、自然と笑みがこぼれる。
(とりあえず、これで、あのイカれた設定を守らなくても済むぞ! さすが、カレンさん!)
アリアは、カレンの背中にせん望の眼差しを向けていた。
サラたちも、同様である。
「さて、設定も固まったことだし、最後は出稼ぎ労働者に扮しようか! 君たちみたいに小ぎれいな出稼ぎ労働者はいないからね! とりあえず、顔、腕、服に軽く土をつけようか!」
ミハイルはそう言うと、足元にある土を顔につけ始めた。
アリアたちも、ミハイルに習い、土をつけていく。
しばらくすると、全員、いかにもな姿に変装していた。
「よし! サラとエレノア以外は、大丈夫そうだね!」
薄汚れたミハイルは、腕を組んで、ウンウンとうなずいている。
「団長! ワタクシのなにがいけませんの?」
「サラの言う通りですわ! こんな土だらけの姿になったというのに、まだ、なにか足りませんの?」
サラとエレノアは、すぐに抗議をした。
「二人とも、出稼ぎ労働者がそんなに長い髪をしていると思うかい? 少しだけ女性もいるけど、大体、アリアくらいの長さだよ! ステラでギリギリくらいだと思うな! というワケで、カレン! よろしく!」
ミハイルはそう言うと、カレンに目で合図をする。
「チッ!」
カレンは露骨に舌打ちをすると、次の瞬間には消えていた。
プンプンと怒っていたサラとエレノアの髪が揺れる。
と同時に、バサという音が聞こえた。
「へ?」
「はい?」
サラとエレノアは、髪に手を伸ばす。
だが、空を切るばかりで、なにもつかめない。
そんな二人の足元には、金髪の巻き髪と波打った赤髪が散らばっていた。
「お二人とも、この潜入が終わったらエバーで髪を伸ばせるので、それまでは我慢してください」
カレンは、短剣をしまうと、二人を慰める。
「ワタクシの巻き髪が……」
「華麗なワタクシの髪が……」
サラとエレノアは、四つん這いになってしまう。
どうやら、相当、落ちこんでいるようである。
(……こればっかりは仕方がないけど、可哀そうだな)
アリアは、うなだれている二人を見下ろしながら、そんなことを思った。