69 死の森
(いや、これ、ヤバすぎでしょう! カレンさんが怒るのも、当たり前だよ!)
天幕の中で、ミハイルに手渡された紙の内容を確認したアリアは、そう思ってしまう。
カレンはというと、短剣を持って、少し怪しげな動きをしそうになっている。
書かれている内容は以下の通りであった。
ドキドキ! バレたら死ぬよ、トランタ山潜入計画!
潜入する人
アリア、サラ、ステラ、エレノア、エドワード、レイル士官学校で学級委員長をやっていた三人、カレン、ミハイル
トランタ山に来た背景
エンバニア帝国で孤児院を営んでいたカレンとミハイルは、資金不足に悩んでいた。
※ミハイルとカレンは、夫婦で孤児院を営んでいる。
そのため、ローマルク王国のトランタ山で鉄鉱石を採掘することによって、資金不足を補おうと考えつく。
カレンとミハイルは、年長の者たちに孤児院を任せて、トランタ山へ向かおうとする。
そんな中、孤児院で育ち、今はエンバニア帝国の各地で生活している者たちが二人の下に集まった。
目的は、二人と一緒にトランタ山に行き、鉄鉱石を採掘することで育ててもらった恩を返そうというものであった。
こうして、出稼ぎ労働者として、十人はトランタ山に来ることになった。
偽名と人物背景(素性がバレないために必要)
ミル(ミハイル)
・孤児院をカレンと営んでいる男性。カレンとはラブラブ!
美麗な顔で女性からもモテモテ!
カリス(カレン)
・ミルにぞっこんの女性。
・普段は仏頂面だが、ミルといるときは、デレデレとしている!
アリアーヌ(アリア)、サラーヌ(サラ)、ステラーヌ(ステラ)
・孤児院で育った三人娘。
・三人とも旦那さん探しをしているが、苦戦中。
・少し恐いのが原因かもしれない!
エレノアーヌ
・お嬢様に憧れている女性。
・少々、頭のネジが外れているため、突飛な行動をしがち。
・後述するエドを奴隷1号と呼んでいる。
エド(エドワード)
・苦労人気質の男性。
・特にエレノアーヌには手を焼かされている。
・よく女性陣に悪口を言われている。
組に対応して、ヒトロウ、ジロウ、サンロウ(レイル士官学校で学級委員長をやっていた三人組)
・可もなく不可もない男性。
・よくエドを慰めている。
トランタ山に至る方法
ローマルク王国の南部を進み、国境地帯に到着した後、北上。中部を通り、北部のトランタ山に潜入をする。
身分証などに関しては、カレンが用意をする。
紙には、ツッコミどころ満載の内容が記されていた。
「団長! 内容も内容ですが、団長自ら、トランタ山に潜入するつもりですか!?」
紙を読み終わったエドワードは、声を上げる。
天幕の中にいた士官たちの視線がミハイルに集まっていた。
「うん! そのつもりだよ! 僕もエンバニア帝国の占領統治に興味があるからね! 君たちと一緒に行くよ! 代わりに近衛騎士団の指揮は、副団長にやってもらうから大丈夫!」
ミハイルは、笑顔で答える。
「大丈夫なワケがないでしょう! しかも、団長自ら、トランタ山に潜入するんですよね!? 危険すぎますよ!」
天幕の中にいた副団長が、大きな声で叫ぶ。
周りにいた士官たちも、ミハイルに駆け寄ると、口々に同じようなことを言う。
そんな中、ステラはカレンになにかを言うと、天幕の外に出ていっていた。
後を追って、カレンも天幕の外に出ていく。
天幕の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。
そのため、アリアたち、若手士官も、天幕の外に出るしかなくなってしまう。
外では、カレンとステラが立っていた。
どうやら、アリアたちが出てくるのを待っていたようである。
「それでは、皆様。トランタ山へ行く準備をするので、ついてきてください」
カレンはそう言うと、天幕が立ち並ぶ中、歩き始めた。
ステラも後ろをついていく。
(……もう、潜入するのは確定なのか。でも、リーベウス大橋のときよりはマシかな? あのときは、見つかったら包囲されてサヨナラの状況だったし。やめよう……考えすぎると、精神衛生上、良くない気がする……)
アリアは考えるのをやめると、カレンの後を追いかける。
「はぁ……嫌ですの。死ぬなら、せめて戦場で死にたいですわ」
サラは歩きながら、愚痴をこぼす。
「僕も同感だ……トランタ山で見つかって死んだら、ブラック家の恥さらしになってしまう……」
エドワードは、トボトボと歩いている。
「おほほ……ワタクシ、近衛騎士団の一員ではありませんのに。早く、王都レイルに帰りたいですわ……」
エレノアは、現状では叶わない願望を口にしてしまう。
学級委員長三人組も、くたびれた顔になってしまっていた。
それから、10分後。
カレンを先頭にした集団は、アリア、サラ、ステラ、エレノアの四人が寝泊まりしている天幕の前に到着した。
近くには、カレンが停めたであろう馬車がある。
「皆様。少しお待ちください」
カレンはそう言うと、馬車に乗りこんだ。
ゴソゴソと荷物をかきわけている音が周囲に聞こえる。
アリアたちは、黙って待ち続けた。
しばらくすると、カレンは、馬車の中から紐がついた袋を放り投げ始める。
肩からかけるのに、ちょうどいい大きさの袋がアリアたちの前に落下してきた。
八つ投げ終わると、カレンは馬車から降りる。
「その袋の中には、潜入する際に必要となる物が入っています。今から渡していくので、受け取ってください」
カレンはそう言うと、中身を確認し、一人ずつ渡していく。
渡し終わると、カレンは口を開いた。
「袋の中に、偽造した身分証と着替えが入っているかを確認してください」
カレンは、アリアたちに指示をする。
指示された通り、アリアたちは、身分証と着替えが入っているかを確認しようとした。
「臭っ!? なんの臭いですか、これ!?」
袋の紐を緩めた瞬間、アリアは思わず叫んでしまう。
サラたちも、吐きそうな顔をしている。
ステラでさえ、眉間にしわを寄せていた。
「汗が発酵した臭いですかね。出稼ぎ労働者が小ぎれいな服装をしていては、おかしいですから。皆様のために、とある筋から入手してきました」
カレンは、いつも通りの顔である。
(いや、臭すぎるでしょう、これ! なんの拷問だよ! こんなの着て歩いたら、余計、怪しまれるだろう! しかも、とある筋ってなんだ! 服の発酵を専門にやっている業者でもいるのか!? どんな業者だよ!)
アリアは、ツッコミが口から出そうになるが、グッと我慢をした。
「まぁ、臭いのは我慢してください。死ぬよりはマシだと思うので。とりあえず、身分証が入っているかを確認してください」
カレンは、袋の中に入っているかを確認させる。
アリアたちは、吐きそうな顔をしながら、袋の中を探す。
全員、自分の身分証を見つけると、カレンに報告をした。
「偽造身分証には、皆様の偽名が書かれています。潜入中は、その名前を名乗るようにしてください」
カレンは、吐きそうな顔をしているアリアたちに伝える。
その後、アリアたちは自分の天幕に戻り、発酵臭がする服に着替えた。
1時間後、必要な荷物を持ったアリアたちは、カレンの先導の下、トランタ山を目指して出発をした。
結局、ミハイルがついてくることはなかった。
さすがに、団長が近衛騎士団を離れるのは無理だったようである。
――3日後。
近衛騎士団の天幕を出発したアリアたちは、南部の森林地帯を進んでいた。
この間、仮眠をとっただけであるので、かなりの距離を進むことができている。
道中、イメリア王国軍とエンバニア帝国軍の戦闘を何度か見かけたが、バレないように素通りをしていた。
そのおかげか、両方の軍に見つからず、南部の森林地帯を進むことができていた。
服の発酵臭にも慣れた状態である。
「皆様。そろそろ、エンバニア帝国の勢力範囲ですので気をつけてください。あと、ここからは仮眠なしです」
先導していたカレンは、アリアたちのほうを向き、小声で伝える。
アリアたちは、黙ったまま、首を縦に振った。
(にしても、イメリア王国が仕掛けている罠は悪辣なのが多すぎる。リーベウス大橋の周囲にあった罠線なんて、可愛いものだな)
アリアは、罠に引っかからないように、薄暗い森の中を注意しながら歩く。
ここに到達するまで、罠に引っかかったエンバニア帝国軍の兵士の死体を幾度となく目にしていた。
ある者は、落とし穴に落ちて、底に配置されていた竹やりで貫かれていた。
また、ある者は、木の上から降り注いだ巨木で圧死していた。
あるところでは、味方を助けようとして、集団で罠にかかったであろう死体たちがいた。
助けるためにどのように動くのかを完璧に計算して、罠が配置されていた。
罠の全てが、リーベウス大橋の周囲に仕掛けられていたものとは比較にならないほど、発見しづらく、また、悪辣であった。
実際、カレンがいなければ、アリアたちの生命はここで終わっていたと断言できるほどである。
リーベウス大橋の周囲に仕掛けられていた罠線に気づいていたステラでさえ、ほとんど気づくことができないほど、巧妙に隠されていた。
そんな死の森を、アリアたちは歩いていく。
しばらくすると、アリアの頭に向かって、なにかが垂れてきた。
(水かな? ここに来るまで、何回か、パラパラ、雨が降っていたし)
そう考えたアリアは、頭の上の液体を右手で払う。
(うん? なんか、変な感じがするな)
怪訝に思ったアリアは、顔の前に右手を移動させる。
赤黒い液体が手にはついていた。
「アリア! アリア! 上ですの!」
そんな中、サラは、手を見ていたアリアの肩をバンバンと叩く。
「なんですか、サラさん?」
小さく、震えた声を聞いたアリアは、上を向いた。
エンバニア帝国の兵士が十数人、木のかなり高い場所から吊り下げられていた。
体には、細い木の枝やら鉄の短剣などが無数に刺さっている。
しかも、動けないように至る所を紐で拘束されていた。
(うわ! 血の正体は、これか! というか、よくよく見たらピクピクと動いている! まだ生きているみたいだ!)
アリアは、上を向いたまま、吐きそうな顔をしている。
エドワードたちも気づいたようであり、立ち止まって、上を眺めていた。
もちろん、表情は険しい。
エレノアに至っては、腰を抜かしてしまっていた。
なにかを言おうとしているのか、口をパクパクとさせている。
「……かなり悪辣だな。ただ殺すのではなく、時間をかけて殺すとは……」
エドワードは、眉間にしわをよせていた。
「だからこそ、有効だと思いますけどね。あんなのを見たら、誰だって足がすくんでしまいます。必然、エンバニア帝国軍の侵攻速度は遅くなるでしょう」
ステラは、冷静に状況を分析する。
「まぁ、あんな風には誰もなりたくないですよね……」
アリアは、エレノアに手を貸して、立たせていた。
「さすがに敵ではありますけど、可哀そうですの……」
サラは、上のほうを見ながら、つぶやく。
「あまり痕跡を残すのは良くありませんが、仕方がありませんね。皆様。今からトドメを刺してきますので、頭に当たらないように気をつけてください」
カレンはそう言うと、次の瞬間には消えていた。
どうやら、アリアたちの考えていることを鋭敏に感じとったようである。
アリアたちは黙ったまま、上空を見続けていた。
そんな中、かなり高い場所から兵士の頭が落ちてくる。
カレンの姿は見えないが、動き回っている音だけが聞こえてきた。
しばらくすると、アリアたちの下にカレンが帰ってくる。
足元には、無数の兵士の頭が転がっていた。
上空からは、かなりの量の血が垂れてきている。
「全員にトドメを刺してきました。長居は無用です。早く、ここを離れましょう」
カレンはそう言うと、歩き始めた。
その後ろをステラたちがついていく。
皆、少しだけホッとしたような顔をしている。
そんな中、アリアは、地面に転がっている頭を見ていた。
(心なしか柔らかな表情をしている気がする。まぁ、私がそう思いたいだけかもしれないな。どちらにしても、これ以上、苦しまなくて済んだのは事実だ。エンバニア帝国軍の人から見たら、ただの偽善だと言うに決まっているけど)
そんなことを思った後、アリアは歩き始める。
カレンの先導の下、アリアたちは南部の森林地帯を進んでいく。
トランタ山までは、まだまだ時間がかかりそうであった。