66 今後の方針決め
――リーベウス大橋を奪還してから、1週間後。
近衛騎士団は、王都ハリルの周囲に張った天幕へと帰還していた。
それに合わせて、連合軍の総司令官であるハインリッヒも、王都ハリル周辺に張ったミハルーグ帝国軍の天幕へと戻っていた。
リーベウス大橋では、獅子軍団2万が防御陣地を作成中である。
そんな中、ダルム要塞を偵察してきたミハイルは、連合軍の指揮をするために張られた天幕を訪れていた。
場所自体は、ミハルーグ帝国軍の指揮をするために張られた天幕の隣である。
「お! ミハイル殿! やっと、戻られましたか! やられてしまったかとヒヤヒヤしましたよ!」
ハインリッヒは、急いで、ミハイルに近づく。
どうやら、心配してくれていたようである。
「いやはや、ご心配をおかけしました。警備がかなり厳重だったもので!」
ミハイルはそう言うと、懐から地図を取りだした。
「私が偵察してきた防御陣地の詳細を、この地図に記しておきました! まずは、机の上に置かれた地図に写したほうが良いと思います!」
「そうですね! では、ミハイル殿! 地図を貸していただいても、よろしいでしょうか?」
「はい! もちろんです!」
ミハイルは、ハインリッヒに地図を手渡す。
地図を受けとったハインリッヒは、そばに控えていた士官に写すよう、指示をする。
地図を手渡したミハイルは、天幕の中にいた70代くらいの男性に近づく。
「お久しぶりです、ミケーレ殿! イメリア王国での軍事交流会以来ですね!」
「ふぉふぉふぉ! アミーラ王国の近衛騎士団副団長のミハイル殿でしたかな? あ! これは失敬! もう、レナード殿は、退いていましたな! ワハハハハ! 今は、ミハイル殿が団長の任についておりましたな!」
イスに座っていたミケーレは、白髪が目立つ頭を叩いていた。
ミケーレ・パンターは、優しそうな笑顔が特徴の男性である。
だが、笑顔とは裏腹に、目元に刻まれたしわが、歴戦の猛者であることを物語っていた。
「はい! 今は、私が団長の任を拝命しています! ところで、ミケーレ殿は元帥の地位を後任の方にお譲りになって、退役をされていましたよね? 今回は、また、どうして指揮官をなさろうと思ったんですか?」
ミハイルは、疑問に思っていたことを口にする。
「ふぉふぉふぉ! 当初は、大将級の者が此度の援軍の司令官として赴くハズでしてな! だが、無理を言って、ワシにしてもらったのですぞ!」
「それは、また、どうして?」
「これからイメリア王国を背負って立つであろう者が、異国の地で死にでもしたら、目も当てられないであろうと思いましてな! 対して、ワシは老い先短い、ただの爺! それなら、イメリア王国の未来のために、立ったほうが良いであろうと考えた次第ですじゃ! それに、家にいても、庭をいじっているだけで、暇で暇でしょうがなかったということもありますな!」
ミケーレは、人が良さそうな笑顔を浮かべた。
「そうでしたか! 今回の戦いは、かなり厳しいになると思います! そんな中、ミケーレ殿のお力を貸していただければ、連合軍の気炎も上がることでしょう!」
「ふぉふぉふぉ! この老骨に、そこまでの力はありませんぞ! ただ、少しでも善戦ができるよう、粉骨砕身の覚悟で臨むだけですじゃ!」
ミケーレはそう言うと、白髪頭をペチペチと叩く。
そこから、ミハイルとミケーレは、他愛のない話を続ける。
しばらくすると、机の上に広げられた大きな地図へ写す作業が終了した。
「それでは、連合軍の全体方針を決める軍議を始めるとしましょう! まず、北部については、私から説明をします!」
ハインリッヒはそう言うと、立ったまま、長い棒でフレイル要塞を指し示す。
ミケーレとミハイルの視線が集中する。
あとから入ってきた各国の士官たちも、地図が見える位置に移動した。
「現在、フレイル要塞には、4万の軍が駐屯しています! また、地図を見ても分かる通り、周辺には、山岳地帯ということを活かした防御陣地が作成されている状況です! ただ、鉄鉱石の採掘に集中しているため、すぐに攻めこんでくる可能性は低いと言えます! 北部の概要は以上です!」
ハインリッヒは、長い棒を机に立てかけ、自分の席に戻る。
(う~ん、正面から潜入するのは難しそうだ! ネズミの子一匹でさえ、潜りこむことは難しいだろう! それほどの防御陣地が作成されている! かといって、正面から挑んでも撃退されて終わりだろうし、厳しいの一言しか出ないよ!)
地図を眺めていたミハイルは、そんなことを思ってしまう。
横にいるミケーレも、かなり渋い顔をしていた。
どうやら、ミハイルと同様のことを考えているようである。
しばらくの間、天幕が静まり返っていた。
「そろそろ、大丈夫ですかね、皆さん? ミハイル殿にダルム要塞の説明をしてもらっても?」
ハインリッヒは、様子をうかがうように発言をする。
「これは失礼! ついつい、地図に見入ってしまいましたぞ!」
ミケーレは、白髪頭をペチペチと叩いていた。
その姿を見た士官たちに、笑みが広がっていく。
先ほどと違い、天幕の中は和やかな雰囲気になっていた。
「それでは、ダルム要塞の説明をしますね!」
そんな中、ミハイルは長い棒を手に取り、ダルム要塞を指し示す。
「現在、ダルム要塞には、2万から2万5千の軍が駐留していると思われます! もちろん、周囲には、獅子軍団の迎撃を主目的とした防御陣地が作成されている状況です! また、塹壕がそこかしらに張り巡らされています!」
ミハイルは、一呼吸置く。
「例え、獅子軍団で突っこんだとしても、中に敷いてある油をしみこませた草に火をつけられ、進軍することは敵わないでしょう! もちろん。歩兵であれば、言わずもがなです! ザックリとした説明は以上で終わります!」
そう言うと、ミハイルは長い棒を机に立てかけ、元いた場所に戻る。
「ふぉふぉふぉ! これほどの防御陣地は、なかなか、お目にかかれるものはありませんぞ! 連合軍の全軍でかかっても、陥落させるには時間がかかるでしょうな! 敵ながら、あっぱれ!」
地図を見ていたミケーレは、朗らかな笑みを浮かべていた。
「やはり、ミケーレ殿でも、そう思いましたか……疲弊しているであろう今が、攻めかかる良い機会なのですがね……」
ハインリッヒは、至極残念そうな顔をしている。
「世の中、そうそう上手くいくことのほうが少ないものですぞ! 総司令官殿! 落ちこむことはありません!」
「たしかに、ミケーレ殿のおっしゃる通りですね! 気を遣っていただいて、ありがとうございます!」
ミケーレの言葉を聞いたハインリッヒは、気持ちを上手く切り替えたようであった。
「それでは、南部の説明をしますぞ! 座ったままだが、勘弁してくだされ!」
ミケーレはそう言うと、南部のほうに目を向ける。
「南部の戦況は、多少、我が軍が有利であります! 森林地帯の戦闘では、我が軍に利があるので、当たり前と言えば当たり前ではありますがな! こちらが、ほぼ無傷なのに対し、エンバニア帝国軍は1万9千ほどに減っていると考えられますぞ! 時間はかかると思いますが、このまま増援がなければ、戦線を食い破ることができそうですな!」
ミケーレは、自信に満ちた顔をしていた。
「それは朗報ですね!」
「ふぉふぉふぉ! 総司令官殿の仕事を減らせて、嬉しいですぞ! ただ、今更、エンバニア帝国が引くとは思えませんな! 間違いなく、中部だけではなく、南部にも増援を送ってきますぞ! そうなれば、今度は、我が軍が防戦一方になることでしょうな!」
ミケーレは、先ほど違い、渋い顔をしている。
「はぁ……そうですよね。もう戦いが始まってから2年が経過しています。エンバニア帝国も相当な兵力と軍需物資を投入している状況です。今更、引きはしないでしょう。そうすると、こちらも現状維持をするしかなさそうですね」
ハインリッヒは、思案顔をしていた。
(戦いは攻めれば良いというものではないから、当然の判断だろう! 攻めて兵力を損耗したら、窮地に陥ってしまうかもしれないしね! ただ、現状維持をするだけだと、こちらには不利だよな! 内通者が、ローマルク王国にはわんさかといそうだし! 厳しい戦いだな!)
ミハイルは、ハインリッヒを見ながら、そんなことを考えてしまう。
「総司令官! ローマルク王国軍は、動員できそうですかな? 王都ハリルに守備兵を残したとしても、3万は動員できると思いますぞ!」
ミケーレは、少しでも、解決の糸口を探ろうとする。
「いえ、彼らには、王都ハリルの防衛に専念してもらいます。誰が内通者も分からない状況で、連合軍に組み入ることはできません。内部もガタガタ、士気も最低な軍では、足手まといになるどころか、敗北する原因にもなりかねませんよ」
ハインリッヒは、即座に意見を否定した。
「ムムム! ワシの耳にも聞こえてはいましたが、そこまでとは! どうにか、ローマルク王国軍を機能させることはできないのですかな?」
ミケーレは、なんとかローマルク王国軍を連合軍に参加させたいようである。
(まぁ、頭数だけでも、欲しいといえば欲しいよね! 腐っても、ローマルク王国の正規軍だし! いるといないとでは、大きな違いだよ!)
会話を聞いていたミハイルは、うなずく。
「私も最初は、ローマルク王国軍をなんとか参加させられないかと思っていました。ですが、国の上層部自体が親エンバニア帝国派と親ミハルーグ帝国派で真っ二つの状況です。しかも、自分がいかに上手く立ち回るかしか考えていない者ばかりになっています」
ハインリッヒは、一呼吸置く。
「当然、軍内部も足の引っ張り合いばかりしているので、脱走兵が続発している状況です。例え、国中にいる親エンバニア帝国派の者たちを一掃したとしても、今度は残った者たちで足の引っ張り合いを始めるでしょう。そんな状況では、なにをやっても無駄だと判断しました。なので、ローマルク王国軍には、王都ハリルの防衛だけをやってもらうように指示をしています」
ハインリッヒは、かなり渋い顔をしている。
どうやら、いろいろと考えてはいたようであった。
「……そのような状況では、そもそも、エンバニア帝国軍を追い出せたとしても、無意味な気がしますぞ。すでに、民心はこの国から離れているでしょうしな」
ミケーレは、険しい表情をしている。
(実際、そうだよね。ローマルク王国の国民にとっては、この国の上層部が敵みたいなものだし。ハインリッヒ殿は、この戦争の終わらせ方とか考えているのかな?)
会話を聞いていたミハイルは、そんなことを考えてしまう。
「エンバニア帝国軍を追い出した後は、ミハルーグ帝国が主導して、ローマルク王国を立て直すつもりです。かなりの荒療治になるでしょうが、この地がエンバニア帝国のものになるよりはマシだと考えています」
ハインリッヒは、出口戦略を示す。
「大規模な粛清でもなさるつもりか? 後世に禍根を残しますぞ?」
ミケーレは、かなり険しい顔になっていた。
(結局、力で押さえつけるしかないか。まぁ、ここまで腐敗が進んでいると、それしかないよな。ただ、やり方を間違えると、余計、国が荒れる原因になりそう)
ミハイルは、眉間にしわを寄せている。
「それは、百も承知です。別の方法があれば良いのでしょうけど、現状ではそれが最適解かと。ただ、混乱を最小限にとどめるよう、配慮したいとは思っています」
ハインリッヒは、かなり渋い顔をしていた。
どうやら、本人もやりたくはないようである。
「まぁ、今は、この戦局を打開する案を考えたほうが良さそうでありますな」
「おっしゃる通りです。ただ、状況を打開するためには、敵の内部情報を集める必要があります。さしあたって、トランタ山に誰かを潜入させて、情報を集めたいと考えています。現在、トランタ山では、現地住民も採掘作業に従事しているようですしね」
ハインリッヒは、今後の方針を示す。
「潜入ですか! であれば、近衛騎士団にお任せください! 我らは、少数精鋭が売りですからね!」
ミハイルは、申し出る。
「ミハイル殿、ありがとうございます! ただ、近衛騎士団には、南部に加勢にいってもらいたいのですが、差し障りはないですか?」
「はい、大丈夫ですよ!」
「それでは、お願いします!」
ハインリッヒは、ミハイルに向かって、そう言った。
こうして、近衛騎士団の誰かが、トランタ山に潜入することになる。