63 ダルム要塞での軍議
ダルム要塞の会議室。
そこでは、重苦しい空気が漂っていた。
大きな地図が置かれた机の周りでは、エンバニア帝国軍の士官たちが黙って立っている。
「リーベウス大橋を奪還しにいったが、撃退されたか」
会議室の奥でイスに座っていたマヌエルは、つぶやく。
マヌエル・ジャクソンは、ローマルク王国侵攻軍の総司令官を務めている。
階級は大将であり、60代くらいの疲れた顔をした男性であった。
「はい。1万は帰って来れましたが、残りの1万5千は獅子軍団に倒されてしまったようです」
今回、参謀長に任命された男性は、悲痛な面持ちをしている。
「1万が帰って来れただけでも、まだマシな結果だな。精神に異常をきたした者は、どのくらいいる?」
マヌエルは、目をつぶり、腕組みをする。
「200名ほどです。今は、本国に帰還させるための準備をしています」
参謀長は、重苦しい顔のままである。
「そうか。残りの兵士の体調にも気を遣うようにせよ」
「ハッ!」
参謀長は返事をすると、すぐ、士官たちに指示を出す。
三人の士官は指示を受けると、すぐに会議室を出ていった。
「レイタンシア会戦で我が国が惨敗してから、もう40年か。ずいぶんと私も年をとったものだ」
マヌエルは、腕を組んだまま、目だけを開ける。
「……閣下は、たしか、従軍されていたと記憶しております」
参謀長は様子をうかがうように、そう言った。
「そうだ。当時、私は士官学校を卒業したばかりで、右も左も分からない小隊長だった。そんな私にとっての初陣が、レイタンシア会戦であったな。ミハルーグ・ローマルク連合軍に押しこまれていた我が軍は、10万もの大軍を動員して、形勢逆転を狙っていた」
マヌエルは、一息つく。
「当時の雰囲気はよく覚えている。相手はたかだか3万。対して、こちらは10万。楽勝だろうという雰囲気が軍内でまん延していたな。かくいう私も、今では考えられないが、初陣が楽に勝てそうな相手で良かったなどと思っていた」
「ですが、結果は……」
参謀長が、自然と口に出してしまう。
「そう、結果は参謀長が言わんとした通りだ。獅子軍団によって、我が軍の兵士は、ほとんどひき肉にされてしまった。私の小隊の者たちが、目の前で馬に踏みつぶされていったことは、今でも鮮明に思い出せる。当時の私には、指揮などできるハズもなく、逃げ帰ることしかできなかった」
マヌエルは、当時を思い出しているのか、沈痛な面持ちになる。
「結局、国境を越えて帰って来れたのは、1万ほどしかいなかったな。自分の小隊を見捨てざるを得なかった私も、生き残った……いや、生き残ってしまった。あのときほど、無力さを感じることはなかった。誰も、小隊長としての指揮を放棄した私を責める者はいなかったな。罰を求めていた私にとっては、より一層、そのことが辛かった。生き残った兵士も精神に異常をきたした者が多かったな」
マヌエルはそう言うと、顔を上に上げる。
「なるほど、今、理解できました。獅子軍団の対策のために、ダルム要塞の周囲にあれほど徹底して塹壕を掘らせたんですね」
参謀長は、やっと理解できたかのような顔をしていた。
「そうだ。あの惨劇を二度と繰り返さないために、騎馬兵の進行を阻む塹壕を掘らせた。しかも、中に油をしみこませた草をしきつめ、落ちてきた獅子軍団を燃やせるように細工も行った」
「これだけやれば、いかに獅子軍団といえど、ダルム要塞に近づくことはできないでしょう」
「そうでなければ困る。獅子軍団が出てくる前に、この要塞を落とした意味がなくなるからな」
マヌエルはそう言うと、懐から水筒を取りだし、一口飲んだ。
その後、蓋をしめて、懐に容器をしまった。
「いや、済まないな。昔話に付き合わせてしまって。獅子軍団がいたのでは、いかに2万5千を向かわせたとしても、リーベウス大橋奪還は難しかっただろう。逆に、よく1万も連れて帰ってきたと伝えておいてくれ」
切り替えたマヌエルは、参謀長のほうを向く。
「ハッ! 了解しました!」
「さて、リーベウス大橋を奪還されてしまった今、今回の侵攻作戦の方針を全面的に見直す必要があると思う。参謀長、北部から、現在の状況を説明してほしい」
マヌエルはそう言うと、机の上に広げられた地図に注目をする。
「ハッ! それでは、北部から説明をします! 現在、フレイル要塞に駐留している4万の軍勢は、トランタ山で鉄鉱石を採っている状況です。現地住民にも、協力してもらっているため、かなりの鉄鉱石を本国に送れています!」
「奴隷のような扱いはしていないな?」
「もちろんです! 十分な睡眠時間をとってもらい、食料なども不自由ないようにしています! 現地住民は、ローマルク王国よりも、断然、我らのほうが良いと言っているようです!」
「それは当然だ。ローマルク王国は、無理矢理、休憩もさせずに鉄鉱石を採らせていたみたいだしな。死者が多数でるほどの劣悪な環境より、今のほうが現地住民にとっても良いハズだ。彼らにとっては、我々よりもローマルク王国のほうが敵のようなものだったのだろう」
マヌエルは、当たり前かのように言った。
参謀長は、マヌエルの様子をうかがうと、口を開く。
「説明を続けます! 現在のところ、連合軍がフレイル要塞に攻めこもうとする気配はありません! また、攻めこまれたとしても、山岳の地形を活かして迎撃する準備は整っています!」
「北部は、大丈夫そうだな。次は、南部の戦況を報告してほしい」
マヌエルは、ローマルク王国の南部に目を向ける。
「ハッ! 南部の森林地帯では、イメリア王国軍2万に対して、苦戦を強いられています! いきなり現れるイメリア王国軍の前に、前進もままならないようでして、今は戦線を維持するので精一杯の状況です!」
「イメリア王国は、昔から森林地帯での戦闘が得意だからな。苦戦するのもしょうがない。占領できれば、それに越したことはないが、難しいだろう。現状維持をしてほしいが、どうしても厳しいようであれば、戦線を下げても良いと、現地の司令官に伝えてくれ」
「ハッ! 了解しました! 後ほど、伝えます!」
「頼んだぞ。最後は、中部か。現在分かっている情報を報告してほしい」
「その前に、中部の戦線を引き直しても、よろしいでしょうか?」
「頼む」
マヌエルは、懐から水筒を出し、蓋を開ける。
(北部はまだ良いとしても、南部は、このまま押し戻されるかもしれないな。しかも、リーベウス大橋を奪還された今、小さい砦がいくつか点在しているとはいえ、中部の最前線は、ここダルム要塞だ。万が一にでも、落とされるようなことがあれば、一気に中部一帯がとられてしまうかもな)
水筒に入った水を飲みながら、そんなことを考えていた。
「閣下、準備ができました!」
「分かった」
マヌエルはそう言うと、水筒の蓋をしめ、懐にしまった。
「それでは、中部の戦況について説明をします! 現在、リーベウス大橋にはアミーラ王国の近衛騎士団と獅子軍団がいる状態です! 兵力は、およそ2万! 対して、ダルム要塞にいる我が軍の兵数は、2万弱ほどです! また、戦線についても大きく後退してしまいました!」
「そうか。後方にいる5千を加えても、2万5千にしかならないな。リーベウス大橋を奪還することなぞ、夢のまた夢というワケか。今更ながら、大橋をとられたのは痛かったな」
マヌエルはそう言うと、目を押さえる。
「5千の守備兵で、ローマルク王国1万を容易に撃退できていたのです、慢心がないと言えばウソになるでしょう! ですが、獅子軍団の進行を阻むため、大量の鉄製障害物を配置していました! また、周囲には、罠線をこれでもかと仕掛けている状況でした! これだけの防備を突破するのは、厳しいと思います!」
「参謀長が言うように、防備に抜かりがなかったのは百も承知だ。だが、アミーラ王国の近衛騎士団に落とされてしまった。たかだか、1千ほどしかいないにも関わらずだ。コニダールでの一件は真であったと言えよう」
「アミーラ王国の第1王子に逃げられてしまったことですか? ですが、たしか、あの一件は、内通者のせいで逃がしてしまったと結論づけられたのでは?」
参謀長は、疑問を口にする。
「まぁ、牢に忍びこんで、アミーラ王国の使節団を解放するなど、内通者がいなければできないことであろう。問題は、その後だ。護衛の近衛騎士団は30人くらいしかいなかったハズなのに、まんまと逃げられてしまった。しかも、近衛騎士団長であるミハイルらしき男に、3百も兵士がやられてしまったという。コニダールの司令官が保身のために言った出まかせだと思っていたが、考えを改めなければいけないようだ」
マヌエルはそう言うと、腕を組む。
「となると、獅子軍団に加えて、近衛騎士団も警戒しなければなりませんな!」
「そうだ。いかに、少数といえども、一つの軍と思って行動したほうがいいだろう。とりあえず、現在の状況も分かったことであるし、方針を言い渡すとしよう」
マヌエルは、眉間にしわを寄せると、黙りこんでしまう。
(獅子軍団に加えて、近衛騎士団か……思っていたより、敵の増援が手ごわいな。いかに、ローマルク王国の情報が筒抜けだったとしても、今回のように裏をかかれてしまっては困る。かといって攻めるのは悪手だろう。ここは、持久したほうがよさそうだ。待っていれば、ローマルク王国は勝手に内部崩壊するだろうしな)
今後の方針を決めたマヌエルは、口を開く。
「今後の方針を言い渡す。現状の戦線の堅守をせよ。こちら側から攻めてはならん。ただ、南部に関しては、先ほど言ったとおりだ。また、本国に5万の援軍の要請をせよ。その際、私が後で書く手紙も持っていくように。現状では、我が軍が劣勢であるが、耐え忍んでほしい。それでは、これにて、軍議を終了とする」
マヌエルはそう言うと、会議室を出ていった。
(さて、連合軍はどう出てくるかな。北部は、まずないだろう。フレイル要塞は、堅牢だからな。となると、中部、南部のどちらかになるか。私だったら、森林地帯があり、時間がかかる南部より、このダルム要塞を急襲するだろう。ちょうど、敗戦で士気も落ちているしな。さて、どうなることやら)
ダルム要塞の通路を歩きながら、マヌエルはそんなことを考えていた。
――ダルム要塞での軍議が終わった頃。
獅子軍団は、原形がない死体を燃やす傍らで、防御陣地を作成していた。
対して、近衛騎士団は、リーベウス大橋の周囲に仕掛けられた罠線を回収している。
もちろん、アリアたちも森の中を歩きながら、大量の罠線を解除していた。
「これが終わったら、モア大河で水浴びをできますの! 楽しみですわ!」
「はい! 久しぶりに体を洗えますよ!」
サラとアリアは、キャッキャッとしながら、森の中を歩いている。
背負われている袋の中には、回収した罠線が入っていた。
「おーほっほっほ! 奴隷1号! さっさと働きなさい! 水浴びをする時間がなくなりますわ!」
エレノアは、罠線に連動していた矢を袋の中に入れている。
「だから、僕は奴隷1号じゃない! というか、君たち、罠線だらけの中、よくそんなに気楽でいられるな! 昼間とはいえ、油断していると、引っかかるぞ!」
エドワードは、緊張しているようであった。
近くにいる学級委員長三人組も、真剣な顔で罠線を回収している。
「あ。エドワードさん、そこ危ないですよ」
そんな中、ステラがエドワードのほうを向く。
「え? うわぁぁぁ!」
かなり見えづらく配置されていた罠線に、エドワードは引っかかってしまった。
右足に紐が巻き付き、上空に向かって、引っ張られていく。
数秒後、エドワードは木の枝から宙づりになってしまっていた。
しかも、それだけにとどまらず、紐にぶら下げられた木の杭が飛んできている。
「木の杭が! 死ぬ、死んでしまうよ! 助けてくれえええ!」
エドワードは大声でそう叫ぶと、必死で体をばたつかせた。
だが、宙づりになっているため、避けられそうにないようである。
「おーほっほっほ! 注意するように言っていたのに、自分が引っかかっていては、ざまあないですわ! 大人しく、串刺しになりなさい!」
エレノアは、一切、助ける気がないようであった。
「はぁ……なにをやっているんですか……」
ステラは、ため息をつくと、エドワードの右足に巻き付いている紐を斬る。
「おうわぁ!」
エドワードは、そのまま、地面に向かって自由落下をした。
ゴキッという音がした後、エドワードは頭を抱え、うずくまってしまう。
「こんな調子では、夜までに終わりますかね?」
ステラは、エドワードを見下ろしながら、そんなことを言っていた。