59 水浴び
――エレノアが加入してから、10分後。
アリアたちは、先ほどまでいた天幕に戻ってきていた。
「エレノアが加入したところで、さっそくだけど、任務の説明を始めるから!」
ミハイルはそう言うと、リーベウス大橋の南10kmほどの場所を棒で指し示す。
「君たちには、今、僕が指し示した位置からロア大河を渡り、敵陣で騒ぎを起こしてもらうよ! 一応、昨日、偵察したときは、警備があまりいなかったから、大丈夫だとは思う! まぁ、こんなところかな! なにか、質問ある?」
ミハイルは、持っていた長い棒を、机に立てかける。
「ミハイル様! ワタクシ、王都レイルでやり残したことを思い出しましたの! なので、帰りますわ!」
エレノアはそう言うと、急いで、天幕を出ていこうとした。
どうやら、危ない任務だと即座に理解したようである。
「団長ね、エレノア! まぁ、待ってよ! 大丈夫! そんなに難しい任務ではないから!」
ミハイルは、いつの間にか、エレノアの目の前に移動していた。
「おほほ……どうやら、逃げられないみたいですわね……」
エレノアはそう言うと、スゴスゴと地図の前に戻る。
どうあがいても、逃げられないと悟ったようであった。
「さぁ、話を戻そう! 質問をしたい人はいるかな?」
ミハイルはそう言うと、先ほどいた場所に戻る。
「団長、エンバニア帝国軍はどのくらいの人数で、どのような陣地を作成していますか?」
地図を眺めていたステラは、質問をした。
「昨日見た感じだと、こちら側の岸に5百、対岸に4千の計5千くらいはいたね! 陣地は、リーベウス大橋を中心として、それぞれの兵数に見合った規模のものが作成されていたよ! まぁ、こんなところかな!」
「ありがとうございます」
ステラはそう言うと、地図に注目をする。
どうやら、地形などを確認しているようであった。
アリアたちも、ステラと同様に地図を見ている。
「質問はない感じかな? じゃあ、今日の夜12時に騒ぎを起こしてね!」
ミハイルは、いつも通りの気軽さで伝えた。
その瞬間、天幕の中にいた全員がミハイルに注目をする。
もちろん、アリアたちもである。
「団長! 確認ですけど、今日ではなく、4日後の夜12時ですよね?」
アリアは驚いた顔をしながら、尋ねる。
「当初の予定では4日後だったけど、昨日、本日の真夜中決行に変わったんだよ! あれ? 言ってなかったけ?」
ミハイルは、キョトンとした顔をしていた。
その言葉を聞いたアリアたちは、絶句してしまう。
対して、天幕の中にいた士官たちは、大きな声で騒ぎだす。
「団長! 聞いていませんよ! なんで、そんな急に変わったんですか?」
副団長が、ミハイルに詰め寄る。
「ハインリッヒ殿曰く、ローマルク王国を通じて、情報が漏れている可能性があるんだって! だから、昨日、作戦決行日を変えたんだ! いや、危うく待ち伏せされるところだったよ! ハハハ!」
「笑いごとじゃありません! まだ、準備が終わってないんですよ!? どうするんですか!?」
「いや、そこはチャチャっと終わらせてよ! とりあえず、今日の真夜中に奇襲するのは変わらないから、よろしくね!」
「ああ、もう! 分かりました!」
副団長は、構っていられないと思ったのか、天幕の中にいた士官に、次々と指示を出していた。
「それじゃ、君たちも、よろしくね! できるだけエンバニア帝国軍を混乱させておいてよ! あ! あと……」
ミハイルは、一度言葉を区切る。
「ステラとエレノアは仲良くするように! もし、ケンカしたと分かったら、二人とも半殺しにして首から下を埋めるからね! それじゃ、頑張って!」
ミハイルは釘を刺すと、そのまま、天幕を出ていってしまった。
(……これ、大丈夫か? ステラさんとエレノアさんが一緒で)
アリアはミハイルの後ろ姿を見ながら、そんなことを思っていた。
――12時間後。
近衛騎士団が駐留している場所を出発したアリアたちは、リーベウス大橋の近くまで来ていた。
すでに、辺りは暗くなっている。
「とりあえず、ここまでは来れましたね」
アリアは茂みに隠れながら、小声でつぶやく。
「見つかってはいないようです。ただ、これ以上、進むのは無理そうですね」
隣にいるステラは小声でそう言うと、前方を見る。
リーベウス大橋の周囲には、陣地が作成されているのが見えた。
また、エンバニア帝国軍の兵士が多数巡回しているようである。
「おーほっほっほ! あれは無理ですわ!」
エレノアは小声でそう言うと、ステラの頭を押さえつけ上に乗る。
さすがに、いつもの高笑いはしないようであった。
「……今すぐどかないと、殺すぞ」
ステラは、腹の底に響くような低い声を出す。
「ああ、もう! エレノア! こんなところでケンカするなよ! 半殺しにされて、首から下を埋められるぞ! 昔も、ミハイル様を怒らせて、埋められたことがあっただろう!」
エドワードは小声でそう言うと、エレノアを羽交い絞めにして、引き離す。
「ハッ! そうでしたわ! すっかり、忘れていましたの!」
エレノアは、急いでステラから離れる。
「ステラさんも、怒りを抑えてください! ここでケンカをしたら、エンバニア帝国軍にバレますよ!」
「そうですわ! 落ちつきますの!」
アリアとサラは、剣を抜こうとするステラを必死で止める。
「お二人とも、止めないでください! あのお馬鹿さんの両足を斬り下ろして、リーベウス大橋の前に放り投げてくるだけです! あとで団長には、やられてしまったと報告をします! そうすれば、しょうがないとなるハズです!」
「なにを言っているんですか! とりあえず、離れますよ!」
「馬鹿なことはやめますの!」
二人は、ステラを押さえ、そのまま、引きずっていく。
「キー! 奴隷1号、あの暴力女の言葉を聞きましたわよね!? もう、生かしてはおけませんの!」
ふたたび、エレノアは興奮し出す。
「だから、落ちつけって! それに、僕は奴隷1号ではない! ああ、もう! 君たちも、見ていないで手伝ってくれ!」
エドワードは手に負えないと思ったのか、学級委員長三人組のほうを向く。
彼らも、ヤバいと思ったのか、エレノアの動きを急いで止める。
そのまま、エドワードたちは、アリアたちの後を追う。
現在地から10km南にある渡河地点を目指して、アリアたちは進んでいく。
2時間後、無事、渡河地点の近くに到着する。
道中、エンバニア帝国軍の兵士が松明を持って巡回をしていたが、見つかることはなかった。
「あれが、渡河地点ですかね? たしかに、エンバニア帝国軍の兵士はいなさそうです!」
茂みの中に隠れたアリアは、周囲をキョロキョロと確認する。
「まぁ、リーベウス大橋から結構離れていますからね。こんなところまで、警備の兵士を出していたら、人が足りなくなりますよ」
頭が冷えたのか、ステラは冷静に分析をしていた。
「その代わり、罠線がたくさんありましたの! 何回も引っかかりそうになりましたわ!」
サラは、少し興奮しているようである。
罠線は、紐を使った罠であった。当然、見えづらいように配置をされている。
引っかかると、そのまま足をとられ、宙吊りになってしまう。
また、それだけではなく、紐に触れると連動する銅鑼が鳴ったり、矢が飛んできたりと危険極まりない罠の一種であった。
「ステラがいなかったら、危なかったかもな……」
エドワードは、顔から冷や汗を流していた。
それも、当然である。
エドワードが引っかかりそうになった罠線には、木製の杭が連動していた。
ステラが気づかなければ、引っかかったエドワードは串刺しになっていたであろう。
「おーほっほっほ! 奴隷1号の串刺しも、余興としては悪くなかったかもしれませんわ!」
エレノアは、至って元気そうである。
「良いワケないだろう! それに、何回も言っているが、僕は奴隷1号ではない!」
エドワードは、少し怒っているようであった。
「はぁ……キーキー声のお馬鹿さんは、手に負えませんね。罠線に引っかかっていれば、面倒がなかったのに」
ステラは、ため息をつく。
ここに来るまで、ステラはエレノアが引っかかりそうな罠線をスルーしていた。
だが、エレノアには野生の勘があるようであり、引っかかることはなかった。
「キー! この暴力女! 罠線までは許せましたけど、もう我慢の限界ですわ!」
エレノアは、ステラに飛びかかろうとする。
どうやら、本人なりに怒らないようにしていたようであった。
「ああ、もう! 本当に! ステラも挑発するのは、やめてくれ!」
エドワードはそう言うと、エレノアを羽交い絞めにする。
学級委員長三人組も、すぐに加勢した。
「エドワードさんの言う通りですよ、ステラさん! ケンカするのは、この任務が終わってからにしてください!」
「そうですの! 今は、任務に集中したほうが良いですわ!」
アリアとサラは、ステラを咎める。
「お二人とも、すいません。そうですね。今は任務に集中しましょう」
咎められ冷静になったのか、ステラはそう言うと、エレノアに向かって手を差し出す。
「エレノア! ステラが握手を求めてきたぞ! とりあえず、今は任務を成功させるためにも、仲直りしてくれ!」
エドワードは、エレノアを自由にする。
学級委員長三人組も、止めるのをやめていた。
「そんなこと、奴隷1号に言われなくても分かっていますわ! 嫌ですけど、握手してあげますの!」
エレノアはそう言うと、手を握る。
一瞬、不穏な空気になったが、そのまま二人はお互いに手を握り続けていた。
その間、二人の右手は、ゆっくりと剣の柄のほうに伸びていく。
「コラ! 二人とも、本当にやめてくださいよ! このままじゃ、任務成功どころか、全員死にますよ!」
すぐに気づいたアリアは、ステラとエレノアの右手を握る。
そこから、また、ひと悶着あったが、10分後には二人とも落ちついた状況になっていた。
「はぁ……とりあえず、モア大河を渡りますか……」
アリアは、二人を止めるのに消耗したため、少し疲れてしまっている。
「そうですわね……」
サラも、若干疲れているようであった。
エドワードたちに至っては、返事するのも面倒なのか、身振り手振りで応答する。
「そうですね。さっさと渡ってしまいましょう」
「おーほっほっほ! 華麗なる泳ぎを見せてあげますわ!」
対して、ステラとエレノアは、全然、疲れてはいないようであった。
アリアは、全員の準備ができたことを確認すると、モア大河に向かって走り出す。
サラたちも、次々と茂みから飛び出していた。
(うわ! 冷たいな! あ、でも、流れはそうでもない気がする!)
モア大河に入ったアリアは泳ぎながら、そんなことを考える。
軍服が水を吸って重くなっていたが、フェイによる地獄の水泳訓練を乗り越えていたため、大した問題ではなかった。
「意外と体力を使わないかもしれませんね。嬉しい誤算です」
ステラは、アリアの横で顔を上げながら、泳いでいる。
後ろにいるエドワードたちも、それほど苦戦してはいないようであった。
そのまま、アリアたちは静かに泳いでいく。
しばらく泳いでいると、アリアは違和感を覚える。
(あれ? サラさんが見当たらないな? 溺れたら声で分かると思うし、どこに行ったんだろう?)
周囲を確認したアリアは、そんなことを思っていた。
「ステラさん、サラさんがどこに行ったか分かりますか?」
「さっき、後ろのほうに行きましたよ」
「後ろのほうですか……ちょっと、サラさんの様子を見てきますね! 先に行っておいてください!」
「分かりました。ゆっくり進んでおきますね」
ステラはそう言うと、先頭でゆっくりと泳ぎ始める。
対して、アリアは、後方へ泳いでいく。
(まぁ、無事ではあるだろうけど、いったい、なにをしているんだろう?)
アリアは泳ぎながら、そんなことを考えていた。
音を立てないように、ゆっくりと進んでいく。
水面に映っている月は、波で揺れている。
アリアは顔を出しながら、サラを探す。
そんな中、10mくらい後方に泳ぐと、サラの姿が見えてきた。
(なんか、手を動かしているな……まさか、ね……)
アリアは、頭に浮かんだ考えを振り払う。
サラがなにをしているかを確認するため、どんどんと近づいていく。