246 出頭命令
――6月中旬。
ローマルク王国では、雨の日が続いていた。
だが、特段、ハリル士官学校の生活に変化はない。
晴れであろうが、雨であろうが、訓練は行われるからだ。
ただ、入校生は、中々、乾かない衣服に苦戦を強いられている。
大体、生乾きのまま、着ることになってしまっていた。
もう、今では、皆が生乾きの臭いなので、誰も気にしなくなっている。
そんなことよりも、一日一日に集中して、生活をしていた。
そんなハリル士官学校とは打って変わり、ミハルーグ帝国の皇都メイルーク。
軍本部と参謀本部の入っている建物に、ミカエラとハインリッヒの姿があった。
二人には、皇帝のもとまで出頭するよう命令をされていた。
その前に、参謀総長と元帥に会いに来たのだ。
「何だか、ここは、いつ来ても暗い雰囲気ね。外で雨が降っているせいで、余計、そう感じてしまうわ」
「日頃から激務にさらされているからな。それはそうだろう」
ミカエラとハインリッヒは、建物内の通路を歩いている。
時折、部屋の中の様子が見えてしまう。
その様子を一言で表すなら、亡者の群れである。
誰もかれもが、死にそうな顔をしながら、書類書きやら、話し合いをしていた。
時々、誰かは分からないが、怒声も聞こえてくる。
皆が書類仕事や各種調整などをしている中、机に伏せて寝ている者もいた。
だが、誰も怒ったりはしない。
これまた、通常の光景であるからだ。
そもそも、この建物で勤務している者は、一週間の内、家に帰れるのが、1日か2日だけである。
家に帰る時間が惜しいのだ。
必然、睡眠をとるのは、机の上か、机の下である。
寝袋を持ってきているため、イスをどかせば、いつでも寝ることが可能だ。
「私、疑問に思うのよね。普通に家に帰って寝た方が、疲れもとれると思うのよ。軍本部に私がいた時は、ちゃんと家に帰っていたわ。それで、少し、朝早く来れば、良いと思うのだけど?」
「いや、仕事も終わっていないのに、帰れないだろう、普通。お前くらいだよ、仕事を放り出して帰るのは。将官ならまだしも、なぜ、同僚の帰る時間に合わせて、仕事をしないといけないのかと、当時はよく思ったがな」
「あら、そんな小さなことを、上級大将が言ってはいけないわ。もっと、夢のあることを言いなさい。誰が聞いているか、分からないわよ」
ミカエラは、手を横に振りながら、歩いている。
たしかに、部屋の中から、ミカエラとハインリッヒを伺う者は存在していた。
どちらも、若くして、上級大将に昇進している。
その動向が気になる者は、当然、多い。
二人を好ましく思っている者。
好ましく思っていない者。
どちらからも、注目の的であった。
特に、二人のことが話題になっている今は、ちょっとしたアイドル状態である。
「はぁ……今から、気が重くなってきた」
「とりあえず、参謀総長のところから周るのよね? 別に優しいから、そんなに気負わなくても大丈夫だと思うわ」
「いや、支離滅裂なことを言えば、参謀総長と言えど、怒るだろう。それに、今は、軍法会議の瀬戸際だからな。お前はまだしも、私は、処分される可能性が高い。気合いを入れておかなければな」
「あら、大変ね。応援しているわ」
「……お前も他人事ではないからな。はぁ……なんだか、疲れた」
ハインリッヒは、ジト目でミカエラを見つつ、ため息をついていた。
――参謀総長の部屋。
「お! 来たな! 今話題のお二人!」
部屋の主は、明るい声で出迎える。
「参謀総長。お久しぶり、でもありませんね。この前、会ったばかりですし。お元気そうでなによりです」
ミカエラの表情に、特に変化はない。
元上司であるので、この人物の考えは分かっているようだ。
ミハルーグ帝国軍の参謀総長。
ディートリヒ・フォン・ヘルバー。
見た目通り、40代くらいの優しい男性だ。
ただ、この役職に見合うだけの実力を有している。
選ばれた者しか所属することができない参謀本部。
若い頃から、類稀な才能を示し続け、活躍を続けていたのは事実である。
どう転んでも、容易に何とかできる相手ではなかった。
「いや、君たちのせいで、大変だったよ! 参謀本部からも、軍法会議にかけるべきって、声が凄かったからね! やっぱり、独断専行は良くないよ! あまり滅茶苦茶はしないでくれるかな? 君たちの肩を持つのも、限界はあるからね?」
「申し訳ありません、参謀総長。ただ、このままでは、ジリ貧だったのも事実。私は、最良の選択をしたと考えています。それに、日増しに勢いづくローマルク独立国のことを考えると、少しでも早く動く必要があります」
ハインリッヒは、渋い顔をしている。
「私個人としては、良いと思うよ。どの道、上手くいかなかったとしても、強引に介入をすれば、ある程度、エンバニア帝国を削ることはできるだろう。従来の方針通り、ローマルク王国の国民には、泣いてもらうことになるね」
ディートリヒは、一度言葉を区切った。
「ただ、何度も言うけど、独断専行は良くないよ。上手くいかなかったら、君たちへの処分は避けられないのは分かっているよね? そもそも、この後、陛下のもとへ行くと思うけど、そこで、許可を得られなかったら、この話はお終いだから」
「承知しています。陛下を説得できるよう、最善を尽くすつもりです」
ハインリッヒは、そう言うしかない。
そんな中、ミカエラが口を開く。
「参謀総長。一点、質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
「良いよ」
「仮に、私たちが処分された場合、後任の人事は決まっていますか?」
「良いところを突くね! 想像通り、難航しているよ! 君たち二人の後釜とか、誰もやりたくないからね! どうしても、君たちと比較されるし! それに、君たちは、ミハルーグ帝国軍の誇る将軍だからね! どの役職につけるかも難しいから! 兵士たちの人気もあるしね!」
一転、ディートリヒは、苦笑をしている。
現在、エンバニア帝国との戦いが見えている状況だ。
そんな中、東部戦域軍の司令官が交代するのは、よろしくない。
ハインリッヒより的確に指揮できる将官は、いないからである。
ローマルク王国の問題もあった。
誰もが、泥をかぶるのは嫌がるものだ。
失敗をした場合、責任を取らされてしまう。
立場ある者は、避けたいものだ。
ミカエラに至っては、中央軍の総司令官を外れた場合、北部戦域軍の総司令官になってしまう可能性があった。
それでは困ってしまう。
せっかく、北部戦域軍の猛烈な反対を抑えてまで、押しこんだのに、その苦労が霧散してしまうからだ。
それに、ミカエラの人気は、凄まじいものがある。
中央軍の総司令官就任も良く思われていない中、さらに処分をしてしまう。
軍人はもとより、国民の反発も予想できていた。
ミカエラの信奉者も多い。
彼らを敵に回すような真似はしたくはないのが、本音である。
つまり、処分をしたとしても、現在の役職から外すのは難しい状況だ。




