107 遭遇したくない状況
――下山を開始してから、2時間後。
アリアたちは、なんとかルーンブル山脈の麓にある森まで到着していた。
「……なんとか、暗くなる前に、下山は終わりましたね。とりあえずは良かったです……」
アリアはフラフラとしながら、力無い声でつぶやく。
「そうですね。ただ、夜になる前に、森を抜けるのは無理だと思います。まぁ、下山中に暗くなるよりはマシですけどね」
ステラは、珍しく、かなり疲れた顔をしていた。
「あれだけ急いで、下山した甲斐はありましたの……もう、動くのもキツイですわ……」
サラは、アリアと同様に、くたびれた顔をしている。
「…………」
エレノアに至っては、話すのもキツイのか、黙々と歩いていた。
「とりあえず、松明を持って歩きましょうか。道に迷ったら厄介ですからね。潜入であれば、話は別でしょうけど。エレノア、薪に火をつけてください」
ステラは、持ってきていた薪をエレノアのほうに突き出す。
対して、エレノアは、黙ったまま、左手をかざし、薪に火をつけていた。
どうやら、返事をするのでさえ、億劫なようである。
その後、アリアとサラは、そこら辺で拾った大きな枝に火をつけて持っていた。
火の出元は、ステラの持っている薪である。
エレノアは、木の枝を拾うのが面倒なのか、最後尾を黙って、ついてきていた。
(エレノアさん、もう限界そうだな。まぁ、限界なのは私もだけど。足も滅茶苦茶痛いし、荷物もあり得ないくらい重くなっている気がする。唯一、森はルーンブル山脈ほど険しくないのだけが救いだな)
アリアは、誤って、火が荷物に燃え移らないように気をつけて、木の枝を持っている。
四人は、ステラを先頭にして、フラフラとしながら、森の中を進んでいった。
それから、30分後。
アリアたちは、すっかり暗くなってしまった森の中を歩いている。
(……やっぱり、下山のときに体力を消耗しすぎたな。一歩一歩、足を踏み出すのすら、かなりキツイ。しかも、荷物が重すぎて体がユラユラ揺れる。そのせいで、余計な体力を使ってしまうよ……)
アリアの視界には、サラの背中にある荷物しか見えていない。
現在、燃えている薪を持ったステラの先導の下、サラ、アリア、エレノアの三人は、ヨタヨタとしながら、歩いている。
サラとアリアは燃えた木の枝を持っていたが、フラフラとして危ないので、歩いている途中、ステラに断りを入れて手放していた。
もちろん、森が火事にならないように、火の始末をしてで、ある。
「……この速度だと、あと2時間はかかりますかね。私も速度を出したいのは、山々なのですが、難しい状況です。というか、歩くのも、かなりキツイですね」
先頭を歩いているステラは、珍しく、弱音を口にしていた。
「……もう、ワタクシはステラについていくだけですの。歩く速度は、ステラの歩きやすい速度で良いですわ……」
「……経験のあるステラさんの思う通り動くのが最適解だと思います。なので、私たちのことは気にしないでください……」
サラとアリアは、力無い声を出す。
「…………」
エレノアは、相変わらず、黙ったまま、アリアの後をついてきていた。
「分かりました。とりあえず、頑張って歩きましょう。あと、2時間の辛抱ですよ」
ステラは歩きながら、アリアたちに聞こえるよう、声を出す。
そのまま、ヘロヘロの四人は、燃えた薪の明かりを頼りに歩いていった。
――1時間後。
「うわぁぁぁぁ! 誰か、助けてくれええええ! 熊が出たああああああ!」
アリアたちがトボトボと歩いていると、助けを求める叫び声が聞こえてくる。
(……最悪だな。こんな疲労困憊の状況で、助けられるかどうか、分からない。しかも、この声、聞き覚えがあるな。たしか、ブルーノとかいう人の声だ。はぁ……遭難の次は、熊か。エドワードさん以上に運が悪いとしか思えないよ)
サラが立ち止まったため、アリアも立ち止まる。
その後ろでヨタヨタとしていたエレノアは、アリアの荷物にぶつかり、強制的に停止していた。
「……どうします? 私としては、助けないでも良いかなと思っています。多分、熊に追われているのは、ブルーノかと。彼には悪いですけど、運が悪かったと思って諦めてもらいましょう」
立ち止まったステラは、振り返ると、アリアたちに提案をする。
「はぁ……なにを言っていますの、ステラ? いくら暴言を吐くようなヤバい奴でも、助けないワケにはいきませんわよ。まったく、ワタクシたちも運が悪いですわね……」
「……そうですよ、ステラさん。一応、レイル士官学校の入校生なんですから、助けないと駄目ですよ……」
サラとアリアは、力無い声でそう言うと、背負っていた荷物を下ろす。
後ろにいたエレノアも、はぁとため息をつき、荷物を下ろしていた。
「もちろん、冗談ですよ。あまりにも状況が悪いので、ジョークを言ってみただけです」
ステラは荷物を下ろし、首をゴキゴキしている。
(……その割には、結構、本気の声だったけどな。まぁ、見捨てたくなる気持ちも分かるよ。なんで、ブルーノみたいな人を助ける必要があるんだろうっていうのは、共通認識だろう。ここが戦場だったら、気づかないフリをしていた可能性もありそうだ。厄介払いできて、都合が良いしな)
アリアは、走りだしたステラの後を追いかけながら、そんなことを思っていた。
それから、1分後。
ブルーノと熊のいる場所に、アリアたちは到着する。
到着早々、ステラは松明を邪魔にならない場所に放り投げ、剣を抜く。
「おお! 助けに来てくれたのか! ありがとう! さぁ、熊を早く倒してくれ!」
剣を構えているブルーノは、アリアたちの姿を見た瞬間、喜びの声を上げた。
そんなブルーノから少し離れた場所には、まぁまぁ大きめの熊がいる。
うなり声をあげ、今にも、襲いかかってきそうであった。
どうやら、ブルーノの叫び声で、興奮してしまっているようである。
「……殺されていたら、面倒はなかったんですがね。皆さん、熊も動物なので、急所を攻撃すれば倒せます! ただ、人間を斬るときとは違って、一撃では終わらないので気をつけてください! とりあえず、エレノア! 炎の球で熊をけん制!」
ステラは大きな声で指示を出すと、先陣を切って、熊の側面に向かって走り出した。
指示を受けたエレノアはというと、左手を熊のほうにかかげ、炎の球を飛ばす。
だが、疲労のせいか、いつもと比べ、飛ばす速度も遅く、かなり小さいものであった。
そのため、あまり熊には効いていないようである。
嫌がってはいるが、致命傷には至っていない。
そのような状況で、熊がエレノアのほうに向かって走りだす。
どうやら、炎の球を飛ばしてくるエレノアが鬱陶しいようであった。
「アリア! エレノアが狙われていますの! 防ぎますわよ!」
「ハイ!」
先ほどと違い、戦闘モードに切り替わったサラとアリアは、急いでエレノアの前に立つ。
すでに、エレノアも剣を抜き、熊の衝突に備えていた。
数秒後、サラ、アリアの二人と熊が衝突をする。
「うわぁああですの!」
「くっ!」
熊のかみつきに当たらないようにしていたサラとアリアは、巨体に弾き飛ばされてしまう。
「…………」
エレノアはというと、ひらりと身をかわし、わざと熊に攻撃を当て、その反動で距離をとっていた。
「なんですか、その動き? まぁ、どうでも良いですけどね」
後ろから迫っていたステラは、ボソッとつぶやくと、熊の背中に剣を突き立てる。
その瞬間、熊が雄叫びを上げた。
どうやら、それなりには効いているようである。
だが、熊が暴れたことによって、ステラは吹き飛ばされてしまう。
そのまま、地面を転がっているステラに向かって、熊は突進をしていく。
「サラさん!」
「分かっていますわ!」
アリアとサラは、そんなステラをかばうべく、突進してくる熊の前に躍り出る。
熊は、そんな二人を気にせず、ステラに向かって、口を開けて襲いかかった。
「うぉぉぉぉおおお!」
「はぁぁぁぁぁですわ!」
アリアとサラは、剣を振りかぶり、思いっきり熊に向かって叩きつける。
「硬すぎる! って、うわぁ!」
「なんですの、これ!?」
さすがに熊の突進には勝てず、アリアとサラは、またも吹き飛ばされる。
その間に、体勢を整えていたステラは、熊のかみつきを避け、距離をとっていた。
もちろん、熊はかみつきを続行しようとするが、炎の球が飛んできたため、ひるんでしまう。
その後、熊はアリアたちとの間合いを維持する。
どうやら、隙を探っているようであった。
エレノアの魔力も尽き、四人は剣を構えたまま、熊とのにらみ合いをしている。
そんな中、ブルーノがいきなり走り出す。
「あ! 背中を見せたら危ないですよ!」
走り出したことに気づいたステラは、大きな声をあげる。
だが、ブルーノは気にせず、走り続けた。
熊はというと、ブルーノに向かって、いきなり駆け出す。
「ああ、もう! 本当に面倒です!」
四人の中で一番早く反応したアリアは、熊の後を追いかける。
「うぉぉぉぉおお!」
アリアは、またたく間に追いつき、熊の背中に斬りかかった。
結果、ブンという風切り音を出していた剣は、見事に当たる。
その瞬間、熊は雄叫びを上げる。
だが、動きはとまらず、急いで振り返ると、アリアに向かって、パンチを繰り出す。
「くっ!」
アリアは、再度、剣を振り下ろしている最中であったため、なんとか身だけをよじって回避しようとする。
しかし、完全には避けきれず、熊のパンチはアリアの左足に当たった。
と同時に、ゴロゴロと地面を転がっていってしまう。
「この! アリアになにしますの!」
「許せませんね、まったく!」
サラが熊の右目を、潜りこんだステラが熊の心臓を狙い、渾身の突きを繰り出す。
熊は、パンチをした後であったため、避けることができず、もろに攻撃を受ける。
さすがに、熊でも、相当聞いたのか、大きくよろけてしまう。
サラとステラは、そのまま、叫び声を上げ、力を入れて熊を倒そうとする。
捨て身の攻撃を受けた熊は、野太い声を上げ、必死の抵抗をしていた。
「……死にますわよ」
そんな中、エレノアはそう言うと、サラとステラをまとめて蹴り飛ばす。
「ちょっと! なにしますの!?」
「あと少しで倒せるところでしたよ!?」
蹴り飛ばされたサラとステラは、非難の声を上げる。
だが、エレノアは気にせず、熊に向かって走り始めていた。
かなり弱った熊はというと、アリアが吹き飛ばされるのを見たせいで腰を抜かしていたブルーノに襲いかかる。
ブルーノは、後ずさりをして逃げようとしていた。
しかし、間に合わず、足を踏まれてしまう。
そのまま、熊は口を開け、ブルーノの頭にかみつこうとする。
「本当に足が痛いんですけど! 絶対、これ、折れていますよ!」
復帰していたアリアは、ステラがつけた背中の傷に向かって、剣を突き立てた。
その後ろから、エレノアが跳び上がり、アリアが剣を突き立てている場所に、同じく剣を突き刺す。
結果、それが決定打となり、熊は野太い声を上げた後、倒れてしまった。
「……やっと、終わりましたか。本当に死ぬかと思いました」
熊に突き刺さったままの剣から手を放したアリアは、地面に座りこむ。
その横では、地面にエレノアが大の字になっていた。
「あいたたた……アリア、足、大丈夫ですの?」
左腕を痛めたらしいサラは、右手で押さえたまま、アリアに近づく。
「とりあえず、死人が出なくて良かったです。あれだけ状況が悪い中で、熊を倒せたのは奇跡ですね」
ステラは、アリアに近づくと、軍靴を脱がせ、左足の状態を見る。
「ああ~、もう動けませんの。ここで、寝ろって言われたらすぐに寝れますわ」
アリアの近くにいたエレノアは、大の字のまま、動く気配がない。
「だったら、そこで寝ていて良いですよ。というか、永眠しても、私はいっこうに構いません」
ステラは、外気温よりも低い温度の言葉を投げかける。
「ステラは意外と元気がありますわね……」
エレノアは、ボソッとつぶやくと起き上がった。
「おい! いつまで、僕を放っておくつもりだ! さっさと助けてくれ!」
四人が現状の確認をしている中、ブルーノは大きな声を上げる。
(あ。そういえば、熊の下敷きになっていたな)
アリアは、顔をしかめながら、そんなことを思っていた。




