105 不運なるエドワード
「はぁ……まったく、今日は散々な日だ。エレノアの小隊に敗れて、捕縛された上、崖から落ちるとはな。まぁ、大きなケガがなかっただけ、マシか……」
エドワードは、松明を持ったアリアたちを見ながら、そう言った。
その声を聞いた学級委員長三人組は、すぐに元気づけるような言葉をかける。
「いや、エドワード、済まないね! 僕がもっと注意してれば、良かったよ! 見た感じ、大きなケガはなさそうだけど、大丈夫? なんだったら、ここからは僕が背負っていこうか?」
ミハイルは、心配しているのか、立ち上がったエドワードを見ていた。
「いえ、大丈夫です。元はと言えば、私が油断したせいですから。体も動きますし、捜索には支障ありません。こうしている間にも、遭難した入校生が救出を待っている可能性があるので、急ぎましょう」
エドワードは、体が動くかを確認した後、ミハイルのほうを向く。
「まぁ、エドワードが大丈夫なら、それで良いよ! でも、崖上に登って行くのはやめようか! 入校生を探していて、死傷者が出るとか、シャレにならないからね! それに、崖上にいそうな気配が感じられないってのもあるな! ステラも、そう思うでしょう?」
ミハイルはそう言うと、ステラに問いかける。
「そうですね。足跡とかも一切ありませんでしたし、探すだけ無駄だと思います。それよりは、崖下のほうが地形も緩やかですし、遭難者のいる可能性が高いかと」
ステラは、冷静に状況を分析していた。
「やっぱり、山に慣れているステラもそう思った? それじゃ、方針は決まりだね! ここら辺に広がる森を捜索しつつ、戻ろうか! あくまで、危険な地帯の歩き方を学ぶのはついでだからね! 遭難者の捜索を優先したほうが良いハズ!」
ミハイルはそう言うと、真っ暗闇の森の中に歩いていく。
「エドワードも無事でしたし、さっさと帰りたいですわ……」
「帰ったら、とりあえず、温かい飲み物を飲みたいですの……」
ステラとエレノアは、ミハイルの後を追いながら、愚痴を吐いていた。
そんな中、アリアはエドワードに近づくと、懐からクッキーを取りだす。
「これでも食べて、元気を出してください。そのうち、良いこともありますよ」
「悪いな、気を遣わせて。これくらい、なんてことはない。ローマルク王国にいたときに比べたら、天国みたいなものだ」
エドワードは、クッキーを受けとると、モグモグとする。
その後、アリアたちは、遭難者の名前を叫びながら、戻っていった。
――2時間後。
「……これって、なんの動物の足跡なんですかね? 五本指で肉球があるみたいですけど」
アリアは、松明で前方を照らす。
そこには、アリアの言ったような足跡が続いていた。
「ああ、これは熊ですね。しかも、結構、新しいみたいです」
ステラは、しゃがみ、足跡を観察する。
「ええ!? 熊ですか!? 早く、ここから離れましょうよ!」
「そのほうが良いですわ! さぁ、早く離れますの!」
アリアとサラは、逃げ出すことを提案した。
学級委員長三人組も、その案に賛成のようである。
「団長は知らないが、僕たちが余裕で勝てる相手ではない気がするな、熊は。実際、見たことも戦ったこともないが、それくらいは想像がつく」
エドワードは、真面目な顔をしていた。
「多分、この人数がいれば勝てるでしょうけど、誰かしらは死にますよ。まぁ、団長が相手してくれるのであれば、余裕だと思いますけどね」
ステラは、今までの経験から、そう推測する。
「であれば、逃げたほうが良いですわね。無用な戦いは避けるべきですの。疲れるし、ケガをしたら良くないですわ」
エレノアは、いつもの騒がしい声ではなく、疲れた声を出していた。
どうやら、騒ぐだけの元気がないようである。
そのような会話をアリアたちがしていると、ミハイルが口を開く。
「僕も皆の意見には賛成なんだけどさ、もう遅いみたいだよ」
ミハイルはそう言うと、前方を注視していた。
アリアたちも、持っていた松明を地面に置き、すぐに剣を抜いて戦闘態勢を整える。
アリアたちの視線の先には、かなり大きな熊がいる。
熊のほうも、アリアたちに気づいているのか、今にも襲いかかってきそうであった。
「普通、この時期って、熊は冬眠しているハズなんですけどね。この中に、誰か、運の悪い人がいるのかもしれません」
ステラはそう言うと、エドワードのほうを向く。
強烈な獣の臭いが漂う中、アリアたちの視線も自然とエドワードに向いていた。
「……皆の言いたいことは分かる。だが、一言、言っておく。僕は、決して、運が悪いとは思っていない。逆に、今まで生き抜いてこられた強運を誇っているくらいだ」
エドワードは、皆に聞こえるよう、静かに声を出す。
熊を刺激しないためであった。
だが、あまり意味がなかったようである。
少し離れた場所にいる熊は、エドワードに向かって、一気に駆け出した。
「くっ! なぜ、僕のほうに来るんだ! もしかして、この中で、僕が一番弱いことを見抜いたとでもいうのか! そうだとしたら、なかなか、やるな!」
エドワードは、よく分からないことを言っている。
どうやら、混乱しているようであった。
「あ。エドワードさん、熊の一撃は、カレンの蹴りよりは弱いですけど、人間の体程度ならバラバラになるくらいの威力があるので気をつけてくださいね」
いつの間にか、エドワードから離れた位置にいたステラは、注意喚起をする。
「……そういうことは、先に言っておいてほしかったな。というか、これ、僕の最後の言葉になるんじゃないか?」
エドワードは、熊が迫ってくる迫力に負けて、ビビッてしまっているようであった。
(これは、エドワードさん、死んだかもな。本当なら助けにいくべきなんだろうけど、体が動くのを拒絶しているみたいだ。どう考えても、熊と戦うのは無理だから、当然か。団長、なんとかしてくれないかな?)
日和ってしまったアリアは、ミハイルのほうを向く。
ステラとエレノアも、アリアと同じ状態になってしまっているのか、ミハイルのほうに視線を向けていた。
そのような状況で、学級委員長三人組が必死の形相で熊に向かっていく。
どうやら、エドワードとの友情のほうが、恐怖に勝ったようであった。
「はぁ……君たちは、もう少し、学級委員長たちを見習ったほうが良いよ。まぁ、僕がいるから、そういう行動になっているのかもしれないけどさ」
女性陣の視線を受けたミハイルはそう言うと、次の瞬間には消える。
と同時に、エドワードに襲いかかろうとしていた熊の動きが止まった。
ミハイルが、熊の前足を両手でつかんで押さえこんでいるためである。
「あまり無益な殺生は良くないからね。人間は恐いってことを教えたら、逃がしたほうが良いかな」
熊がなんとかして拘束をとこうと暴れている中、ミハイルはボソッとつぶやく。
その後、熊の胴体に軽く蹴りを入れる。
蹴りを入れられた熊はというと、ドゴンという重い音がした後、野太い声を上げていた。
どうやら、見た目に反して、相当な威力があったようである。
「まぁ、これで人間を見かけても、近づくどころか逃げ出すだろうね。内臓も潰れていないだろうし、生きていくには問題ないハズ」
ミハイルはそう言うと、熊の前足を放す。
結果、自由になった熊は、急いでミハイルから離れていった。
「よし! 熊もなんとかしたし、捜索に戻ろうか! それにしても、君たち! エドワードを守るため、熊に向かっていくなんて、なかなか、勇気があるね!」
ミハイルは歩きながら、学級委員長三人組を褒める。
団長直々に褒められた学級委員長三人組は、凄く嬉しそうな顔をして歩いていた。
そんな様子を、動けないあるいは動かなかったアリアたちと汗だくのエドワードは、複雑そうな顔で見ていた。
――ミハイルが熊を追い返してから、1時間後。
大きく遠回りをしたアリアたちは、やっと、近衛騎士団の天幕がある場所へ戻ってきていた。
「団長! 遅かったですね! 一応、大丈夫だとは思いましたが、捜索隊を出そうか話しあっていたところでした! なので、二度手間にならず、良かったです!」
アリアたちが戻ってきたことに気づいた副団長が、ミハイルに近づく。
「ちょっと、遠回りしてきたからね! それで、皆が戻ってきているということは、見つかったの?」
「ハイ! 第2中隊の捜索範囲にいたので、無事、保護するに至りました! どうやら、森の中で迷ってしまったようです!」
「まぁ、どうせそんなことだろうと思ったよ! さて、遭難した入校生も見つかったことだし、僕は自分の天幕に戻るね! 副団長! 明日の訓練開始時間は変えないから、伝達しておいて! ルーンブル山脈で、訓練することなんて、あまりないからね! それじゃ、後のことはよろしく!」
ミハイルはそう言うと、ふわぁとあくびをし、自分の天幕に向かって歩き始める。
そんな中、副団長が大きな声を上げた。
「待ってください、団長! まだ、報告することがあります!」
「え、なに? 捜索中に問題でも起きた?」
ミハイルは歩みをとめ、副団長のほうに振り返った。
「捜索自体は、無事に終了したのですが、ただ……」
「ただ?」
「ただ、見つかった入校生三人を、フェイがボコボコにしてしまいまして……」
副団長は、凄く言いづらそうな顔をしている。
「え? なんで、そんなことになるの? もしかして、『見つけるのが遅い! 貴族たる僕を見つけるのは、平民の役目だろ! なにをやっているんだ!』的なことを、見つかった入校生がいら立ちのあまり、近衛騎士に言っちゃった?」
ミハイルは、やけに具体的な例を挙げた。
「……まさに、団長のおっしゃる通りです。それを聞いたフェイがキレて、入校生を半殺しにしまして。今は動けない状態のようです」
「自業自得でしょう! 聞いている限り、フェイがやりすぎただけで、それ以外は問題はないと思うけど? 入校生たちも、軍なんだから、鉄拳制裁ぐらいあるのは分かっていると思うし!」
ミハイルは、なにが問題なのか分かっていないようである。
「もちろん、重要な点はそこではありません。問題は、ボコボコにされた入校生の親のほうです。このことを知ったら、文官であるフェイの親御さんに嫌がらせをするのは目に見えています。ブルーノの実家であるイエロット家などは、確実に嫌がらせをするでしょう」
「はぁ……そういうことね。分かったよ。僕のほうから宰相のラルフに言っておけば良いでしょう? そうすれば、馬鹿なことはやめると思うしね」
ミハイルは、凄く面倒そうな顔をしていた。
「申し訳ありませんが、お願いします。あとは、大丈夫です。細々とした指示は私のほうからしておきますので」
「それじゃ、頼んだよ! あ! あと、フェイには謝りに来ないで良いって言っておいてね! やりすぎってだけで、行動自体に問題はないからさ! 入校生たちにとっても、良い教訓になっただろうね! 軍でやっていくっていうのが、どういうことか、身に染みて分かったハズだよ! それを早めに知れて良かったんじゃない? 配属された後、あんな態度をとっていたら、後ろから矢を射られるからね!」
ミハイルはそう言い終わると、自分の天幕に向かって歩いていってしまう。
「はぁ……森の中で迷子になるわ、暴言を吐くわ、今年の入校生はどうなっているんだ……」
副団長はボソッとつぶやいた後、アリアたちのほうを向く。
「お前たち! 分かっているとは思うが、下士官以下の近衛騎士たちになめたことは言うなよ! 戦いにおいて、貴族とか平民とか関係ないからな! そんな概念を持ち出した時点で、士官としてはやっていけないと思え! 特に近衛騎士団の連中は、そういう馬鹿には従わないからな! 注意して行動をしろ! 分かったか?」
「ハイ!」
アリアたちは、大きな声で返事をする。
その後、解散をしたアリアたちは、自分の天幕に戻っていった。




