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橋本薫は愛犬家である。
それと同時にマニアックなゲームも嗜んでいた。
その両方を同時に楽しめると思って始めたディアアニマルオンラインであるが、何故か自分のアバターが愛犬のものになっていたのである。
「どうしてこうなった?」
あたりを見回してみても、特にプレイヤーが騒いでいる様子もない。
となるとこの現象は自分達だけに起こったものだろう。
だとすれば機器側の問題だろうか。
「へっへっ」
「のわっ!?」
背後から何者かに擦りつかれ、反射的に大きく飛び退く。
振り向くと見覚えのある女の子がだらしない顔をしてこちらを見ていた。
「お、俺のアバター? ってことは……お前、次郎丸か?」
「わん!」
「そ、そうか……やっぱり入れ替わってるんだな」
人型のアバターが犬みたいな鳴き声で応じるシュールな光景を眺めながら、俺は思わず頭を抱える。
やっぱりバグかなんかで体が入れ替わったらしい。
となると、解決方法はいたって単純。
「一旦ログアウトして、再度ログインしてみるか」
だいたいの異常はこれで治るはずである。
……が、リログしてみても外見はそのままだった。
念のため機材も確認して再設定してみるも、どうしても姿が入れ替わったままである。
仕方なく運営にバク報告をしてみるも、サービス開始当日で忙しいのか音沙汰なし。
「次郎丸……いや、今は“しぃ”か? ややこしいな……」
「わん?」
柴犬にじゃれつく女の子、周りから見ればそんな風に見えるだろう。
自分のアバターはそれなりに自分好みに仕立てている。それが遠慮もなく擦りついてくるのだから反応に困ること。
問題は中身が愛犬の次郎丸(♂)ということである。
脳がバグる……というか、もうすでにバグってるのかもしれない。
「あー、クソ、いったいどうなってんだ」
空を仰いで呆然としていると、メールの着信音が鳴る。
どうやら漸く運営からの返信が届いたらしい。
「お、どれどれ? この度はディアアニマルオンラインを遊んでいただきありがとうございます。
報告していただいたバグの件につきまして、当社保守係が確認したところ、特に異常は見られませんでした。
今後ともディアアニマルオンラインをお楽しみください……って、なんじゃこりゃあ!?」
特に異常はないって……異常も異常だと思うのだが。
表示だけがおかしいならともかく、ステータスも完全に入れ替わってるのである。こんな状態で遊んでたらチーターだと疑われてもおかしくない。
それ以前にまともに冒険できるのだろうか?
「なあ、次郎丸。おまえヒールとか使えるか?」
「わふ?」
自分のアバターはサポーターとして組んである。
使えるのも白魔法……いわゆる回復魔法や防御魔法などが中心となっていた。
しかし俺の問いかけにも愛犬の魂を宿した女の子はアホみたいな笑顔を浮かべているのみ。
柴犬の姿なら許されるが、人の顔でこれをやられるとなかなかに煽り性能が高い。
「次郎丸、お手!」
「わふ!」
「おかわり!」
「わふっふ!」
「ちんち……はさすがにやめとこう。伏せ!」
「わぅ」
俺の指示を受けて、次郎丸は拙い芸を披露してみせる。
こちらを主人として認識してるのは間違いないが、なんというか、色々間違ってる気がしないでもない。
「じゃあ、ヒール!」
「…………?」
こいつ何言ってんだ? といった表情で首をかしげる我が家の愛犬。それを見てるとなんかだんだん腹立ってきた。
「次郎丸、お前さぁ……」
「わっ、わぅ……」
肉球の付いた手で次郎丸のほっぺたをぷにぷにしてやる。
嫌そうな反応が返ってくるが、力尽くで抵抗はしない。
「一応セーフティも機能してるのかな? しかしどうするかなぁ……こいつが役に立たないとなると、戦力的に厳しいかもしれないぞ。
仮にパーティを募ったとして、この状況をどう説明したらいいのか……」
冒険しようにも次郎丸が魔法を使えないと戦力が激減してしまう。
その穴埋めに下手な相手とパーティを組んでしまえば、余計面倒なことになりそうだった。好奇の目にさらされるならましな方かもしれない。
「ま、なるようにしかならないか。
近場のフィールドで遊んでみて、駄目だったらその時考えよう」
秘儀先延ばしの術。面倒なことは未来の自分に丸投げしてしまおう。
そうと決まれば話は早い。
「えっと、初心者向けだと西のアルマーニ草原がおススメってなってるな。
よし、行ってみるか」
「わん!」
お散歩にでも行くと思ったのか、次郎丸が楽しげに吠える。
そんな愛犬を撫で回す俺は、この先に起こる困難など知る由もなかった。