第001話 無
俺の名前は、月河智。
三十三歳の会社員で、彼女は居ない。
正確には、ついさっきまでそうだったが正しい。
俺は、仕事帰りに近所の神社に参拝へ向かった。
百段程ある急勾配の石段を登っている時の事だ。
高いヒールを履いた女の子が、石段を降り始めたのが見えた。
石段を降りるのに、高いヒールじゃ危ないなぁと俺は思いながら石段を登っていた。
「きゃあ!!」
前方から悲鳴が聞こえた。
案の定、高いヒールのせいで足を挫いて石段を踏み外したようで、女の子の身体が宙に舞った。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
こちらに向かって落ちてきていた。
俺は漢気を出してしまい、女の子を受け止めようとしてしまった。
ドンッ!!
俺に女の子が思い切りぶつかって、足が石段から離れた。
終わった。
俺は、宙に飛ばされながらそう思った。
避ければよかった。
正直そう思った。
後悔してももう遅かった。
ガチンッ!!
俺の後頭部が物凄い音を立てて、神社の入り口の石畳に叩きつけられた。
この時点ではまだ俺は少し意識があった。
虫の息ってやつだ。
頭からは血がドクドクと流れ出ていくのがわかった。
そんな俺にトドメを刺すかのように、女の子が俺の上に勢いよくぶつかってきた。
ドガンッ!!ゴンッ!!ガンッ!!
ここまでで、俺の記憶は終わっている。
――――
そして、今は…。
どこか分からないが、とても明るい場所だ。
周りを見渡しても誰も居なさそうだ。
「ゴメンゴメン!!待たせちゃったね?」
いきなり、目の前に白い衣を身に纏った男性が現れた。
「貴方は?」
「私は、転生の神と言ったところだろうか。」
転生などは創作話とばかり俺は考えていたが、実際にもあるみたいだ。
「これから俺はどうなるんです?」
「ああ、キミは神前で善行したから、特別にこの場所へと送られてきたんだ。今から、私と一緒にある世界に行くけれど大丈夫か?」
これは完全に異世界転生ってやつだろうか?
なかなか面白くなってきた。
「じゃあ、私の手に捕まって?」
「はい。」
「言っておくが、手を離すとおしまいだからな?」
全くこの転生の神様は怖い事を言う。
言われるがまま手をしっかりと握った。
SF映画のようなワープを想像していたが拍子抜けもいいところだった。
「着いたぞ?もう手を離してくれていいぞ?」
フッと別の明るい場所へ移動して終わった。
「ちょっと待っててくれ?」
転生の神様はタブレット端末のようなものをいつの間にか手に持っていた。
「うーん…おかしいなぁ。キミが転生するはずの勇者の子…予約してたはずなんだが…。」
この世界で勇者の子に転生する事になったのか。
だが転生の神様は焦った様子でタブレット端末を操作し続けている。
「おかしいぞ…。どこのバカだ…!!間違えて罪人を転生させたのは!!」
「え?どういうことですか?」
「私が、キミの魂を迎えに行っている間に、この世界のバカな転生代行者が、キミが転生するはずの勇者の子へ間違えてキミの次の順番の極悪人を転生させたらしい。」
余程この世界の転生代行者はヤバいようだ。
神様の予約が入っているのに、無視して罪人を間違えて転生させたとは笑えない。
「俺は、どうなります?」
「困った…。転生の準備段階に入った魂は、僅かな時間しか存在出来ないのだ…。うーん、このままではキミが消滅してしまう…。」
普通に考えて予約済みなら何事もほぼ確定だ。
目の前では、転生の神様が先程とは別のタブレット端末のようなものを取り出し、何やらし始めていた。
「ああ、この手があったか!!」
急に大きな声を出した転生の神様は晴れやかな表情をしていた。
「俺、転生出来るんですか?」
「一時的に、この世界の無に転生しておいて貰おう。その間に、別の世界の優良物件探すからさ?」
無と聞いてもパッとしない。
「今、手続きするからちょっとだけ待って?」
鼻歌をうたいながら転生の神様はタブレットを操作している。
「よし!!手続き完了!!因みに無はこれなんだがな?とりあえず仮で貸すだけだから良いだろう?」
いつの間にか俺の目の前に、裸の人が現れた。
ため息が出るくらいの美人だ。
生前の俺と比べたら、天地がひっくり返っても敵わないだろう。
「あれ…?性別は…?」
「無の存在だからな?性別などない。」
性別が無いことは分かった。
何故だか、胸はかなり大きく膨らんでいた。
骨盤も出ていて尻が大きめだ。
背は百六十センチくらいだろうか。
髪は色が無く肩甲骨くらいまで長い。
肌の色も青白い。
人の身体は女性が素体だからその関係だろうか。
「どうやって、転生するんです?」
「ああ、そうだったな?頭に手を置くのだ。」
言われた通り、俺は無の頭に手を置いた。
目の前が貧血の時のように一瞬真っ暗になった。
「ん…。おおっ?!すげえ!!でも…何だ?」
思わず俺は無の身体で大きな胸を揉んでしまった。
感触には違和感だけが残った。
声も中性的な感じで、これが無かと思った。
「いきなり無の身体に何をしとるかっ!!まぁ、とりあえず無に転生完了だな?」
「この身体、何なんですか?触り心地が違和感しかないですよ?」
尻も揉んでみたが、こちらも違和感があり思わず転生の神様に聞いてしまった。
「まぁ、そうだろう。無だからな?どっちつかずで硬くも柔らかくもない感じだろう?」
「そんな感じですね。」
「では、私は今からキミの転生先を探し始めるからな?その辺りに居れば良いから、何もするんじゃないぞ?」
何もするなと言われると、してしまいたくなる。
人のサガだろう。
何かできないかと、俺は『ステータス』と念じた。
ロールプレイングゲーム好きならまず、ステータスを見て能力や次のレベルなどを探るだろう。
ビッ!
俺の頭の中で昔のパソコンのビープ音が聞こえた。
次の瞬間、目の前に昔のパソコンのターミナル画面のようなものが一行ずつ表示された。
【ステータス】
・名前:無
・種族:神
ちょっと待て!!
そう念じると表示が止まった。
種族が神ってどう言うことだ?
無は神様ってことなのか?
何故、中身が居ない?
色々考えてしまった。
最終的にステータスを見る事にした。
再開!!
・職業:無
・称号:無
・魔法:無属性/すべて
・技能:『無』、『無可視化』
・耐性:無効/すべて
・LV:1
ビッ!
またビープ音が鳴った。
全て表示が終わったようだ。
それにしても、この無って最強だろう。
しかも技能の『無』って何だ?
ふと身体を見ると俺は見えなくなってしまった。
まさか念じた事で技能の『無』が使われたのか?
「よしよし、優良物件が見つかったぞ?」
転生の神様はタブレットに夢中でまだ気づかない。
「それじゃあ…?えっ…!?居ない!?」
やっと俺が居ない事に気付いたようだ。
少しの間、転生の神様をこのまま見守る事にした。
「まぁ良い。転生の手続きをしてしまおう。」
そう言いながらタブレットを操作し始めたのだが、表情がどんどんと焦りの表情へと変わっていった。
「まずい!!無に転生しているのを忘れていた!!全ての操作が無効だった…。」
ふと俺は転生の神様を驚かせようと考えた。
見えなくなった手で転生の神様の肩を叩いた。
「おーい!!どこに行ったんだー!!」
確かに俺は叩いたはずだった。
だが転生の神様は気づくそぶりを見せない。
と言うか俺は叩いた感触がしなかった。
ならばと思った俺は、転生の神様の肩口へと肩を思い切りぶつけにいった。
え?
転生の神様の身体を俺はすり抜けたのだ。
人の身体なら神様は不可視だからまだ考えられた。
だけど今の俺の身体は同じ神様の身体なのだ。
俺は考えた。
折角転生した無の力でこの世界を平和にしようと。
バカが多いようだから、その粛清も兼ねて。