なぜ他人に勧められた作品を素直に楽しめないのか
何を面白いと思い
何をつまらないと感じるか
それは性格によるところもあるだろうけれど
それ以上に、その日の体調が影響する
ハイなときに聞くと気持ちをニュートラルしてしまうバラードも
ローなときに聞けば深く染みるように感じることができる
その反動で、もう一度頑張ろうと思うことができる
身体的精神的に調子が良ければ、作品をより深く理解できる
表面をなぞるだけでなく作者の心理さえ垣間見えるときがある
伏線を正しく理解し、その複雑さ精緻さを肌に感じることが出来る
世間で駄作と評されるそれを堪能さえできる私自身に、才能の片鱗すら錯覚できる
楽しそうだと期待が高まるほどに、だからこそ最高の常態で出会いたい
他人からお薦められた作品を、なかなか消化できないのはそのためだ
本能的にわかっている
今がその時ではないと
他人に物事を紹介するのは、私が楽しいのだからお前も楽しいのだという共感の強制
まだ観ていない見ていない、行っていない、読んでいないそれならばしかたない
だが「言うほど面白くなかった」という言葉は許さない
許さないというか、どうしてそんなこと言うのとなる
いやお前がどうって聞いたじゃん……
だけどそうじゃない
私はただ、共に熱中できる仲間を増やしたかっただけ
あなたならばと信じていたのになどと、なんと身勝手なことか
つまり何が言いたいのか
あなたの書いたその小説が評価されないのは、きっと読者の体調が悪いからに違いない
友人が教えてくれた神作をなかなか履修できないのは、あなたの罪だが悪ではない
むしろその十字架の大きさは、あなたの誠実さの証明だ
【あとがき】
誠実さにこだわりのない人ならば、他人に勧められたものごとを素直に試すのも悪くない
楽しめなくてもいいさ
それぐらいの気楽さで試してみる
生きる時間は有限で、その何倍もの作品が、この世の中にはあるのだから