第97話 ぶっちゃけありえない
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「そんなことを殿様(織田信忠のこと)に申し上げたのか?お前にしては珍しくありえないことをするではないか。兄者も上様(織田信長のこと)に大言壮語を直に申し上げていたが、お前もそんなところまで兄者に似なくても良かったのに」
羽柴の陣に戻った重秀から、北摂津平定の任務を聞かされた小一郎が溜息混じりにそう言うと、重秀は頭を下げながらも自分の考えを言った。
「申し訳ございません、叔父上。しかしながら、羽柴も堀様も共に兵は少のうございまする。なるべく兵を失いとうなくございますれば・・・」
「分かっておる。儂等には三田城攻めも控えておる。ここで無駄な血を流しとうないのは儂も同じよ。それに、ただでさえ摂津の織田勢は数が少ない。殿様もそれを危惧したからこそ、調略を許したのであろう」
そう言うと、小一郎は顔を重秀から竹中重治に向けた。
「半兵衛殿。北摂津、特に能勢一族を調略で下せましょうか?」
「可能だと思いますよ」
小一郎の質問に、重治は特に気負うことなく答えた。
「殿(秀吉のこと)と一緒になって摂津の国衆に調略を仕掛けた際に知ったのですが、すでにこちら側についている山下城の塩川は、長年領地をめぐって能勢とは争っていましたからな。塩川の力を借りれば、能勢もこちらに降るでしょう」
「ああ、なるほど。塩川と能勢の争いを利用するわけですか」
重秀は菅浦と大浦の境界線争いを思い出しながらそう言うと、重治は頷いた。すると、側にいた山内一豊が口を出してくる。
「では、塩川に能勢の領地を切り取り次第にする、と命じれば、我等が兵を出さなくても能勢を抑え込めるではないのか?」
「お待ちくだされ!そのようなことをすれば、能勢は最後の一兵になるまで戦いをやめませぬぞ!そのようなことになれば、北摂津は不安定となり、かえって我等の足を引っ張ることになりましょう!」
一豊の提案に対して、同席していた黒田孝隆が大声を上げて反対した。孝隆が続けて意見を述べる。
「国衆にとって領地は生命より大事なもの。それを奪われるようになれば、負けると分かっていても戦いに臨みましょう。また、能勢が必死な抵抗をすることは、長年争っていた塩川も理解しておりましょう。ここで塩川をけしかけ、我等が動かなければ塩川は捨て駒にされたとして我等を恨むものと考えます。そうなれば、織田を恨まんばかりに毛利へ寝返るやもしれませぬ」
孝隆の意見を聞いた重秀が、頷きながら話を続ける。
「黒田殿の言うことはもっともだ。それに、殿様より塩川へは所領安堵の朱印状を後日与えることしか聞いていない。切り取り次第の言質を取っていないのに、私の判断で塩川に約束することはできない」
そう言うと重秀は、一豊に「今回は伊右衛門の提案は却下する。良いな?」と聞いた。一豊は黙って頭を下げた。
「それで藤十郎よ。お主は何か調略とか何か考えているのか?」
小一郎がそう聞くと、重秀はすでに考えていた案を話し始める。
「とりあえず山下城へ行き、塩川の軍勢と合流致します。兵の数は多くはいりませぬが、旗指し物はなるべく全ての兵につけさせます。そして、塩川の兵も連れて丸山城へと向かいます。その後、中川様(中川清秀のこと)を丸山城へ送り込み、説得してもらおうかと思います」
「なるほど、塩川と中川殿が我が陣営にいることを明らかにして、交渉を有利にしようというわけか」
小一郎が納得したように言うと、重秀はさらに話を続けた。
「それもありますが、織田は降った国衆を無下に殺さない、という説得をできるのは中川殿しかおらぬと考えました。それに・・・」
重秀が少し躊躇いの表情をしたので、小一郎が「それに?」と聞いた。重秀が躊躇いながら言う。
「・・・寝返った武将を先陣に送り込むのが通例なのでしょ?」
重秀の発言に周りの者達は複雑そうな顔を浮かべた。確かに重秀の言う事は間違っていないのだが、今回は使者として清秀一人を送り込もうと重秀は言っているのだ。ある意味中川勢を最前線に送り込むより過酷な対応と言えるだろう。
「・・・まあ、上様より一目置かれるほどの勇者の中川殿だ。単身で城に乗り込んで交渉することぐらい大したこととは思わぬだろう」
小一郎がそう言うと、今度は一豊が首を傾げながら言う。
「しかし、中川瀬兵衛と言えば、どちらかと言うと戦場で功を挙げられるお方。交渉事を得意とされるのであろうか?」
「それならば、義弟の古田左介殿を一緒に送ればよろしいでしょう。彼の者は交渉事が上手い方故、上様によく使番を命じられたお方でございます」
重治がそう言うと、小一郎は頷き、重秀に言う。
「ああ、古田殿なら兄者が一目置くほどの使番だ。彼を中川殿と一緒に送り込めば、きっと能勢を口説いてくれよう。ちょうど、中川殿の目付として共に行動しているし」
小一郎がそう言うと、皆が頷いた。そして小一郎が「さて、そんなところかな?」と言うと、重秀が不安そうな顔をしながら言う。
「・・・実は、若輩者である私の命を堀様や中川様が聞くのか?という疑問があるのですが・・・」
「ああ、それは儂等で何とかしよう」
小一郎が即答し、重治の方に視線を送った。重治が咳き込みつつも微笑みながら重秀に言う。
「若君、この件についてはどうぞ我等にお任せあれ」
次の日、池田城では出陣する池田、森、万見、羽柴、中川、堀の諸将が集まって、総大将たる信忠に拝謁していた。信忠が諸将に激励の言葉をかける一方、清秀と堀秀政にはこう訓示した。
「そなたらの総大将は羽柴藤十郎だ。若いが儂の義弟に当たる故、総大将に任じた。二人共、藤十郎の指示に従い、大いに功を立ててくるが良い」
それを聞いた清秀は黙って頭を下げる一方、秀政は「お任せくだされ。この久太郎、藤十郎殿の命は殿の命と心得ておりますれば、決して逆らうようなことは致しませぬ」と言って頭を下げた。
実は、小一郎と重治は事前に秀政に根回ししており、清秀の前で重秀を立てるように頼んでいたのだった。秀政も仲が良い羽柴家の頼みであり、個人的にも目をかけている重秀のことでもあり、さらに寝返ったばかりの清秀を抑え込み、織田家へのリスクを減らすという観点から、小一郎達の頼みを聞いたのであった。
ただ、小一郎達が想定していたのは、羽柴と中川、堀の諸将が集まって軍議を開く時であった。まさか信忠が先にそういう訓示をするとは思ってもいなかった。秀政も同じ様に思っていたが、臨機応変に対応し、信忠の前で小一郎達との約束を果たしたのであった。
「多分だけど、殿様も藤十が中川を抑えられないと危惧していたのかもしれない。だから諸将の前であんなこと言ったんじゃないかな?ま、お陰でこちらもやりやすかったけどね」
秀政は後で小一郎にそう言っていた。
なにはともあれ、原田城(そして塚口城)攻略部隊の池田・森・万見勢(以下池田別働隊とする)と北摂津攻略部隊の羽柴・中川・堀勢(以下羽柴別働隊とする)は、信忠直轄部隊の一部を臨時に組み込み、兵を増強させた状態で一旦池田城北の木部砦へと向かった。木部砦は池田城の北側にある兵站基地であり、池田城の北を守る砦でもあった。羽柴別働隊は兵糧を受け取った後、そのまま北上するが、池田別働隊は夜まで待機し、夜になったら池田城の脇をすり抜けて一気に南下、未明に原田城を奇襲することになっている。これは、敵の目を欺くための偽装であった。
「おい、大松。じゃないかった、藤十郎」
兵糧の確認を石田正澄と共に行なっていた重秀に声をかける者がいた。振り向くと、そこには万見重元が立っていた。
「ああ、これは万見様。如何がなさいましたか?」
「勝蔵(森長可のこと)から逃げてきた。匿って」
「ええ・・・」
心底嫌そうな顔をする重秀に、重元は必死に言う。
「だって、あいつうるせぇんだよ!人の顔見りゃ『兜首さっさと取ってこい。未だに取れてないじゃないか』って。あいつは俺の母親かっ!」
「あ、でしたらここで匿うことはできませんよ。森様、多分私にも言いに来ますから、絶対にここに来ますよ」
重秀の言葉に重元が「うげぇ〜」という声を出した。直後、重元が何かを思い出したかのような口調で話を続けた。
「・・・そうか、お前は羽柴家の唯一の嫡男だからな。筑前殿も最前線には出さないか」
「私としては最前線にて戦ってみとう存じまするが・・・」
「まあ、武士として生まれた以上、そう思うよな。俺は上様が最前線に出したがらなかったからなぁ」
「万見様は上様の下で政を担われているお方。上様から見れば貴重なお方故、戦場で失いとうないのでしょう」
現代にまで残された当時の資料によれば、重元が奉行衆の一員として織田領内の内政に関する朱印状や、京における公家や堺の商人との交渉で作られた書状、他の大名家との外交文書に数多く署名や副書、連署を行なっていたことが分かっている。その一方で、彼が戦場で活躍したという資料は残っていない。彼は主に後方支援を担っていたのだろうと推測される。
「とはいえ、今回は最前線での指揮だ。俺が算盤勘定しかできない武士ではないというところを見せてやるぜ」
「・・・あまり無理をなさらないようにしてくださいよ」
「それは聞けぬ相談だ。知っているか?片岡城攻めでは惟任様(明智光秀のこと)の与力の山中鹿介という者が一番乗りを果たし、しかも信貴山城では松永麾下の武将、河合将監を一騎打ちで討ち取っているんだ。負けてられないな」
「山中鹿介?初めて聞く名ですね」
「元尼子家中の者で、尼子が毛利に降伏した後は尼子の残党を率いて尼子復活のために上様の下にやってきた者だ。上様にお目通りした時に俺も会ったが、あの野郎、上様からいきなり『四十里鹿毛』を拝領しやがった」
「『四十里鹿毛』って、上様がお持ちの名馬ではございませぬか」
「そういうこと。お前もうかうかしていると、新しい奴らに殿様の寵愛を取られるぞ」
「寵愛はともかく、北摂津の平定は成功させたいですね」
「その意気だ。ま、お互い手柄を立てようぜ」
その後も重秀と重元の会話は続いた。元々岐阜城の小姓時代では先輩後輩の関係であったし、その頃に囲碁将棋で遊んだ仲だ。しかも、重元の父親は元々神子田家の出で、秀吉の馬廻衆の一人である神子田正治とは親戚関係になる。この事も、重元が大松によく目をかけていた理由でもあった。
二人が思い出話をしていると、遠くから大きな声が聞こえてきた。
「おい!猿若子!仙千代見なかったか!?・・・って、ここにいたのかっ、仙千代!」
声のする方に視線を送ると、そこには槍を持った長可が立っていた。すでに父秀吉の身長を15cm以上超えている重秀からは、父と同じ身長の長可を見下ろす感じで見ているのだが、その様な小ささを感じさせないのが長可であった。
「げっ!見つかった!」
思わず声を出した重元が逃げ出そうとするが、長可が素早く重元の前に立ちふさがった。
「待てっ!猿若子と一緒に戦場での兜首のとり方を教えてやるっ!」
こうして重秀と重元は、長可から敵将の首の取り方について、長々とレクチャーを受ける羽目になったのだった。
丸山城の攻略はあっという間に終わった。山下城にて塩川勢と合流した羽柴別働隊であったが、その後は能勢街道沿いの能勢家の支城を次々と攻め落としていった。もっとも、能勢家は戦力を丸山城(能勢城とも言う)に集中させていたため、ほぼ無人の城を無傷で手に入れていた。そして丸山城下まで押し寄せると、重秀は清秀と左介を城内に送り込んだ。
一刻を越える時間をかけて説得した結果、能勢頼道は降伏。弟の頼次を人質として信忠の下へ送ることとなった。
摂津源氏を祖とする能勢氏は、鎌倉時代から摂津の有力な国衆として、足利幕府や管領細川家の被官として活躍していた。なので足利幕府への忠誠心が高く、摂津では反信長的立場を貫いていた。しかし、それ以上に荒木村重には反抗的であった。名門である能勢家にとって、ポッと出の村重は信長以上に嫌悪感を抱かせる存在であったのだ。従って、能勢は織田に降ったと言うよりは、村重から離脱してきたと言った方が正解である。
また、塩川がすでに織田側についたことも能勢が降伏した理由の一つであった。長年争っている塩川が織田の援軍を受けて本格的に攻めてくることを防ぐ必要があったのだ。
なにはともあれ、能勢家とその支配地である摂津国能勢郡を降した羽柴別働隊は、頼次を連れて九月に入る直前に池田城へ帰還した。
帰還した重秀は、小一郎と秀政と清秀、そして人質の頼次を連れて信忠のいる本丸へとやってきた。能面のような表情をしている信忠に違和感を感じつつ、重秀が北摂津の平定を報告すると、信忠は感情を表に出さないまま重秀に声をかけた。
「藤十郎、大義。能勢からの人質はこちらで当分預かった上、折を見て安土へ移す。新五(斎藤利治のこと)、能勢殿を丁重にもてなすように」
信忠の命を受けた利治が頼次を連れて行った後、重秀達も自分達の陣へ帰ろうと腰を浮かせた時だった。信忠が重秀を呼び止める。
「藤十郎は残るように。大事な話がある」
そう言われた重秀は再び座り直し、小一郎と秀政と清秀はそのまま帰っていった。一人残された重秀の前で、能面のような表情だった信忠の顔に焦りと困惑、そして悲しみの表情が現れた。
「・・・仙千代が討ち死にした」
「はあぁ!?」
信忠の予想外の言葉に思わず大声を上げる重秀。信忠は重秀を咎めることもなく重元戦死の経緯を話し始めた。
原田城を短時間で攻め落とした池田別働隊は、そのままの勢いで塚口城を攻めること無く、恒興の指示の下、のんびりと首実検をおこなっていた。原田城には大した武将が居らず、首実検も短時間で終わったのだが、荒木勢はこの貴重な時間を無駄にはしなかった。大物城から援軍を塚口城に向かわせる一方、有岡城からは牽制のために原田城に兵を差し向けようとしていた。
次の日、原田城に少数の兵を置いた池田別働隊は塚口城に対して攻撃を開始した。池田勢を主力とし、原田城攻略で兵を消耗した森勢と少数の万見勢は側面を守る陣形を敷いていたが、その後方から原田城へ向かっていた有岡城兵の集団が襲ってきた。
現場の判断だったのか、それとも村重の深慮遠謀だったのかは争いがあるものの、この奇襲攻撃は一時的であったが池田別働隊に混乱を与えた。歴戦の池田恒興は即座に対応し、予備兵力であった元助の軍勢を即座にぶつけた。一方、戦の経験があまりない万見勢は混乱したままであった。そんな中、立て直そうとした重元は混乱の中、敵兵の長刀(槍という説もある)で一突きされ、戦死してしまった。側にいた重元の兵達が首を取られまいと必死に反撃、敵も諦めて撤退したため重元の死体は五体満足で残ることとなり、塚口城陥落の後、物言わぬ身体となって信忠の元に戻ってきたのだった。
話を聞いた重秀は、あまりの衝撃に言葉を発することができなかった。十数日前に親しく思い出話をしていた重元がいなくなったことに、頭と感情が追いついていなかったのであった。
しかし、信忠の「おい、藤十郎」という声で我に返った重秀は、「は、はいっ」と返事をした。信忠が話を続ける。
「・・・で、この事を父上にお報せいたしたところ、先程父上より早馬が来た。・・・明日にも筑前を始め、近江衆を連れてこちらに向かってくると・・・」
「ええっ!加賀に行くのではなかったのですか!?」
重秀が驚きの声を上げると、信忠が頭を抱えだした。
「使番が言うには、父上は大変激怒されているとのことだ・・・。どうしよう、父上の寵臣を死なせたとして、絶対に咎められる・・・!」
―――こう言ってはあれだけど、上様は万見様が亡くなられただけで七尾城を見捨てるおつもりなのか?ありえないだろ・・・―――
信忠の嘆きを聞きながら、重秀は心の中でそう思うのであった。
天正五年(1577年)九月。信長が秀吉を始めとした近江の軍勢を率いて西へと向かったことは、安土城下に潜伏していた忍びからの報せで、七尾城攻めを指揮していた上杉謙信の耳に入った。
「信長はこっちに来ないのか・・・」
謙信はそう呟くと、目から闘志の炎が一瞬にして消えた。そして側にいた重臣の斎藤朝信に声をかける。
「七尾城の春王丸はすでに亡くなっているのだな?」
「はい、城内の遊佐美作守(遊佐続光のこと)からの報せでは、疫病で亡くなったとか」
「では信長を吊り出す餌としては賞味が無くなったな」
やる気のない声で謙信はそう呟くと、朝信にただ一言「七尾城に合図を送れ」と言った。その後、床几から立ち上がって本陣の奥へ引っ込んでしまった。その時、謙信は誰にも聞こえないような声で呟いた。
「せっかく上杉家当主の私がここまで来たのに・・・。織田家当主が戦に来ないなどありえんだろう・・・」
当時の織田家の当主は信長ではなく信忠なのだが、謙信から見れば織田家の当主は信長であった。
それから数日後。七尾城内では予てより上杉に内通していた続光を始め、温井景隆や三宅長盛といった親上杉派の重臣達がクーデターを起こし、親織田派であった長続連、綱連親子を始めとした長一族を尽く討ち果たした。これにより七尾城は陥落したのだった。