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第96話 また一難

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


ブックマーク3200件突破致しました。拙文をブックマーク頂きありがとうございました。


12月が忙しく、週一ペースでの投稿で大変申し訳ございません。年末年始は若干の余裕ができそうですので、特別な投稿ができないか検討中です。


 天正五年(1577年)八月。中川清秀が織田へ帰順した頃、陥落した信貴山城から筒井城に戻った信長の前に、一人のみすぼらしい僧の格好をした男が現れた。彼の名は長連龍。遠く能登国の七尾城から援軍を頼むために、単身信長の元にやってきたのだ。そして彼は信長に懇願する。


「申し上げます!七尾城が再び上杉勢の包囲を受けております!何卒、何卒援軍をお願い致しまする!」


 ―――こんな時に動くのかよ、不識庵(上杉謙信のこと)め―――


 内心で舌打ちしながらそう思った信長は、即座に七尾城救援のために軍を編成するはめになった。取り敢えず連龍を別室で休ませると、近習の長谷川秀一に諸将を集めさせると同時に、北ノ庄城にいる佐久間信盛に早馬を遣わし、北陸方面軍の動員令を出すよう命じた。


 秀一によって諸将が集められると、さっそく信長は軍議を開くこととなった。諸将達は信貴山城での勝利に浮かれていたが、謙信動くの報せを信長から聞いた瞬間、そんな浮かれは吹っ飛んでしまった。


「不味いですな、織田の軍勢のほとんどは摂津と大和に集中しております。今北陸で動かせるのは佐久間(信盛)様、戸次(広正)殿、前田(利家)殿、佐々(成政)殿、不破(光治)殿、金森(長近)殿、原(長頼)殿ぐらいですか」


 明智光秀がそう言うと、横から丹羽長秀が口を挟んだ。


「若狭には我が家臣や与力の軍勢が残っているから、それも送り込めるな。今回の信貴山城攻めには参加していないから無傷の軍勢ぞ」


 そう言ってから長秀は信長の方を向くと、平伏しながら提案する。


「恐れながらこの五郎左、さっそくここを引き払い、若狭へ向かい若狭衆をまとめ、右衛門尉殿(佐久間信盛のこと)への合力へ向かいとう存じまする」


「で、あるか。だが相手は不識庵。うぬだけでは足りぬ。伊予守(滝川一益のこと)、上総介(織田信包のこと)の軍勢も越前へ送ることとする。良いな?」


 信長の命に対して、長秀と信包は「承知!」と返事をしたが、一益は返事をする代わりに信長に質問をした。


「恐れながら上様。我等の使命は七尾城を取り囲む上杉の軍勢を殲滅し、七尾城を解放することでしょうや?」


 一益の質問に諸将が息を呑んだ。そんな中、信長が答える。


「伊予、それができるのであれば苦労はせぬ。未だ加賀北部の一向門徒は我等に逆らっておるからのう」


 忌々しげにそう答えた信長。口には出さないが、顔からは越前北ノ庄城にいる佐久間信盛への不満が現れていた。


 加賀平定に失敗した戸次右近(簗田広正のこと)に代わって、新たに加賀平定の任務を請け負ったのが佐久間信盛であった。ところが、佐久間信盛は越前の復興に力を注ぐ一方で、加賀への調略を全く行なっていなかった。

 もっとも、これには信盛の方にも言い分があった。信長は越前を信盛に任せる時に、『越前国掟』を作っている。信盛はこれを忠実に守っていた。実際、信盛の元で越前国は急速に復興し、治安も回復している。

 つまり、信盛は信長の作った掟を守るばかりに、新たな任務を疎かにしていたのであった。


「では、我等は如何様にすればよろしいので?」


 一益の質問に対して、信長は溜息をつきながら答える。


「・・・儂が加賀に出陣するまで、取り敢えずは加賀に進出して牽制しろ。もしそれまでに七尾城が落ちていたら、その時は撤退するように」


 信長の指示に対して、光秀が声を上げた。


「お待ち下さい。上様御自らご出陣となりますれば、当然我等もお供仕ることになり申す。そうなれば、殿様(織田信忠のこと)への増援はいかが相成りまするか?」


 光秀の質問に信長は渋い顔をしながら答える。


「荒木はこの際長期戦を覚悟せねばならぬ。城介(織田信忠のこと)には兵糧攻めにするように申し渡す」


 信長の答えに光秀はしばし思案した。そして平伏しながら信長に自分の意見を言う。


「恐れながら、明智勢は丹波攻略を進めとう存じます。波多野と赤井をそのまま放っておけば、毛利方が山城国を突く虞がございます。三木城の別所の動きが見えない中、縁者の波多野と手を組み毛利方についている虞がございますれば、丹波の抑えは必要かと」


「で、あるか。良かろう。金柑は兵部(長岡藤孝のこと)と共に丹波へ行き、波多野と赤井を抑えろ。そして、制圧が可能ならば制圧しろ。判断は任せる」


 信長からそう言われた光秀は、「御意!」と声を上げると、長岡藤孝と共に信長の前から去った。


「・・・上様。加賀への陣立、如何なさいましょうや?」


 秀一からそう聞かれた信長は、まずは北畠信意と神戸信孝に鋭い視線を送りながら答える。


「三介(北畠信意のこと)と三七(神戸信孝のこと)は国元に返す。無駄に兵力を仕損じおって・・・!」


 怒りを込めた信長の言い方に、信意も信孝も身を縮こまらせた。


 信貴山城の戦いで戦功争いを行なった北畠勢と神戸勢は、松永勢による必死の反撃で大損害を受けていた。また、信貴山城の狭い曲輪の中に北畠勢と神戸勢が割り込んだため、先に曲輪にいた筒井勢を支援するために曲輪に攻め入ろうとしていた長岡勢が入ることができなかった。


「陽舜房(筒井順慶のこと)は信貴山城の後始末を任せる。終わったら再び権六(柴田勝家のこと)と共に本願寺を見張れ。残りは全て余と共に安土へ向かう。そこで休んだ後、改めて加賀に向けて出陣じゃ!」


 信長がそう声を上げると、その場にいた者達は一斉に「応!」と声を上げた。





 それから数日後。摂津国池田城は対荒木の最前線と化していた。茨木城の中川清秀が織田方につくと、芥川山城の信忠率いる織田勢は茨木城を経由して池田城に入った。当時は廃城であったものの、建物を始め、城としての建造物は残っていたため、少しの改修で城としての機能を復活させていた。

 そんな中、信忠は父信長から届いた書状を斎藤利治に音読させ、集まっていた諸将に今後のことについて聞かせていた。


「・・・以上が上様からの指示にございます」


 利治が音読を終え、そう言って締めると、今度は信忠が口を開いた。


「・・・聞いてのとおりだ。有岡城への力攻めは中止とし、兵糧攻めに切り替える。何か聞きたいことはあるか?」


「恐れながら・・・」


 信忠の質問に、秀吉がおずおずと尋ねた。


「書状にはそれがしに長浜へ帰還するように命じておるようですが・・・。羽柴勢を殿様より引き抜くということなのでしょうや?」


「・・・書状を素直に読めばそうなるな」


「羽柴勢無しで、有岡城の包囲は成せますでしょうや?」


 秀吉の疑問に信忠の表情が渋くなった。有岡城は総構そうがまえにより、城下町を堀と土塁で覆っている。つまり、城下町ごと包囲しなければならないのである。広範囲の包囲となるため、包囲する兵数は多く必要となる。

 また、摂津ではまだ荒木方に与している国衆は多い。高槻城、茨木城、大和田城が寝返ったとは言え、まだまだ寝返っていない城もあり、これらの城も調略、そして攻めなければならないのだ。


「・・・正直、筑前の軍勢が抜けるのは痛いのだ。それなら兵糧攻めと聞いた時に嫌そうな顔をした勝蔵(森長可のこと)の軍勢を父に預けたほうがまだいいと思うのだが・・・」


 信忠がそう言いながら長可の方を見ると、長可は黙って肩をすくめた。長可自身も有岡城で兵糧攻めをするよりは、加賀で上杉勢相手に大暴れしたいと思ってたところであった。


「しかし、筑前は長浜城主。長浜は安土から越前、そして加賀へ至る道すがらにあるからな。上様が通られる以上、城主がいないと色々不都合だろう」


 池田恒興の発言に諸将が納得したような顔をして頷いた。さらに堀秀政が自分の意見を言う。


「恐らくですが、上様は筑前殿に長浜城にて織田の兵站を担って欲しいのではございませぬか?北陸の軍勢だけではなく、上様率いる近江衆の軍勢を含めた兵站管理は、並大抵の者にはできますまい」


「それならば奉行衆たる久太・・・堀殿や万見殿を呼び戻せばよいではないか。兵站管理なら、この二人の方が儂より適任じゃ」


「いや、さすがに他人の城で兵站管理はやり辛いですよ」


 秀吉の愚痴に対して、秀政が首を横に振りつつ苦笑いしながら言った。隣の万見重元も同意したような顔で頷いていた。


「・・・儂としては、このまま摂津で調略をしていたいのじゃ。他の城でももう一押しで寝返りそうな城もある。儂が軍勢を率いてその一押しをしたかったのじゃが・・・」


 秀吉が腕を組みながらそうぼやいた。信忠達も腕を組んで唸っている中、今まで黙っていた池田元助が口を開いた。


「・・・筑前殿。確か、高山右近を説得したのは大松・・・じゃなかった、藤十郎でしたな?」


「はあ。まあ、正確に言うなら、藤十郎と前野将右衛門ですが」


「では、藤十郎と前野なる者を殿に預けていけば良いのでは?調略だけなら兵はそれほどいらないし、城を攻めるなら、そこの勝蔵を暴れさせれば良い」


 元助の発言に、信忠と秀吉の顔が驚きと納得の混じった表情になった。秀吉が膝を叩きながら声を出す。


「おお!それは良い考えじゃ!殿様、勝九郎殿(池田元助のこと)の言うとおり、藤十郎と将右衛門、いや、半兵衛と官兵衛等も置いていきまする!半兵衛はもちろん、官兵衛は播磨に顔の効く策士にございまする!必ずや殿様のお役に立てるでしょう!」





 秀吉は軍議が終わると、すぐに重秀や家臣、与力を集めると、軍議の内容を伝えた。


「・・・という訳じゃ。藤十郎。ここに残って殿様の側にいろ」


 そう言われた重秀は面食らってしまったものの、命である以上仕方ないと思い、「承知いたしました」と頭を下げた。


「それで父上。残るのは将右衛門と半兵衛殿、黒田殿でございますか?」


「いや、伊右衛門(山内一豊のこと)などお主に付けている者全ては残す。それと小一郎もじゃ」


「儂もか?」


 秀吉から残留を言われた小一郎が思わず秀吉に聞いた。


「小一郎には官兵衛と別の仕事をして欲しいのじゃ。小一郎は姫山城(のちの姫路城)で播磨の国衆を調略しておったじゃろ。それをまたやってもらいたいのじゃ」


「そりゃ構わぬが・・・。摂津を平らげてないうちにもう播磨か」


 小一郎が呆れたような声を出して言う一方、秀吉は真面目な顔で話を続ける。


「日向殿(明智光秀のこと)は上様に丹波攻めを認められたと聞いた。このクソ忙しい中、日向はまんまと自分の手柄を挙げられる仕事を手に入れたのじゃ。儂等もただ上様や殿様に従っているだけでは、日向に先を越される。せめて播磨で調略を続け、いづれ播磨を短期間で平定したいのじゃ」


「分かった分かった。儂も藤十郎の事が気になるで、残ることは承知しよう。官兵衛殿と播磨への調略を行うこととするわ。ただ、この池田城から播磨への調略はちと遠いのう・・・」


 小一郎が困り顔でそうぼやくと、秀吉はニヤリと笑いながら話す。


「ああ、その点は心配ない。有岡城を包囲する前に摂津に残っている荒木方の城を落とすことになった。藤十郎には久太と共にある城を落として欲しいんじゃ」


「ある城でございますか?どこですか?」


 重秀が首を傾げながら聞くと、秀吉が答えた。


「有馬の三田さんだ城よ」


「・・・なるほど。播磨にもっとも近く、かつ丹波の波多野が籠もる八上城と有岡城の中間にある三田城を押さえれば、有岡城へ他国からの援軍は防げますな」


 竹中重治の言葉に秀吉が頷く。一方、黒田孝隆は首を傾げながら疑問を呈する。


「しかし、山の中の三田城より海に面した花隈城の方が毛利の援軍を受けやすく、より重要な拠点でございます。むしろ、花隈城を攻め落とすべきでは?」


「援軍を受け入れやすいからこそ、あそこを生半可な兵力で攻めることはできぬ。むしろ北国の上杉の侵攻を抑え込んで、上様の援軍が来るまで手を出すのは無理じゃろう。一方、三田城は援軍を受けにくいからのう。我等も攻めやすい」


 秀吉の答えに納得したのか、孝隆が「なるほど。分かり申した」と言って頭を下げた。そんな孝隆に今度は秀吉が質問する。


「問題は、三木城の別所から援軍が派遣されるのでは?という危惧がある。官兵衛、なにか別所の情報を聞いておらぬか?」


 秀吉の問いに孝隆が首を横に振る。


「残念ながら、姫山城からは何も・・・」


「そうか・・・。まあ、それも三田城を儂等の物にすれば、少しは播磨のことも分かるようにはなろうて」


 気を取り直した秀吉がそう言うと、顔を重秀に向けて話しかけた。


「ま、そういうわけじゃ。藤十郎よ、殿様の命をよく聞き、小一郎や半兵衛達の意見をよく聞いて気張れよ。何、お主なら上手くやってくれようぞ。何と言っても、儂の息子だからのう!」


 そう言って笑う秀吉に対して、重秀は緊張の面持ちで「承りました」と言って平伏したのだった。





 秀吉が羽柴の主力を率いて長浜へ向かうと、重秀と残された羽柴勢は信忠の麾下へと収まった。重秀は当初は秀政と共に三田城へ向かうものと思っていたのだが、そうはならなかった。


「藤十郎、そなたにはまずは北摂津を平定してもらいたい。筑前が長浜に戻る前に言っておったが、山下城(一庫ひとくら城とも言う)の塩川親子(塩川国満と塩川長満のこと)はすでにこちらに寝返っておるが、隣の丸山城(能勢城とも言う)の能勢兄弟(能勢頼道と能勢頼次のこと)は未だ荒木方についている。そこで、羽柴勢と堀勢と中川勢は塩川勢と合流後、丸山城とその支城を攻略して参れ」


 三田城ではなく丸山城攻めを命じられた重秀。当然断ることもできず「承知いたしました」と平伏して承諾した。ただ、重秀には気になったことがあったので、信忠に聞くこととした。


「して、丸山城攻めの総大将は堀様で?」


「何を言っておるか。藤十郎、お前だ」


「・・・はい?」


 信忠から予想外の回答を聞いた重秀が思わず聞き返した。本来なら無礼な振る舞いであり、実際側にいた利治からは咎めるような視線を送られてしまった。ただ、信忠は気にしていないような口調で話を続けていた。


「塩川を調略したのは筑前だし、その息子が後を継いだとすれば塩川も安心してこちらに付くであろう。それに、そなたは儂の義弟おとうとになるのだ。織田一門が総大将になるのは当然であろう?」


「お、お待ち下さい。古来より兵数を一番多く率いる将が総大将になるのが掟でございまする。羽柴勢はたった三百の兵力でございますれば・・・」


「それだと中川瀬兵衛(中川清秀のこと)が総大将になる。先日まで敵方だった中川を総大将にするのは拙いだろう」


「でしたら、総大将は兵の数が多い紀伊守様(池田恒興のこと)でよろしいのではございませぬか?いくらそれがしが上様の養女婿むすめむこだからといって、若輩者のそれがしが総大将になれば、年長者たる堀様や中川様が納得いたしかねましょう」


 重秀がそう言って固辞しようとしたが、信忠の側にいた恒興が口を挟んできた。


「儂は無理よ。池田勢と森勢、そして万見勢は荒木勢に対して中入りを仕掛けるつもりじゃ」


 中入りとは、簡単に言えば別働隊を編成し、敵の主力がいる場所を迂回させて後方や側面を攻撃することである。


「中入り、でございまするか?」


 重秀がそう尋ねると、恒興が頷いた。


「儂と勝九郎、勝蔵と仙千代で有岡城の西の守りを担っている原田城を攻め落とす。そこから一気に有岡城の南にある塚口城を攻め落とし、有岡城の後方を遮断する」


 恒興の説明に、側にいた元助と長可、重元が黙って頷いた。重秀は事前に見せられていた有岡城周辺の絵図を思い出しながら、考え込んだ。


 ―――塚口城は北に有岡城、南に大物だいもつ城(尼崎古城とも言う)に挟まれた城だったはず。そこへ攻め込むとなると、確かに歴戦の紀伊守様や勝蔵様でなければ勝つのは難しいか。中川勢と誰かを交換してもらおうかと思ったけど、共に戦ってきた経験のある軍勢じゃないと塚口城は落とせないよな・・・。池田勢に中川勢が加わると、かえって連携しにくいか―――


 そう考えた重秀は、諦めたような顔をすると、「若輩者でございますが、殿様の命に従いまする」と言って平伏した。しかし、すぐに頭を上げると、信忠に言い放つ。


「ただし、総大将として殿様に許しを得たき儀がございまする」


 大松の頃からそのような物言いをしたことがない重秀の発言に、信忠だけではなく周りの者達は驚いたような表情をした。重秀は緊張で口の中が乾いていくのを我慢しつつ、声を上げる。


「能勢については、力攻めではなく、調略をもって落としとうございます」


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[良い点] 池田と森で中入り……うっ頭が!
[良い点] 一方面の主将を任されるまでになりましたか。 出世したというより、人手不足だなあと思えてしまいます(笑)
[一言] お~能勢城!自分の田舎なのでぜひ調略で落としてもらいたい、低い山なんだし(笑) 次の更新も期待してます。
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