第92話 危機の勃発
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天正五年(1577年)閏七月上旬のある日。織田信長は柴田勝家の居城である永原城を訪れていた。
信長は勝家と共に鷹狩を楽しんだ後、永原城の本丸御殿にある広間にて勝家と養子達の柴田勝安(のちの柴田勝政)、柴田勝豊そして信長の近習の万見重元と休んでいた。そこに、妹で勝家の継室のお市の方が、娘三人と勝家の実子(養子という説もある)の於国丸(のちの柴田勝敏)や乳母達を連れて挨拶にやってきた。
「兄上、お久しゅうございまする。市にございまする」
「おお!市か!顔色が良さそうで何よりじゃ!」
広間の下段の間の真ん中で平伏したお市の方に対して、信長は上段の間から機嫌良さそうな高い声で話しかけた。お市の方の後ろには、子供達が一列に横に並んで市と同じ様に平伏をしていた。信長は子供達にも声をかける。
「皆の者、苦しゅうない。面を上げよ」
低くない声で信長がそう言うと、子供達が顔を上げた。茶々や初、江は慣れた面持ちで顔を上げたが、於国丸は緊張を顔に出しながら顔を上げた。
「ほう・・・、於国は中々賢そうな顔をしておるな。歳は幾つじゃ?」
「と、十にございまする」
信長の質問に緊張気味に答える於国丸。信長はニコニコしながら勝家に言う。
「十か。確か茶々が九つだったな。どうだ?夫婦にさせぬか?似合いの夫婦となるだろうよ」
「兄上、気が早うございまするぞ。於国はよく分かっておらぬ顔をしておるではございませぬか」
信長と勝家のやり取りに苦笑しながらお市の方が言うと、信長は首を傾げながら聞いた。
「ん?その物言いだと、茶々は分かっているようだと聞こえるが?」
「去年より、嫁入りの修行をさせておりますれば」
―――兄上が筑前の息子に嫁がせるなんて言うから、急遽始めたのですよ―――
心の中でそう思いつつも、お市の方が信長にしおらしい態度で答えた。そんな時だった。一人の若者が広間外の縁側に姿を表した。勝家お気に入りの家臣、毛受勝照である。勝照は片膝を付いて一礼すると、勝家に聞こえるように大声を上げた。
「申し上げます。佐久間玄蕃殿(佐久間盛政のこと)より書状が届いておりまする」
そう言うと、懐から書状を出した。すぐに勝政が立ち上がり、勝照から書状を受け取ると、それを勝家に手渡した。勝家が書状を開き、一読すると、勝家の片眉が上がった。
「いかがした、権六」
信長が訝しる様に聞いた。勝家が困惑しつつもはっきりとした口調で答える。
「はっ。石山本願寺を取り囲む附城や砦より、霜台殿(松永久秀のこと)と摂津殿(荒木村重のこと)の兵が減っているとのこと」
「兵が、減っているじゃと?」
信長も片眉を上げた。続けて勝家に問う。
「権六、何か命じたか?」
「当分は本願寺への包囲のみとする故、将兵に休息を与えよ、との上様からの下知をそのまま伝え申した。それ以外の指示は出しておりませぬ」
「で、あるか」
勝家のはっきりとした返答に満足しつつも、信長は顎髭を撫でながら思案の顔つきになった。
「・・・陽舜房(筒井順慶のこと)やその他の軍勢については何か書いているか?」
信長の質問に、勝家は首を横に振りつつ答える。
「文には何も。ただ、先日、兵を交代で休ませるという報せが来ておりました」
「報せが来たじゃと?」
「はっ、兵を動かす場合は必ず使者なり文なりで報せるよう命じておりました。筒井殿も河内の池田殿もよく報せてくれます」
勝家がそう言うと、信長は再び思案の顔つきになった。しばらく右手で顎を撫でながら、うつむき加減にブツブツ呟き始めた。そして、急に顔を上げると、勝家に話しかけた
「権六、文には『交代』ではなく『減っている』と書いてあるのだな?」
「御意」
「玄蕃は数は数えられるのか?兵の交代と兵の減少を区別がつかないのか?」
信長が盛政の能力を疑うような発言をしたのを、勝家は黙って流すことはできなかった。勝家は信長の顔をまっすぐに見つめると、大声を上げた。
「上様!我が甥佐久間玄蕃丞盛政は、確かに槍働きが得手の猪武者!しかれども、学がまったくない痴れ者ではございませぬぞ!この修理亮勝家、甥というだけで天王寺砦をあの者に任せたりは致しませぬ!」
はっきりと抗議した勝家に、信長は「大声を出すな。子供達が怯えておろう」と窘めた。確かに勝家が子供達に視線を向けると、皆が泣き出しそうな顔をしていた。
「・・・ご無礼仕りました」
勝家が信長に頭を下げると、信長は「儂ではなく子供達に謝れ」と苦笑しながら言った。しかし、すぐに真面目そうな顔つきになると、勝家に問うた。
「しかし権六よ。玄蕃がそなたの言うとおりの者ならば、その書状に書かれていることは由々しき仕儀ぞ。分かっておるな?」
「御意。松永霜台と荒木摂津は共に本願寺包囲網から無断で抜けようとしているものと思われます。これは、上様に対する反逆ではござらぬか?」
勝家の言葉に信長以外の者達は息を呑んだ。一方、信長は「そう判断するのは早すぎる」と言うと、右の握り拳を口元に当てて再び考え込んだ。少し経って、側で座っていた重元に声をかける。
「仙千代、猿と金柑の軍勢はまだ国元におったな?」
「筑前様の軍勢は上様のおっしゃるとおりでございまするが、日向様の軍勢は既に坂本を立ち、兵部様(長岡藤孝のこと)の勝龍寺城に入られているかと」
重元の回答に対し、勝家が驚きの声を上げる。
「猿、いや筑前の軍勢はまだ長浜なのか!?七月に播磨に入る予定ではなかったのか!?」
「竹中半兵衛が病に倒れた故、七月中の播磨入りは無理だと報せがあった。半兵衛は播磨調略の中心人物。病に倒れた以上、猿も無理に出陣できぬわ」
信長の落ち着いた声を聞いた勝家は、「は、はぁ・・・」と言って信長を見た。信長は立ち上がると重元に低い声で命じる。
「仙千代、金柑に早馬を出せ。兵部の軍勢と共に京に入り、余の到着を待てと。理由は余が丹波平定に向かう兵達を激励しに向かうと言っておけ。それと猿にも早馬を出せ。軍勢を安土に入れよと命じよ。
・・・確か五郎左(丹羽長秀のこと)は佐和山城にいたはず。よし、五郎左にも早馬を出せ。佐和山城の兵だけで良いから、兵を引き連れて安土に入れと。
ああ、それと今宵の永原城での宿泊は中止いたす。すぐに安土に戻る故、皆に伝えよ。安土に残っていたのは久太(堀秀政のこと)だったな?久太に馬廻衆を招集させよ」
信長の命令を聞いた重元が「承知!」と言うと、広間から飛び出した。それを見た信長は、勝家に視線を移す。
「権六、済まぬが骨休みは終わりぞ。兵を集め、永原城にて待機せよ」
「元より承知しておりますが・・・、共に京に行かなくてよろしいので?」
勝家が目に闘志を湛えつつ、そう聞くと信長は首を横に振った。
「まだ謀反だと決まったわけではない。あまり兵を多く動員すると、霜台も摂津もかえって態度を硬化させかねぬ。あくまで様子見よ。筑前はどうせ播磨へ出陣よ。それに紛れてゆけば、二人共儂を怪しむことはない」
信長がそう言うと、勝家が「承知いたしました」と言って平伏した。勝安や勝豊も同じ様に平伏する。信長が視線を勝家からお市の方へ移す。
「市。済まぬが権六を借りるぞ」
「・・・どうぞご武運を」
やや暗い顔をしながら平伏したお市の方に、信長は「まだ戦になるとは決まっておらぬ」と笑いかけたのだった。
次の日、安土城の本丸御殿にある控えの間。小具足姿の丹羽長秀が自らの家臣を連れてそこに入ると、すでに秀吉とその家臣達が詰めていた。秀吉達もまた、小具足姿であった。
「筑前か。どうした?安土城下にお主の兵が溢れておる故、何事かと思っておったが。お主等は播磨に行っていたのではないのか?」
「これは惟住殿。いや、そこの半兵衛が七月に病に倒れた故、出陣を昨日まで延ばしておったのでござる。で、昨日上様よりの早馬が来て、上様の命により播磨に向かう軍勢全てを安土に入れたのでござる」
秀吉が竹中重治を見ながらそう答えた。長秀も重治を見ると、確かに顔色が悪くなっていた。隣りにいる重秀も顔色を悪くしながらも重治を気遣っていた。
「半兵衛殿。やはり長浜に残っていたほうが良かったのでは・・・?」
「い、いえ。身体の方はご心配なく。もう大分良くなりました」
咳き込みつつもそう言いながら重治は立ち上がって移動した。重秀や羽柴の家臣達もまた、長秀とその家臣達が入るスペースを作るべく立ち上がって移動した。よく見ると、家臣達の顔色も悪いように見えた。
「どうした?筑前の息子に家臣達すら顔色が悪いではないか?長浜で疫病でも流行ったか?」
顔を顰めつつ聞いた長秀に対して、秀吉は苦笑しながら答える。
「いえいえ、我が愚息と家臣達はこの後の上様のご叱責を恐れておるのでござる。如何せん、七月に播磨に入る予定が、一月近く延びてしまいましたからなあ」
たはは、と笑いながらそう言う秀吉の顔も若干悪い様に見えた。羽柴家中でいつもどおりに顔色の良い者は弟の小一郎ぐらいなものであった。その小一郎がのほほんとした表情で口を開く。
「兄者よ。半兵衛殿は生きるか死ぬかの瀬戸際だったんじゃぞ。それほど重い病を得たことは、上様にもちゃんと伝えたじゃろう。だから返事で出陣の日延べを許されたんじゃろうが。叱責はないと思うんだがのう」
小一郎に続いて重治も口を開く。
「左様。それに、もし我が殿に叱責があろうものなら、この竹中半兵衛、上様の眼前にて腹を切ってお詫び申し上げまする。殿も若君も、何も心配することはございませぬ」
「せっかく病が治ったと言うに、半兵衛殿が腹を切れば羽柴だけではなく織田の大損失にございまする。何卒、お早まりなさいますな・・・」
重秀が心配そうな顔でそう言った時だった。控えの間に小姓が入ってきた。小姓が落ち着いた口調で声を上げる。
「申し上げます。皆様、上様がお呼びにございまする」
本丸御殿の小広間に移動した秀吉等と長秀等は、それぞれの立場にあった場所に座ると、すぐに信長が小広間に入ってきた。
「猿!五郎左!大義!」
大声でそう言いながら小広間に入ってきた信長は、上段の間の真ん中に座ると、さっそく秀吉に声をかけた。
「猿!閏七月になったのに、未だに長浜におったか!」
大きな高い声でそう言われた秀吉達。普通の人々なら完全にビビるのだが、信長と付き合いの長い秀吉を始めとした者達は、信長の声の中に機嫌の良さを感じ取った。それは、短いながらも信長の小姓でもあった重秀も同じであった。
なので秀吉はわざと戯けてみせる。
「申し訳ございませぬ!この猿!竹中半兵衛がいなければただの猿にて!」
「やかましい!今回はその半兵衛に感謝するのだな!儂は明日には上洛する!猿も五郎左も軍勢を引き連れてついて参れ!」
信長がそう叫ぶと、秀吉も長秀も「ははぁ!」と言って平伏した。と同時に、二人の背後にいたそれぞれの家臣達も平伏した。
「ときに上様。敵は何処に?」
秀吉の質問に、信長は苦虫を噛み潰したような顔をしながら答える。
「周りは敵だらけぞ。さらに敵になりそうな奴はいる。・・・霜台と摂津よ」
「なんと!真でございまするか!?」
長秀が思わず声を上げた。一方、秀吉は複雑そうな表情を顔に浮かべた。信長が訝しがる。
「なんだ、猿。驚かぬのか?」
「霜台殿は驚きましたが・・・。摂津殿には毛利からの調略が激しく行われているという噂があり申した」
秀吉の言葉に、信長は「また毛利か」と舌打ちしながら呟いた。そして信長は視線を秀吉から長秀に移す。
「五郎左、兵力はどれほど連れてきた?」
「佐和山城にいた五百人全てを連れてきましたが・・・。若狭ですぐに動かせる兵力は千五百。それらが若狭より安土に来るのは十日ほどかかりまする」
冷静に答える長秀に対し、信長は首を横に振る。
「いや、若狭の兵はまだいらぬ。儂は京に入った後、霜台には松井(松井友閑のこと)を、摂津には仙千代を派遣し、真意を正す。向こうの返答次第では今回のこと、不問といたす」
そう言う信長であったが、顔には不満と怒りの表情が浮かんでいた。信長が続けて話を続ける。
「明日には出陣いたす。汝らも今日は安土にてゆるりとしておけ。明日からは忙しゅうなる故な」
信長がそう言うと、秀吉達と長秀達は「ははっ!」と声を上げた。
次の日、信長は自身の馬廻衆及び万見重元と堀秀政の少数の軍勢、そして秀吉と長秀の軍勢を引き連れて安土を出発。その日の夕刻までには京に入ることができた。京にはすでに明智光秀と長岡藤孝の軍勢が入っていた。
信長が上洛した際に宿としてよく使われている妙覚寺に信長と諸将が集まると、信長はさっそく軍議を開いた。そこで信長は松永久秀と荒木村重の寝返りの可能性について話した。
「馬鹿なっ!摂津殿が裏切るなどありえませぬっ!」
信長の話を聞いた光秀が思わず大声を上げる。普段温厚で冷静な光秀とは思えないほどの大声に、信長ですら驚いた。信長が宥めるように光秀に言う。
「金柑、いや日向よ。縁者たる摂津が裏切るなど、ありえぬと考える汝の気持ちは分からぬではない。しかし、権六の調べでその虞が著しく高いということが分かった。無論、実際に造反したとはまだ言えぬがの」
「し、しかし上様!霜台殿も摂津殿も共に修理亮殿と共に本願寺相手に血を流しておられたではございませぬか!?なのに何故、今更になって上様を見限られて毛利方に付かれるというのか!?それがしには理解できませぬ!」
「日向様!お控えられよ!上様と知ってのご無礼、重臣と言えど見過ごせませぬぞ!」
興奮している光秀に対し重元が批難すると、光秀は肩で息をしながら重元を睨みつけた。その後、信長の方へ顔を向けると、平伏しながら信長に懇願した。
「上様、何卒それがしを有岡城に遣わせてくださいませ。この光秀、生命を賭して摂津殿を説得してご覧に入れまする!」
信長は光秀の懇願を聞いて、しばし目を瞑って考え込んだ。そしてすぐに目を見開いて光秀を見つめながら言う。
「で、あるか。ならば仙千代と共に有岡城へ行き、摂津を説得せよ。名物はいらん。あそこは確か息子が何人かいたはず故、何人か人質に寄越せと言え。それで許してやる」
信長がそう言うと、光秀は「承知!」と言って信長の前から駆け出していった。慌てて重元が後を追った。
「恐れながら、上様」
秀吉が信長に話しかけた。信長が「なんだ、猿」と言うや否や、秀吉は自分の考えを話し始める。
「実は牛の・・・じゃなかった、赤鯨の取引で高槻城の高山右近殿とは誼を通じておりまする。また、高山右近殿とその父君(高山友照のこと)はキリシタンでございますれば、同じキリシタンである前野将右衛門(前野長康のこと)を高槻城に派遣し、高山親子を調略しとう存じまする」
「おお、それは良き考えぞ。よろしい。高山親子については猿に任せる。良きに計らえ」
信長の許可を得た秀吉は、「ははっ」と答えると信長の下から去ろうとした。しかし、すぐに信長に呼び止められた。
「猿。汝の息子はどうした?」
「藤十郎なら我が陣におりますが」
「ここに呼んで参れ。あやつに命じたいことがある」
「ぎょ、御意」
信長の予想だにしていなかった命令に動揺しつつ、秀吉はそう返事をすると、今度こそ信長の下から離れた。
秀吉から信長の下へ行くように言われた重秀は、一人で信長がいる部屋へと向かって行った。そして部屋の前まで来ると、襖越しに中に声をかけた。
「羽柴藤十郎、ご命に従い罷り越してございまする」
重秀はそう言うと、襖を開けた。そこでは、信長が長秀と秀政、そして京で奉行を務めている村井貞勝が話し合いを行っていた。
「おう、藤十郎か。近う寄れ」
信長にそう言われた重秀は、岐阜城で小姓をしていた頃に覚えた『近う寄れと言われた場合に近づいて良い』距離まで近づくと、その場で平伏した。
「上様、お呼びにございましょうや?」
「うむ、大義。汝は伴天連のうるがん(ニェッキ・ソルディ・オルガンティノのこと)とやらと面識があったな?」
信長がそう訪ねた時だった。信長達がいる部屋に一人の鎧武者が駆け込んできた。それは信長の馬廻衆の一人だった。
「申し上げます!永原城より、柴田様の早馬が来ました!」
「・・・すぐに通せ」
秀政が落ち着いた口調で命じると、馬廻衆の者は一旦部屋からいなくなった。そして、一人の武者を連れてきた。その武者が息も絶え絶えになりつつ信長の前に来ると、片膝をつけて跪いた。そして慌てた口調で言上を述べる。
「申し上げます!天王寺砦の佐久間玄蕃の軍勢、松永霜台の軍勢と衝突!双方に討ち死にが出ました!」