第90話 忍び寄る危機
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天正五年(1577年)六月下旬。安土城本丸御殿の小広間には、数多くの重臣が集まっていた。当然その中には秀吉の姿もあった。
重臣が全て揃ったところで、信長がやたらと若い小姓を連れて小広間へ入ってきた。重臣たちが平伏する中、信長が上段の間のど真ん中に座ると、一声を上げた。
「皆の者、大義!今日皆を召し出したのは余の儀にあらず!権六(柴田勝家のこと)から石山本願寺北部の砦群を攻め落とすべく、儂か城介(織田信忠のこと)を総大将に陣触れを出して欲しいと言ってきた!権六、皆に説明してやれ!」
―――父上はまだ儂のことを城介と言っている・・・。もうすでに左近衛権少将なんだが・・・―――
信忠がそう思っている中、信長に一番近い所にいた柴田勝家が、そのギョロ目で他の重臣を見据えると、大きな声で説明を始めた。
勝家の説明を聞いた重臣達は、ある者はウンザリしたような顔、またある者は「何言ってんだ?コイツ」と言いたげな顔をして勝家を見つめていた。要するに、勝家の説明は「織田家の最大兵力を動員して楼の岸砦といった砦群を攻め落とそうぜ」というものであった。
「恐れながら、修理亮様の陣触れにつき、異論これあり」
勝家の説明が終わった瞬間、秀吉が声を上げた。秀吉は勝家の刺すような視線をもろともせず、勝家の目を見ながら声を上げる。
「結局のところ、修理亮様とその与力の方々の兵力が足りないから貸せと言っているようなものではありませぬか。それを上様や殿様の御威光を持って自らの指揮下に組み込まんとする試み、この筑前気に入りませぬ」
「何を申すか、筑前!儂が上様の威を借りて兵力を恣にしていると申す気か!?」
勝家が立ち上がって怒声を発すると、秀吉も負けじと怒声を発した。
「儂等は本願寺だけが敵ではないぞ!儂は七月に播磨へ出兵し、平定せよと上様より命じられておる!日向殿(明智光秀のこと)は丹波、右衛門尉様(佐久間信盛のこと)は加賀の平定を命じられておる!修理亮様に兵を取られては、他方面で劣勢になるぞ!」
「黙れ筑前!ならばお主の兵などいらぬ!日向と右衛門尉の兵もいらん!その他の兵力だけで砦をすべて落としてくれる!」
「いや、修理亮。尾張と美濃、そして伊勢の兵を動員すること、儂は反対ぞ」
勝家と秀吉の耳に、落ち着いた、それでいて力強い声が入ってきた。声を発したものに視線を向けると、そこには信忠がいた。
信忠は身体ごと信長の方へ向けると、恭しく頭を下げながら言う。
「父上、いや上様。何卒この少将の言葉に耳をお傾けください」
何故か『少将』の単語に力を込めた信忠の言う事に、信長が黙って頷いた。信忠は話を進める。
「恐れながら、現在伊勢の滝川と三十郎叔父上(織田信包のこと)、それに志摩の九鬼では大安宅船を建造中でござる。これらの船を完成させて、木津川河口沖へ浮ることできますれば、砦を落とすことなく本願寺を囲むことが可能となります。それ故、大安宅船が完成するまで今しばらくのご辛抱あるべし」
信忠のはっきりとした物言いに、勝家が唖然とした。一方、信長は満足そうに頷いた。そんな中、秀吉が声を上げる。
「おお!さすがは殿様じゃ!伊予守殿(滝川一益のこと)や右馬允殿(九鬼嘉隆のこと)の水軍を使っての木津川封鎖が成れば、長島一向一揆の時のように本願寺は立ち枯れになりましょうぞ!」
「お、お待ちくだされ!大安宅船が完成するのは来年でございますぞ!その間にも、本願寺への兵糧は絶え間なく入りますぞ!それでは、いつまで経っても本願寺を落とすこと能いませぬ!」
勝家がそう声を荒げると、秀吉が落ち着いた声で勝家に声をかける。
「修理亮様。ここは、もっと広い視野に立たれて物を言うべきにございませぬか?」
「・・・何?」
「それがしが播磨を平定すれば、播磨にいる舟手衆が我等の指揮下に入りまする。それらを鍛え上げ、羽柴の水軍に仕立て上げれば、毛利の村上水軍を海上にて阻止できまする。それに、播磨と但馬は山が多く、木が豊富な地域なれば、大安宅船を建造すること容易いと思われます。
さらに、日向殿が丹波、丹後を押さえれば、これらの山々より木を切り出すことも可能。それを摂津殿(荒木村重のこと)にお譲りすれば、摂津殿も水軍を持てまするし、兵庫津より海路で和泉国へ材木を運べば、真鍋の水軍も復活するものと思われます。
さらに、すでに上様に臣従している讃岐の三好や淡路の安宅の水軍を動員し、後は伊勢や志摩より大安宅船を迎え入れれば、和泉灘(大阪湾のこと)は我等のものとなり、毛利や雑賀の水軍なぞに好き勝手はさせませぬ」
秀吉がそこまで言うと、急に身体を信長の方に向けると、平伏しながら大声を上げる。
「上様!石山本願寺を包囲するには、播磨は必ず手に入れなければならぬ地にございまする!しかしながら、我が弟小一郎の報せでは、毛利の調略によって国人衆に動揺が広がっておりまする!ここは播磨平定を優先すべきと愚考いたしまする!」
秀吉が言い終わると、次に声を上げた者がいた。明智光秀だった。光秀もまた、身体を信長の方に向けると、平伏しながら声を上げる。
「恐れながら上様。この金柑頭、天正三年より丹波平定を命じられてきたものの、非才の身故、未だ平定できておりませぬ。上様の禄を食みながらこの体たらく、上様に対して大変申し訳がたちませぬ。しかしながら、筑前殿の先程の発言、まさに天啓の如し。石山本願寺を落とすのに丹波、丹後の平定は必須。何卒、それがしにもう一度丹波攻略をご命じくだされ」
秀吉と光秀が頭を下げているのを勝家は苦々しく見ていた。一方、信長はそんな二人を嬉しそうに見つめていた。そして信長の口が開く。
「で、あるか。ならば是非もなし。猿、金柑、すぐに兵を整え、己の成すべきことをいたせ」
信長がそう言うと、間髪をいれずに秀吉と光秀が「ははぁ!」と頭を下げた。信長は二人の様子を見て満足気に頷くと、今度は勝家の方を見る。
「権六、汝はようやっている。しかし、少し焦り過ぎじゃ。しばらくは動かずとも良い。今年いっぱい、兵馬を養うが良い。ついでに、市と娘たちとゆっくり過ごすが良い」
信長の優しい気遣いに、勝家は目を潤ませながら平伏したのだった。
その日の夜、秀吉は光秀に誘われ、安土城内にある惟任屋敷に来ていた。客間には、秀吉と、一緒についてきた蜂須賀正勝、そして光秀と斎藤利三が対面で座っていた。
「筑前殿、今宵はこの様に酒のお誘いに乗って頂き、恐悦至極に存ずる」
「いやいや、日向殿。この様に酒を酌み交わす事などなかなか無いですからのう。琵琶湖を挟んで近い距離にいるのに、ままなりませぬなぁ」
光秀のちょっと固い挨拶に対して、秀吉は笑顔で答えた。側にいる光秀の侍女から酒を盃に注いでもらいながら、秀吉は光秀に話しかける。
「それはさておき、此度の丹波攻めでは波多野と赤井を一気に攻め滅ぼすおつもりですかな?」
「元よりそのつもり。特に波多野には裏切られた恨みがありますからな。絶対に許すわけにはいきますまい」
光秀の言葉に、秀吉が「さもありなん、さもありなん」と頷いた。と、ここで光秀が秀吉に頭を下げる。
「筑前殿にはお願いしたき儀がございまする。お聞きくだされるか?」
「無論にござる!何でもこの猿めにお申し付け下され!」
「ん?今、何でもと申されましたな?」
光秀がいたずらっぽく笑いながら言うと、秀吉は「日向殿には勝てませぬな」と苦笑しながら返した。光秀が話を進める。
「まあ、冗談はともかく、筑前殿が平定される播磨には、別所殿がおられます。別所家当主の別所小三郎殿(別所長治のこと)は波多野家より妻を娶っております。そこで」
「・・・別所を波多野側、ひいては毛利方に寝返らせないようにすると?なるほど、その必要はありますな」
秀吉がそう言うと盃を口に運んだ。そんな秀吉を見ながら光秀は首を横に振った。
「いえ、波多野側にわざと寝返らせて下され」
光秀の予想外に発言に、秀吉は口に含んでいた酒を吹き出した。そして吹き出された酒はもろに光秀の顔面に掛かった。
「筑前殿!我が殿に対してなんと言う無礼か!」
利三が立ち上がって怒声を上げた。それにつられて正勝も立ち上がる。光秀が利三に「騒ぐな!」と大声を上げると、咳き込んでいる秀吉の方を見て言う。
「大事ござらぬか?筑前殿」
「いや、こちらこそ申し訳ござらぬ。日向殿の突拍子もない物言いに思わず吹き出してしまいました。はっはっはっ、日向殿もたちの悪い冗談をおっしゃいますな」
笑いながらペコペコ頭を下げる秀吉に対して、光秀は真剣な顔をしていた。秀吉が笑うのを止めると、顔を拭きながら光秀が話し始める。
「冗談ではございませぬ。本気でござる」
小声でそう言うと、光秀は前に置かれた膳を横にのけて秀吉に近づいた。と同時に利三も光秀の側に近づいて片膝をついた。正勝も同じ様に秀吉の側に侍った。
「筑前殿。小三郎殿は若年。実際の領地は叔父の二人に牛耳られております」
別所長治は今年18歳。7年前に父の別所安治が急死して家督を継いでいたが、当時11歳の若造が領地経営をできるはずもなく、二人の叔父(別所重宗と別所吉親)が後見人として実務を担当していた。
別所家は安治の代から織田家と誼を通じており、長治と重宗はその方針を維持していた。一方、もう一方の叔父である吉親は織田家への接近をあまり快く思っていなかったようだ。もっとも、本当のところは織田家での評判が高い重宗に対するやっかみのほうが強かったようであるが。
「播磨もまた、毛利の調略が激しいと聞いております。恐らく、山城守(別所吉親のこと)への接触も行なっておりましょう」
「・・・だとして、何故別所を毛利方に追いやるので?そうなれば別所と誼を通じている周辺の国衆も毛利方に寝返る可能性がござるぞ?」
「羽柴殿は小寺官兵衛とやらと誼を通じておられる。恐らく、羽柴殿は姫山城を拠点にするでしょう。別所と波多野を東から我等が、西から筑前殿が、そして南からは摂津殿(荒木村重のこと)が挟み込むことが可能と相成ります。三方より三木城を攻め上げれば、三木城はあっという間に陥落いたしましょうぞ」
「摂津殿ですか・・・」
秀吉が腕を組んで唸るように呟いた。光秀は自信あり気な顔で言う。
「摂津殿の息子は我が女婿。必ずや我等と同心いたすでしょう」
―――それはどうかな?―――
秀吉は光秀の荒木村重に対する楽観論を疑問視した。村重に対する毛利からの調略の情報は、姫山城にいる小一郎からも、キリシタンとして高山右近と誼を通じていた前野長康からも入っていた。
「それに藤吉殿」
光秀が秀吉を呼んだ。それは昔、信長が足利義昭を奉じて上洛した際、京の奉行職の同僚として共に働いていた頃の呼び方であった。光秀が話を続ける。
「別所とそれに付随する国衆の知行は約四十万石。これらを攻め滅ぼせば、全てが藤吉殿のものになりますぞ」
光秀の言葉に秀吉が思わず唾を飲んだ。光秀がさらに畳み掛ける。
「別所を残したままですと、播磨での藤吉殿の知行は明確に毛利方についている英賀と上月しかございませぬぞ?それでは、労多くして功少なしと存ずる。ここは、別所の所領を藤吉殿のものとし、名実共に織田家最大の家臣となられませ。この惟任日向守、羽柴殿のために骨を折りましょうぞ」
秀吉は腕を組んで悩んだ。いや、悩んだふりをした。そして、先程から感じていた疑念を光秀にぶつける。
「・・・何故、儂にそこまで加担致すのでござるか?正直、別所が寝返れば、儂も十兵衛殿も苦労致しまするぞ。そして、上様のご不興を必ず蒙りまするぞ」
「無論承知の上でござる。しかし、それがしにはこれくらいしか藤吉殿への見返りが用意できぬのでござる」
「見返り?見返りとは?」
「我が明智家と羽柴家の友誼のため、でござる」
「友誼でござるか?」
「左様。実は・・・、藤吉殿はご存知ないでしょうが、それがし今年で六十二歳にござる」
光秀の突然のカミングアウトに、秀吉は驚きのあまり酒を再び吹き出しそうになった。しかし、何とか我慢して酒を飲み込むと、思いっきり大声を上げた。
「はあぁあ!?とてもそうは見えませぬぞ!?い、いや、確かにそれがしよりは年上とは思っておりましたが・・・」
七といい、十兵衛殿といい、見た目の年齢と実年齢に差がある人多くね?と思いながら秀吉がそう言うと、光秀は首を傾げながら話を続ける。
「特に何もしておらぬのですが、若く見えてしまうのです。・・・いや今はそれはどうでも良いこと。問題は、我が愚息が齢九つなのです」
「ああ、万が一のときに幼い当主では明智・・・惟任家が立ち行かなくなるということですか」
暗に光秀が死んだ後の話をしたため、利三から睨みつけられてしまったが、秀吉は構わず話を進める。
「つまり、その万が一の際には羽柴が惟任の後見に入って欲しいと?」
「というより、惟任の味方になっていただきたいのでござる。それがしが亡くなり、我が愚息が後を継いだとしても、上様が重要拠点の坂本城を惟任家に任せるとは限りませぬ。が、せめて原田備中殿(塙直政のこと)の家族の様に保護して家を残していただけるよう、ご助力をお願いしとうございまする」
そう言うと光秀は深々と頭を下げた。秀吉は腕を組んで考え込んだ後、優しい口調で光秀に伝える。
「まあ、別所を毛利方に寝返らせることについては置いといて、それがしも子を持つ父親の立場にて、十兵衛殿のご懸念は理解致す。この藤吉郎、十兵衛殿に何かあった時には、命をかけてもご子息をお守り致すことをお誓い申し上げる」
秀吉が力強い声でそう言うと、光秀は黙って頭を下げたのであった。
大和信貴山城。本丸御殿の庭園に建てられた草庵に、二人の武将が対面で座っていた。互いの家臣は草庵の外で対峙していた。緊張感が草庵の内外を支配していた。
「・・・おい、霜台。この話、真なのか?」
「摂津よ。書状の花押を見てみよ。懐かしい花押だとは思わぬか?」
草庵の中で、霜台こと松永久秀からそう言われた摂津こと荒木村重は、書状の花押を見た。
「・・・公方様か」
「左様。いよいよ上杉が動くぞ」
久秀が力強く言うと、村重がゴクリと喉を鳴らした。
「上杉はすでに能登七尾城の調略を完了させておる。今は関東にて北条と対峙しておるが、書状の通りになれば来月閏七月には能登へ出兵することになっておる。そうなれば、七尾城などあっという間に上杉の物よ」
天正四年(1576年)十一月に能登へ侵攻した上杉謙信であったが、能登守護の畠山氏の本拠地である七尾城を落とすことができず、しかも関東方面で北条がまた謙信への敵対行動を取ったことから、翌天正五年(1577年)三月に一旦越後へ引き上げていた。
撤退の際、七尾城が難攻不落であることを認めた謙信は、力攻めではなく調略で七尾城を落とすことを考えた。実は、畠山当主の畠山春王丸は幼年(数えで6歳と思われる)で、当然政なぞできるわけもなく、先代の重臣たちが合議で能登国を治めていた。その重臣達の中では、信長派と謙信派に分裂しており、信長派筆頭の長続連と謙信派の遊佐続光との間で権力争いが勃発していた。そこで、謙信は密かに続光を調略。上杉勢が再び七尾城を包囲した場合、長続連を始めとした信長派(と言ってもそのほとんどが長一族である)を殲滅して上杉勢を入れるように仕向けていた。
「越中と加賀の一向門徒はすでに上杉の意のまま。そのまま越前までなだれ込んでこよう。しかし、佐久間右衛門尉は戦上手。信長も援軍を率いて越前まで行くであろう。そこで」
「我等が毛利方に寝返れば、毛利は公方様と共に上洛いたす、ということか」
村重が渋い顔をしながらそう言うと、久秀がニヤリと笑いながら頷いた。久秀は村重に言葉をかける。
「どうじゃ?お主にとっても悪い話ではあるまい?摂津の国主が公方様復権に骨を折るのじゃ。摂津内の一向門徒や国衆もお主を見直すだろうし、お主が毛利方に付けば、播磨の国衆も一気に毛利へ傾くじゃろう。そうなれば、お主は安心して信長と対峙できるぞ?」
「・・・もし、儂がこの話を上様に持っていったらどうする?」
苦しそうな顔をしながら言う村重に、久秀は肩をすくめながら答えた。
「今更信長に何ができる?北からは上杉が、西からは毛利が迫ってきておるのじゃ。本願寺も最後の力を振り絞って信長に手向かうぞ。もうあやつらには後がないんじゃからな」
この頃の石山本願寺は危機的状況にあった。柴田勢による積極的な攻勢で兵員がじわじわと削られ、木津川河口の砦付近で戦闘があるため、危なくて毛利の補給船団が木津川に中々入れず、結果的に本願寺の兵糧は不足しつつあった。柴田勝家率いる大坂方面軍は確かに疲弊していたが、本願寺もまた疲弊していたのだ。
「それに、お主の部下が本願寺に極秘に兵糧を横流ししているそうじゃないか。さもありなん。摂津西部には一向門徒も多いし、お主の家臣にも一向宗に帰依しとる者もおるしのう。・・・儂がその事を上様か修理亮殿(柴田勝家のこと)に言上しようか?」
久秀の言葉に、村重の顔にはさらに苦悶の表情が浮かんだ。
「さて、どうする?儂はもう腹をくくった。どうせ一度は信長を裏切ったんだ。二度も同じことよ。お主が上様や修理亮に密告しても、どうでも良いわ」
勝ち誇ったように言う久秀。しばらく草案の中を沈黙が支配したが、村重が口を開いた。
「・・・分かった。お主に同心しよう・・・」
注釈
この小説では、明智光秀の生年を永正十三年(1516年)としている。