第8話 荒子城にて
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年末スペシャル、というわけではありませんが、この小説の投稿一時間後に次話を投稿いたします。
どうぞよろしくお願い致します。
元亀二年(1571年)四月、そろそろ田植えの準備をしようかな、という時期、大松と市松、夜叉丸は尾張国海東郡にある前田利家の居城、荒子城に滞在していた。利家の「そろそろ槍の使い方を教えてやろう!」という誘いを受けたものであった。
「よいか!刀を振り回しただけでいい気になるな!槍を扱えるようになって初めて一人前なのじゃ!突け!そして叩くのじゃ!」
利家の激が飛ぶ中、大松と市松、夜叉丸は犬千代とともに朝からひたすら槍を突いたり上から振り下ろす動作を繰り返していた。槍の長さは四尺(約121センチメートル)、槍としては短いが、一応、刃の部分である穂と、穂と反対の柄の先に石突がついた本物の槍である。本来は室内用とか城の物見櫓で警備兵が持つものであるが、子供用の訓練槍としても使われていた。
「えい!やあ!」
「声が小さいぞ!大声で敵を威圧しろ!声が小さいと敵にやられるぞ!」
そんな鍛錬が毎日昼頃まで続けられた。
「よし!今日はここまで!ちゃんと汗を拭いておけよ!」
利家のその言葉で解放された四人は、その場で倒れ込むほど疲れてしまっていた。
「い、犬千代・・・。前田の父上の鍛錬はこんなにきついのか・・・?」
両手の掌からにじみ出る血を見ながら、大松は犬千代に聞いた。
「いや、今日は特にきつい・・・。大松たちに稽古を付けるのが嬉しくて、気合が入ったんじゃないか・・・?」
息を切らせながら犬千代が答えた。
「畜生・・・、あのクソ親父。ぜってー叩きのめしてやる・・・」
「市松、返り討ちにあうからやめとけ」
大の字に仰向けになっている市松が恨み言を言うが、同じく大の字になっている夜叉丸がそれを諌めた。
そんな四人に、複数の人が近づいてきた。利家の妻まつと、その娘たちである。
「さあさ、お腹が空いたでしょう?甘いものを持ってきましたよ」
まつの言葉に倒れ込んでいた四人が一斉に立ち上がる。まつが持ってきたのは大麦を焼いて粉末状にしたものをお湯と少量の麦芽飴(麦芽から作った水飴)で練ったものである。現代で言う『麦焦がし』または『はったい粉』というものである。
「・・・大松?大丈夫?」
掌の皮が破けて血が出ている大松を見た幸が、大松に近寄ると、持っていた手ぬぐいを裂いて両方の掌を巻き始めた。
「幸姉・・・。いえ、大事無いです。唾つけとけば治ります」
少し顔を赤らめさせながら大松は言うが、幸は首を横に振った。
「いいえ、ちゃんと水で洗いなさい。ほっとけば膿んで熱を出しますよ?犬千代がそうでした」
「姉上!」
いきなり自分の話をし始めた姉に、犬千代は思わず声を上げた。
「ほら、松兄にバカ兄貴。さっさと食べなさいよ。市松と夜叉に全部食われるわよ」
「蕭、お前、なんで俺にそんなに冷たいんだ?」
大松と幸、犬千代のやり取りを呆れたような目で見ていた蕭が注意すると、犬千代が反発した。
「ほらほら、喧嘩してはいけませんよ。さあ、頂きましょう」
まつがそう言うと、子供たちは間食に手を伸ばし始めた。
昼の間食を食べて一休みした大松、市松、夜叉丸そして犬千代は、銛を持って近くの小川に来ていた。晩飯のおかずにする川魚を獲るためである。
これは、ただ単に晩飯のおかずを増やすためだけではない。銛を使うことで槍の訓練も兼ねているし、また、川である程度水に慣れさせることで、近々始める水練(泳ぎの練習)に備えるためのものである。
さて、犬千代や市松、夜叉丸が川の中で魚相手に苦戦している中、大松は別の所にいた。木の陰が掛かる川辺りで、銛を両手で持ち上げながら、足元の水面を見つつ、
じっとしていたのである。
音を立てず、身じろぎ一つもせずに待つこと半刻(約1時間)、大松の目の前で、水面に浮かんだ木の陰を揺らすような波紋が出てきた。と同時に、大松は両手に持った銛を思いっきり波紋の中心部に向けて振り下ろした。
「・・・よし、やっと一匹!」
大松の目の前には、銛に貫かれた大きな鯉がもだえていた。十四寸(約42センチ)近くはあるだろうか。
「やっと、両手の痛みを抑えつつ魚を獲る方法が見つかったな」
大松はそう呟くと、鯉を銛から外し、魚籠に移した。そして、もう一度川辺りに立とうとした時であった。
「・・・松兄、何やってるの?」
後ろから声をかけられた大松が振り返ると、そこには蕭が立っていた。
「いや、魚を獲ってるんだけど」
「見れば分かるよ。そうじゃなくて、犬兄たちと獲らないの?」
「一緒にやると魚が逃げるんだよ。ほら」
大松が指差した方向のはるか先で、半裸の男の子三人が川の中で暴れているのが蕭に見えた。
大松が言うには、最初は皆して静かに魚を獲っていたのだが、魚の素早さに一番早くキレた夜叉丸が川に飛び込んで銛を振り回し、続いて犬千代が、最後に市松がそれぞれキレて川に飛び込んでしまった。おかげで飛び込んだ付近の魚はことごとくいなくなってしまった。
䔥がため息をつく。
「・・・駄目じゃん。ってか、最初に飛び込んだのが夜叉なんだ」
「ああ、夜叉のやつ、温厚な見た目に反して短気だぞ。意外に市松のやつは我慢強いんだよな・・・。それと、俺の手がこれだから、あの三人のやり方だと銛に力が入らなくなるんで、かえって獲れなくなるんだよ」
大松がそう言いながら、左の掌を見せた。幸によって巻かれた手ぬぐいは、すでに黒く変色していた。
「本当は銛じゃなくて釣りで魚を獲りたかったんだけど、前田の父上が『戦場で怪我をしたから槍が持てません、では通用せんぞ!例え腕を失っても槍を持って戦え!』って無茶苦茶なこと言って叱ってくるから、釣りをさせてくれなかったんだ」
大松がそう言うと、蕭は「父上らしいや」と言って笑った。
「というわけで、時間もないのでまた魚獲ってくるよ」
そう言うと、大松はまた木の陰に立って銛を持ち上げた。そしてそのまま動かなくなった。
蕭はその場で三角座りをすると、そのまま黙って大松を見つめていた。
「なあ、蕭ちゃん。見てて楽しいか?」
「割と」
「そっか」
大松と蕭の会話は、それで途切れてしまった。それから半刻後、ずっと動かなかった大松が動き出した。再び銛を水面に振り下ろすと、再び大きな鯉が銛に貫かれていた。
「よし!これで二匹目!蕭ちゃん、獲れたよ!」
そう喜びの声を上げながら振り向いた大松。しかし、そこには蕭の姿はなかった。
「蕭ちゃん?・・・蕭ちゃん!?」
大松は慌てて辺りを捜し始めた。大松の胸に不安な気持ちが注ぎ込まれる。
―――どこにいった!?川に落ちたなら気付くはず。城に帰ったならそれでよし。どこかで迷子・・・はないか、ここ前田領だし・・・。さては攫われた!?―――
そんなことを思いながら辺りを捜す大松。そんな大松の後方頭上から声が聞こえた。
「松兄〜!こっちこっち!」
大松が振り返りながら上を向くと、木の上の太い枝に腰掛けている蕭の姿が目に飛び込んできた。
「蕭ちゃん!?何やってるの!?危ないよ!?」
「危なくないよー」
大松の絶叫にそう答えた蕭は、木の幹に抱きつくと、ゆっくりと木から降りてきた。そして、あと1メートルといった高さから飛び降りた。
「うわっ」
着地に失敗しバランスを崩したのか、䔥がふらついて倒れそうになる。大松が慌てて蕭を抱きとめた。
「おっと、大事ないか?」
「うん」
そう言いながら蕭は大松の胸に手をおいて寄りかかろうとした。しかし、大松はすぐに離れてしまった。
「まったく、あまり無茶をするなよ。前田の父上や母上に叱られるぞ」
大松の注意に、蕭はジト目で返した。大松は思わずたじろいだ。
「・・・なんだよ」
「・・・べっつに〜」
そう言うと蕭はプイッっと横を向いてしまった。大松が頭に疑問符を浮かべていると、遠くから犬千代が声をかけながら近づいてきていた。
大松、犬千代、市松、夜叉丸そして䔥が荒子城に戻ったのは、申の刻になったばかり(午後3時頃)の時であった。城内の屋敷の勝手口から屋敷に入ると、そこではまつを中心に城内の侍女たちが夕飯の支度を行っていた。
「只今戻りました、母上」
「犬千代、よく戻りましたね。魚は獲れましたか?」
「・・・大松が鯉を二匹ほど」
犬千代がまつにそう答えると、大松が魚籠をまつに差し出した。
「まあ!立派な鯉!大松、お手柄でしたよ」
「はい!」
魚籠の中を見たまつが大松を褒めると、大松は元気よく返事をした。
「で?犬千代と市松、夜叉丸は?」
まつから笑顔を向けられた犬千代たちは、勢いよく目をそらした。
「犬兄たち、川で遊んでて魚一匹も獲れてないよ」
「蕭!・・・いや、違うんです。母上。銛を槍の代わりとして鍛錬をしてましたら、その、あの」
告げ口した蕭を睨みつけながら、犬千代が言い訳をする。まつは笑顔を保ったまま犬千代に言った。
「まあ、銛で槍の鍛錬をしながら魚を獲るなんて土台無理な話なのですから、気にしなくていいですよ。さあ、父上はすでに居間にいますから、皆も手を洗って居間に行きなさい」
はーい、と返事をしながら、大松達は一旦勝手口から外に出ると、近くの井戸で手を洗い始めた。
「まったく、あのオバサン、たまに笑顔が怖いんだよなー」
「分かるわー」
「おい、前田の母上をオバサンと言うな。御方様と言え」
市松と夜叉丸の会話に大松が注意する。
「そんなことよりも早く居間に行こうぜ。腹減ったよ」
犬千代の発言で、大松は急に空腹を感じてしまった。
まつに晩飯の手伝いをさせられるために台所に残された蕭を置いて、大松、犬千代、市松、夜叉丸は居間へと向かった。
「父上、犬千代只今戻りました」
襖越しに居間に声をかける犬千代に、中から「おう、入れ」という返事がした。犬千代が襖を開け、四人が中にはいると、最後に入った夜叉丸が襖を閉じる。そして四人並んで一斉に平伏し、一斉に「只今戻りました」と挨拶した。
「おう、戻ったか。今日も一日よくぞ鍛錬に耐えた。褒めてつかわす」
利家の言葉に「はいっ!」と返事をする四人。顔をあげると、そこには利家と、もう一人、青年が座っていた。
歳は二十歳くらいか。引き締まった顔立ちであるが、目尻が下がっており、温厚そうな性格を醸し出していた。大松にとって、初対面の人物であった。
「ああ、大松達は知らないのか。紹介しよう。前田甚七郎殿だ」
「前田甚七郎長種です。お初にお目にかかります」
利家の紹介を受けて、長種は軽く会釈する。
「木下藤吉郎が息、木下大松にございまする。こちらに侍るは我が義弟でございまする」
「福島市松にございまする」
「加藤夜叉丸にございまする」
大松が自己紹介と市松と夜叉丸を紹介する。長種がちょっと首を傾げる。
「義弟?」
「我ら三人、義兄弟の契りを結んでおりまする」
大松が答えると、長種の顔がパッと明るくなった。
「おお、『三国志』の『桃園の契り』ですな!いや、羨ましい。良き義弟をお持ちだ」
「恐悦至極に存じまする」
長種と大松が話を終えるのを待って、利家が口を開いた。
「甚七郎殿は前田宗家の嫡男でな。今は荒子城に手伝いに来てもらっている」
前田長種の父、前田長定は前田城の城主で、他に下之一色城を有する武将である。元々は林秀貞やその弟の林通具の与力として、荒子城をも有する武将であったが、林兄弟が織田信長の弟である信行を擁立、信長に反旗を翻したものの、ものの見事に信長に返り討ちにされてしまった。結果、荒子城とその周辺は、利家の父である前田利春に割譲されている。
そういった経緯で、現代では前田長定、長種は前田利家の本家筋と見る説が有力である。
さて、荒子城ではただ今絶賛人手不足中である。永禄十二年(1569年)に兄利久から家督を信長によって強制的に譲られた利家の元から、奥村永福ら内政に強い家臣が出奔してしまい、領地経営がおぼつかなくなっていた。そこで、前田城より人手を借りて何とか経営をしているところであった。長種はその派遣された者共の頭として、荒子城に滞在していた。
「さあ、皆さん。夕飯ができましたよ」
襖が開き、まつと幸、蕭や侍女たちが鍋やお櫃、食器を載せた食台を持ちながら居間へと入っていった。
食事が終わり、それぞれが部屋に戻っていった。大松は市松や夜叉丸と一緒の部屋を割り当ててもらってある。市松や夜叉丸がすでに布団の上でひっくり返って寝ている中、大松は一人、座敷机に向かって日記を書いていた。
この頃から、大松は日記を書いていたのではないか、と言われている。現代に残る豊臣秀重の日記は『長浜日記』と『大坂日記』が有名であるが、『長浜日記』の冒頭に『岐阜にいた頃から日記を〜』という文があり、岐阜にいた頃から日記をつけていたものと思われる。
日記をつけながら、大松はさっきの晩飯のことを思い出していた。
―――幸姉、随分と甚七郎様と仲が良かったな―――
大松が見たもの、それは長種に酌をしていた幸の姿であった。その顔には、何やら嬉しそうにはにかんだ表情があった。
―――なんだろう?この気持ち。なんか・・・もやもやする―――
そう思いながらも日記をしたためる大松であったが、途中で大松は日記を書くのをやめてしまった。
「寝よう。きっと疲れてるんだ」
そう呟くと、大松は近くにあった燭台のろうそくを吹き消すと、近くの布団の上に寝転んだ。
この時、大松は数え歳で10歳。まだまだ恋というものが分からない歳であった。
前田家に残っている古文書によれば、大松は元亀二年八月までは荒子城にいたと考えられる。記録によれば、ここで利家より槍術や水泳を学んでいたようである。また、七月には前田一家総出で尾張国熱田神宮へ参拝に行った記録も残っており、大松も同行したと思われる。
もっとも、後世に出された豊臣秀重の逸話集に描かれているような「大松と犬千代、幸、蕭、市松、夜叉丸が熱田神宮にある桜の木の下に埋まっている死体を探しに旅に出る」という逸話は、さすがに嘘であろう。