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第86話 百人一首

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 天正五年(1577年)三月下旬。長浜にて一隻のフスタ船が完成し、『細波丸さざなみまる』と名付けられた。細波さざなみとは元々は細かに立つ波のことであるが、琵琶湖の古称でもある。

 この『細波丸』は、同じフスタ船である『淡海丸』と違い、伴天連からの情報を元に作り上げた本格的なフスタ船であった。とは言え、琵琶湖での運用上、船底は曲面ではなく平面にしなければならないため、外見上は船腹横がやや湾曲した『淡海丸』と言った感じであった。違うのは中の構造がより合理的になり、強度が増したところであった。


「これが南蛮船ですか・・・」


 琵琶湖に進水した後、長浜城内の湊に係留している『細波丸』を見たゆかりが呟いた。隣りにいた乳母の夏やしち、乳姉妹のてるも物珍しそうに見つめていた。


「どうだ。日本ひのもとの船大工も、南蛮人の船を作ることぐらい造作もないということが分かっただろう」


 そう言いながら重秀は嬉しそうな顔をしながら縁に言った。縁が右の人差し指を右頬に添えながら首を右に傾けて言う。


「御前様、何故南蛮人にその様に対抗心を露わにされるのでございますか?」


「昔、堺にて南蛮人に船を見せてもらったことがあった。その時は好意で見せてもらったものと思っていたが、一緒にいた小西弥十郎殿から『我等日本人(ひのもとのひと)には作れっこないと思われている』と聞かされたんだ。それならば、我等で作って南蛮人を見返してやろう、と思ったんだ」


 重秀はそう言うと、真面目な顔つきで縁を見つめた。


「しかし、南蛮人はこの船よりも大きな船を建造して我が国に来ている。フスタ船が作れたからと言って、南蛮人達は我等をまだ見下すだろう。それを防ぐためにも、より大きな船を作り、南蛮人達に侮られぬようにしなければ」


 縁はこの時、重秀の顔に幾ばくかの恐れの表情を見て取った。縁が思わず重秀に聞く。


「御前様。何を恐れておりまするか?」


「えっ?」


 重秀が驚いたような表情をした。そして縁に「お、恐れているように見えた?」と聞いた。


「はい。その様にお見受けいたしました。間違っていたら申し訳ございませぬ」


「いや、謝ることはない。そうか、恐れているか・・・」


 両掌(りょうてのひら)を両頬に押し当ててグルグル回しながら重秀は言った。顔の形が変な風に変わるのを見た縁が思わず笑った。


「うふふ。お顔が可笑しゅうなっておりますよ、御前様」


 そう言いながら、縁は自分の右手を上げると、重秀が左頬に置いたままの左手の甲をそっと触った。そして縁が重秀に微笑みながら言う。


「よくは分かりませぬが、縁は御前様がお強い方と信じております」


 年相応の笑顔に思わず見とれてしまった重秀であったが、夏の「コホン!」という咳払いで我に返った。


「若君に御姫様おひいさま。周りの目もございまする。何卒ご自重あるべし。それに」


 夏は重秀にジト目を向けると、さらに話を続けた。


「御姫様にふさわしい婿殿として、もう少しお歌の鍛錬をしていただかないと」


 夏の小言に重秀は思わず「うっ」と言って怯んだのであった。重秀は縁の乳母である夏から和歌の手ほどきを受けていた。元々岐阜城での小姓時代に基礎を学んでいただけあって、型通りの歌は詠めるようになったものの、高度な技巧を凝らした和歌を作るには至っていなかった。


「若殿様は歌の技巧よりも、いにしえよりの歌をもっと覚えていただかないと。織田家の重臣の嫡男である以上、公家衆との関わり合いもできてきましょう。歌を詠むだけではなく、歌を知っていることも必要にございます。せめて、百人一首は覚えていただかないと・・・」


 重秀は黙り込んでしまった。百人一首は知ってはいるし、岐阜城での小姓時代に覚えさせられてもいる。が、今ではほとんど忘れているのだ。


「・・・まあ、その、なんだ。ただ覚えるというだけでは、面倒くさいと言うかなんと言うか・・・」


 重秀が苦笑いしながらそう言うと、夏がまたジト目で重秀を見つめた。そんなときだった。縁が「ああっ!」と声を上げながら両手をポンッっと叩いた。


「御前様、貝合せをいたしましょう!」


「か、貝合わせ?」


 いきなり縁にそう言われた重秀が、怯みながら聞いた。縁が首を傾げながら言う。


「貝合せご存知ありませんか?はまぐりと言う貝の殻を・・・」


「いや、貝合せは知っている。でも、それと百人一首に何の関係が?」


 重秀がそう聞くと、縁は詳しく説明し始めた。


『貝合せ』とは、蛤の貝殻を使った遊びの一種である。元々は別の遊びの名称であったが、『貝覆い』(蛤は二枚貝であるが、対になる貝殻以外とは絶対に組合わない、という特性を活かし、360個の貝殻を出貝だしがい地貝じがいの2つに分け、出貝に合う地貝を多く見つけ出したものが勝つという遊び)の事も『貝合せ』と言うようになった。

 この貝合わせに使われる蛤の貝殻は、ただの貝殻ではなく、対になる貝殻の内側に同じ絵を描いている。遊ぶ時は絵の側を伏せて遊ぶのである。イメージとしてはトランプの神経衰弱に近い。

 ちなみに、蛤は対になる貝殻以外は絶対に組合わない、ということで、唯一無二のペアとして夫婦円満の縁起物とされている。なので、貝合わせに使われる貝殻は貝桶と呼ばれる入れ物に大切にしまわれ、嫁入り道具の一つとして扱われている。


「貝合わせに使う貝殻に描かれている絵は、主に源氏(源氏物語のこと)や伊勢(伊勢物語のこと)などの物語の一場面が描かれております。そして、その場面に詠われているお歌も書かれているのですが、大体出貝に上の句、地貝に下の句が書かれておりまする。私めはそれで源氏や伊勢のお歌を覚えました。また、実家には百人一首を書いた貝合せの貝殻もございました。それを使えば、自ずと覚えるものと存じます」


「なるほどね・・・。よし、ならばそれを縁の実家から取り寄せてみるか」


 縁の説明に対し、右手で顎をさすりながら重秀が言うと、夏が即座に答える。


「残念ですが、もうありませんよ」


「はあぁ!?」


 重秀が声を上げたが、夏がそのまま話を続けようとした。そこに、遠くから重秀を呼ぶ声がした。見てみると、それは浅野長吉であった。


「おーい、藤十郎!竹生島から神主が来たぞ!そろそろ『細波丸』の船入の儀式(今の進水式みたいなもの)を始めるぞー!」


 よく見れば、長吉の後ろからぞろぞろと多くの人がこちらの向かってくるのが見えた。中には秀吉や小一郎、出産以来体調が優れずに本丸御殿の奥からあまり出てくることのなかった南殿、『細波丸』の建造に関わった長浜と九鬼から派遣された船大工達の姿も見えた。

 重秀達は近づいてきた秀吉達に挨拶をすると、船入の儀式で居るべき立ち位置に移動した。





 船入の儀式も無事に終わり、二の丸御殿の奥に戻った重秀達は、船入の儀式で合流した千代も交えて先程の話の続きをした。


「百人一首の貝合せがないってどういう事だ?」


 重秀の質問に夏が答える。


「そのままの意味でございます。そもそも貝合せの貝殻が三百六十個あるのは、天文や暦学に基づくものでございます。されば、百個だけの貝合せはその仕様から外れておりますれば、そもそも存在しないのが当たり前なのです」


「では何故、縁の実家にあるのか?」


「職人の手習い用に作られたもの。元々伊勢は貝合せが名物でございますれば」


 公家の遊びから始まった貝合せは、京の都で作られるのが当然であった。一方、桑名を始め蛤の産地を多く抱える伊勢国では、伊勢神宮をお参りに来る公家や上級武家向けに貝合せを生産しており、その数は少なくはなかった。というわけで、職人も多くが伊勢におり、当然見習いも多くいた。そういった見習いの者達が、百個の貝殻で練習できる素材として百人一首を選んでいたものと思われる。


「御姫様がお持ちだったものは元々私が譲り受けた物を百人一首を覚えさせるためにお譲りしたものにございまする。御姫様はすぐに覚えられ、また新しく本物の貝合わせの物を殿様(織田信包のこと)より与えられました故、それ以来百人一首の貝合せは見かけておりませぬ。おそらく御方様が捨てられたのではないかと」


 夏の言葉に、重秀が腕を組みながら上を見上げて唸る。


「うーん。とすると、一から作るか」


「作るのですか?伊勢か京で買うのではなく?」


 重秀の発言に驚いた縁が思わず聞いた。重秀は何事もないような顔で答える。


「うん。っていうか、別に蛤である必要もないだろう。短冊に歌を書いて、上の句と下の句の間を切り離せば、貝合せと同じ遊びはできよう」


 重秀の言葉に縁と照、夏と七がお互いの顔を見た。それを見た千代が口元を隠しながら笑った。


「皆様、若君はこういう方なのでございまする。若君は何かを思いつけば、必ず自身で行うことを望まれまする」


 千代の説明を聞いた夏と七が同時に「はあ・・・」と納得したのかしてないのか分からない返事をした。この時、今まで黙っていた照が縁に声を掛けた。


「御姫様。その役目、この照にご命令下さいませ。いくら若君がご自身で作ることを望まれても、若君はご多忙の身。百人一首なら私めも覚えておりますれば、一両日中には作り終えることができるかと」


 しかし、照の提案を重秀が却下する。


「照の献身は有り難いのだが、どうせ百人一首は覚えなければならぬのだ。ならば短冊に自ら書くことで覚えることもできよう。元々書いて覚えるのは得意だからな」


「ではせめて、上の句と下の句を切り離す作業はお任せ願いませぬか?」


 照が再び提案すると、重秀は腕を組んで考え込んだ。そして「相分かった。任せよう」と返したのだった。





 その日の夜。重秀は寝所で縁と寝る前の会話を交わしていた。いつもならば源氏物語の内容を話たりするのだが、今夜は別の話であった。


「・・・北近江のまつりごとについてのお話、ですか?」


 縁が右の頬に右人差し指を添えながら、首を右側に傾けて重秀に尋ねた。その仕草に愛らしさを感じながら、重秀は頷く。


「うん。今年は父や叔父上だけではなく、私も遠征が多くなりそうだ。縁には城に残ってもらうことになる。そこで、これからのことも考えて、縁には城代を務めてもらえるように、今から学んでもらおうと思って」


「じょ、城代にございまするか!?私には無理でございまする!」


 重秀から予想外のことを聞かされた縁が思わず声を上げた。重秀は首を横に振りながら話を続ける。


「いやいやいや!いきなり城代をやれと言っているのではない!・・・ただ、城主の正室となった場合、城内では頂点に立つ身なれば、少なくとも城内の統制はできて当たり前だし、留守居役の家臣が良からぬことを考える場合も無きにしもあらず。そうならないよう、知識として領内の事情に精通して欲しいのだ。

 まあ、大体木下の伯父上(木下家定のこと)や杉原の大伯父上(杉原家次のこと)が留守居役になるので、良からぬことを考えることはないと思うが、この二人がいないこともある。そうなった場合、長浜城の統制は縁に委ねられることになる」


「殿の御母堂様は・・・?」


御祖母おばば様は百姓の出自。城代ができると思うか?そもそも、御祖母様は字が読めぬ」


 重秀の言葉に縁は首を横に振った。確かに、襤褸ぼろをまとって城内の畑で野良仕事をしている御祖母様に城内の統制は無理そうであった。


「・・・分かりました。できるかどうか分かりませぬが、お教えいただきとう存じます」


 そう言って縁は、三つ指をついて重秀に平伏した。こうして、その日の夜より縁は重秀から長浜城の内外について話を聞くことになった。

 と言っても小難しい話ではなく、重秀がその日のうちに行った内政のことについて軽く話すだけであった。領内の村々の名物や特色、長浜や塩津や大浦といった湊町に入ってくる商品などの話などなど、なるべく堅苦しい話にならないよう、重秀は気を使って話をした。そのおかげか、縁は気負いせずに話を聞くことができた。

 もちろん、源氏物語についての語らいもしているため、二人の睡眠時間は段々と少なくなっていった。しかし、二人共若いのであまり苦痛にはならず、徹夜で話し合うこともままあった。

 こんな二人を見て周りの人間は仲睦まじさを微笑ましく見ていたが、秀吉だけは「そんな話す時間があるならば、さっさと子作りに励んで欲しい」と、石田三成に愚痴っていたらしかった。





 重秀から「百人一首の写しが終わったので、切り離しを頼む」と伝えられた照が、二の丸御殿の『奥』にある書院に入ると、そこには重秀と一匹の猫がいた。


「お呼びにより参上いたしました・・・。あ、猫だ」


「おう、照か。猫好きだったのか?」


「はい、とても愛らしゅうございまする。・・・ところで、何故城には猫が多いのでございますか?御姫様もとても不思議がっておりました」


 そう言いながら重秀の前に座る照。しかし、視線は猫に釘付けであった。重秀が答える。


「ああ、鼠対策さ。この城には鼠の餌となる兵糧米や蚕が多くあるからな。その鼠を捕らえるために猫を多く飼っているのさ」


「ああ、なるほど・・・。ところで、百人一首の書き取りが終わったと聞きましたが」


「ああ。はいこれ」


 そう言って百枚ある短冊を乗せた盆を照に差し出す重秀。照が上に乗っていた一枚の短冊を取り出して見つめる。


「百首を一両日中に書き終えただけではなく、このような達筆でお書きになられるとは」


「岐阜城の小姓時代に右筆としての鍛錬はみっちりとさせられたからな。殿様はともかく、上様は最初は低い声でゆっくりなのに、だんだんと高い声になって早口になるから、早く書かないと追いつかないんだ」


 重秀の説明に照は思わず笑ってしまった。そんな照に重秀が言う。


「ま、それはともかく、短冊の切り離しは任せる」


「承りました。今日中にもできるかと存じます」


「そんなに慌てるようなことではないからゆっくりで良いぞ。それにそろそろ蚕の準備もあるだろう。特に、今年からは多門櫓(たもんやぐら)で蚕を育てるしな」


 多門櫓とは、足軽長屋をそのまま石垣の上に持ってきて、住居(倉庫)兼城壁としたようなものである。石垣の角に作った櫓を繋ぐ廊下としての機能も持ち合わせている。

 秀吉は長浜城の防御強化に本丸と二の丸の石垣を拡張、その上に多門櫓を作った。当初は倉庫か奉公人の住居にする予定であったが、鉄砲狭間によって風通しが良く、また琵琶湖の近くということで温暖でかつ寒暖の差があまりないことから、養蚕小屋としての機能をもたせることとなった。そして、蚕の世話を城の侍女や奉公人がやることになった。


「・・・正直申し上げれば、私めは虫は苦手なのですが・・・」


 照が困惑したような顔をしながらそう言うと、重秀も困惑したような顔になりながら言う。


「縁から聞いている。とはいえ、縁は参加すると言っているから、照も参加せざるを得ないだろう」


「御姫様が参加しなくても、侍女は参加を命じられておりまする故、断れないのが辛うございまする」


 乳姉妹である照は、長浜城内では縁の侍女の一人とされているため、当然に養蚕参加の義務があった。


「まあ、蚕を見ないですむ仕事もあるから、それを積極的に行えばいいだろう。それに、蚕自体は経験のない者には育てさせないから、一年の間に慣れることがなければ、また相談に乗ろう」


「・・・若君の心遣いに大変感謝致します。その時はよろしくお願い致します。それではこれで」


 照が重秀にそう言いながら平伏すると、短冊の乗った盆を持って書院から出ていった。


 次の日には上の句と下の句に切り分けた短冊が照から重秀に渡された。さっそくその短冊を使って百人一首を覚える重秀。縁や照の助けも借りてある程度覚えた重秀は、貝合せのように短冊を文字の書かれている面を伏せて全てを畳の上に広げると、神経衰弱の要領で短冊をひっくり返しては上の句と下の句を合わせてまとめている。まとめ終わった短冊は縁や照、夏の手によって正誤が判断されていき、間違っているものを集中的に覚えさせ直した。

 そのようなことを2週間ほど続けていくにつれて、重秀は百人一首を覚えていった。と同時に、和歌に書かれていく言葉遣いや単語に込められた作者の想いも汲み取れるようになった。和歌の師である夏は、この変化を見逃さず、重秀に課題を与えては和歌を作らせていった。

 そして百人一首での神経衰弱も、和歌を覚えることが目的よりも楽しく遊ぶことが目的になってきた。縁や照も参加して、誰が多くの短冊を取れるか競うようになり、それと同時に重秀は縁だけではなく、照とも親密となっていった。





『長浜日記』によれば、豊臣秀重は長浜城にいた頃に徹底的に和歌の鍛錬を行なっていたことが書かれている。と同時に、岐阜城で小姓を務めていた頃には和歌が苦手であったことも書かれている。しかし、この時期に和歌を徹底的に学んだことが、後年になって朝廷との繋がりに大いに役に立つことになる。


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[良い点] 和歌は貴族社会で挨拶ですからね。出来ないと舐められる。 そして、南蛮人の脅威を悟ったか。何カ月もかけて地球を半周するなんて怖いよ
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