表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/262

第83話 天正五年の正月

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


 天正五年(1577年)一月。重秀は秀吉や小一郎、秀吉配下の与力達と共に安土城に来ていた。信長への新年の挨拶をするためであった。重秀達はほぼ完成していた安土城内の羽柴屋敷に逗留することとなった。

 上下二段の曲輪くるわにまたがって建てられた羽柴屋敷は、今までの羽柴屋敷よりもとても大きく、まさに織田家重臣の屋敷として申し分ない規模であった。


「ふむ、随分とでかいな。儂の屋敷よりでかいのではないか?」


 新年の挨拶として羽柴屋敷にやってきた前田利家が秀吉に言った。秀吉は笑いながら答える。


「まあ、上様より頂いた曲輪が思うた以上にでかくてのう。それに、お主の屋敷も見たが、結構な大きさではないか」


 安土城内には利家の屋敷もある。ちなみに羽柴屋敷の向かい側である。


「そう言えば、孫四郎はどうした?一緒じゃないのか?」


 秀吉の質問に利家が答える。


「ああ、荒子城に行かせている。ちょっとしたお使いよ。そっちこそ、藤十郎が居ないではないか」


 利家が逆に質問してきたので、秀吉が答える。


「ああ、上総介様(織田信包のこと)の屋敷に行かせておる。安土の屋敷の新築祝いを持ってな」


「例の鯨肉か?」


「いや、緞子どんすの反物よ。ようやっと堺の織物職人が近江の絹を使って反物を編めるようになったわ。とは言っても、数は少ないがな」


「おお、それは良かったな。府中でも養蚕は始まっているが、まだまだ生糸が取れる質も量もないからな。当分は紬糸と真綿で糊口を凌いでいるわ」


「これからよ、これから。諦めずに育て続ければ、お蚕様は報いてくれるじゃろうて」


 秀吉と利家が客間でそんな事を話していると、外から石田三成の声がした。


「殿!若君がお帰りです!」


「お?もう帰ってきたのか?こっちに通せ!」


 秀吉が佐吉に命じた後、利家に顔を向けた。


「出ていって半刻(1時間)も経っておらぬぞ?何かあったのか?」


 秀吉と利家が首を傾げている間に、重秀が客間に入ってきた。


「父上、只今戻りました。前田の父上、あけましておめでとうございまする。今年もどうぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしまする」


 作法通りに挨拶する重秀に、秀吉が話しかける。


「おう、どうした。上総介様に何かあったのか?」


 秀吉の質問に対して、重秀は困惑気味に答える。


「それが・・・。領内にて謀反だそうで、すぐに安濃津城へ戻られるとか」


 重秀がそう答えた瞬間、秀吉だけではなく利家も驚いて「はあぁ!?」と大声を上げた。重秀が詳しく話しだした。


「旧長野家の一族で家老だった細野壱岐守殿(細野藤敦(ふじあつ)のこと)が、上総介様の留守をついて長野城を乗っ取ったそうです」


「細野壱岐守・・・。確か長野家の分家だったかな?」


 利家がそう話すと、秀吉が話を続ける。


「壱岐守の父親が長野家からの養子だったはず。・・・確かに、壱岐守は長野の独立を夢見ていたという噂は聞いておったが・・・。まさかこの時期に謀反とはのう・・・」


 秀吉が顎を右手で撫でながらそう言うと、視線を重秀に向けた。


「藤十郎、上総介様からなにか聞いているか?」


「羽柴の助力を申し出ましたが、断られてしまいました。上総介様の言うことには、『羽柴は去年の霧山城攻めから日が経っていない故、骨を折らせるのは忍びない』とのことでした」


「そうか。ではお言葉に甘えよう」


 秀吉がホッとしたような表情でそう言ったのに対し、重秀は不満そうな表情で秀吉に言う。


「よろしいのですか?ゆかりの実家を助けなくて。我が羽柴の軍勢ならば、細野など容易たやすいでしょうに」


「上総介様がいらぬと言った以上、他家の我らが首を突っ込んだらかえってこじれるわ。まあ、上様から出兵の下知がなされるのであれば話は別じゃがのう。それに、今年は大戦おおいくさがありそうじゃ。なるべく兵は温存したいのじゃ」


「大戦・・・ですか。父上はどこと戦すると?」


 重秀がそう聞くと、秀吉は重秀を見つめながら答える。


「まずは毛利じゃ。いよいよ播磨、但馬へ向けて兵を進めるぞ」


「おお、播磨、但馬の調略を藤吉とうきちが担っているとは聞いていたが、順調そうだな」


 利家が感心したような物言いでそう言ったが、秀吉は首を横に振った。


「いや、全然じゃ。毛利の調略も激しくてのう。向こうは公方(足利義昭のこと)の奉公衆やら奉行衆やらを送り込んできていて、播磨や但馬、さらには丹波の国衆にも調略を仕掛けてきていると、官兵衛(小寺孝隆、のちの黒田孝高のこと)から報せが来ておったわ」


「・・・ならば、兵を率いるのは難しいのでは?」


 重秀がそう質問すると、秀吉はニヤリを笑いながら重秀に答える。


「逆じゃ。調略が難しいのであれば、兵を率いて力で従わせるのじゃ。すでに播磨では三木城の別所殿、御着城の小寺殿が織田方についておる故、彼らを助けるという大義名分で兵を出す。あとは兵力を背景に交渉に持ち込めば、播磨は織田のものになる。但馬は山名右衛門督(山名祐豊(すけとよ)のこと)が毛利と同盟を組んだが、元々家老が勝手に結んだ同盟。本人は不本意だろう。儂が兵を率いて行けば、向こうは戦う気がないから降参するしかないだろうよ」


「なるほど。だから舅殿の援軍で兵をあまり失いたくないと」


 重秀が納得したような顔でそう言うと、秀吉は「その言い方は語弊があるぞ」と言いながら苦笑した。秀吉はさらに話す。


「次に石山本願寺じゃ。柴田様が本願寺の支城をちまちま攻めているため、本願寺は青息吐息じゃ。上様もそろそろ本格的に侵攻するじゃろう。とはいえ、こっちはお手伝いじゃ。儂が出るまでもないかもしれぬが、小一郎やお主に兵を率いてもらうやもしれぬ」


「承知いたしました」


 重秀がそう言って頭を下げた。秀吉は視線を利家に向けながら話をさらに続ける。


「そして加賀じゃ。石山本願寺と上杉が講和したことで、越中、加賀の一向一揆勢は上杉にとって敵ではなくなった。一気に加賀にまで進出してくるぞ」


「おお、不識庵(上杉謙信のこと)といよいよ一戦交えるか!腕が鳴るな!」


 利家が嬉しそうに腕をさすると、秀吉が渋い顔をしながら話を続ける。


「喜んでいる場合ではないぞ。儂が播磨に出ている間に加賀に上杉勢が進出してくれば、援軍を北に送らにゃならぬ。羽柴は数は出せぬぞ」


「心配するな。越前には佐久間様や内蔵助(佐々成政のこと)、五郎八(金森長近のこと)などがいるんじゃ。上杉如きに負けはせぬ。ただ、右近(戸次右近のこと)がいないのがちと不安だが・・・」


 戸次右近こと簗田広正は、加賀大聖寺城の城主として加賀方面を担当していたものの、加賀一向一揆勢に手も足も出ず、結局信長からは加賀方面の担当から外された。

 広正は信長の命で大聖寺城から退去し、尾張へ帰還。その後は織田信忠の家臣となっていた。そして大聖寺城は佐久間信盛の息子である佐久間信栄が城主となっていた。


「・・・又佐、お主の腕を疑うわけではないが、上杉の兵は精強ぞ。不識庵自らが兵を率いているならば、上様のご出陣もあり得る。ならば、儂も出ていかざろう得まい」


「おお、上様と藤吉が出張ってくるなら、ますます勝利は確実だな!今から楽しみじゃ!」


 あくまで楽観的な利家に、秀吉はこめかみを指で押さえることしかできなかった。





 次の日、未完成ながらも安土城の二の丸御殿で、信長主催の新年の宴が催された。信長は、質素ながらも美味い酒と肴で上機嫌となっていた。下段の間で楽しくしている家臣達の様子を見ながら酒を空けていた。頃合いと見た信長は、立ち上がると大声を上げた。


「皆の者!聞けい!」


 それまで談笑していた家臣達が一気に静かになり、信長に注目した。信長は声を上げる。


「今年は、いよいよ石山本願寺を攻め落とすぞ!権六(柴田勝家のこと)のおかげで石山本願寺の勢力に陰りが見えておる!」


 家臣達から「おおっ・・・」という感嘆の声が上がった。信長がまた声を上げる。


「しかし!本願寺の坊主共は未だ力を残しておる!その力の源は何か!?」


 信長の問いかけに、家臣達が互いに顔を見合わせる。信長が明智光秀の方へ視線を向けると、光秀が(うやうや)しく答える。


「恐れながら、一向門徒の結束力は未だ衰えず。本願寺内の兵力も減っておらぬ故、その力は未だ侮れず。さらに加賀や越前を始め、一向門徒の力の強い地とも結びついておりますれば、力の源は人の数と結び付きにあるかと」


「で、あるか。他には?」


「恐れながら!」


 信長の問いに秀吉が声を上げる。


「石山の地には木津川があり、海へ繋がっておりまする!その海から毛利が武器弾薬、兵糧を運び込んでおりまする!海と川の通路こそ、本願寺の命綱と心得まする!」


「で、あるか。他には?」


 再び発せられた信長の問いに、家臣達は頭を捻った。はて、光秀や秀吉の発言に間違いはなかったはず。何が間違っているのだろうか?


「金柑や猿の言は正しい。大将として正しい見方ぞ。しかし、儂が聞きたいのはそこではない」


 信長がそう言うが、その場に居た者達は互いに顔を見合わせるだけだった。そんな中、織田信忠が発言する。


「父上、皆が困惑しております。本願寺の力の源とは何でございましょうや」


「ふむ。うぬにも分からぬか」


 信長が信忠に尋ねた。


「父上の発言から、本願寺勢の中に中核となる戦力が力の源であると推察いたしました。ただ、一揆勢にそこまでの戦力がおりましたでしょうか?」


「・・・そこまで気がついて分からぬか。まあ、良い。答えは雑賀衆よ」


 信長の答えを聞いた信忠を始め、その場に居た者達は一斉に納得したような声を上げた。信長の話が続く。


「雑賀衆の鉄砲の運用術は脅威よ。あれをどうにかせねば、石山本願寺が屈することなどありえぬ。なので、まずは雑賀衆を殲滅する」


 信長の発言に、その場に居た者達の顔が不思議そうな表情を浮かべた。丹羽長秀が思わず聞いてしまう。


「上様、どの様に雑賀衆を殲滅するのでございまするか?本願寺より引きずり出すのは難しいかと・・・」


「そうではない五郎左。本願寺から引きずり出すのではなく、本願寺より引き戻すのだ」


 信長の言葉に、何人かの者達の顔に納得の表情が浮かんだ。柴田勝家が信長に言う。


「戻す、ということは、奴らの本拠地を攻めて、本願寺より本拠地への援軍にするわけですな。で、出てきたところを狙うと」


「そのとおりよ。というわけで、新年早々済まぬが、その方達には紀伊の雑賀を攻めてもらうことになる。詳しいことは明日、評定にて決しようぞ」


 信長の言葉に、全ての者が「ははぁ!」と返事をしながら平伏した。





 次の日、雑賀攻めに関しての評定が終わり、秀吉が羽柴屋敷に戻ってきた。秀吉は小一郎と重秀を呼ぶと、奥座敷にて話し合いを持った。


「雑賀攻めは来月と決まった。近江の者達は八日までに安土に集合。九日に京に向けて出陣いたす」


 秀吉の言葉に、小一郎が「随分と余裕をもたせるのだな」と疑問を呈した。秀吉が答える。


「雑賀衆に反発する紀伊の国衆や根来衆に根回しをしたいんだと」


「なるほど、完全に雑賀を包囲するおつもりなのですね」


 重秀の言葉に秀吉がニコニコ顔で「そのとおり。さすが我が息子よ」と喜んだ。秀吉は話を続ける。


「今回、羽柴は全軍で向かう。小一郎も藤十郎も一緒に来るのじゃ」


「兄者。今回藤十郎は留守居役で良いのではないか?去年、霧山城攻めに参加したろう」


「いや、今回は殿様(織田信忠のこと)も出陣なさる。なるべく藤十郎には殿様と同じ戦場の景色を見てほしいのよ。そうすると、殿様との意思疎通がしやすくなる」


 小一郎の発言にそう答えた秀吉は、重秀の方を見ると口を再び開いた。


「良いな?藤十郎」


「承知いたしました。喜んで出陣いたしまする」


 両手を畳につきながらそう返事をする重秀に、秀吉は「うむ!」と言って微笑んだ。


 さらに次の日、重秀は信忠の屋敷へ新年の挨拶に行っていた。すぐにお目通りが叶い、信忠の前に来ると、作法通りの挨拶をする。


「羽柴藤十郎にございまする。新年早々、従四位下左近衛権少将への任官、祝着至極に存じ上げ奉りまする」


「おお、藤十郎。よく来たな。昨日は新年の挨拶に出てなかったようだが、何かあったのか?」


「上様の新年の儀に出られるほどの功はまだ挙げておりませぬ」


 信忠の質問に、重秀は普通に直答をした。もはや側にいた重臣の斎藤利治も重秀を注意しようともしなかった。


「ところで、次の雑賀攻めに羽柴勢も出ると聞いているが、お主も行くのか?」


「はい。父と叔父上と共に出陣いたしまする」


「そうか。・・・藤十郎よ。此度の戦、儂は反対なのじゃ」


 信忠の発言に重秀は思わず「えっ!?」と声を上げた。側にいた利治も思わず目を見開いて信忠の方を見た。信忠が話を進める。


「父上は九鬼と滝川、そして三十郎の叔父上(織田信包のこと)に今までにない大きな安宅船の建造を命じておる。それに、確か羽柴領でフスタ船なる南蛮船を九鬼の船大工に教えながら作らせてると聞いた」


 去年の夏頃に、信長の命により九鬼から数人の船大工が再び長浜へ派遣された。前は安宅船の作り方を教えに来ていた九鬼の船大工達は、今度はフスタ船の作り方を習いに長浜へ来ているのだ。

 また、前野長康がキリシタンになったおかげで、伴天連を経由して南蛮船の知識が入るようになったため、より洗練されたフスタ船が建造できるようになってきていた。


「藤十郎。昔、長島城での戦いで、水軍も参戦させた籠城戦の話をしたことは覚えておるな?」


「はい。あの時は石山本願寺の包囲に水軍を活用する話でした」


 信忠の質問に重秀が即答した。信忠が話を続ける。


「聞けば雑賀衆の本拠地である雑賀城も海に面した所に築城されているとのこと。ならば、九鬼や滝川や叔父上の大安宅船が揃うてから攻めていけばよいのではないだろうか?」


 信忠の意見に重秀は困ったような顔をした。信忠がそんな重秀の表情を訝しんだ。


「どうした。何故その様な顔をしておる」


「はっ、いえ。その、九鬼様や滝川様、上総介様の大安宅船が揃うのはいつ頃でしょうか?」


 恐る恐る聞いた重秀に信忠が答える。


「来年の上旬と聞いておる」


「・・・父が申すには、今年は上杉と加賀あたりで大規模な戦があるとか。その大戦に背後から本願寺に蠢動されたくはない、というのが上様の考えではないでしょうか?こう言っては殿様のご不興を買うやもしれませぬが、九鬼様や滝川様、上総介様(織田信包のこと)の大安宅船ができるまで悠長に待っていられないのではないでしょうか?」


 重秀の言葉に信忠が「上杉か・・・」と呟きながら腕を組み、視線を上に向けた。重秀が話を続ける。


「毛利も気になります。備前の浦上家に反旗を翻した宇喜多(なにがし)を毛利が支援しているとの報せが入っております。浦上が支えきれずに宇喜多に敗北するのであれば、播磨で織田家に従っている小寺家や別所家が毛利になびくおそれがございます」


「ああ、そう言えば羽柴は播磨と但馬の調略を任されておったな・・・。ひょっとすると、今年は織田家にとって辛い一年になるやもしれぬな・・・」


「そうならないよう、羽柴家一同、織田家のためにあらん限りの努力を惜しみませぬ」


 信忠のぼやきに対して、重秀がそう言って平伏したのだった。





 信忠のぼやき・・・いや、信忠の不安は的中する。この時、足利義昭による織田包囲網はほぼ完成しており、毛利を中心に石山本願寺、上杉、武田が織田を包囲していた。因幡と但馬の山名家や丹波の赤井家、波多野家、そして丹後の一色家が包囲網に参加しており、更に参加する大名を増やすべく、義昭は播磨、摂津、和泉、河内、大和へ調略の手を伸ばしていた。


 第15代室町幕府将軍、足利義昭。室町幕府最後の将軍として、また信長に追放されたとして暗愚なイメージが後世伝わっている。しかし、追放された後、権威を駆使して信長包囲網を築き上げた手腕は意外と知られていない。

 そして、義昭の作り上げたこの信長包囲網が、後世の歴史家から『天正五年の危機』と呼ばれる織田家最大の危機を作り出すのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] これだけ何度も包囲網を造られて滅んでないのが織田家の凄味
[一言] War Gameで「信長最大の危機」と言うゲームがあります。 まさにこの小説と同じ状況をシミュレーションしたゲームなので機会があれば一度遊んでみてください。 http://www.game…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ