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第81話 帰去来兮

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 天正四年(1576年)十月十六日。3日間続いた長浜城での酒宴が終わった。1日目は本丸御殿の大広間が会場であったが、2日目と3日目は二の丸御殿の広間で行われた。2日目は主に長浜城下町の商人達が、3日目には菅浦を始めとした重秀の領地から代表者達が参加していた。そこでは当然『あろすこむわか』が振る舞われた。ただし、2日目の肉は豚で3日目の肉は鶏であった。

 3日目の酒宴が終わり、寝所に戻った重秀は、同じく寝所に戻ったゆかりに声を掛けた。


「三日間の酒宴骨折りだった。やっぱり肉は嫌いかな?」


 布団の上で座っていた縁が驚いたような顔をしながら重秀に聞く。


「・・・お気づきだったのですね」


「あれだけ露骨に残していればな」


「・・・申し訳ございませぬ、御前様。食べようとは思ったのですが、やはり抵抗がございまして・・・」


「まあ、長年日本(ひのもと)では食肉が禁じられていた故、致し方無いと思う。しかし、羽柴では南蛮人との兼ね合いで食肉を行なっていることは理解して欲しい」


「はい、分かりました」


「ああ、でも、無理に食べなくてもいいから。なるべく縁には肉を出さないよう、侍女に話しておこう」


「いえ、どうぞご心配なく。私も少しは藤十郎様のお力になりとう存じます」


「そう言ってもらえると有り難い・・・。ではそろそろ寝ようか。疲れただろう?」


「はい。あ、それより気になるものが・・・」


 縁がそう言うと、部屋の片隅に置いてある本へ視線を向けた。


「あの本、表題に『空蝉』とありました。もしかして、源氏の物語でございますか?」


「ああ、あれ?いや、恥ずかしい限りだが、縁が読んでいると聞いて、急遽読み始めたものの、まだまだ全部は読み終わっておらぬ」


 後頭部を右手で掻きながら苦笑する重秀。さらに言葉を続ける。


「どうも源氏の御曹司の行動に共感できなくて。読むのに苦労してる」


「それならば、『玉鬘十帖』から読まれては如何でございますか?頭中将と夕顔の娘が中心のお話故、光の君を意識せずに読めるかと存じます」


「ほう・・・」


 縁の話に重秀が興味を持った。さらに縁が話を続ける。


「もしよろしければ、『玉鬘十帖』より前のお話、私がお話いたしましょうか?それならば、『玉鬘十帖』を読む際に分かり易うなりましょう」


「それは有り難い。よろしく頼む」


 重秀が頷きながらそう言うと、縁は源氏物語のあらすじを話し始めたのであった。






 重秀が書いた日記『長浜日記』によれば、重秀と縁はこの時期に共に竹生島へ参詣に行っている。これを日本初の新婚旅行だという人もいるが、日帰りだったことを考えればそれは言いすぎであろう。

 そして十一月になった。重秀は日中は内政を始めとした仕事、夜は縁と源氏物語について語り合う、という新婚生活を送っていた。そんなある日のこと、長浜城に居た重秀の元に普段は小谷城跡にいる本多正信が訪れた。


「弥八郎か。如何した」


 書院で正信と面会をした重秀に、正信は平伏しながら口を開く。


「恐れながら、この本多弥八郎正信、若君の下よりおいとまを頂きたく参上いたしました」


 正信の言葉に、重秀が目を大きく見開き、側にはべっていた石田正澄が「えっ!?」と声を上げた。しばらく沈黙が続き、重秀が口を開く。


「・・・何か、不満なことが・・・ありそうだな」


 色々思い当たる節がある重秀がそう言うと、正信は顔を上げて苦笑する。


「いや、そういう訳ではないんですがね。牛や豚、鶏に猫を育てるのに不満はないし、屠殺することにも不満はないのでござる。元々人を殺めておきながら、畜生に情けをかけたところで今更ですし。ただ、そろそろ故郷が恋しゅうなりまして。それに、越前から連れてきた一向門徒達も、今は性慶殿の支えで小谷の生活に慣れました故、もう、それがしの役目は潮時と判断いたしました」


「越前の者共に養蚕や牛や豚、鶏を任せても大事無いと?」


 重秀の質問に正信が頷いた。


「ええ。この一年であの者達は学びました。生きていく糧を手に入れる手段を。もう、それがしが教えることはございませぬ。牛革のなめしは小寺殿が連れてきた職人達が教え始めておりますし、あとは若君にお任せいたしまする」


 そう言って頭を下げる正信。少しの間、沈黙が書院を支配したが、重秀が口を開く。


「相分かった。短い間だったが世話になった。路銀を渡す故、道中気をつけてな」


「あいやしばらく。路銀はいりませぬ。それに、今まで頂いた禄もお返し致します。その代わり、欲しい物がございます」


 頭を上げ、右手を上げて制しながら言った正信に、重秀が即座に言い返す。


「蚕種と油桐の種はやらぬぞ」


「えっ!?そんな殺生な!」


「やかましい!そもそも養蚕を始めたのは、綿を作ろうとしたけど三河の綿には勝てぬから、全滅しかけていた蚕と桑を復活させたんだ!三河には綿があるのだから、絹は別に無くてもいいだろう!」


 重秀の叫び声に正信が黙り込んだ。しかしすぐに話を続けた。


「では、油桐の種は・・・」


「あれは羽柴の専売となっている。正確には菅浦の専売だな。菅浦の乙名衆が事実上の座と化しているから、他に植えられないのよ」


 羽柴では現在、安土城下町での消費を見込んで桐油の増産に拍車をかけていた。特に元々油桐の栽培をしていた菅浦では周辺の山々の木がほとんど油桐の木になりつつあった。そして、菅浦の油桐の種の売買を独占しているのが菅浦の乙名衆であった。これは、羽柴による菅浦懐柔の一策である。そして、油桐の種はすべて長浜の商人に買われ、長浜で桐油となった後は秀吉保護下の油商人達によって売られていた。当然ながら、桐油の利益の一部は秀吉に納められていた。後世の歴史家が言うところの『羽柴のオイルマネー』である。


「・・・では致し方ありませぬな。荷物運び用の牛を一匹、あと猫を頂きとうございます。それと、岩村城で保護した柿助をそれがしの小者にしとうございます」


「なんで猫なんだよ」


 呆れたような物言いで言う重秀に対して、正信は肩をすくめながら答える。


「牛はともかく、豚は持って帰っても食べるぐらいしか役に立ちませぬからな。しかも、他から手に入れることもできませぬし。猫はまあ、鼠捕りですかな。ああ、それと」


 正信が何かを思い出したような顔をしながら話を続ける。


「豚なのですが、あれの飼育はお奨めしませぬ。食べる物が人と同じ故、飢饉等で米や麦が少ない場合、人との奪い合いになりまする。牛はそこら辺の草でも藁でも十分育つので、人との奪い合いは無いですから、豚ではなく牛を中心に飼育されるがよろしいかと」


「なるほどね・・・。相分かった。参考にさせてもらう。ところで、実は弥八郎に前々から聞きたかったことがあったのだが」


 重秀がそう言うと、弥八郎は首を傾げつつも「伺いましょう」と重秀に聞いた。


「・・・塩硝の作り方、知らないか?」


「・・・塩硝、ですか・・・」


 キョトンとした顔で口に出す正信に、重秀が真剣な眼差しで頷いた。重秀がさらに言葉を重ねる。


「越中の一向一揆勢が治める地域で玉薬(火薬のこと)の原料となる塩硝が作られていることは知っているが、作り方が分からぬ。弥八郎なら知っているかと聞いたのだが」


「・・・越中の五箇山なる場所で作っているとは聞いたことはございますが、作り方までは・・・」


 首を傾げる正信に、重秀は「そうか・・・」と言って溜息をついた。正信が話を続ける。


「ただ・・・。加賀に居た時に塩硝を取る方法なら伺ったことがございます」


「真か!?」


 重秀が大声を上げ、その声に驚いた正澄が思わず重秀に顔を向けた。一方、正信は落ち着いた口調で話を再開する。


「十年以上経っている建物の床下の土を桶に入れ、その桶に水を入れて混ぜます。次に土が沈殿するまで寝かせた後、上澄み液を取り出して木灰きばいを加えて釜で煮詰めます。その後は一昼夜冷ませば塩硝が取れます」


 正信が言った塩硝のとり方は、いわゆる古土法と呼ばれるとり方であり、この時代には比較的各地に知られていた硝石のとり方であった。もっとも、戦国時代において必要数を満たすほどは取れないのだが。


「・・・何故建物の床下の土なのだ?」


「雨が良くない、と聞きました。それと、ただの床下ではなく、囲炉裏の下の土でよく取れると聞きました」


 重秀は右手を握りしめると、その拳を口元へ持ってきた。そしてしばらく考え込んだ。次第に口元が緩んでいく。


「・・・弥八郎、礼を言う。お礼と言っては何だが、桑の種を持ってっていいぞ」


「桑の・・・種にございますか?」


 正信がキョトンとした顔で尋ねると、重秀がしたり顔で答えた。


「『延喜式』によれば、三河も絹の産地だったらしい。探せば蚕を飼っている農家もあるやもしれぬ。それに、東国でも養蚕の盛んなところがあると聞いたことがある。徳川様なら東国から手に入れられるやもしれぬからな」


「『延喜式』なぞ読まれているのですか?」


 正信が驚いた顔をしながら聞いた。重秀が答える。


「あれ、結構面白いぞ。各地の物産が記されているし、律令の運用についても書かれているから、律令を学ぶ際の副読書として重宝している」


「律令も学んでいらっしゃるのですか」


「『御成敗式目』や『建武式目』は岐阜城にいた時に習ってたからな。さらに法を学ぶならば、律令も学ばざろう得まい」


「なるほど」


 重秀の発言を聞いて、正信は頷いた。


「で、いつ頃出立いたす?父上にも報せねばならぬし、できれば送別の宴を催したい」


 重秀が明るい声でそう尋ねると、正信は真面目そうな顔つきになって首を傾げる。


「そうですな・・・。三之丞殿や小谷城にいる越前の一向門徒達にはすでに伝えてありますし、今更言うことはございませぬ。準備に三日ほどいただければ、後は適当な日和を選んで出ていこうかと」


「ふむ、では四日後に別れの酒宴を開き、次の日に出立だな」


「その様に致します」


 正信はそう言うと平伏した。重秀は立ち上がると正信に言うのだった。


「では、これより本丸御殿に参り、父上に伝えよう。弥八郎、一緒に来い」





 長浜城本丸御殿の小書院にて、重秀は正信と共に秀吉と面会をした。そして、正信が徳川に戻ることを報せた。


「おお、そうかそうか。弥八郎は三河様(徳川家康のこと)に帰参いたすか。いや、短い間であったが、我が息子が世話になったのう。礼と言っては何じゃが、路銀をたっぷりと遣わすぞ」


「あいや、路銀は断りたく・・・」


 正信が路銀を辞退しようとするが、秀吉が声を上げる。


「何を申すか!いづれ徳川の重臣となる本多弥八郎を裸一貫で追い出しては、後々三河様に恨まれ申す!なにとぞ、力無き羽柴を助けると思って、受け取ってくれ!」


「・・・殿様に弓引いたそれがしが、徳川の重臣に?」


 正信がキョトンとした顔になりながらそう言うと、秀吉は笑みを浮かべながら頷く。


「お主の働き、藤十郎から聞いておる。お主は羽柴から出ていくことが分かっていたから、大した仕事はさせなんだが、人の嫌がる屠殺を行い、越前から連れてきた一向門徒のために骨を折った。お主は民百姓のことを思う、善き為政者じゃのう」


 秀吉がそう言うと、正信は黙って頭を下げた。しかし、直後に秀吉の顔から笑みが消え、眼光が鋭くなった。そして、冷たい眼差しで正信を睨みつけた。その表情に重秀は息を呑んだ。


「だが、お主は儂と同じよ。恐らく三河を出奔してからというもの、底辺を彷徨い、人の醜さを嫌というほど知ったはずじゃ。でなければ、その様な目をする者にはならぬ。そして、底辺で彷徨い身につけた知識をお主は三河様のために使うはずじゃ。三河様も中々のお坊ちゃんだからのう。汚い謀略は苦手であろう。そして、それを躊躇なく行える家臣を重用するはずじゃ。それが、お主じゃ」


 秀吉の言葉を聞いて重秀は唖然とした表情で視線を正信に移した。正信は平伏していたので重秀からは表情が見えなかった。秀吉が話を続ける。


「もし、お主が徳川に行かなければ、儂の・・・、いや藤十郎の謀臣として重用したか、もしくは他家に仕えさせぬよう命を奪ったのだが・・・。徳川が織田の盟友であったことを神・・・、いや、お主の場合は阿弥陀如来か。阿弥陀如来に感謝するのだな」


 秀吉がそう言い終わると、正信は黙ってさらに深々と頭を下げた。秀吉が相好を崩し、いつもの人懐っこい声を出しながら正信に言う。


「ま、三河様にはよろしゅう言うといてくれ!岡崎様(徳川信康のこと)は我が愚息の義理の兄に当たるからのう!縁戚として、三河様のお力になると伝えといてくれ!」


 秀吉の言葉に正信は「ははぁっ!」と返事をした。秀吉がさらに話を続ける。


「ところで、いつ出立いたす?」


 秀吉の質問に、正信ではなく重秀が答える。


「五日後には長浜を立つと」


「五日後か・・・。ならば、済まぬが、送別の宴は無しじゃな」


 秀吉の言葉に重秀は驚いた。思わず「父上!」と声を上げた。秀吉が右手を上げて重秀を制すると、正信に申し訳無さそうに言う。


「実は、柴田様より本願寺攻めの援軍を頼まれてのう。陣触れの下知を家臣や与力に下そうとしておったのよ。丁度、五日後を出陣の予定にしようと思っておったのじゃ」


「本願寺攻めでございますか?それはまた急でございますな」


「と言っても、攻めるのは本願寺そのものではなく周りの附城じゃがな。どうも包囲に穴があるようじゃ」


「ああ、なるほど」


 正信が納得したかのような顔をした。その顔を見た秀吉が、一瞬だけ眉間にシワを寄せたが、すぐにいつもどおりの顔に戻ると、話を進めた。


「というわけじゃ。送別の宴、やるなら今宵じゃな。規模は小さくなるが」


「構いませぬよ。というか、出奔する者に宴を開きませぬよ」


「何、ただ単に酒が飲みたいだけじゃ」


 そう言うと秀吉が大笑いし、正信も笑い出した。重秀も釣られるように笑うのであった。





 正信が「挨拶回りに行く」と言って小書院から退出した後、重秀も二の丸御殿に戻ろうとしたところ、秀吉が重秀を呼び止めた。そして、重秀に手招きして近寄るように命じた。重秀が近寄ると、秀吉は声を潜めて言う。


「実は、柴田様への援軍というのは嘘じゃ。出陣はするが、目標は石山本願寺の附城ではない」


 秀吉の言葉に重秀が驚いた。


「・・・どういうことですか?父上」


「今回の出兵、敵に悟られるとまずいのよ。まあ、出陣する以上、衆目は集めるし、敵の間諜が報せるのは織り込み済みではあるが、それでもなるべく秘匿しておきたい」


「・・・父上、敵は本願寺ではないのですね?」


 重秀がそう言うと、秀吉はさらに声を潜めて言う。


「敵は、伊勢の三瀬御所よ」


「三瀬御所・・・?三瀬御所って、あの三瀬御所!?」


 思わず大声を上げる重秀を、秀吉は「声が大きい!」と叱りつけた。重秀が黙ると、秀吉は話を続ける。


「そう、あの三瀬御所じゃ」


「待って下さい。あそこは不智斎様(北畠具教のこと)の御所ではございませぬか。三介様(北畠具豊、のちの織田信雄)の養祖父おじい様を討たれると?」


「うむ。すでに三介様には上様より下知がなされておるし、上様より協力せよ、と久太(堀秀政)を通じて命じられておる。それに、十一月の二十五日に決行する旨の書状を三介様から貰っておるからのう。そろそろ出陣しなければならぬのじゃ」


「二十五日って、もうすぐじゃないですか」


「そういうことじゃ。だから弥八郎に嘘をついたのじゃ」


「・・・弥八郎が北畠に報せると?しかし、弥八郎と北畠に繋がりは・・・」


「ないじゃろうな。しかし、用心に越したことはない。あやつ、どこにどんな繋がりがあるかまだ分からぬからのう」


 秀吉の言葉に重秀は、ただ「はあ・・・」と返事を返すことしかできなかった。秀吉が話を続ける。


「あやつが東へ向かうなら、おそらく関ヶ原を抜けて行くはずじゃ。一方で、儂等は北国街道を安土方面へ行き、途中で日野城を経由して伊勢別街道を通り、安濃津城まで行く手筈じゃ」


「・・・待ってください父上。そうなると、鈴鹿峠を超えることになりますが、この時期もう雪に閉ざされているのでは?」


「そう思ってすでに調べておる。まだ雪は降っていないらしい。突破は可能じゃ」


「・・・それで、出陣するのは?」


「儂、半兵衛、小六、将右衛門、作内(加藤光泰のこと)、孫平次(中村一氏のこと)、茂助(堀尾吉晴のこと)じゃ。ああ、小一郎は今回は留守番じゃ。その代わり、与右衛門(藤堂高虎のこと)が鉄砲組大将として儂の下につく。そしてお主も連れて行く。市や虎、伊右衛門にも伝えておけよ」


「私もですか?承知いたしました」


 ―――祝言の時、参加していた三介様の口数が少なかったのは、北畠の粛清を下知されていたからかもしれないな・・・。三介様は北畠の方々とは上手くやっていたと聞いていたが、その北畠の方々を討たねばならぬと決まった時の心中は如何ばかりか・・・―――


 重秀は祝言で皆が明るい顔をしていた中、ただ一人暗い顔をしていた三介を思い出しながら、そう思ったのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 秀吉の凄味というか恐さが垣間見れて良かったです。
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