第76話 憂鬱
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天正四年(1576年)八月下旬。前田利家・まつ夫妻と前田利勝が長浜城を訪れた。重秀婚姻のお祝いをたくさん持っての訪問であった。
「やあやあ、又佐。わざわざお主がやってくるとはのう。おまつ殿もお久しゅう。孫四郎(前田利勝のこと)も元気そうで何よりじゃ」
長浜城本丸御殿の客間で、秀吉は久々に来た友とその家族を笑顔で迎えた。他に重秀や小一郎も居た。
「藤吉も元気そうで何よりじゃ。子を亡くしたと聞いていたから、落ち込んでいるのではないかと心配はしていたが」
利家の言葉に秀吉は少し悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になると明るい声で利家に言う。
「あっはっはっ!確かに石松を亡くしたのは辛い!悲しい!しかし、幼子を亡くすのはよくある話じゃ!『七つまでは神様の物』とよく言うじゃろ!それに、代わりにお勝という新たな生命ももろうた!そして、藤十郎には織田の姫が嫁ぎに来る!悪いことが起これば、次は良いことが起こるもんじゃ!」
秀吉の言葉に、利家は相好を崩しながら「そうだな、藤吉の言うとおりじゃ」と言って頷いた。
秀吉と利家はそれぞれの家族を後ろに座らせながら、対面で座った。そして利家が懐から一通の書状を取り出した。そして予め用意してあった三方の上に置いた。
「我が前田家より羽柴家へ、藤十郎の婚姻に対する祝いの品の目録じゃ。どうぞお収め下され」
「おお、有難き幸せ。謹んでお受け致し申す」
秀吉が頭を下げると、三方ごと手に取ってそのまま脇に置いた。
「又佐、そしておまつ殿。藤十郎が無事に祝言まで挙げられるようになったのは、ひとえにお二方のおかげじゃ。母の居なかった藤十郎、いや大松をようここまで育ててくれ申した。厚く御礼申し上げる」
秀吉がそう言って頭を下げると、小一郎と重秀も頭を下げた。利家とまつ、孫四郎も返礼として頭を下げると、利家が話しだした。
「いや、織田家の姫を娶るだけの手柄を立てたのは藤吉、お主よ。上様が織田一門に加えても良いと判断したのは、藤吉の忠誠心と働きのおかげじゃ。のう、まつ」
利家がそう言って視線を秀吉からまつに向けた。
「御前様のおっしゃるとおりでございまする。藤吉郎様の比類なき働きにて、上様から認められたのでございまする。きっと、ねね様も喜んでおられましょう」
まつの言葉に秀吉が「あっはっはっ、何だかこそばゆいのう!」と言って後頭部を右手で掻きながら照れた。その後ろから、小一郎が話しかける。
「藤十郎の妻は決まり申した。次は孫四郎殿ですかな?」
「ああ、そのことなんじゃが」
利家が何かを思い出したかのような声を出した。続けて秀吉に尋ねる。
「孫四郎にも織田の姫を娶せると言っておったが、その後とんと上様からご沙汰がない。なにか聞いておらぬか?」
「・・・実は儂も何も聞いておらぬのじゃ。そもそも、藤十郎の時もいきなりだったからのう。孫四郎も急に決まるのではないか?」
秀吉が首を傾げながらそう言うと、利家は「うーむ」と渋い顔をしながら腕を組んだ。
その後、秀吉と利家、お互いの家族は長浜城の侍女たちが持ってきた酒を酌み交わしながら、久々の話に花が咲いた。
そして、久々に気の許せる相手と話ができたからか、利家の口から佐久間信盛に対する不満が出てき始めた。
「佐久間様は酷すぎる。藤吉から予め聞いていた養蚕や漆器、紙について府中でも復興させようと思ったら、佐久間様が職人や材料を独り占めしてしまった。『まずは北ノ庄の復興から』と称してな。ただでさえ一向一揆勢による圧政や上様の根切りで職人達は四散して数が少ないというに、佐久間様は自分の所領にしか興味を持たれぬ」
「そんな事になっているのか?佐久間様はちゃんと上様の言いつけを守られておるのか?」
秀吉がそう聞くと、利家は首を横に振った。
「・・・民百姓に対しては課役(税や年貢、賦役のこと)を免除しているから、一応言いつけは守っている。しかし、あまりにも課役を取りなさすぎている。あれでは武器弾薬、兵糧を必要数揃えられないぞ。しかもその少ない取り分を一門だけに分けているから、我等のような与力は出費が嵩む嵩む。それに、地侍共に対する締め付けも厳しいな」
「・・・これは久太(堀秀政のこと)から聞いたのだが、佐久間様から上様への書状がやたらと少ないことに上様が不満を漏らしていたらしい。儂もそうだが、柴田様や惟住様(丹羽長秀のこと)、惟任殿(明智光秀のこと)は何かに付けて上様にご相談申し上げるのであるが、佐久間様はとんと上様に相談なされないようじゃ」
秀吉の発言に利家はうなずく。
「ああ、おかげで目付の我等が上様へご報告しているようなものじゃ。仕事の手間も増えるから、目付の間では佐久間様への不満がたまっておる。それに、戸次右近殿(簗田広正のこと)が加賀にいるが、その支援をも渋っているらしい」
越前一向一揆勢に勝利した信長は、その勢いで加賀国にまで侵攻。南部の能美郡、江沼郡を占領すると、その地と中心地であった大聖寺城を簗田広正に与え、しかも加賀一向一揆勢の鎮圧を命じていた。広正もそれに応えるべく努力はしていたものの、なかなか上手くいかず、越前の信盛に援助を申し出ていた。しかし、信盛は越前が安定していないことを理由に支援を拒否していた。
「・・・上様の周辺では、右近殿では加賀は治められぬとして更迭論が出ておるが、まさか佐久間様が右近殿の足を引っ張っていたとは・・・。右近殿が更迭されれば、能美郡と江沼郡は佐久間様のものになる可能性が高い。となると、支援せぬは佐久間様の陰謀か・・・?」
秀吉が声を潜めながら言うと、利家は顔に怒りの表情を浮かべた。
「だとしたら許せぬ!この事、上様にお伝え申し上げなければ・・・!」
「まあ落ち着け、又佐。確固たる証拠も無しに申し上げれば、上様のご不興を買うし、佐久間様からどの様な報復をされるか分かったもんではないぞ。
・・・まあ、儂が右近殿に対して何らかの支援をできるか検討するから、又佐はとりあえず足元を固めよ」
秀吉がそう宥めると、利家は黙って頷いた。しかし、まつが口を挟む。
「藤吉郎様、よろしいのでございまするか?藤吉郎様も忙しいのではございませぬか?」
「確かに忙しいが、かと言って何もできぬというわけではない。現に、上様より播磨と但馬の調略を仰せつかっておるし、また新たにお犬の方の再婚の取次を命じられておる。多少やることが増えても構わんわ」
「・・・お犬の方とは、上様の妹君の?」
まつがそう尋ねると、秀吉は頷いた。
「うむ、前夫が亡くなってから久しいからのう。山城の槇島城主、細川様(細川昭元のこと)への斡旋を命じられたわ」
お犬の方の前夫、尾張大野城主の佐治信方は天正二年(1574年)の長島一向一揆鎮圧戦で戦死していた。その後、息子の佐治一成が佐治家の跡目を継ぐと、お犬の方は岐阜城に戻っていた。
「ああ、細川本流の細川京兆家の当主か。そこに織田の姫を嫁がせることで、畿内の安定を図るつもりか」
利家が納得したような声を出すと、秀吉はまた頷いた。
「うむ。上様は先の木津川口で毛利水軍による兵糧物資の運搬を阻止できなかったことを重く見ておられる。これを機に、織田家の中を引き締めるおつもりであろう。藤十郎の婚姻もその一環じゃった。だから」
そう言うと、秀吉は片目をつむって口元を綻ばせながら、利家とまつに語りかける。
「孫四郎へ織田の姫が嫁いでくるのも、案外早いかもしれぬな」
その日の夕刻、利家とまつ、利勝は長浜城の二の丸御殿へと移動してきた。南殿を慮って本丸御殿での酒宴を止め、重秀がホストを務める酒宴を二の丸御殿で行うからである。
二の丸御殿の客間には、上座に利家とまつが座り、部屋の左右には重秀や小一郎等羽柴家の者達と利勝等前田家の者達が対面で座っていた。全ての者達の前にはお膳が並べられており、そこには美味そうな料理がすでに並べられていた。
「今宵はそれがし羽柴藤十郎が前田の父上、母上、そして孫四郎殿を始めとする御方々をおもてなし致しまする。まだまだ若輩の身なれば、至らぬところもございましょうが、何卒今宵はごゆるりとお寛ぎくだされ」
重秀の挨拶から始まった酒宴は、元々羽柴と前田の間には堅苦しい付き合いがなかったため、互いの家臣達がざっくばらんに語り合う穏やかな酒宴となった。重秀も久々にあった利勝と笑顔で語り合うなど、久々に羽を伸ばしたかのようであった。
利家等家族が越前府中城へ戻った次の日、本丸御殿に呼び出されていた千代が五人の侍女を伴って二の丸御殿に戻ってきた。そして、重秀に面会を求めてきた。
「千代さん、如何なさいましたか?」
書院で千代達を迎えた重秀は、千代の後ろに並んで座っている侍女をチラリと見ながら千代に聞いた。
「若君。殿よりのご命令により、今日から特別な鍛錬を行うこととなりました。私めの後ろに侍りますこれらの侍女は、その特別な鍛錬を行う際に手伝ってくれる者共でございまする」
「特別な鍛錬?」
重秀が首を傾げながらそう言うと、千代が「はい」と答えた。千代は話を続ける。
「殿の申すことには、若君の婚儀は十月上旬の予定となっておりまする。それまでに、若君には子作りの鍛錬を行なっていただきまする」
「子作りの鍛錬って・・・」
戸惑う重秀をよそに、千代は話を続ける。
「房中術の漢籍はもう読まれましたか?」
千代の質問に重秀が黙って頷いた。
「ではそれをこの五人で実践してみましょう」
千代の言葉に重秀は唖然とした。しばらくした後、慌てたように重秀は言う。
「ま、待ってくれ千代さん!正室になる女子より先に子を作ってはまずいと言っていたではありませぬか!」
「はい。なので、最後までは致しませぬ」
「はい?」
重秀が思わず千代に聞き返した。千代は詳しく説明を始めた。
千代が言うには、重秀には子作りのために鍛えなければならないことがあると言う。具体的な内容は控えるが誰とでも子作りできるようにするのもその一環だという。
例えば、重秀の妻となる織田信包の娘が重秀の気に入る顔や容姿である保証はない。しかし、子を作す以上、その姿を見て萎えては困るのだ。
「というわけで、あの五人の侍女を相手にできるよう、鍛錬して頂きたいのです」
千代が指した五人の侍女は、なるほど、確かに顔や容姿が異なるものばかりであった。中には顔に痘痕(天然痘に罹り、治っても残ってしまった水疱の痕)を持つ者もいた。
また、子作りのために体も鍛える必要がある。これも詳細は省くが、主に下半身を鍛えるのである。
現代では科学的根拠に基づき睡眠や食事、サプリメントや効率的な運動方法が発見されているが、重秀のいた時代にはそんなものはなかった。なので、専ら股間を布で巻いて叩くとかが行われていた。また、経験則で腰やお尻を鍛えることも有効であることが分かっているので、腰やお尻を叩くということが行われていた。
さらに、精を増やす必要があった。山芋などを食す、専用の漢方薬を飲むなど大体食事療法が主流なのだが、最中に我慢すればするほど量が増えるとも考えられていたので、我慢することも鍛錬の一つであった。
で、その我慢するための鍛錬方法であるが、本来ならば実際に挿入して耐える訓練をする。しかし、暴発するとお世継ぎ問題が発生するというリスクが有るため、侍女の体の一部で鍛えることとなる。具体的には口と胸、そして肛門である。
なにはともあれ、千代監修の元で重秀は子作りの特訓が始められた。とはいえ、健全な思春期男子である重秀である。普通に女体に対して生物的反応を示した。
「ついでですから、女体について実物を元にお教えいたしましょうか」
千代がそう言うと、全裸にした侍女を寝転がせて、詳しく重秀に教えた。健全な思春期男子である重秀は、己の欲望を必死に抑え込みながら千代の解説を聞いていた。
下半身を鍛えることについては、重秀にとって苦痛でしかなかった。千代や侍女によって腰や尻、股間を布できつく縛られ、その上から叩かれるのである。重秀は叩かれるたびに変な悲鳴を上げた。
「ああ・・・。若君、もっと、もっと啼いて頂戴・・・」
「千代さん!?」
愉悦に浸る千代に驚きつつも、重秀は鍛えられていった。
残りの鍛錬は侍女と一緒に行われた。ただし、我慢を強いられている重秀には苦痛でしかなかった。まあ、最後には出すので欲求が溜まることはないのだが、それでも虚無感だけが重秀を襲っていた。千代や侍女達が見てる前で虚しく果てるのだから、重秀の精神的ダメージは結構なものであっただろう。
さて、重秀の子作り特訓は逐一千代から秀吉に伝わっていた。そして秀吉は的確な指示を行っていた。さらに、秀吉は京からそういったのが得意な遊女を新たな侍女として送り込んでいた。経験と実績に裏付けられた秀吉の女選びに、千代はただ呆れるばかりであった。
「ま、女子については儂の右に出るものはおるまいて。・・・お千代殿、そんな目で儂を見るな。これも羽柴のためぞ」
軽蔑するような目で見つめる千代に対して、秀吉は笑いながら言うのであった。
「もう嫌だ・・・」
二の丸御殿の書院にて、重秀は久々に顔を出してきた福島正則、加藤清正に対して珍しく愚痴を言っていた。
「なんで女子と肌を重ねるのにあーだこーだ言われなきゃいけないんだ」
「そりゃあ、羽柴の世継ぎを作るんだったら、それなりのことをしなきゃ」
正則がそう言うと、清正が隣で首を縦に振っていた。
「・・・他人事だと思って簡単に言いやがって」
重秀が恨みがましくそう言うと、正則が肩をすくめつつ反論する。
「だから先に遊女相手に経験しとけって言ったのに。兄貴が下手に操を立てるから」
「嫌だ。何か変な病とか貰いたくない」
この時代、海外との交流により性病の一種である梅毒が日本にもたらされていた。治療方法のない梅毒については、この頃には性交渉で感染することが知られつつあった。
「長兄、市松の言うことは無視して構いませんよ。それより、弥八郎殿(本多正信のこと)から長兄への差し入れを持ってまいりました」
清正がそう言うと、脇に置いてあった布に包まれた物を重秀の前に差し出した。
「なんだこれ?」
そう言いながら包みを解くと、中から芋(山芋のこと)が複数個出てきた。
「先日、小谷城跡にいた豚が何匹か逃げ出したことがあって。まあ、全部捕まえることができたんですけど、その時に豚が地面を鼻で掘り起こしてたそうです。で、試しに掘ってみたら、芋が出てきたんだそうで」
「へー、芋がねぇ」
「他にも地中の虫を食ってたらしいので、試しに蚕の蛹を食わせたら、よく食べるそうで。おかげで大量の蚕の蛹を処分できると弥八郎殿は喜んでました」
清正の話を聞きながら、重秀は山芋をじっと見つめていた。見た感じ、あまり嬉しそうではなかったので、清正が重秀に聞く。
「・・・長兄、気に入りませなんだか?」
「・・・正直、見飽きた」
「ああ・・・」
正則が納得したような声を上げた。山芋は当時代表的な性欲増強の食べ物であった。
「毎日食わされた後に侍女相手に特訓だぜ。もう嫌だ・・・」
うなだれながらそう言う重秀に、正則と清正は同情の眼差しを向けた。
「実際、抱けないからなぁ。最後までヤれないと、苦痛だろう」
正則がそう言うと、重秀が頷いた。
「まあ、精は出しているから、欲求不満にはなっていないが、それでも虚しい・・・。それに、最近は白粉の匂いがきつくて」
「白粉の匂い?」
正則が首を傾げると、重秀が話を続ける。
「なんていうか・・・。白粉の粉っぽい匂いを嗅ぐと、鍛錬のあれこれを思い出してしまうんだよ。これだと妻が白粉を塗ってるだけでヤる気が無くなりそう」
「ああ、なるほど。しかし、そのうちになれるのでは?ほら、戦場で血の匂いで気持ち悪くなっても、そのうち慣れていくではありませんか」
清正が不穏当な発言をしてきたので、重秀が「それとこれとは違うだろう」と苦笑した。そして溜息をつきながら愚痴をこぼす。
「・・・なんか、祝言挙げたくない」
ぼそっと言う重秀に、清正と正則が慌てたような表情をした。
「長兄、それはまずいですよ」
「そうだぜ、兄貴。ってか、何でそんな事言うんだよ」
「いやあ、なんか、ここまでしなきゃいけないと考えると、なんだか面倒くさいんだよな・・・」
げんなりした表情でそう言う重秀に、正則が明るい声で話しかける。
「じゃあ兄貴、気晴らしに遠出でもしようぜ。安土城の縄張りもとっくに終わって安土に行かなくなったし、最近は小谷城跡や菅浦にも行ってないじゃないか。たまには馬なり船なりでどっか行こうぜ」
「そうですよ、長兄。安土では羽柴の屋敷が普請中ですが、あの与右衛門殿(藤堂高虎のこと)も参加しています。長兄も気晴らしに参加しましょうよ」
正則と清正がそう言うと、重秀は少し考えた。そして、呟くように言う。
「そうだな・・・。たまには外で体を動かすか。よし、父上に言って、外出の許可を貰ってくるか」
そう言うと、重秀は立ち上がり、本丸御殿に向かうべく歩き出したのであった。




