第74話 羽柴の嫁取り騒動(後編)
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天正四年(1576年)七月十六日。岐阜城本丸御殿の大広間には、久々に多くの織田家家臣及び織田傘下の大名や国衆が集結していた。そこには当然、秀吉も含まれていた。
大広間の上段の真ん中では信長が不機嫌そうに座っており、下段の間のやや信長よりの場所では、柴田勝家を中心に主に畿内の大名、松永久秀や荒木村重、筒井順慶などが平伏していた。村重や順慶らは顔から冷や汗を流しており、この後に信長から言い渡される沙汰を戦々恐々と待っていた一方、勝家と久秀はいつもどおりの表情をしていた。もっとも、勝家は沙汰を受ける覚悟がすでについているため、久秀は沙汰が下らない自信があるため、という内心の違いが生じていたが。
「権六、先の木津川での戦い。詳細をここで述べよ」
信長が低い声でそう尋ねると、勝家は腹に力を入れながら答えた。
七月十三日、石山本願寺への兵糧物資の搬入を目的とした毛利水軍とそれを阻止せんとした織田水軍が木津川河口で激突した。毛利水軍は援軍としてやってきた雑賀水軍と共に600隻の大軍で200隻の織田水軍を圧倒、焙烙玉や火矢を使って織田水軍を壊滅させた後、木津川を通って船で石山本願寺まで兵糧物資を運ぼうとした。
しかし、この時天王寺砦まで進出していた勝家率いる柴田勢は、天王寺砦に久秀の軍勢に砦の守りを任せると、順慶の軍勢とともに出撃し木津川口砦まで進出していた。この時の木津川口砦は、先の天王寺砦での戦いで一度勝家に攻め落とされており、本願寺勢が奪還後は勝家や村重の軍勢による妨害であまり修復が上手くいっていなかった。結果、防御力の低い木津川口砦は勝家と順慶の軍勢に攻め落とされた。勝家は砦を順慶に任せると、自分の軍勢を率いて木津川を通る毛利水軍の補給船を攻撃した。
むろん、石山本願寺も手をこまねいているわけではなく、近場の楼の岸砦から出撃しようとしたものの、摂津野田城にいた村重の軍勢を気にして積極的に兵を動かすことはできなかった。しかし、村重の軍勢はまた積極的に牽制しなかったこともあり、ある程度の兵を木津川方面に出すことに成功、送った兵力の支援の元、毛利水軍は犠牲を払いつつも石山本願寺への兵糧物資の搬入を成功させたのだった。
もっとも、信長も勝家も知らなかったが、全ての兵糧物資を搬入できたわけではないし、毛利水軍も船や水夫を多く失った。更に、石山本願寺に逃れた毛利水軍の人夫の数が結構多く、結局兵糧の消費量が増えてしまったことから、石山本願寺の顕如が頭を抱える事態となってしまった。
「・・・権六が今言ったことについては、金柑(明智光秀のこと)や兵部(長岡藤孝のこと)からの書状の内容と概ね一致しておる・・・。まあ、毛利水軍の中核である村上水軍は経験豊富な水軍故、負けたことについては特に咎めぬ。咎めようにも水軍を率いていた真鍋は死んでしまったからのう。それに霜台(松永久秀のこと)や陽舜房(筒井順慶のこと)は権六の指示をよく受けていた。褒めてつかわす。しかしながら、摂津(荒木村重のこと)よ・・・」
信長がそう言うと、ギロリと殺気のこもった視線を村重に投げかけた。
「・・・何故、楼の岸砦を攻めなかった?権六が木津川口砦から毛利水軍を攻撃しているのであるから、楼の岸砦から敵が出てくるのは明白。それを牽制するなり奪取するなりで兵を出せたのではないか?というか、前回も攻めてなかったよな?」
信長の問いかけに対して、村重は冷や汗をかきながら答える。
「お、恐れながら申し上げます。野田城のすぐ側には石山本願寺がありまする。そこからの増援を抑えんがため、動くに動けませなんだ」
「汝の重臣、中川瀬兵衛や高山右近は如何したのだ?あの者達の軍勢を使えば、牽制ぐらいはできただろう?」
信長の言葉に村重は黙りこくってしまった。その様子を大広間の左右に侍っていた信長の重臣たちは冷ややかな目で村重を見つめていた。少し経って、信長が口を開く。
「・・・ふん、まあ良いわ。此度は汝が持っている名物『唐草染付茶碗』を儂に譲ることで汝を許そう」
信長がそう言うと村重の顔が真っ青になったが、信長はそれを無視して視線を勝家に向けた。
「権六、石山本願寺への兵糧物資の搬入を阻止できなかったのは無念であるが、汝の働き、余は満足である。よって、黄金五百枚を汝に預ける。汝を含め、霜台や陽舜房、摂津や河内などの大名への褒賞は汝が仕切れ」
信長の言葉に、大広間の左右からざわめき声が上がった。これは、勝家が畿内にいる織田家与力の大名たちを勝家の指揮下に入れたことを宣言したようなものだからである。勝家は平伏しながら「ははっ、有難き幸せ」と大きな声で答え、周りにいた畿内の大名達も平伏した。
「時に権六よ」
平伏している勝家に、信長は低い声で尋ねた。
「お茶々はどうした?」
そう聞かれた勝家は、大柄な身体をビクンと震わせると、恐る恐る顔を上げた。
「お、恐れながら上様。我が娘、茶々は未だ母から離れること能わず、また、他家へ嫁がせるだけの教養を持っておりませぬ。上様の養女とするには、いささか修行が足りぬかと存じまするが・・・」
「余の姪が、余の娘に相応しくないと申すか?」
信長が若干高い声でそう言うと、勝家は「め、滅相もございませぬ!」と言って平伏した。
「まあ良い。養女は別の所から取ることにした故、茶々を差し出すことには及ばず」
信長がそう言うと、勝家はホッとした表情を浮かべながら「はっ、有難き幸せ」と言って再び平伏した。信長はその後、石山本願寺の対応について話し合うと、そのまま評定を解散させたのだった。
評定が解散となり、秀吉が羽柴屋敷に戻ろうとしたところ、長谷川秀一に呼び止められた。
「筑前殿、上様がお呼びでございまする」
そう言われた秀吉は、秀一の案内で、岐阜城本丸御殿の中奥にある信長の書院へと向かった。
秀吉が秀一と共に書院に入ると、そこには信長だけではなく、嫡男の信忠、正室である帰蝶、そして弟である信包が座って待っていた。
「これはこれは若殿様に御方様、それに上総介様(織田信包のこと)。お待たせして申し訳ございませんでした」
秀吉がそう言いながら平伏すると、信忠が「気にするな」と笑顔で答えた。
「して、この集まりは一体何事でございましょうか?」
秀吉がそう聞くと、信忠がニコニコ顔で答える。
「筑前。藤十郎の妻のことなのだが、三十郎の叔父上の娘を父の養女とし、羽柴に嫁がせようと思うのだが」
「おお!上総介様の娘御でございまするか!?それはそれは大変名誉なこと。して、どの様な姫君でございまするか?」
「名前は藤と言って、永禄七年(1564年)生まれ。今年で十三歳だな。十五歳の藤十郎とは似合いであろう」
信忠がそう言うと、秀吉は嬉しそうな表情を浮かべながら話す。
「おお、それはそれは重畳。これで姉とかであれば言う事ございませぬな!」
秀吉の言葉に、書院にいた者達は怪訝そうな顔をしたが、直後に信包が秀吉に語りだした。
「ああ、お藤は姉でござるよ。弟がおりますれば、姉弟仲も良くしております」
「おお!それはますます重畳!いや、大松・・・じゃない、藤十郎は幼き頃より母がおりませぬ故、面倒見の良いしっかりとした妻を持たせたいと思っておりました!」
信包の話を聞いた秀吉はそう答えると、姿勢を正して改めて信包に平伏する。
「この百姓の出であるそれがしの愚息に、上総介様が大事に育てた娘御を嫁がせてくれること、この羽柴筑前、生涯忘れぬ誉にございまする。それがしも我が娘と思い、大切にいたすことをお約束致し申す」
秀吉がそう言うと、信包が「筑前殿・・・!」と感極まった声を上げた。そして信長からも声が上がる。
「で、あるか。猿、よう受け入れた!」
信長が高い声でそう言うと、秀吉だけではなく、信忠や信包、帰蝶や秀一までも驚いたような表情で信長を見た。高い声が地声である信長が、地声のまま声を出すのは、相当機嫌の良い時だけである。
「木津川口で石山本願寺と毛利にしてやられた今、織田家中にて動揺が生じるやも知れぬ。しかし、織田と羽柴が縁続きとなれば、織田家中の結び付きが強いことを内外に見せつけることができようぞ」
信長に続いて信忠が秀吉に語りかける。
「筑前。父上と母上の養女となるということは、儂の義妹となるということ。それを娶るということは、藤十郎は儂の義弟となる、ということだ。儂も有能な義弟が増えて、嬉しく思うぞ」
「ははぁ!有難き幸せ!この筑前は果報者にございまする!」
信長と信忠の言葉に対して、秀吉は大げさな仕草で平伏した。
「・・・時に御前様。一つだけ懸念がございまする」
それまで黙っていた帰蝶が信長に話しかけた。
「上総介殿の娘御の名前ですが、藤ではお藤殿と紛らわしゅうございまする」
「は?」
帰蝶の言葉に思わず声が出た秀吉。帰蝶が信長の三女の名前も『藤』と言うのだと説明した。
「なので、御前様と妾の養女となる際は、名を改めていただいたほうがよろしいかと」
「で、あるか」
帰蝶の提案にそう返した信長は、少し考えると口を開いた。
「藤は紫の色にて、紫と名乗らせよう」
「駄目です」
信長の提案に帰蝶が反対した。帰蝶は話を続ける。
「むらさき、なんて言いにくいったらありゃしませぬ。本当に御前様は名前を付けるのが下手でございまするね」
帰蝶の言葉に、信長以外の者の視線が信忠に集中した。顔が奇妙だからという理由で『奇妙丸』と名付けられた信忠は、居心地の悪さを感じつつも帰蝶に話しかける。
「ならば母上、縁としては如何か?紫はゆかりの色でございますし、まだ言いやすいかと存じますが」
「おお、さすがは若殿様。学がございますなぁ」
秀吉がここぞとばかりに信忠におべっかを使うが、誰も彼もが無視して帰蝶を見つめた。
「・・・そうですね。それなら藤殿と間違えないでしょうし、紫よりは言いやすいかと。御前様もそれでよろしゅうございますね?」
帰蝶がそう尋ねると、信長は「で、あるな」とやや低い声で答えた。少し拗ねた感じの声色に、帰蝶は内心呆れていた。
「それで筑前殿。祝言はいつ頃がよろしいか?」
信包の質問に、秀吉は考えながら答える。
「我が息の石松の忌中はすでに過ぎております。後は準備だけでございまするが・・・」
忌中の期間は四十九日(仏教の場合。神道の場合は五十日祭を終えた後)とされる。一方、その後に喪中があるのだが、当時は七歳以下の子が亡くなった場合、親も喪に服す必要はないとされていた。
「とは言え、織田と羽柴の婚姻は織田家中の引き締めという観点からも早めにしたほうが良い。猿にはすまぬが、早急に祝言を挙げる準備をしてもらうぞ」
信長がそう言うと、帰蝶が異議を唱える。
「お待ち下さい、御前様。妾達の養女となる以上、織田家の慣習、作法を教える必要がございまする」
「あいや待たれよ、義姉上。すでに我が娘は妻や乳母によって慣習や作法は身につけております故、お教え頂く必要はないかと・・・」
信包がそう言うと、書院にいた者達で重秀と縁の婚儀について話し合われることとなった。そして、その話は長時間続くこととなった。
長浜城へ飛ぶような速さで帰ってきた秀吉は、二の丸御殿に行くと重秀を探した。しかし、二の丸御殿を探しても重秀は居らず、近くを通った侍女に尋ねると「乳母殿と厨(台所のこと)に居られました」と答えたので、秀吉は厨へとすっ飛んでいった。
厨では重秀と千代と山内一豊、福島正則と加藤清正、石田正澄と本多正信、そして数人の侍女が竈の前に集まっていた。
「おう!藤十郎!ここに居ったのか!?・・・何を作っておるのだ?」
秀吉が重秀達に近づくと、竈で何かを煮込んでいる鍋が目に入った。中を覗き込むと、そこには具のたくさん入った味噌汁があった。
「父上!?い、いつお戻りに!?」
重秀が驚いた顔をしながら言うと、重秀以外の者達は片膝を付いて跪いた。秀吉が「ああ、良い良い」と言いながら右手をひらひら振ると、改めて重秀に鍋の中身を聞いた。
「ああ、これですか?弥八郎(本多正信のこと)が作った豚肉の味噌汁でございまする。先程皆で食しましたら、結構な美味でございました。後で父上にも差し上げまする」
「おお、これは美味そうじゃのう。後で頂くとしようか。・・・いや、そんな事を言っておる場合ではないっ!」
そう言うと、秀吉は自分の目線より高くなった重秀の両肩を両手で掴んだ。そして思いっきり揺らすと唾を飛ばしながら大声を上げた。
「藤十郎!お主の妻が決まったぞ!相手は織田上総介様の姫じゃ!しかも上様とお濃の方様の養女として来られる!これでお主も織田一門の仲間入りじゃ!」
「ええっ・・・!?」
急に言われて再び驚く重秀。そして周りにいた者達も驚いた声を上げた。
「おお、若君!御目出度う御座いまする!」
「若君!良うございましたな!これで羽柴家は安泰でございまする」
「兄貴!おめでとう!」
「おめでとう御座いまする!長兄!」
「あ〜あ、これで華の独身生活も終わりですなぁ」
一豊、正澄、正則、清正、そして正信が祝い(?)の言葉を重秀にかけた。一方で、千代が秀吉に質問をする。
「ところで、その姫君は・・・」
「大姫(長女である姫のこと)じゃ。弟がいる。上総介様が言うには、姉弟仲が良いらしい」
千代の質問を察した秀吉が、片目を瞑りながら答えた。
「それはようございました」
胸を撫で下ろす千代から、秀吉は視線を重秀に移すと重秀に話しかける。
「藤十郎、この件で少し話をしておきたい。少し良いか?」
「ではそこの囲炉裏で話しましょうか?せっかくなので、味噌汁を食べながら話しましょうぞ」
重秀の提案に従い、皆で囲炉裏を囲んだ後は、豚肉の味噌汁―――豚汁を食べながら秀吉の話を聞いた。
「織田家は今引き締めの時じゃ。織田の姫を得られるのは羽柴だけではない。筒井家には上様の実の娘が、細川京兆家には上様の妹君のお犬の方様が嫁がれる。上様は木津川口での戦いで織田が負けたことをことさら気になさっているようじゃ。藤十郎よ、好きでもない女子と婚を結ぶは不満かもしれぬが、これも羽柴のためと心得よ」
「不満などとんでもない事にございます。むしろ、父上が不満を抱いておるのではございませぬか?確か、上様の姫をお望みだったのでは?」
「確かに不満がないわけではない。上様の実の娘は筒井ではなく羽柴に寄越せと思わずにはいられなかったわ。しかし、儂は相手に不足はないと思うておる。なぜだか分かるか?」
秀吉がそう聞くと、重秀は首を傾げながら答える。
「・・・上様の同母弟である上総介様の大姫だからですか?」
「それもあるが、姫の年齢が良いのじゃ。今年十三歳の姫ならば、すぐに子を生せるであろう」
「・・・父上、恐れながら子を作るのは妻が十六歳以上になってからの方がよろしいかと・・・」
重秀の言葉に秀吉は片眉を上げた。不機嫌そうな顔をしている秀吉に、重秀は自分の母親のことを引き合いに、16歳以上でないと出産には母子共に負担が大きいと訴えた。
ねねの事を持ち出された秀吉は、一応重秀の考えについては理解は示したものの、「おまつ殿も十三歳で子を生して平気だったんじゃ。姫の身体によっては大事無いじゃろう」と言って早めに子を成すように重秀に言った。
いつ子を生せるかについて若干秀吉と重秀の間で揉めたものの、その後は祝言を上げる時期などについて、諍いなく話が進んだ。ある程度話が進んだ後、秀吉は再び豚汁に口をつけた。
「うむ、美味い。それに、豚は猪に外見が似ておるので、肉も猪と同じく臭いのかと思ったら意外に臭わんものじゃのう」
「弥八郎や三之丞(加藤教明のこと)のおかげで、豚や牛の肉はだいぶ臭みを和らげる事ができました。肉は塩水で何度も洗って血を洗い流し、肉を酒に一晩漬け込めばだいぶ臭みは取れまする。あとは生姜と大蒜、葱や韮と一緒に調理すれば臭みは気にならないほどになります。また、酒に漬け込んだ肉を洗い、味噌漬けにするか糠漬けにするかで保存はできそうでございます。この味噌汁は、その味噌漬けした豚肉を使いました故、あとは野菜と水で煮込めば陣中でも食すのは簡単にございます」
「うむ、戦場でこの様な温かくて美味い物が食えれば兵達の士気も上がろう。これで豚肉を食すことが広がれば、豚をもっと飼っても良いかも知れぬ」
「それに、小西隆佐殿の話では、唐や朝鮮、琉球では豚は多く子を産むので、子孫繁栄をもたらす縁起の良い獣だそうで。その話を広めれば、武家は積極的に食するのではないかと考えております」
重秀の話に対して、秀吉は目を輝かせた。
「おお!?それは真か!?ならば儂や藤十郎はもっと食さねばならんのう!いや、伊右衛門!お主もじゃ!千代殿もじゃ!まだ子を成しておらぬのであろう!?さあさあ、たんと食せ食せ!」
秀吉にそう言われた一豊と千代は、苦笑いしつつも豚汁を美味しそうに食べるのであった。