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第72話 羽柴の嫁取り騒動(前編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


PV130万突破いたしました。ご愛読頂きありがとうございました。拙文を読んで頂き大変感謝しております。


今後ともよろしくお願い致します。

 天正四年(1576年)六月のある日。重秀は石田正澄と本丸御殿の居間にてブレックファーストミーティングに参加していた。


「藤十郎、石松丸の葬儀と()()の出産。同時によくぞ差配してくれた。礼を申すぞ」


「・・・いえ、私も小一郎の叔父上や半兵衛殿、浅野の叔父上達がいなければ混乱して何もできませんでした」


「まあ、葬儀と出産が同時に来るなんてことは滅多にないからのう。お主が混乱するのも仕方のないことよ」


 秀吉の言うとおり、石松丸が亡くなった直後に勝姫が生まれたものだから、その日の長浜城は混乱の極みにあった。


『長浜日記』によれば、さっきまで「病魔退散!」と叫んでいた祈祷師達がそのまま休まずに「安産祈願!」と叫び始めるし、男達が石松丸の亡骸を南殿から離すべく御殿の『表』へ運んでいる脇で、女達が熱湯を桶に持って『奥』に入っていったり、僧侶と産婆が同時に城門から入ろうとして、産婆が「坊主と一緒になんか入ったら縁起悪い!」と言って駄々をこねたせいで南殿の元に産婆が来るのが遅くなった、といったことが起きていたらしい。


 それはともかく、未だ石松丸の死のショックから立ち直れないのか、疲れたような表情を顔に浮かべている秀吉に、重秀は心配そうに尋ねた。


「父上、今の所は石山本願寺は柴田様の抑えによって動けない様子ですし、東は徳川様が高天神城の奪還を目指して武田と小競り合いを重ねておりますが、大きな動きはございませぬ。少し休まれては如何ですか?」


「そうしたいのは山々なのじゃが、大きな動きがないうちに、やっておきたいことがある。休むのはそれが終わってからじゃ」


「やっておきたいこととは?」


 重秀の質問に、秀吉はやや明るい声で答える。


「まずは播磨、但馬への調略よ。実は去年のことだが、姫山城の城代の小寺官兵衛が儂を通じて小寺家の織田家臣従を願い出てきた。すでに官兵衛が上様とお会いになり、小寺家の臣従を許されておる。さらに別所や赤松も織田に付くことが決まっておる。これを機に、他の播磨の国衆を織田に付かせるのじゃ」


 初めて聞く話に、重秀は「おお」と声を上げた。秀吉が話を続ける。


「すでに文のやり取りを開始しておる。表向きは牛の売買の交渉と、牛革の鞣し職人の派遣の要請という形をとっておるがな」


「鞣し職人が長浜に来てくれるのですか」


「牛革だけではなく豚革についても官兵衛が興味を示しておったわ。『是非職人を派遣して、実際に使えるかどうか見てみたい』と言っておったわ」


「牛革ですと播磨の牛革と競合いたしますが、豚革でしたら競合しなくなります。しかし、そうなると豚の肉の消費を拡大しないと、革だけ取るためだけに屠殺することになります。さすがにそれだけの理由で豚の屠殺を命じるのは・・・」


「もったいない、と申すか」


 秀吉の言葉に重秀は頷いた。重秀が話を続ける。


「真宗や伴天連の教えで肉食が許されているのは食することが人にとって必要不可欠なことだからでございます。そういった必要なことを行なっている者達も救われるべきだというのが彼の者達の教えにて」


「食さずに屠殺するのは、さすがに神仏も救わぬか。何か、豚を積極的に食する方法を考えなければならぬな・・・。あいや、待てよ?確か昔諸国を放浪していた時、海沿いの村で聞いた覚えが・・・。ひょっとしたら、あの手が使えるやもしれぬ・・・」


 そう言うと秀吉は黙ってしまった。


「・・・父上。あの手、とは?」


 重秀が質問すると、秀吉は何かを言おうとした。しかし、秀吉は首を横に振る。


「・・・いや、なんでもない。ところで、豚肉を使った料理でなにか良いものはないか?気軽に食えなければ、誰も食そうとは思わぬぞ?」


 秀吉にそう聞かれた重秀は、首を傾げると話し始めた。


「・・・弥八郎(本多正信のこと)が豚肉と長ねぎ、大根、牛蒡(ごぼう)、芋(里芋のこと)を煮込んで灰汁を取った後に味噌を入れて食べるという方法を試しております。また、伴天連の話では、肉を刻んで薬草と混ぜ、腸詰めにして燻製にして食すこともあるそうです。燻製にしますので保存が効き、戦場での兵糧にもなりまする」


「ふむ、試して見る価値はありそうじゃのう。藤十郎、そなたに任せる故、必要な人、物、銭があれば言うように」


 秀吉の命を受けた重秀が「承知いたしました」と言って頭を下げた。秀吉が話を続ける。


「さて、次にやらなければならぬのは藤十郎、お主の祝言よ。今年中には挙げたいと思っておる。上様からも内密にじゃがすでに嫁がせる姫を決めておると言質を頂いておる。まあ、今は石松の忌中故、まだ動けぬが、忌中が開け次第準備を行うぞ」


「・・・承りました」


 重秀がそう言って平伏した。秀吉がさらに話を続ける。


「そして祝言を挙げたなら、藤十郎には側室を持ってもらうからそのつもりでいるようにの」


「側室ですか!?早すぎやしませぬか!?」


 秀吉の発言に重秀は驚いて声を上げてしまった。秀吉が話を続ける。


「石松が亡くなり、新たに生まれたのは女児じゃ。これで藤十郎にまでいなくなられたら羽柴は終いじゃ。なので、藤十郎には早く子を作ってもらわにゃならぬ。分かるな」


「・・・それは分かりますが、私めの正室は織田から迎えるのでしょう?正室を迎えてすぐに側室を迎えては、上様や織田家に悪い印象を与えかねませぬか?」


「すぐには迎えんさ。ただ、頃合いを見て側室を入れることだけは分かってくれ」


「・・・分かりました。ところで、側室には蒲生の()()姫を入れるのですか?蒲生家は側室でも良いような事を申しておりましたが」


 重秀の質問に対して、秀吉は腕を組みながら「う〜ん」と唸った。重秀が訝しがるような視線を秀吉に向けると、秀吉は悩むような口調で話し始めた。


「・・・蒲生家の姫を側室にするにはちと身分が高すぎるような気がするんじゃがなぁ・・・。それに歳も確か十一歳。まだ子をすには早かろう。出来れば側室には年上の経産婦が良いのじゃが・・・」


 秀吉の言葉に重秀が「ええっ・・・」と嫌そうな声を上げた。秀吉が重秀を咎める。


「なんじゃ!その嫌そうな顔は!経産婦なら子が確実に生せるであろうが!」


「ならば父上の側に置けばよろしいではございませぬか。そもそも、私めの正室や側室については厳しくおっしゃられておりまするが、父上が手を付けている女性(にょしょう)は己の好みのみ、とのもっぱらの噂でございます。父上も子を作りたいというのであれば、少しはそういう女性を優先すべきではございませぬか?」


 重秀の予想外の反論に秀吉は思わず怯んだ。


「・・・言うようになったのう、藤十郎も。まあ、良い。まずは正室を得ることが先決じゃ。側室はその後で考えることにしよう」


 女性関係のことについては常日頃から小一郎に小言を食らっている秀吉は、さらに重秀からも言われるのは勘弁して欲しいと思ったのか、早々にこの話を切り上げるのであった。





 その頃、岐阜城の本丸御殿の中奥に呼び出された帰蝶は、信長から驚くべきことを打ち明けられていた。


「・・・おふじ殿(信長の三女)を筒井家の嫁に出すのですか?」


 帰蝶の疑問に対して、信長は渋い顔をしながら頷くと、ゆっくりと口を開いた。


「原田備中(塙直政のこと)が討ち死にし、大和の守護が空いたからな。次の守護には陽舜房(筒井順慶のこと)を考えておる。その筒井をこちら側に確実に引き込むには、あやつの養子(筒井定次のこと)に儂の娘を嫁がせるのが手っ取り早い」


「・・・御前様の命には従いまするが・・・。何故筒井殿を大和の守護に?大和には確か松永様がいらっしゃいましたよね?」


霜台(そうたい)(松永久秀のこと)は駄目だ。前に儂を裏切ったことがあったし、前の天王寺砦での戦いの際に権六(柴田勝家のこと)と作戦を巡って言い争っておる」


 柴田勝家が立て籠もっていた天王寺砦に救援として入った信長は、そこで籠城ではなく積極的な反撃によって石山本願寺勢の裏をかく作戦を述べた。それに対して賛成したのが勝家であり、反対したのが久秀であった。


「それに権六は、以前裏切った霜台を嫌っておる。権六には石山本願寺の対応を任せたいが、権六の味方になりそうなのが金柑(明智光秀のこと)か兵部(長岡藤孝のこと)しかおらん。摂津(荒木村重のこと)は一向門徒共が楼の岸砦をがら空きにして木津川口砦を奪還しようとしている時に、近場の野田城にいたのに楼の岸砦を攻めなかった。あ奴はどうも信用できん。ここで筒井が織田一門になれば、権六も畿内で苦労せずに済むじゃろう」


「ああ、確かに柴田様は御前様の義弟おとうとですから、近場に親戚がいれば心強いでしょう」


 帰蝶が納得した顔でそう言うと、信長は「で、あるな」と頷いた。


「しかし、そうなると羽柴殿へは誰を嫁がせるのでございまするか?」


「それは今から考える。うぬは奥に戻っておれ。藤にこの事を伝えるのを忘れずにな」


 信長がそう命じると、帰蝶は「はいはい」と言いながら立ち上がり、信長のいる部屋から出ていった。信長は側にいた小姓を部屋から出させると、一人で今後のことを考え始めた。この時の信長の心の内を探ってみることにしよう。


 ―――正直、羽柴家に我が娘を嫁がせられないのは痛い。備中が死ななければ、実の娘は羽柴に嫁がせたかった。備中のせいで儂の計画が狂ったのだから、備中の遺族を罰したかったのだが・・・、権六めが庇いおったわ―――


 討ち死にした塙直政の遺族については、当初信長は厳罰に処す考えであった。しかし勝家が執り成したお陰で、大和の所領は没収されたものの勝家の保護下に置かれることとなった。


 ―――ふん、まあ良い。おかげで畿内の織田の将兵が権六めを見直しておるわ―――


 結果、勝家の評価が上がり、少なくとも勝家指揮下の織田の将兵達は勝家の支持者となった。後に、勝家が本願寺勢に積極的すぎる攻勢を仕掛けても配下からあまり不満が出なかったのは、この一件があったからと言われている。


 ―――それはともかく、猿(秀吉のこと)には織田の姫をやると言ってしまったからのう。儂の娘はまだおるが、まだまだ幼い。とても嫁には出せぬな。

 そうなると、どこからか年頃の娘を養女として迎えた後に、儂の娘として羽柴に嫁がせる必要があるが・・・。やはり織田一門の姫でなければ猿も納得しないだろう。そう約束してしまったからな。とすると、蒲生の姫を養女とするのはありえんな―――


 蒲生家が羽柴家と縁戚を結びたがっていることは信長の耳にも入っていた。また、蒲生賦秀の妻となった自分の娘から帰蝶へ、()()の養子縁組を願い出る書状が来ていることも信長は把握していた。

 確かに蒲生家と羽柴家が縁戚を結べば、間接的に織田家とは結び付けることは出来る。しかし、その結び付きで羽柴を織田がコントロールできるかと言うと難しいと言わざるを得ない。


 ―――やはり、織田の娘でなければ駄目だな。となると、仙千代(万見重元のとこ)が調べてきた姫二人のうちのどれかだな。

 一人は(いち)の長女の茶々。もう一人は三十郎(織田信包のこと)の長女の(ふじ)か・・・。

 茶々なら父親は浅井長政だし、羽柴家中には旧浅井家中の者も多くいる。浅井の姫が羽柴に嫁げば、猿も旧浅井家中の者の統制が楽になるであろう。それに、儂の養女となるとは言え、茶々が羽柴に嫁げば柴田と羽柴が縁続きとなる。権六の味方がより増えるというものだが・・・―――


 お市の方の長女である茶々は、今年で8歳。この歳になれば他家へ嫁がせるに十分な年齢であると信長は判断していた。実際、長女の徳姫は9歳くらいで徳川家へ嫁いでいる。


 ―――問題は権六が猿めを好ましく思っていないこと・・・。いや、それ以上に市が猿を憎んでいることであろうか。まさか『あの猿に嫁ぐぐらいなら柴田様に嫁いだほうがマシです』と言って権六との祝言をすんなりと受け入れるとは思わなんだ。・・・確かに猿は長政の嫡男を串刺しの刑にしたが、あれは儂が命じたものだ。儂を恨むのが筋というものであろう―――


 信長は知らなかったが、お市の方が本当に憎んでいるのは信長であった。お市の方は小谷城で長政と幸せに過ごしていたのに、兄である信長がそれを奪った、とお市の方は考えていた。しかし、もはや事実上の天下人たる信長に逆らえば娘達がどうなるか分からない、と考えたお市の方は、信長とは別の人物を恨むことで心の平穏を保とうとしたのだった。

 そして、その別の人物というのが秀吉であった。もっとも、お市の方が可愛がっていた万福丸を秀吉は信長の命とは言え殺害しているのだから、恨まれても仕方のないことなのだが。


 ―――どちらにしろ、権六に茶々を差し出すよう命じても一筋縄では行かぬな。それなら、三十郎の娘の方がまだ容易いか。三十郎は一度、藤十郎に会ったことがあるし、藤十郎を評価していると話していた。三十郎の娘ならば、藤十郎が勘九郎(織田信忠のこと)の側に仕えることになった場合、三十郎と共に勘九郎を支えることとなるであろう―――


 信長の弟である織田信包は、元々中伊勢の名門豪族である長野工藤氏の婿養子となって長野信良となっていたが、この頃になると長野性から織田性に復帰して、今では織田三十郎信包として伊勢上野城を仮の拠点に北伊勢の一部を支配していた。近々安濃津城への移転が決まっている。


 ―――しかも、娘の母は中伊勢の名門長野家の出。猿の息子にはもったいないほどの血筋の姫じゃ―――


 信包の娘である藤の誕生年は永禄七年(1564年)と言われている。一方、織田信包が長野家へ婿養子として入ったのは永禄十二年(1569年)。計算が合わないのではないか、と思われるが、これには分け入った事情があった。


 長野家の先祖は、あの曾我兄弟の仇討ちの対象であった工藤祐経(すねつけ)である。彼の三男が伊勢に移り、その子供が長野姓を名乗ったのが始まりである。

 鎌倉時代より続く名門長野家は、南北朝時代以降、南朝方の有力貴族である北畠家と伊勢を巡って争っていた。応仁の乱でも両家は争っており、戦国時代に入っても争っていた。しかし、北畠晴具とその息子の北畠具教の攻勢によって長野家は劣勢に落とされ、ついに永禄元年(1558年)、具教の次男である具藤が長野藤定(長野工藤家15代当主)の養子となり、長野家は北畠家に隷属することとなった。そして永禄五年(1562年)、藤定は父である長野種藤と同じ日に死去する。一説には北畠家によって暗殺されたらしい。

 しかし、藤定も種藤も、南北朝時代から因縁のある北畠家にそう簡単に屈する訳にはいかないと思ったのだろう。長野家の未来を一人の少女に託した。その少女こそ藤定の娘である。彼女を伊勢以外の大名に嫁がせ、長野の血筋を守ろうとした。そして、その血筋が、伊勢へ帰ってくることに期待したのだった。

 そこで彼女が嫁いだ先が尾張の織田家であった。当時の織田家は桶狭間の戦いにて今川を破り、信長による尾張統一の総仕上げが始まろうとしていた頃であった。織田家との交渉の結果、藤定の娘は信長の同母弟である三十郎に嫁ぐこととなった。長野家は期待した。いづれ織田家の支援を受けた長野の姫とその夫が、北畠家を駆逐して長野家を再興してくれるだろうと。

 しかし、尾張統一後の信長の目は伊勢ではなく美濃に向けられていた。いや、一応、滝川一益を国境の蟹江城に配備して長島や桑名を監視させていたが、美濃ほど注目はしていなかった。その間にも藤定も種藤も死んでしまい、長野家は北畠家に組み込まれてしまった。この頃に三十郎と藤定の娘との間に娘が生まれた。これが藤である。

 その後、永禄十年(1567年)から信長は伊勢へ侵攻。北伊勢の神戸氏を下して三男の三七(のちの織田信孝)を養子に送り込んで隷属化させると、次は長野家へ矛先を向けた。そんな長野家では抗戦か和睦かで家臣団が分裂。その中で長野家の一族である細野家より分部家に養子に来ていた分部光嘉(わけべみつよし)とその養父の分部光高、及び同じく細野家より養子に来ていた河北藤元(光嘉の弟に当たる)が織田方に通じると、織田家の軍事力を背景に長野具藤を追放。講和派が主導権を握ると藤定の娘と婚姻を結んでいた三十郎を長野家の養子とし、長野三十郎信良として長野家の当主としたのだった。そして、藤定の娘は信良との間に生まれた娘と、まだ赤子の男児(のちの織田三十郎信重)を連れて、故郷の伊勢へと戻ってきたのだった。


 ―――まあ、茶々でも藤でもどちらでも良いわ。どうせ儂の娘になるからのう。羽柴はどちらかの姫を猿の息子にくれてやればそれで良しじゃ。

 ・・・となると、次は前田・・・。いや、その前に畿内の大名じゃ。さらに畿内を織田の血で固めなければのう。おお、そう言えば、山城は槇島城の城主、細川右京大夫(細川昭元のこと)はまだ独り身じゃな。名門細川京兆家の当主じゃ。並大抵の織田の姫では駄目だな。それに歳もだいぶ上だから儂の娘は釣り合わぬ・・・。よし、妹の犬(お犬の方のこと)を嫁がせてやるか―――


 こうして信長は、数日間は織田家の足場固めのために頭を使うことになるのであった。


注釈

織田信長の三女、藤(織田秀子とも言う)については資料があまり残っておらず、実の娘ではなく明智光秀の娘を信長が養女にしたのではないか、という説もある。また、出家した際の法名が日栄であるが、摂津茨木城主の中川清秀の息子である中川秀政の妻が信長の娘を娶っており、彼女もまた出家後は法名を日栄としていることから、同一人物ではないかとされている。さらに、三女ではなく十四女であるという資料もあり、謎の多い女性である。

この小説では、織田信長の実の娘で三女であるという説を取っている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 消えたと思った茶々フラグがまた。どう着地するのでしょう? 石松丸は史実とおりですけど子どもが亡くなるのは悲しいので勝姫と伊右衛門千代のお子さんも心配。 豪もいないようなので妹ちゃんには元気…
[一言] 嫁候補に茶々が上がってきてドキリ。 母親とまとめてろくな印象がないからなー^^; 秀吉から見て直系の姫でない姪を養女とする形どう感じるんでしょうね。 基本的に主家の一族出身ということで名誉…
[良い点] 政略結婚って大変だなあ
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