第71話 凶事と慶事
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第70話に加筆修正いたしました。詳しいことは活動報告書をご参照下さい。
天正四年(1576年)五月四日。羽柴領内では去年より増えた蚕の飼育に、百姓から足軽、下級武士の妻子が忙しく関わっていた。そしてそれは長浜城内でも同じで、長浜城内になる養蚕場では、侍女達が蚕に多くの桑の葉を与えていた。そしてその様子を、重秀は山内一豊と千代と共に見ていた。
「・・・去年まではあれだけ蚕の幼虫を『気持ち悪い』と言って忌避していた侍女達が、今はこんなにも進んで働くとは・・・」
一豊がそう呟くと、隣で見ていた重秀が笑いながら言う。
「去年紡いだ生糸が結構な値段で売れたし、それが彼女達の俸禄となったのだ。稼げると分かれば皆やる気を出すさ。正に『鱧は蛇に似たり、蚕は蠋に似たり』だな」
『鱧は蛇に似たり、蚕は蠋に似たり』は中国の古典『韓非子』に書かれていることわざで、『人は利益になることならば恐ろしいことも嫌なことも平気でやるものだ』という意味である。ちなみに鱧は魚のハモのことであり、蠋は芋虫のことである。
「殿の勧めで山内の屋敷でも蚕を飼っておりますが、千代だけでしたなぁ、蚕を気持ち悪がらずに育てたのは」
一豊がそう言うと、千代は笑いながら答える。
「私は虫には慣れております故、怖いとか気持ち悪いとは思いませなんだ。案外可愛いものでございますよ」
そこまで言った千代は、何かを思い出したかのような顔つきになると、重秀に話しかけた。
「そう言えば、南殿はやはり、今回の養蚕には参加できませなんだか?」
千代からそう聞かれた重秀は、憂いた表情を顔に浮かべながら答える。
「うん・・・。南殿自身の体調は大事無いのだが、石松がまた病に罹ったからなぁ・・・」
南殿はこの時期になるとお腹が誰の目から見ても大きくなっており、お腹の中で新たな生命が順調に育まれている事は誰から見ても明らかであった。今の所南殿の身体には何ら異常が見当たらず、来月が産み月となる予定であった。
しかし、南殿の顔色はここ数日悪くなる一方であった。というのも、また石松丸が病に倒れたからである。しかも今回は症状がとても重く、京から呼び寄せた医者の話では、助かる見込みはとても難しいと言うことであった。
そのため、南殿はつきっきりで石松丸の看病を行なっていた。看病自体は侍女と交代で行なっていたので、肉体的負担は最低限で済んでいたが、精神的負担は日に日に大きくなっていった。
「・・・明日は端午の節句でございますのに、殿も南殿も表情は沈んでおりましたね・・・」
「とてもではないが祝う雰囲気ではない。ないが、せめて菖蒲枕と菖蒲湯を石松にやってもらいたいものだ」
重秀の言う『菖蒲枕』(そうぶのまくらとも言う)とは、端午の節句の夜(実際には5月4日の夜)、邪気を払うためにショウブ(アヤメとは違う植物である)を薄紙に包んで枕元に置くことを言う。この時使ったショウブを5月5日にお湯に浮かべて浴することを『菖蒲湯』と言う。
重秀にとって、弟に降りかかる病という邪気を払えるのであれば、持っている財産全てを菖蒲に変えたいという気持ちであった。
次の日、毎年恒例の端午の節句での酒宴は中止となった。但し、これは石松丸の病のせいではない。むしろもっと厄介な問題が発生したせいである。
「木津川口の砦の奪取に失敗した?」
長浜城本丸御殿の小広間で行われた朝の評定で、小一郎は秀吉に聞き返した。
「うむ、皆も知っているように、今、石山本願寺にて戦が行われておる。そこで柴田様が総大将となって石山本願寺と毛利との補給路を守っている木津川口の砦を攻め落とす戦いが五月三日に行われた。一度は陥落させたのじゃが、近場の楼の岸砦から逆襲を食らって奪還されたらしい。しかも、柴田様と共に戦っていた備中守殿(原田直政のこと)は討ち死にされた」
秀吉の言葉に、小広間に集まっていた者達は息を呑んだ。原田直政は若い頃は信長の馬廻の中でもエリート集団とされた赤母衣衆の一人であり、その後も数多くの戦いに参加し、武勇に優れた武将である一方、南山城や大和での行政など行う官僚でもあった。その直政が討ち死にしたことに、重秀達は石山本願寺の本当の強さを改めて認識することとなった。
秀吉が話を続ける。
「で、昨日の夜に上様より急使がやってきた。天王寺にある我等の砦が危機的状況らしい。天王寺砦には、木津川口砦から撤退してきた柴田様と玄蕃殿(佐久間盛政のこと)が入っているが、木津川口砦から敗走した残党兵を含めても三千しか兵が残されておらぬらしい」
「敵の兵力は?」
竹中重治の質問に秀吉が溜息をつきながら言う。
「約一万五千」
秀吉の発した敵の数に、その場にいた者全てが息を呑んだ。どう考えても詰みである。
「京にいた上様は全軍に動員令を発した。というわけで、我等も出陣をする」
「兄者。出陣の日にちは?」
「今すぐ」
小一郎の質問に秀吉が即答した。皆から驚きの声が上がる。
「と、殿さん!?今すぐと言われても兵が集まりませぬぞ!」
蜂須賀正勝がそう叫ぶと、秀吉も「分かっておるわ」と返してきた。そして一息つくと、秀吉は落ち着いた口調で話を続けた。
「取り敢えず、儂と馬廻だけでも出立いたす。小六と将右衛門(前野長康のこと)、あと権兵衛(仙石秀久のこと)は準備でき次第儂の後を追え。軍の集結地は河内の若江城じゃ。真っ直ぐ向かうように。孫平次(中村一氏のこと)と茂助(堀尾吉晴のこと)も、遅くても良いから兵が整い次第、儂の後を追うように。よいな」
秀吉に指名された者達は一斉に「承知!」と大声を上げると、平伏もそこそこに立ち上がって小広間より出ていった。
「長浜城は藤十郎が留守居役とする。半兵衛(竹中重治のこと)と弥兵衛(浅野長吉のこと)は藤十郎を補佐するように。小一郎は山本山城に兵を集めた後は増援として長浜城にて待機しておくように」
秀吉の指示に、重秀以外のものは「ははっ」と言って平伏した。一方、重秀だけは、何も言わずに平伏しただけであった。
長浜城内で慌ただしく出陣の準備がなされている中、重秀は秀吉に呼び出されていた。
「父上、お呼びでしょうか?」
「藤十郎か。すまんな。今回は儂が行く」
具足を石田三成や今年元服をした寺沢広高に手伝ってもらいながら着せてもらっている秀吉がそう言うと、重秀は「いえ。もう決まったことですので」と言って平伏した。
「そなたの言うとおり、儂もせんや石松の側に居た方が良いのは確かじゃ。しかし、上様のお呼び出しがあった以上、儂が行かねばならん」
実は朝の評定の前に行われたブレックファーストミーティングでは、重秀が秀吉の代わりに軍勢を率いて、京の信長と合流することを重秀自身が提案していた。重秀にしてみれば危篤状態の石松やもうすぐ出産予定の南殿の側に秀吉を残してやりたいという気持ちからの提案であった。
しかし、秀吉はその提案を拒否し、自ら出陣することを選んだ。
「それに、此度の戦は厳しい戦となろう。恐らく急な呼び出し故、集まる兵数もそれほど多くあるまい。それにあの原田殿が討ち死にしたのじゃ。敵の士気も上がっておろう。もう二、三人重臣が討ち死にということもあり得る」
「父上、それは・・・」
秀吉の発言に、重秀は不安な面持ちで秀吉を見つめた。秀吉は話を続ける。
「無論、儂も死ぬ気はない。が、万が一ということもある。そうなったら、お主が羽柴家の当主じゃ。小一郎と半兵衛の言うことを聞いて、民百姓を慈しみ、上様や若殿様のお役に立てるよう努めるのじゃ。何、お主ならきっと出来る」
秀吉の遺言のような口調に、重秀は動揺しながらも「承知いたしました」と言って平伏した。秀吉は頷くと、何かを思い出したかのような表情を顔に浮かべると、重秀に再び話しかけた。
「ああ、それと、頼まれてくれんかのう」
「なんなりと」
「石松とせんの容態は報せるな」
秀吉からの予想外の頼みに、重秀は息を呑んだ。秀吉がさらに話を進める。
「此度の戦は正直言って厳しい。そんな厳しい戦場で他の事に構っておれんのよ。良いな」
「しかし、それでは・・・。いえ、承知致しました」
重秀は秀吉の辛そうな表情を見ると、何も言えずに承知するしかなかった。
「殿。具足の取り付け終わりましてございまする」
三成の報告に秀吉は「よし!行って参る!」と叫ぶと、部屋から力強い足取りで出ていった。重秀もまた、秀吉を見送るべく、秀吉の後ろからついていくように部屋から出ていった。
五月七日、信長が義弟である柴田勝家を救出せんと天王寺砦を包囲している石山本願寺の軍勢を秀吉や明智光秀、丹羽長秀らと急襲している頃、重秀は本丸御殿の居間にて南殿と話をしていた。
「若君、この様な所にお呼びだてして恐悦至極にございまする」
「いえ、どうぞご遠慮なされずに。父より南殿や石松をよろしく頼むと言われておりますれば、南殿の頼みをどうして断れましょうや」
青い顔をしながら平伏する南殿を労るように優しい口調で話す重秀。そんな重秀に、南殿は話を続けた。
「若君には薬を始め、多くのご支援を頂いておりますれば、この御恩、どの様に返せばよろしいか、日々悩んでおりまする」
「血を分けた弟のために何かするのは当然でございましょう。どうぞお気になさらずに」
そう言って南殿を気遣う重秀に、南殿は涙を流した。
「・・・石松はもう駄目やも知れませぬ。物を食べぬようになりました」
南殿の言葉に重秀は息を呑んだ。もうそこまで悪くなっているのか、と思いながらも南殿の話を聞いていた。その後も南殿は取り留めのない会話を続けた。続けていくうちに、南殿の顔色は少しだけだが良くなっていった。
「・・・申し訳ございませぬ。私の愚痴に付き合っていただいて」
「いえ。どうぞお気になさらずに。もしお困りのことがありましたら、遠慮なく申し付け下さい」
重秀がそう言って平伏すると、南殿は「お願い致します」と言って平伏した後、奥座敷へと引っ込んでいった。
二の丸御殿へ引き上げた重秀は、南殿との会話を千代に話した。
「そうですか。南殿は不安なのでございましょう」
「不安?まあ、石松の命が明日をも知れぬというのであれば、確かに不安で心は切り刻まれたような感じだとは思いますが」
「それだけではありませぬ。奥座敷には殿が居りませぬ。頼りになる者がいないというものです」
千代がきっぱりと言うと、重秀が顎に右手を添えて考え込んだ。そして自分の考えを口に出す。
「・・・千代さんを奥座敷に遣わせたほうが良いのかも知れないが・・・」
そう言いながら重秀は千代の顔を見た。千代は微笑みながら「いつでも参りますよ」と言った。
「行ってもらえるか?」
「はい。今では南殿とも養蚕のことで会話をするようになりましたから」
元々千代が重秀の乳母になったのは、南殿と石松丸が重秀の嫡男という地位を脅かすことに対抗するためのものであった。しかし、南殿がさっさと白旗を上げてしまい、後継者争いは起きずに済んだこともあり、南殿と千代の仲は悪くはなかった。むしろ、養蚕を共にするようになってからは二人はよく会話をするようになっていたのだった。
「本当ならば私も行くべきなのだろうが・・・」
「若君と言えど、本丸御殿の奥へは立ち入ることは出来ませぬ故、致し方ございませぬ」
いくら重秀が秀吉の息子とは言え、さすがに元服後は本丸御殿の『奥』への立ち入りは禁止されていた。
「では、よろしくお願い致します」
重秀がそう言うと、千代は「お任せ下さい」と微笑みながら言ったのであった。
五月九日の早朝、天王寺の戦いにて、信長の軍勢が石山本願寺勢を討ち破った旨の報せを伝える早馬が駆け込んできた。しかし、城内にいた重秀達は勝利に喜んでいる場合ではなかった。石松丸の容態が急変し、もはやその短い生涯を閉じんとしつつあったのだ。
重秀も身内が亡くなるということは初めての経験だったため、何をすればよいのか全く分からなかった。ただ、城内には小一郎や重治、一豊といった人生経験豊富な大人達が詰めていたこともあり、実際に城内を取り仕切っていたのは大人達であった。
そして当日の夕刻、石松丸に付きっきりで容態を見ていた医師が石松丸の死亡を確認。その事が側で看病をしていた南殿に伝えられた。石松丸は3歳で生涯を終えたのだった。
本丸御殿の小広間に集まっていた重秀達にもその報せはすぐに伝えられた。また、南殿の特別な願いにより、重秀と小一郎は奥座敷に入ることとなり、石松丸の亡骸と対面した。すでに死化粧がなされており、その顔はきれいに整えられていた。
「・・・南殿。お体に障ります故、あとは我々に任せてどうかお休みくだされ。お腹の子にも悪うございます」
悲痛な表情を顔に浮かべながら、小一郎がそう言うと、南殿は首を横に振った。
「いいえ、どうぞご心配なく。それより・・・っ!」
南殿がなにか言おうとした時であった。南殿は顔を顰めると、両手で膨らんだお腹を押さえるようにして、その場でうずくまってしまった。
「南殿!?如何なされましたか!?」
重秀が思わず南殿に近寄った。顔を覗き込もうとするが、うずくまるようにして顔の様子は見えなかった。
「まさか・・・!?誰か!医者を・・・!って、そこにいるのか。産婆だ!産婆をすぐに呼んで参れ!藤十郎!我等で南殿を別の部屋へ連れて行くぞ!」
小一郎の叫び声で近くに控えていた侍女たちが一斉に立ち上がった。また、医者もすぐに南殿に近寄って様子を見た。
「・・・間違いありませぬ。産気づいておりますな」
「ええっ・・・!」
医者の言葉に重秀は驚いた。というか、脳が現実に追いついていなかった。重秀はパニック状態になっていた。
「叔父上・・・!」
「落ち着け藤十郎。とりあえず、南殿をここから布団のある部屋へ連れて行くのだ。それと、お前は一旦御殿の表に戻ってこの事を皆に伝えるんだ。恐らく半兵衛殿が的確な助言をしてくれるはずじゃ。そして、厨(台所のこと)で湯を大量に沸かし、奥座敷の庭にまで持ってくるように指示を出せ。よいな?」
小一郎の指示に重秀はただ頷くことしかできなかった。
重秀は二の丸御殿に戻ると、集まっていた羽柴家の家臣達に石松丸の死と南殿が産気づいたことを報せた。家臣達は慌てふためいたが、重秀が小一郎から指示されたことをそのまま伝えると、家臣達は一斉に動き出した。そんな中、寺沢広高が重秀に質問をした。
「若君、このことは天王寺の殿にお伝え致さなくてよろしいのでしょうか?」
「・・・今はしない方が良いだろう。戦は味方の大勝利とは言え、本願寺はまだ兵力が残っているはずだ。再び攻勢に出る可能性がないわけではない。もう少し天王寺の情勢が分かるまでは報せぬほうが良いだろうな」
重秀がそう言うと、広高の側にいた石田三成は首を傾げながら自分の意見を言う。
「恐れながら、殿は先日『容態を報せるな』と申し上げました。帰ってくるまで報せぬほうがよろしいのでは?」
「確かに報せぬでも良いかも知れぬ。しかし、父の本音は石松丸と南殿を案じておられる。その心が戦場でかき乱されると困るから、あえて報せるなと申したのだ。しかし、戦が終われば父上が戦場に出ることもないのだし、報せても問題はあるまい。とはいえ、戦がこの先どう転ぶかは分からぬ。よって、父から天王寺方面の状況の報せを聞いてから判断しても遅くはない」
重秀がそう言うと、三成は「なるほど」と相づちを打った。
「それよりも二人にはやってもらいたいことがあるんだが」
「何でございましょう」
三成が答えた。
「さっき申したとおり、石松丸が亡くなり南殿は産気づいた。恐らく城内は人の出入りが激しくなろう。そこで、二人には人の出入りを見張ってもらいたい」
「承知いたしましたが・・・。それがしのような若輩者に務まりますでしょうか?」
広高が首を傾げながら重秀に聞いた。重秀が困った顔をしながら答える。
「とはいえ、父の側にいた者で御殿に出入りできる者を覚えてそうな者って佐吉と忠次郎(寺沢広高のこと)ぐらいしか思いつかないんだよな。取り敢えず、私の名前を出していいから、侍女や奉公人を把握してくれ。それと市と虎、孫六(加藤茂勝のこと)と紀之介(大谷吉隆のこと)を使っても良いぞ」
「・・・承りました」
不安そうな顔をしながらも、二人は声を揃えて言うと、重秀に平伏したのだった。
石松丸の葬儀の準備中に南殿の出産が行われるという、中々のカオス状態となった長浜城。重秀を始め小一郎や重治、一豊や長吉等が四苦八苦しながら対応に追われていた。そんな中、五月十日の未明に南殿が女児を出産した。予定よりもだいぶ早い出産であったため、女児は平均的な赤ん坊よりも小さく、そして弱々しかった。しかし、取り敢えず死産ということではないため、重秀達はホッと胸をなでおろした。
天王寺方面の方では信長の下に続々と各地から兵が集まってきている一方、石山本願寺の軍勢は本願寺や周辺の砦に籠もっており、全く出てこなかった。重秀は秀吉からの状況を報せる文を読んで戦線が安定していることを把握した。そこで、重秀は小一郎や重治と相談の上、秀吉に石松丸の死と南殿の女児出産を文で報せた。石松丸が亡くなって十日ほど後のことであった。
報せを受けた秀吉は、当分動けないこと、石松丸の葬儀は小一郎が喪主として執り行うこと、姫の名前を『勝』と名付けることを文で重秀に命じた。重秀は小一郎にこの事を伝えると、小一郎はそのとおりに手配した。
結局、秀吉が長浜に帰ってきたのは六月一日。石山本願寺を包囲するべく数多くの附城を築き上げるのを手伝い終えてからの帰還となった。すでに石松丸の葬儀は終わっており、秀吉は位牌と対面することとなってしまったのだった。