第68話 伴天連来たる
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9月の投稿については活動報告をご参照下さい。
天正四年(1576年)二月。長浜城内の湊に、『淡海丸』が接岸した。先に石田正澄が船から降り、続いて重秀、福島正則、加藤清正が降りた。その後から千宗易、山上宗二、小西隆佐が続き、そして複数人の奇妙な出で立ちの者達が降りてきた。
重秀が湊まで出迎えに来ていた秀吉の前まで来ると、頭を下げながら秀吉に言った。
「父上、宗易様、宗二様、隆佐様及び伴天連の方々を坂本よりお連れ致しました」
「うむ、大義!」
重秀にそう声をかけながら、秀吉は宗易に近寄ると両手で宗易の手を握った。
「宗易様!お懐かしゅうございまする!茶の稽古を怠ける不肖の弟子をどうかお許しくだされ!」
頭をペコペコ下げながら謝る秀吉に、宗易は微笑みながら話しかける。
「いえ、筑前守様は北近江十二万石・・・いや、今は十三万石でしたか?しかも右大将様(織田信長のこと)の重臣あれば、お多忙のことと存じまする。お時間ができたら、またゆっくりと稽古を再開してくだされれば十分にございまする」
「・・・師匠も商いに今焼の指導にご多忙の中、ちゃんと茶の湯の研鑽を積み重ねているのに・・・」
宗易の隣でそう愚痴をこぼす宗二に対し、秀吉は「あっはっはっ、宗二殿は相変わらず手厳しい」と笑った。そして、次に隆佐の前にやってくると、宗易と同じように隆佐の手を握った。
「隆佐殿、去年は大変お世話になり申した。追加の資金のおかげで、養蚕が軌道に乗り申した」
「いえいえ筑前守様。わて等もぎょうさん儲けさせていただいてます。願わくば、もう少し蚕沙を売る量を増やしていただきたいのですが」
「あれは良い肥やしになりましてなぁ。こちらでも需要が高いんですわ。まあ、隆佐殿がもう少し銭を出してくれるのであれば、もっと蚕を増やせるんですがのう」
「これはこれは。筑前守様も商いが上手でおますなぁ」
隆佐がそう言うと、秀吉と隆佐は互いに笑いあった。そして隆佐から離れた秀吉は、奇妙な出で立ちの人達の前に立った。その者達がお辞儀をすると、中心に立っていた人物―――明らかに日本人ではない人物が何かを話し始めた。しかし、秀吉達には何を言っているのかが分からない。すぐに話した人物の隣りにいた日本人が話しだした。
「お初にお目にかかりまする。それがし、肥前は松浦のロレンソ了斎と申します。こちらは司祭のルイス・フロイス様でございまする。先程司祭はお国であるポルトガルの言葉でご挨拶されました。それがしが代わりに司祭の言葉を日本の言葉に訳しまする」
了斎はそう言うと、一度咳払いをした後に話し始めた。
「『筑前守様、此度はお招き頂いたこと、とても感謝しておりまする。また、我等のために牛や豚を提供して頂けると聞き、この上もなき喜びでございまする。筑前守様とその公子に神の祝福があらんことを』と申しておりました」
「うむ。了斎とやら、ふろいす殿に伝えてくれ。『歓迎致す故、ありがたいお話を聞けることを楽しみにしている』と」
「お話を聞イテ頂き感謝でゴザイマスル。お任せクダサイ」
秀吉の言葉を受けて、フロイスが急に流暢な日本語で答えた。秀吉を始め、重秀達も驚いた。了斎が頭を下げながら話し出す。
「申し訳ございませぬ、筑前守様。司祭は日本の言葉は分かっておりますし話すことができまする」
「なんじゃ!それならそうと最初から言え!驚いたぞ!」
秀吉が楽しそうな顔で抗議すると、フロイスは微笑みながら頭を下げた。
「申し訳ございまセヌ。ドウカお許しを」
「あっはっはっ、なに、気にしておらんよ。ささ、ここでは寒い故、城の中へ入られよ」
そう言うと秀吉は手を本丸の方へ指しながら、歩き出した。皆もそれに続くように歩き出したのだった。
本丸御殿の小広間で上座に秀吉が座り、下座に宗易、宗二、隆佐とフロイスや了斎等の伴天連達が座り、左右には重秀や小一郎らの一門や重臣が並んで座っていた。
まず、秀吉は宗易ら堺の商人達に生糸を買ってもらたことに礼を言うと、宗易達はその生糸での綸子と縮緬の生産が始まったことを伝えた。
「しかし、唐物より劣る品質は仕方ないとしても数が足りませぬ。早急の増産が必要と存じまする。そこで、いささかではございまするが、お力添えを致したく、これをお持ち致しました」
そう言うと、宗易は宗二の方を見て頷いた。宗二は脇に置いていた頑丈そうな箱を前に差し出した。そして箱の上部を開くと、中には多くの丁銀が入っていた。
「銀三十枚(600貫文、現代の価格で約7千2百万円)ございまする。どうぞお納め下さい」
箱の中で鈍く光る丁銀を見た小一郎達が思わず喉を鳴らした。秀吉が「おお、これはかたじけない」と嬉しそうに言うと、小広間にいた石田三成に「金蔵に入れておけ」と命じた。秀吉は宗易に話しかけた。
「いやぁ、この前話していただいた五千貫文の借金。うちの愚息による不手際でお借りすることができず大変申し訳ございませぬ。あれで宗匠の顔に泥を塗ったのではないかと恐縮しておりました」
秀吉の言葉に対して、宗易が首を横に振る。
「いえいえ。実はあの五千貫文、私と隆佐殿がほとんど用意したものでして。筑前守様が恐縮するほどのことではございませぬ。むしろ、借財をせずに生糸を準備してくれたおかげで、堺の織物職人や織物商人が筑前守様を見直すようになりました。おかげで、出資の銀三十枚が集まりやすうなりました」
「それはそれは。それではより生糸の生産を増やさなければいけませぬのう。のう、藤十郎!」
秀吉に呼びかけられた重秀が「ははっ」と言いながら平伏した。
その後、秀吉は今度は隆佐と話をしたが、こちらも丁銀が10枚ほど入った絹の巾着を秀吉に差し出していた。
「さて、お待たせいたしましたのう。ふろいす殿、了斎殿。わざわざ長浜まで来ていただいてかたじけない」
隆佐との話が終わった秀吉は、視線をルイス・フロイスに移すと、にこやかな声で話しかけた。
「イエ、これも全てデウスの思し召し。デウスはワタクシに試練を与えることで、デウスはワタクシを赦してくださるのでゴザイマス」
「・・・赦す?赦すとは何か?」
そこから秀吉とフロイスによる伴天連の教えについての問答が始まった。まずは秀吉とフロイスだけが話していたが、そのうちに小一郎や重秀、竹中重治なども参加していった。そして、一番質問したのは宮部継潤であった。一応、比叡山で修行し僧侶となった継潤はフロイスに鋭い質問をしてきたが、フロイスも永禄六年(1563年)に日本の土を踏んでからというもの、日本語と日本の風習、宗教について学んでおり、継潤の質問を流暢な日本語で回答していった。
そんなフロイスの言葉を好意的に聞いていた秀吉、元々宗教にはこだわりを持っていなかったこともあり、伴天連の教えを受け入れてキリシタンになろうかな、という想いも芽生えてきていた。しかし、フロイスのある言葉でその想いは吹き飛んでしまった。
「何?伴天連の教えでは一人の妻しか持ってはいけないだと?」
「ハイ・・・。デウスの教え、そうなってイマス」
フロイスが申し訳無さそうにそう言うと、秀吉の顔が不機嫌そうな表情に変わった。
秀吉にとって、信頼できる一門の少なさは頭痛の種であった。息子は重秀と石松丸の二人がいるが、石松丸は病弱で頼りない。弟の小一郎長秀は信頼できる唯一の一門であるが妻も子供もいない。妹の夫は誠実だが能力が微妙だし、姉の夫は論外だ。姉の息子達は父親よりはマシかも知れないが、幼いためまだまだ未知数だ。亡き妻ねねの実家はまあ、そこそこ使えるが、だからといって自分の血筋ではない。とするならば、一門を増やすには秀吉自身が頑張るしかない。秀吉は今年40歳。そろそろ子作りも難しいかも知れないので、これから子供を増やすには一人の女性だけ相手にしている場合ではないのだ。
「・・・それでは儂はキリシタンにはなれぬな」
秀吉がそう言うと、フロイスは残念そうな表情を顔に浮かべた。しかし、秀吉はフロイスに微笑みながら話しかける。
「安心せい。儂はキリシタンにはならぬが、そなたらが長浜にて布教を行うことは許そう。また、長浜の民がキリシタンになったからといって、何らかの不利益が被らぬようにいたすことは約束いたそう」
秀吉の言葉にホッとしたような表情を見せた伴天連達。フロイスが「お礼とシテ、我が国の音色、聞かせとうゴザイマス」と言うと、フロイスの後ろに座っていた者達に頷いた。後ろにいた数名が見たこともない縦笛や琵琶っぽい弦楽器、そして見たこともない弦楽器を取り出すと、その場で演奏が始まった。秀吉を始め、重秀達は今まで聞いたこともない音楽に魅了されていた。
その後、長浜城では歓迎の酒宴が催された。ここでは小谷城跡で飼育された牛の肉が供された。味付けは、酒で臭みを取る下ごしらえをした後は、味噌か糠に漬けて焼いたもの、そして生姜と長ネギとたまり(たまり醤油のこと)で漬け込んで焼いた牛肉も供された。フロイスの記録では美味であったと記録されている。
次の日、長浜城内では茶会が開かれていた。すでに信長より茶会を開くことを許されている秀吉であったが、今回の茶会は主に長浜城下の商人を客としてもてなす茶会であった。当然、茶を点てるのは宗易である。
長浜城下の商人にとって、千宗易は信長の御茶頭だけではなく、堺の豪商でもある。その豪商と少しでもパイプを持ちたいがために、多くの商人が長浜城に来ては宗易の茶を楽しんでいった。宗易もこれを機に自らがプロデュースしている今焼を長浜の商人に買ってもらおうと売り込んでいた。そして、秀吉は名物の井戸茶碗『柴田』を見せることによって、羽柴が事実上の天下人である織田信長との強い繋がりがあることを、宗易や隆佐といった堺の商人達、そして長浜の商人たちにアピールしていった。
さらに秀吉は、琵琶湖の長浜城から見える場所に、安宅船『塩津丸』とフスタ船『淡海丸』を浮かべた。これを見せることによって、琵琶湖の水運が羽柴によって守られていることを宗易達や長浜の商人達にアピールした。これは、越前平定がなったことで、日本海からの交易ルートが織田によって守られていることを知らしめることにもなった。
一方、フロイス達も長浜での布教を始めようとしていた。すでに長浜城下町の端にある倉庫の一つを借り受け、そこに祭壇を始めとした教会の備品を持ち込んでいた。あとは町の人達に教会の場所を知らせ、そこに来た者に伴天連の教えとは何かを教えるだけである。
ここで城下町に出て辻説法をするという考えはフロイス達にはない。経験上、そんな事をすればどこからともなく僧か神主が住民を連れてきて妨害をすることが分かっていたからだ。無論、借りた倉庫の前で妨害活動をしたり、最悪倉庫を破壊するという虞もあるが、それは無いように秀吉が倉庫の周りに番兵を配置していた。
「やあやあフロイス殿。どうでっか?」
茶会が終わり、その足で倉庫にやってきた隆佐がフロイスに話しかけた。
「ハイ、いつでも開けまする」
フロイスがそう言うと、隆佐がニッコリを笑った。
「それはよろしゅうおま。さっそく興味を持った町衆が集まってきてますさかい、始めまひょか」
「分かりマシタ。では始めマショウ」
倉庫の納戸が外され、町衆が中に入る。この日、長浜の城下町に新たな宗門が生まれた。
「何?キリシタンになりたいじゃと?」
長浜城での初めての茶会がなされてから半月ほど経ったある日。本丸御殿で毎朝行われている羽柴家のブレックファーストミーティングで、秀吉は重秀から衝撃的な言葉を聞かされていた。
「・・・何でまた急にそんな事を言うんじゃ?」
「南蛮の知識を得るためにございます」
いつになく真面目そうな顔つきで聞いた秀吉に対して、真剣な眼差しを秀吉に返しながら重秀は答えた。重秀は話を続ける。
「南蛮人達は我々の知らない事をよく話して下さいます。特に、大海を乗り越えてきただけあって、船の作りや操作、そして目印がない海でどうやって自らの場所や行き先を定められるかをよく知っております」
長浜に来ている伴天連達が全て造船術や航海術を知っているわけではない。ただ、長い航海で船乗りたちと話し合っている時に知った知識を重秀に教えただけである。
「ただ、肝心なところで『続きはキリシタンになってから』と言って話してくださらないのです。これでは中途半端な知識しか得られませぬ」
「・・・それだけの理由でキリシタンになるのか?藤十郎よ。儂はお主の話はなるべく聞こうと努めてきたが、流石に聞けぬものもあるぞ」
顔に怒りの表情が出てきつつある秀吉に、重秀は何とか説得しようとした。
「しかし父上。父上が播磨や但馬の調略をするということは、いづれ中国方面での戦の指揮を取られるのではありませぬか?そうなった時、毛利が抱える水軍衆に対抗できる水軍が必要なのではないかと愚考いたしますが」
秀吉は黙って重秀の話を聞いていたが、視線をそのまま重秀から一緒に朝餉を取っていた竹中重治に移した。その視線に気がついた重治は、口に含んでいた玄米ご飯を飲み込むと、話し始めた。
「殿が毛利方面の指揮を取られるやもしれぬ、ということは言いましたが、水軍衆の話は若君が考えてお話されたことでございます」
重治の話を聞いた秀吉は、複雑そうな表情を顔に浮かべながら重秀へ視線を戻した。
「・・・儂がキリシタンになることを反対することぐらい、お主には分かっているはずだ」
「・・・父上のことですから、私めがキリシタンになることで懸念されるのは、やはり妻を一人だけしか娶ることが出ない、ということでしょうか?」
「その通り。で、それに関しても儂を説得できるだけの材料はあるのだろうな?」
静かに聞いてきた秀吉に対し、重秀はおずおずと切り出した。
「・・・恐れながら、我が妻は織田一門の姫であることはすでに上様より下知がございました。その妻との間の子が羽柴を継げば、羽柴は織田一門の端くれとして安泰が望めまする」
「つまり、お主は織田一門の正室がいれば十分だと言うのだな」
「・・・御意」
秀吉の言葉に重秀が答えると、秀吉は溜息をついた。
「お主の考えは浅すぎる。もし、織田の姫との間に子が生まれなかったら?ねねのように子が生まれてもすぐに亡くなったら?その子が女子であったなら?無事に男児が生まれたとして、若死にしたら?それらを見逃すお主ではあるまい?」
秀吉の言葉に重秀は黙っていた。秀吉の話は続く。
「キリシタンになることは許さぬ。藤十郎には正室だけではなく、側室も持ってもらう。そして、確実に儂の血を受け継ぐ跡取りを作ってもらわなければならぬ。良いな?」
秀吉の厳しい口調に、重秀は黙って平伏した。
「そうですか。やはり、殿はお許しになりませんでしたか」
長浜城二の丸御殿の広間。ここでは上座に重秀が、下座に石田正澄、山内一豊、福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆が座って話し合っていた。
正澄の発言に対して、重秀がさほど残念でもないような顔で言う。
「うん。まあ、説得の材料が少なすぎたし、父上の反対は当然であろう。私もそれほど伴天連の教えに帰依したいという気持ちも強くはなかったし、父上のことだ。そこら辺も見抜いていたのだろう」
「・・・理由が『南蛮の知識を得たいため』では、いささか動機としては弱いかと」
吉隆の発言に皆が頷いた。それに対して重秀が溜息をつきながら話を続ける。
「まあ、長浜に伴天連達の拠点ができたのだ。そこに通う伴天連の門徒の中には知識や技術のある者も居よう。そういった者達から聞くなり教えてもらうなりすれば良いかも知れぬな」
「・・・間者を送り込めば、あるいは・・・」
吉隆の言葉に重秀が首を傾げながら言う。
「それは最後の手段だ。間者が伴天連の教えに傾倒しすぎる場合もあるし、伴天連に露見した場合、最悪は上様に報せられるやも知れぬ。あまり上様に目をつけられたくはないな」
「・・・そうですか」
吉隆がそう言った横で、一豊が一人黙って何かを考え込んでいるようであった。重秀はそれに気がついたが、特に気にすることもなく別の話題を話し始めたのであった。