第66話 高虎
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天正三年(1575年)十二月。刈屋城主水野信元は、信長から武田への内通の証拠を見せられた甥の徳川家康によって殺害された。結果、信元の領地のうち、尾張国内の領地は信忠の直轄領となり、三河国内の領地と刈屋城は信元の弟で家康の家臣となっていた水野忠重のものとなった。
なお、この件について、羽柴家には何の加増もなかった。というか、羽柴は無関係と表向きはされていた。これは秀吉がそう願い出たのか、はたまた信長がそう配慮したのかは現代では不明である。ただ、岩村城攻めの功績として、重秀に黄金20枚の恩賞が信忠より下されたという記録は残っている。これは、援軍として参加した他の軍勢の恩賞より多かった。
十二月の中頃、そろそろ年末年始に向けて忙しくなりそうだ、という時期になったある日のこと。長浜城に山本山城城主、羽柴小一郎長秀が一人の若武者を連れてやってきた。
「おう小一郎、久しいのう。山本山城はどうだ?住みやすいか?」
「いやぁ、長浜城に慣れたせいか、山本山城の登り降りで苦労する。いっそ、麓の平地に屋敷を構えてそこに住もうかと考えているところじゃ」
大書院の上座に座っている秀吉と下座に座っている小一郎が対面でそんな雑談を交わしていた。周りには重秀と竹中重治、そして小一郎が連れてきた若武者が座っていた。
―――しかし、こいつデカいな―――
秀吉と小一郎が話をしている間、重秀は小一郎の側で座っている若武者を見つめながらそんな事を思っていた。
身長はとても高い。小一郎はもちろん、ひょっとしたら、重秀の知っている人では一番背の高い前田利家よりもさらに高いかも知れない。ガッチリとした筋肉質の体は着物の上からでも見て分かる。そして着物で隠れていない素肌には、数多くの傷跡が見えていた。どう考えても激しい戦場生活を送ってきた強者でしかなかった。
「で?そこにいる若者が新しく雇い入れた小一郎の家臣か。良き面構えじゃのう」
「ああ、皆に紹介しておこう。藤堂与右衛門じゃ。与右衛門、皆に自己紹介してやれ」
小一郎に促されたその若武者は、「はっ!」と野太い声で返事をすると、平伏しながら自己紹介を始めた。
「近江国犬上郡藤堂村が住人、藤堂与右衛門高虎にございまする。我が殿、羽柴小一郎様のお役に立てますよう、誠心誠意尽くしてまいります」
「与右衛門は十五歳で野村合戦(姉川の戦い)で浅井の足軽として初陣を迎え、その後浅井の足軽として参戦。浅井家が無くなった後は阿閉家、磯野家、津田家に仕えた後に儂の元へ来たんじゃ」
小一郎がそう説明すると、秀吉は「阿閉にいたのか?」と聞いてきた。
「はい。なので山本山城がまさか羽柴様のものになったとは思いもしませんでした。よく阿閉様を追い出せたと感じ入っておりました」
「追い出したのではない。加増の上国替じゃ。で、何で阿閉家を辞したのだ?」
「・・・同僚と喧嘩いたしまして手打ちにしたのでございまする。あ、いや、向こうが刀を抜いてきた故、やむを得ず・・・」
困惑したような表情で答えた高虎に、重秀が思わず「うわぁ・・・」と口をついてしまった。高虎が思わず重秀を睨むが、それを見た小一郎が高虎を注意した。
「控えよ、与右衛門。こちらにおわすは羽柴の御曹司なるぞ」
小一郎から注意された高虎が「・・・ご無礼を」と言って頭を下げた。重秀も秀吉から「お主もいちいち口に出すな。お主も悪いぞ」と言われたので、重秀も頭を下げた。秀吉が質問を続ける。
「磯野家から津田家に移ったのは?何か訳でもあるのか?」
「あ、いえ。磯野丹波守様(磯野員昌のこと)が隠居なさり、家督を津田七兵衛様(津田信澄のこと)に譲られたのでそのまま仕えておりました。しかし、加増が少ない上に家臣に対する贔屓も激しいので、嫌になって出奔致しました」
「へー、あの七兵衛様がねぇ・・・。そんな人だとは思わなかったな・・・」
思わず口に出した重秀に、高虎が驚いたような表情を顔に浮かべて重秀を見つめた。そんな高虎の様子を見て重秀が首を傾げるが、秀吉が代わりに答える。
「ああ、藤十郎は一時期若殿様(織田信忠のこと)の側に仕えていた時があってな。その時に七兵衛様の知己を得ていたのよ」
秀吉の答えに納得したような顔をした高虎。そんな高虎を見ながら小一郎が秀吉に話しかける。
「兄者、与右衛門なんじゃがな。今までは足軽や馬廻衆など槍働きしか経験がないんじゃ。しかし、与右衛門には可能性を感じるんじゃ。色んな事をさせて経験を積みさせたい。そこで、与右衛門には安土の城の縄張の手伝いをさせたいんじゃ」
「安土の城?」
重秀が首を傾げると、秀吉が思い出したかのように話し始めた。
「ああ、まだ内密な話なのじゃがな。琵琶湖の南に安土山というのがあっての。その山に来年、新たに上様の居城を築くことになったのじゃ。五郎左様(丹羽長秀のこと)が普請奉行なのじゃが、縄張奉行に儂と小一郎が指名されることになっておる。というわけで、来年はより忙しくなるぞ」
秀吉がそう言うと、重秀が声を上げた。
「父上、私もその縄張に参加しとうございまする!」
「安心せい、お主にもちゃんと参加してもらうわ。城の作りを知ることは攻城戦や籠城戦でも役に立つからのう。それに、お前達もいづれ城を持つこともあるだろうしの」
「はい!承りました」
重秀が元気よく返事をした。その一方、高虎がピンと来ていないような表情をしていた。恐らく、自分が城持ちになると想像できなかったのだろう。
「ああ、藤十郎。お主に頼みがあるのだが」
ふと小一郎が重秀に言った。
「なんでしょう、叔父上」
「与右衛門に政も教えてやりたいのじゃ。如何せん、儂の配下はまだまだ不足しておるからのう。槍働きだけの家臣を雇う余裕がないのじゃ。すまぬが、羽柴で今やっていることをお主が与右衛門に見せてやってくれぬか?」
「承知致しました。いつからお見せいたしますか?」
重秀がそう聞くと、小一郎は「今日から」と即答した。重秀は思わず驚きの声を上げる。
「今日からですか!?・・・まあ、構いませぬが、今日は長浜の湊で作られているフスタ船の見学に参りまするが、それでもよければ」
「ああ、丁度良い。船も見せてやってくれ。ひょっとしたら、与右衛門に舟手衆の指揮を任せるかも知れぬからな」
―――いくら三百石頂いたかといって、この人俺に何でもやらせすぎじゃね?―――
重秀と小一郎の話を聞きながら、高虎は困惑した表情を浮かべながらそう思っていた。
長浜城の南側にある湊。重秀は湊の一角にある造船場に、加藤孫六と大谷桂松、そして藤堂高虎と一緒に来ていた。ここでは一隻の船が建造されていた。大きさは『菅浦丸』より小さく、一般的な関船とほぼ同じ大きさである。しかし、その内部は関船と異なっていた。
「・・・随分と縦材が多いですな。ここまで多くする必要ありますか?」
建造中の船に乗り込んで内部を見た高虎が重秀に聞いた。高虎は近江の出身であり、浅井、阿閉、磯野と言った琵琶湖周辺の武将に仕えていた関係で船に何度も乗っていた。本人はあまり船の内部構造を意識して見たことはないが、それでも今作られている船の構造が今まで見てきた船とは全く違うことは理解していた。
「船大工達の話では、恐らく体当たりや接舷攻撃の際に横からの衝撃から船体を守るためのものだろうと言っていた。人や獣、魚にある肋骨が臓物を守るようなものだと言っていたな」
「ああ、だから船底のカワラ(和船で使われる船底の板のこと。船首から船尾まで貫くように使われている)の上に一本の角材が船の中心線上の船底につけられて、そこに縦材がつけられているのですか」
「そう。人や獣に例えるなら、縦材が肋骨なのに対して、船底の一本角材は背骨のようなものだな。今までの丸子船には船底に梁をつけて、それで横方向からの衝撃に耐えるようにしていた。琵琶湖の荒れた横波にはそれで十分だったのだが、体当たり戦法を用いるとなると、頑丈さに心もとなくて。少しでも頑丈にしようとして、前に堺で見たフスタ船の構造を真似てみた」
「船首を使っての体当たりですか。ああ、だから船底の一本角材の船首側は水押と繋がっているのですか」
「水押を支える柱がその一本角材しかなくて。もちろん甲板を支える梁を船の中心線につけて支えるということも考えたんだが、それやると帆柱を船底で支えられなくなるから今度は帆柱が不安定になるんだ」
「なるほど。しかしこの水押は大きいですな。ここまで大きいと、横波の影響を受けませぬか?」
「それはこれから取り付ける帆と関係があってだな。実は・・・」
その後も高虎は重秀にどんどん質問をしていった。重秀もその質問に答え、分からないことがあれば側にいた船大工に聞いていった。側では孫六も桂松も真剣に聞いていた。
その後も高虎は小一郎の許しを得て、フスタ船建造の現場に足を運んでは作業を見学した。いや、見学だけではなく船大工達の作業を手伝うようになっていった。何かを作るということが高虎にとっては新鮮なもので、今までにない楽しさをもたらしたようであった。
高虎が作業を手伝ったことが影響あったのかなかったのか分からないが、予定より早くフスタ船っぽい関船が完成し、無事に進水した。『淡海丸』と名付けられたこの船は、見た目は一本水押を船首に装備した総矢倉構造を持たない関船であった。しかし、三角帆が特徴のラテンマストを船の前部と船の中央部に立て、船尾に瓦屋根を持つ木造の平櫓を持ち、船の横から突き出している片舷10本、両舷で20本の櫂(オールのこと)を見れば、それは今まで日本人が慣れ親しんだ和船には到底見えない異様な船であった。ちなみに羽柴の軍船を表す虎柄は船体にあるものの、固有の武器は乗せていなかった。
その後、湊で細かい艤装の取り付けが終わると、いよいよ処女航海となる。すでに長浜の舟手衆から三角帆を持つ丸子船で三角帆の特徴を理解した船乗りを選び出して船に乗せており、後は重秀を乗せるだけであった。
「武器をのせなくてよかったんでっすか?若君」
孫六は変な発音をしながら重秀に聞いてきた。来年には桂松と共に元服予定の孫六であったが、未だに目上の人に対する敬語が上手く話せていない。重秀は大目に見ているのだが、周りの大人達、特に山内一豊が厳しく躾けているため、只今敬語の特訓中であった。
「今回の船はあくまで南蛮船の特性を掴むための試しの船だからな。まあ、鉄砲を持ち込んで銃撃戦はできるし、最悪は体当たりでなんとかするさ」
重秀がそう答えると、船に乗り込むべく、湊の岸壁と船を行き来する渡し板に足を乗せた。
『淡海丸』は重秀を乗せた後、長浜の湊を出ると、一旦竹生島へ向かうとぐるりと島を一周。この時は櫂を漕いでの航行であった。その後は南に向けて帆走での航行を行った。風向きは時期的に北西の風であり、順風とはいかなかったものの、風上から左右45度の角度までなら進めるという三角帆の特性を利用し、無事に南の目的地に着くことができたのだった。
「若、無事に目的水域まで到達致しました」
船長の原田清左衛門の報告を聞いた重秀は「うん」と頷くと、船尾の平櫓から外に出た。艦首の方へ向かうと、舳先に広がる湖面とその先には小高い山があった。
「あの山が安土山か」
そう呟く重秀に、一緒に乗っていた孫六が「安土山?」と聞いてきた。
「ああ。あの山が見たかったのだ」
重秀がそう答えると、孫六が首を傾げた。何故あんな小さい山に興味があるのだろう?そんな事を思っているような顔をしていた。重秀が苦笑しながら言う。
「来年になったら教えるから、今は勘弁してくれ。それよりも、船乗りたちを休ませよう。清左衛門にそう伝えてくれ」
重秀の命を聞いた孫六が船尾に向かう。と同時に船尾から高虎が現れた。
「・・・あれが例の安土山ですか」
目の前の山を見ながら高虎は重秀に言った。現代と違い、安土山は琵琶湖に突き出すような立地であった。なので安土山は船からよく見えた。
「うん、あの山の上に城を作るならば、北と東西は湖が堀代わりになるな」
重秀がそう答えると、高虎は顎をさすりながら言う。
「なるほど、城を建てるにはちょうどよい場所になるようですな」
「さて、上様はどの様な城を作るのか・・・」
「山城なのは確実ですが、何故安土山なのでしょう?近くには観音寺城のあった繖山があるのですから、そちらに建てればよろしいのに」
「ひょっとしたら長浜城の様に湊を抱える城にしたいのではないか?そうなれば琵琶湖の水運で物資を城に入れやすくなるからなあ」
「しかし、あそこに見える街道は北国街道でございましょう?陸路でも十分物資は城に入れることはできまするぞ」
そんなこんなで安土に建てられる城について重秀と高虎は話し合った。半刻ほど経った後、重秀に原田が近づいてきた。
「若君、そろそろ長浜に戻りましょう。十分に休息は取れました」
そう言われた重秀は振り返って原田の方を見ると「相分かった。長浜に戻ろう」と言うと、高虎と共に船尾に移動した。『淡海丸』は櫂を使ってUターンすると、再び帆走を始めるのであった。
数日後、重秀は高虎を連れて小谷城跡へ訪れていた。小谷山麓の屋敷で重秀は高虎を加藤教明と本多正信に紹介した。
「三之丞(加藤教明のこと)、弥八郎(本多正信のこと)、こいつは藤堂与右衛門という小一郎の叔父上の家臣だ。今日はこの小谷でやっていることを見せに来た」
重秀がそう言うと、高虎が頭を下げる。教明と正信も頭を下げて挨拶をした。その後、正信が頭を上げて重秀に聞く。
「・・・市兵衛と虎之助がいませぬな。あの二人はどうしたのですか?」
「朝に与右衛門と槍の手合わせをしてな。二人共、与右衛門に負けたので今は反省会をしている」
重秀が苦笑いしながらそう言うと、与右衛門は笑いながら話を続けた。
「若君、あの二人の槍の腕は中々のものですが、如何せん実戦経験が少なすぎますな。最後の最後で脇が甘い」
「まあ、初陣も次の戦いもそんなに槍を振るう戦いではなかったからなぁ」
重秀がそうぼやいた。直後、重秀が顔を教明に向ける。
「それで、現状はどうなっている?」
「但馬から買ってきた牛と近江で生まれた牛を合わせて、小谷には十四頭の牛がおりまする。正直、清水谷ですら狭くなりました。別の所に移したいところですが」
教明がそう答えると、重秀は腕を組んで天井を仰いだ。
「うーん、じゃあ売るか。そんなに抱えても仕方ないからなあ。実は父上が牛を前田の父上に売りたいと申しておってな」
「ほう?前田と言うと、前田又左衛門様で?」
正信がそう聞くと、重秀は頷いた。
「うん。来年には荒子城を引き払って、越前の府中城に移るそうだ。その時に牛も持っていって、現地の百姓に貸したいんだと」
「ということは食べるわけではないのですね」
正信の言葉に高虎がギョッとしたような表情を顔に浮かべた。重秀がそのまま話を続ける。
「あくまで使役用の牛だ。とりあえず五匹は欲しいらしい」
「分かりました。牛飼いに大切にするように命じます」
教明がそう言って頭を下げた。重秀は続けて正信に話しかける。
「鶏を飼ったんだって?どうなった?」
「それが猫に襲われて数匹食われてしまいました。今は雄鶏一匹、雌鶏三匹が生き残っており、京極丸に避難させておりまする」
鶏は弥生時代に大陸から日本にやってきたと言われている。肉食禁止令が出された時に鶏は『時告鳥』として有益なので殺してはならないとされていた。しかし、雉などの野鳥と称して密かに食されていたらしい。この時の禁止令には鶏卵は含まれていないのだが、後に鶏卵も忌避されるようになった。
しかし、室町時代に日本にやってきた中国人か南蛮人から「鶏卵の中には孵化しない卵があるから、それを食べても殺生にならない」という知識が伝わると、鶏卵は高級食材として堂々と食べられるようになった。そして卵を産まなくなった雌鶏や鳴かなくなった雄鶏が堂々と食べられるようになっていった。
「それで、増やせられるのか?」
重秀が眉をひそめながら正信に聞くと、正信は胸をたたいて答えた。
「お任せ下さい。こう見えて、鷹匠でしたから」
「鷹匠関係ないよね?」
「まあ、鷹匠は関係ありませぬが、三河では武士の副業として鶏を飼う者は結構いましたからな。我が本多家でも結構な数を飼っておりました故、鶏の増やし方は覚えておりまする」
武士の副業としての養鶏は鎌倉時代からあるらしく、別に三河特有の話ではない。
「ある程度増やしたら雌鶏だけでも長浜城に移すぞ。南殿が身籠った故、体力をつけるために鶏卵を食べさせたいとの父上からのお達しだ」
重秀がそう言うと、正信は「承知致しました」と言って頭を下げた。重秀はさらに話を続ける。
「ああ、堺の小西隆佐殿から文が来てな。来年早々、琉球から来た豚をこちらに送ってくれるらしい。なので豚舎の建築を頼む」
「豚ですか?飼い方を知らないのですが」
「俺も漢籍で読んだ知識しかないんだけどな・・・」
そう言うと重秀は漢籍で学んだ豚の飼育方法―――豚便所の知識を教明と正信に話し出した。
―――よし、殿(羽柴小一郎長秀のこと)には豚の飼育は反対であることを伝えよう―――
重秀の話を横で聞いていた高虎は、心の中でそう決意したのだった。




