第63話 岩村城の戦い(前編)
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2023/7/22追記
注釈を後書きに入れ忘れていたので追加いたしました。申し訳ございませんでした。
天正三年(1575年)十一月のある日。重秀と石田正澄、福島正則は小谷城跡の麓にある屋敷に来ていた。ちなみに加藤清正は加藤孫六と共に水軍の戦法についての考えを舟手衆の代表達と相談して長浜城に滞在、大谷桂松は石田三成の会計の手伝いに行っていたので小谷城跡には来ていなかった。
書院の上座で座っている重秀に、下座で座っている本多正信が冊子状にした報告書を読みながら重秀に報告を行っていた。
「小谷城での養蚕ですが、本丸の養蚕場の蚕が病にて全滅したものの、中丸や京極丸、山王丸での養蚕場では病は発生せず、無事に繭が取れました。繭の中から比較的大柄の繭を残して羽化させ、交配させた後に産卵させ、蚕種を得ることに成功しました。また、状態の良いものからは生糸を作り、すでに長浜城へ納めさせております。残りは紬糸にしたり真綿にしたりして長浜の指定された商人へ全て売却しております。全ての売却代金はこれに書いております」
正信の説明を真剣に聞く重秀。重秀は真剣に聞いているが、視線は正信の顔ではなく、胡座をかいている正信の膝の上をチラチラ見ていた。
「また、蚕の脱皮殻、糞、白かびに殺られた蚕の死骸もご命令通り長浜城に送りましたが・・・、あれ本当に売れるのでございますか?」
「全て一俵三百文で売れたぞ。合計して一貫文強、良い小遣い稼ぎにはなっている」
正信の質問にしれっと答える重秀。もっとも、蚕の糞は塩硝(硝石のこと)の原料になることから、全てを売っているわけではない。一部を菅浦で保管してはいるが、未だ塩硝を作る方法を模索しているところであった。
ちなみに、今では大嶽城での塩硝作りの実験はやっていない。いづれ徳川に帰る本多正信に知られたくないからだ。正信が塩硝の作り方を知っているかどうかは重秀には分からないし聞いてもいない。聞いても徳川に戻る正信が、正直に答えるとは思えなかったからだ。
正信の報告は牛の飼育にも及んでいた。牛の飼育そのものは上手くいっているが、問題は屠殺であった。屠殺する者の負担が大きいのだ。今回屠殺したものは羽柴領内で見つけた老いた牛を安値で買いとって行われたが、それでも人より大きくて力は強い。いざ殺そうとしても暴れられたら抑えることは難しい。そもそも当時の日本人に牛を殺す技術など知るはずもなかった。
それもそのはずで、当時は牛革は使われていたが、これは病気や怪我で死んだ牛の死体から剥いだ皮を鞣して使用しているのだ。わざわざ殺さないし、殺してまで革を使うほど需要はなかった。
現代ではスタンニング(専用の銃や電気によって気絶させること)させてから身体を吊るして首を切り、失血死させている(牛を吊るすのは血抜きのため)。基本的にこのやり方は当時のヨーロッパでも同じなのだが、当時はスタンニングは職人がハンマーで牛の頭を殴っていた。当然これには熟練した腕が必要で、豊富な経験がなければ反撃を食らって怪我をする職人も多かった。
「最初は牛の首に二人引きの大鋸で切っていたのですが、暴れて上手くいかなくて。牛用の断頭台(首を斬るために身体を固定する台のこと。いわゆるギロチンとは異なる)を作って何とか切るようにしたのですが、やっぱり暴れるので時間がかかり、切るものに負担がかかったのです。かと言って刀では骨が固くて人のように斬れませぬし、結局は鉞(斧の一種、主に刃の幅が広いのを鉞と言った)を探し出してそれで首を刎ねるように致しました。それでも苦労いたしますぞ、失敗すれば暴れますし、周りには血や肉片が飛び散りますし・・・」
「分かった。もういい」
具体的な表現をしようとする正信を重秀は止めた。重秀は呟く。
「まいったな。牛を押さえるなら、それこそ勝竜寺城の兵部大輔様(長岡藤孝のこと)を連れてこなければならないのか・・・」
「は?」
正信が聞き返すが、重秀は「なんでも無い」と言って誤魔化した。正信が話を続ける。
「というわけで、牛を殺すのにえらい苦労いたしましてな。有り体に申さば、少数の南蛮人に対してここまでする必要ありますかね?労多くて益少しで、かえって羽柴様の財に害を及ぼしまするぞ」
「・・・牛の飼育は失敗と申すか?」
重秀がそう呟くと、正信は首を横に振った。
「そうは申しませぬ。牛を育て、使役させれば百姓共の負担は軽くなりますし、売れば結構な儲けになりますからな。ただ、南蛮人達のために牛を殺すのは割に合わぬと申しておるのです。まあ、日本人達が牛の肉を食すようになれば、儲けられるやも知れませぬな」
正信が膝の上に乗っかっているものを撫でながら言うと、重秀は頷いた。
「確かにな。小谷城の一向門徒のために新たに一向宗の寺を建立することになっているが、正直、そのせいで余計な出費が嵩むと小一郎の叔父上や浅野の叔父上が文句を言っていたわ。それに、父の話では、一向宗の寺が増えることに他の宗門が良い顔をしてはおらぬらしい。さらに、一向門徒を連れ帰ってきたことに御屋形様の周りの者達が羽柴への讒言を行なっているとの噂が流れているとも聞いた」
これは見直しが必要か?と思った重秀は、正信と加藤教明に報告を書面にまとめるように指示した。重秀はこれが自分の手に余ると思い、秀吉や小一郎、竹中重治と相談するための資料の作成を命じたのだった。
「さて次に、牛の革についてだが・・・」
重秀が次の課題について話そうとした時、正則が声を掛けた。
「・・・あのさぁ、兄貴。誰も弥八郎殿に言わないから俺が言うけどさぁ・・・。弥八郎殿の膝の上に乗っているのはなんだ?」
その場にいた正則が正信に聞いた。正信はしれっと答える。
「何って・・・。猫ですが。市兵衛殿はご存じないのか?」
そう言いながら正信は膝の上でくつろいでいる猫の喉の下を撫でた。周りにかすかにだが「ゴロゴロ」という特有の鳴き声―――喉鳴らしが響いた。
「猫ぐらい知ってるわ!いや、何で猫がここにいるんだよ!っていうか、弥八郎の膝の上だけじゃねえ!さっきからこの部屋で猫が何匹も出たり入ったりしてるじゃねーか!」
正則の言う通り、この屋敷には猫が多くたむろっていた。正信の膝の上だけではない。廊下にも日向ぼっこしながら伸びをする猫が一匹、加藤教明の横で香箱座りをしている猫が一匹、そして上座の隅で丸くなって寝ているのが一匹。
「いやいや、これらの猫は武功高き猫故、冬の間はこの屋敷にて住まわせようとしております」
「武功ってなんだ!武功って!」
正信の説明に、正則が思わず大声を上げた。しかし正信は気にもとめずに話を続けた。
「この猫たちは秋ぐらいから養蚕場に住みつきましてなぁ。最初は追い出していたのですが、鼠を捕まえていたので、試しに養蚕場で飼ってみたところ、今まであった鼠の食害が無くなりましてなぁ。おかげで多くの蚕が鼠に食われずに助かったということなのでござるよ」
「その事を弥八郎から文で報せてきてな。この屋敷で猫を増やすことにしたのだ。来年からは長浜城や養蚕に携わる百姓や足軽に、譲るなり売るなりして蚕を守ってもらおうと言うことだ」
正信の言葉に続いて重秀がそう言うと、正則は「そういうことか・・・」と呟いた。その表情からは、あまり納得していないようであったが。
「猫を増やすのは良いとして、冬の間の餌はどうするつもりだ?」
正澄が聞くと、正信は自信たっぷりに答える。
「この屋敷にも小さいながらも米蔵はありますからな。米がある以上、鼠は来ます故、それを与えまする。まあ、猫なら魚も食しますから、冬を越せぬということはないでしょう」
重秀が訝しげながら聞く。
「猫を飼ったことがあるのか?」
「いや、無いです」
正信の回答に皆が呆れ、正則が「なんじゃそりゃあ!?」と思わず声を上げた。正信が楽しそうに話を続ける。
「無いですが、まあ、なんとかなるでしょう。こう見えて、鷹を飼うのは得意でしたし、牛や蚕に比べたら楽なものでございます。牛のように殺す必要もなければ、蚕のように気持ちが悪いと女性に言われることもない。なんと言っても人と違って愛らしい仕草と顔立ちですからなあ。今まで会ってきた人間たちの浅ましくて愚かな所業に比べれば、猫は真に心が洗われまする」
そう言いながら膝の上に乗っている猫の顎の下を撫でてニヤついている正信を見て、重秀達はただ唖然とその様子を見つめていた。
その後、今度は牛の革について話し合われた。ただ、鞣す方法が分からないため、その職人を探すところから始めなければならなかった。ちなみに牛を解体する職人はすでに小西隆佐の紹介で数人雇っていた。
「父上が言うには、播磨の飾東郡という所では牛革の加工が盛んらしい。独自の鞣し方があるので、その技をこちらに持ってこれれば良いのだが・・・」
重秀の言う通り、播磨は革の加工が盛んな場所であった。平安時代の法令集『延喜式』にも書かれているほどであるから、その歴史は古い。他の地域では鹿革が使われていたのに対し、播磨では牛革が使われていた。特にこの頃には『播磨の白鞣し』として全国の武士たちに愛用されていたと言われている。そしてその中心地は西播磨、飾東郡や飾西郡(今の姫路市)あたりだと言われている。
「播磨飾東郡、となると小寺家の支配地域ですな」
正信がそう言うと、重秀が頷いた。
「よく知っているな。小寺家の家老で姫山城(のちの姫路城)城代の小寺官兵衛なる者と父上が知り合いらしい。何でも永禄十二年に父上が但馬へ兵を率いた時に世話になったとか。その伝手を使えばひょっとしたら、と思うのだが・・・」
「小寺官兵衛なる者も銭のなる木を手放しはしないでしょう。職人を譲ってくれるとは考えぬほうがよろしいかと」
正信が消極的な事を言うと、重秀は「うーん」と唸った。正信が話を続ける。
「鞣しでしたら信濃や甲斐でも盛んだったはず。特に甲斐は鹿革の鞣しでは東国一の技を持つ国だと聞いたことがございます。そちらから職人を引っ張ってきては如何でしょうか?」
「なるほど・・・。しかし甲斐となると武田だなぁ・・・。引き抜けるのだろうか?」
重秀がそう言って腕を組んだ。正信が話し始める。
「武田は長篠の戦い以降、戦力を回復させるべく重税を課しているとか。元々甲斐は山国、米もあまり取れぬ貧しい国ですからな。ここに来て重税では民百姓もたまったものではございますまい。声をかけてやれば、きっと近江まで来ると存じます」
自信ありげに言う正信に、重秀達は疑いの目を向けた。重秀が口を開く。
「弥八郎、どこでそんな情報を聞いた?」
「一向門徒の情報網を馬鹿にしてはいけませぬな。大体、武田信玄と顕如上人とは相婿(信玄の正室、三条の方は顕如の妻、如春尼の姉に当たる)ですからな。武田の情報は石山本願寺だけではなく、加賀や越中の一向一揆勢に伝わります」
正信の言葉に重秀達はまた唖然となった。正信は話を続ける。
「まあ、牛の革については今は手を打たずにもう少し様子を見てみればよろしいのでは?特に急ぎはしますまい」
「・・・できれば胴乱に使いたかったのだが、致し方無し。この件は後日改めて考えよう」
重秀がそう言った時だった。どこからともなく良い匂いがしてきた。それは、以前どこかで嗅いだような、食欲をそそる匂いだった。
「・・・何の匂いだ?どこかで嗅いだことある匂いだが・・・?」
「ああ、夕餉に牛の肉を焼いたのですよ。皆様も是非どうぞ」
正信がそう言った瞬間、重秀の腹は急激に減ってきたのだった。
その後、重秀達は夕餉に牛の肉を食べた。臭みを消すために酒に漬け込んだ後、生姜と大蒜と味噌を刷り込んで焼いた物と、同じく臭みを消すために三日間糠に漬け込んだ肉を焼いて塩をまぶした物を食べたが、どちらも中々の美味であった。
次の日、長浜城に帰ってきた重秀は、朝の評定の後で秀吉に呼ばれて大書院へと向かった。そこには、秀吉と小一郎と重治、そして前野長康と山内一豊の五人がいた。
「父上、お呼びでしょうか?」
「うん、まあ座れ。まずは昨日行っていた小谷城跡のことを聞こうか」
「はい、後で詳細は書面でお渡しいたしまするが、まずは・・・」
重秀が昨日話し合われたことを話すと、秀吉は頷いた。
「相分かった。後は儂と小一郎に任せよ。実はお主に頼みたいことがある」
「承ります」
重秀がそう言って平伏した。秀吉が話を続ける。
「兵を率いて岩村城へ向かえ。若殿様への援軍じゃ」
「謹んでお受けいたしまするが・・・、私が兵を率いるのですか?父上や叔父上ではなく?」
重秀がそう尋ねると、秀吉が真面目そうな顔で頷く。そして口を開いた。
「せんが懐妊したのは知っておろう?」
「はい。先月から体調が優れぬとお聞きしておりましたが、まさか懐妊しているとは思いませんでした」
重秀が喜ばしそうに言った。しかし、秀吉の顔は変わらなかった。そのまま話を続けた。
「そして石松がまた病になった」
「またですか!?九月に発病してせっかく治ったというのに・・・」
重秀が驚くと、秀吉は頷いた。
「京から来た医師の見立てでは、どうも石松は病弱のようじゃ。今年の冬の厳しさによっては、冬を越すのは難しいかも知れぬ、と申しておった」
「それは非常にまずいのではございませぬか?」
重秀がそう尋ねると、秀吉は再び頷く。
「そう、非常にまずい。なので、せんの側に居てやりたいのよ。分かるな?」
「分かりました。援軍はお任せ下さい」
重秀がそう言って再び平伏した。秀吉はホッと息をつくと、小一郎の方を見た。
「な?儂の言ったとおりじゃろ?儂が頼めば藤十郎は行ってくれると」
「・・・兄者。藤十郎は嫡男じゃぞ。嫡男を戦に出し、当主が次男の側にいれば、人は羽柴の跡取りを石松じゃと勘違いするのではないか?」
小一郎が心配しながらそう言うと、重治が笑いながら否定する。
「それはないでしょう。すでに若君の地位は十分硬いものと思われます。むしろ、此度の戦で殿の代理として出陣なされれば、さらに盤石になりましょう・・・ごほっ、ごほっ」
重治が言い終わるやいなや、激しく咳き込んだ。重秀が驚きながら重治に聞く。
「半兵衛殿、如何なされました?もしや、体調がよろしくないのでは・・・」
「いえ、ご心配なく。季節の変わり目に出てくるものでございますれば、酒を飲んで一晩眠ればすぐに治りまする」
「しかし、半兵衛は長篠の戦いや越前での戦いに参加し、体力も消耗しておろう。此度の岩村城攻めの援軍、半兵衛は外れてもらう。ゆっくり休むが良い」
秀吉が心配そうに言うが、重治は首を横に振った。
「いいえ、そういうわけには参りませぬ。ここのところ、仕事が忙しくて若君の師としての役目を果たしておりませぬ。此度は攻城戦。せっかくなので攻城戦についてお教えしたく存じまする。何卒、若君と共に岩村城攻めにそれがしをお遣わしくだされ」
咳き込みながら嘆願する重治を見て、秀吉は少し考えた後、重治に頷いた。
「相分かった。半兵衛、我が愚息をよろしゅう頼んだぞ。藤十郎、此度は半兵衛の言うことをよく聞くように。また、此度はお主に将右衛門(前野長康のこと)、伊右衛門(山内一豊のこと)、弥兵衛(浅野長吉のこと)をつける。また、善祥坊殿(宮部継潤のこと)もお主についていくと申していた。皆、戦には強い者達よ。しっかりと教えてもらえ」
「承知致しました。市と虎は連れて行っても?」
「うむ。あの二人も連れて行け。前の越前攻めでも大した功を上げられてないからのう。しっかりと暴れさせてこい。他に誰か連れていきたいものはいるか?」
秀吉の言葉に重秀は少し考え、そして口を開いた。
「本多弥八郎を連れていきたいのですが」
「何?あの三河武士崩れの一向門徒をか?」
秀吉が片眉を上げながら重秀に聞いた。
「はい。あの者、武田にそこそこ詳しいので、何かの役に立つやも」
「・・・まあ、良いじゃろう。お主に任せる」
「承知致しました」
そう言って平伏する重秀に、秀吉は何かを思い出したかのような表情をした。
「ああ、そうじゃ。お主に渡したいものがあったのじゃ」
そう言うと、秀吉は側に置いてあった冊子状の書物を重秀に渡した。それは、表題のない書物であった。
「・・・なんですか?これ」
「京で買い求めた漢籍じゃ。よく読んで学ぶように。この件については伊右衛門と千代に伝えてある。よって、二人の言うことを聞いておくように。とは言え、今日から出陣の準備で忙しかろう。帰ってからゆっくりと読むが良い」
「承知しました。有難き幸せ」
そう言うと、重秀は秀吉から貰った漢籍―――京の公家が夜伽の教科書として使う房中術の本を大切そうに懐にしまって平伏したのだった。
注釈
長岡藤孝(のちの細川幽斎)の若い頃のエピソードとして、京の路上で暴れていた牛を、角を掴んで投げ飛ばしたというものがある。