第62話 安宅船
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7月の後半から8月の後半までは火曜日の更新は不定期となります、と申し上げましたが、どうもそれも難しそうです。なので、火曜日の投稿は8/1〜8/15まで見送ることに致しました。ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。
なお、金曜日の投稿は休みなく行います。
どうぞよろしくお願い致します。
天正三年(1575年)十月最初の日。長浜の湊には一隻の巨大な船が浮かんでいた。
「おお!これが安宅船か!おっきいのう!」
秀吉がそう言って驚く横で、重秀が真顔で話しかけた。
「父上、この安宅船は小型の方でございまする。九鬼水軍の安宅船はこれより一回り大きゅうございまする」
重秀の言う通り、この時作られた安宅船は若干小さい。普通の安宅船は艪の数が100以上あるのだが、この安宅船は艪の数が片舷45、両舷で90しかない。しかし、その他は九鬼水軍で使用される安宅船と同じであった。艦首は尖っていない伊勢型、船上は二層の総矢倉作りで覆い、鉄砲狭間がいくつも空いていた。矢倉の上には瓦葺きの木造の櫓が二つ前後についており、その間に帆柱が立っていた。ちなみに安宅船に使われる帆は従来の横帆であり、南蛮渡来の三角帆は実験の最中だったため、取り入れられていなかった。
「おお!そうなのか。いや、儂は安宅船を見たことがないからのう。しかし、それならもっと大きくすればよかったのに」
「父上、船に乗せる人数をお考え下さい。菅浦の舟手衆は安宅船に乗せるだけで男衆が村からいなくなってしまいます」
「おお、そう言えばそうであったのう!しかし、見た目が凄く強そうじゃ!儂の考えた通り、虎柄になったのがとても良い!」
秀吉の言う通り、目の前に浮かんでいる安宅船は遠目から見ても特徴的な模様をしていた。すなわち、船全体に黒い縦線が何十本も入っており、木の色と相まって遠目からは虎柄のように見えるのであった。
安宅船が何故虎柄になったのか。それには琵琶湖特有の事情と、重秀と秀吉のアイデアが混ざり合ってできたものだからである。
琵琶湖には昔から丸子船と呼ばれる船が作られて使用されてきた。この船は他の和船と異なる特徴を複数持っているが、その中の一つにダテカスガイ(実際にそう呼ばれるのは後の世になってから)と呼ばれる油で溶いた墨を塗って黒くした銅板を船体の前方に貼り付けていた。元々は木の板の継ぎ目から水が入ってこないよう、銅板を埋め込み、更にそれが脱落しないように板鎹として銅板を貼っていたものである。
さて、九鬼水軍の船大工の指導で作った安宅船には元々ダテカスガイがない。しかし、実際に作った長浜の船大工達はダテカスガイをつけたいと希望した。自分たちが作った証として、また琵琶湖の船としての誇りのためにダテカスガイをつけたかったのだ。
そしてそれを聞いた重秀が、
「ならば羽柴水軍として、敵味方に分かるようにつけよ」
と、命じた。しかし、そう言われた長浜の船大工達はどういうデザインにするか困ってしまった。そこで重秀に相談したところ、重秀は、
「考えるのが面倒くさいので、垂直に下ろした線を複数本つければ良い」
と、命じた。
結果、他の丸子船とは全く違う、船首に縦縞のダテカスガイをつけた安宅船ができた。しかし話はここで終わらなかった。先程も書いたように、ダテカスガイは基本船首にしかつけない。ところが安宅船の建造が終わりに差し掛かった頃、見学に来ていた秀吉が船首のダテカスガイを見て、
「これはまるで虎のようじゃ。そうじゃ!船体すべてをこの模様にせよ!虎柄ならば強そうに見えるじゃろう!」
と言い出したのだ。ここでまた長浜の船大工達は困ってしまった。船全体に使う銅板が足りないのだ。仕方がないので重秀に相談したところ、
「水の触れる船体部分は錆びにくい銅板を使わざろう得ないが、水のかからない矢倉部分は錆びやすい鉄板で良いだろう。錆びたら交換すれば良い。銭?派手好きな父上だったら惜しげもなく銭をつぎ込むだろうから、私が説得しておこう。任せておけ」
と、言った。
そして重秀の言う通り、秀吉が銭を惜しげもなく吐き出すと、虎柄を持つ安宅船が誕生したのだった。後に羽柴水軍の軍船は虎柄が基本となる。
「この虎柄の黒い部分は金属板故、火には強うございまする。なので、総木造の矢倉よりは多少の火矢では燃えないと存じます。また、鉄はもちろん、木板も分厚くしているため、鉄砲の弾も弾き飛ばしましょう。偶然ではございますが、防御力はただの安宅船よりは優れているかと」
重秀がそう言うと秀吉は「うむ、うむ」と満足げに頷いた。重秀はさらに話す。
「大浦と塩津で作られている安宅船も同じ様な作りになります。今月中には二隻完成予定ですので、今年中には三隻が揃うことになります」
「うむ!藤十郎よ、よくやった!褒めて使わすぞ!」
秀吉が機嫌良く声を上げると、重秀は「有難き幸せ」と言って頭を下げた。
「で?何時乗れるようになるのじゃ?」
秀吉がワクワクしたような表情で重秀に聞いてきたが、重秀は首を横に振った。
「まだ訓練は始まってすらおりませぬ。それが終わるまでは父上を乗せるわけにはいきませぬ」
重秀がそう言うと、秀吉は「むぅ・・・」という声を漏らして黙ってしまった。重秀は話を続ける。
「特に、菅浦衆に操作させる安宅船は人数が少ないため、長浜の船乗りを補充させる必要がございます。そのため、連携を取るために多くの鍛錬が必要だと考えます」
「・・・相分かった。しっかりと鍛錬させよ。三隻の安宅船ができたら、船団を組んで琵琶湖を行軍させようぞ。羽柴の力、見せつけてやるのじゃ」
秀吉は上機嫌に言いながら、安宅船を見つめていた。
その後、安宅船は『菅浦丸』と名付けられ、菅浦の舟手衆が中心となって運用されるようになった。とはいえ、やはり菅浦の舟手衆だけでは水夫が足りなかった。そこで、少数ながら長浜の舟手衆から人員を補充することとなった。船長には菅浦の乙名衆の一人である松田利助が任命された。長浜城に菅浦の乙名衆の使者としてやってきたあの松田である。
「儂でよろしいのでしょうか?若君」
訓練初日、船長に任命された松田は『菅浦丸』の船上で重秀に聞いた。
「そうは言っても乙名衆に聞いたら『松田がよろしいかと』と返事が来たからなぁ。それに、松田の家は百姓とは言え、戦の経験は豊富なんだろ?」
「はあ、確かに我が家は代々大浦との境界線争いで百姓を率いて戦いましたし、儂も浅井の殿様の命で舟手衆を率いたことはございますが・・・。安宅船は・・・」
「それを言うなら俺だって初めてさ。一応、九鬼様からは色々聞いているが、それでも手探りだからなぁ・・・。ま、お互い気張っていこう」
重秀がざっくばらんに話すと、松田の顔から緊張が少しほぐれた。なんと言っても相手は領主の嫡男。本来ならば立って会話することも無礼なのだが、重秀は特に咎めることもなく積極的に話しかけていた。そしてそれは松田だけではなく、『菅浦丸』副長で長浜の舟手衆の一人であった今浜子吉や他の船乗りたちにも積極的に話しかけていた。
さて、安宅船の訓練は何も船の操作だけではない。武器を使えなければならないのだ。安宅船の戦闘方法は銃撃戦と接舷戦法である。接舷戦法は相手の船に兵を送り込む戦法なのだが、相手の船が関船や安宅船でないと訓練にはならない。何故なら小型の丸子船に接舷攻撃をする必要が無いからである(鉄砲で蜂の巣にして沈めるなり船乗りを殲滅したほうが早い)。なので他の安宅船が出来るまで銃撃戦の訓練が行われた。
「こいつが『日野筒』ですか」
『菅浦丸』の船内で加藤清正が重秀の持っていた鉄砲を見て尋ねてきた。
「蒲生様から贈られた鉄砲だ。何でも『越前での戦いで我が蒲生家は大した功も挙げていないのに、蒲生郡の旧柴田領の一部を拝領できたのは羽柴様のおかげ』と言って御礼の品の中に混じってた」
重秀は何故かげんなりとした表情で答えた。蒲生家は越前攻めの頃まで柴田勝家の与力であったため、越前一向一揆平定戦では柴田勢の一員として参加していた。しかし大した功を挙げておらず、恩賞は銀子のみの予定であったが、旧柴田領が阿閉家に渡されるついでに一部を蒲生家が拝領したのであった。どうやら信長から裏事情として阿閉の国替に羽柴が関わっていることを伝えられたらしい。
「・・・?何故そのような顔をなされているのですか?」
げんなりとしている重秀に清正が疑問をぶつけた。重秀がすぐに答える。
「・・・『蒲生家はより一層羽柴家と誼を通じたいので、是非ともとら姫を貰って欲しい』と言ってきたのさ」
「・・・蒲生家も懲りませぬなぁ」
清正が呆れた顔をしながらも、重秀の持っている『日野筒』を見つめていた。鉄砲の木の部分には漆が塗ってあり、しかも持ち手には金の蒔絵が施されていた。
「・・・随分と贅を尽くした装飾が施されておりますが、これ、鉄砲に必要ですか?」
「いや、まったくない。どうも『日野筒』はこういった装飾を施すのが特徴らしい。何故こういう装飾を施すのであろうな・・・?」
重秀がそう言うと、二人は首を傾げた。重秀は知らなかったが、実は日野筒に装飾を施すようになったのは羽柴のせいである。
日野筒は元々羽柴領の国友村の鉄砲鍛冶職人から技術指導を受けて作られた火縄銃である。なので羽柴と蒲生との間でライセンス料を羽柴に支払う取り決めがなされていた。
ところが日野筒は作り始めたばかり。ブランド力では国友筒や堺筒に負け、生産量も少数。これでは売ったところで赤字になるばかりである。特に羽柴に渡すライセンス料がネックとなった。
そこで蒲生賢秀、賦秀親子と家臣達は考えに考えた結果、日野椀という漆器を作る技術を応用して、日野筒に装飾を施して付加価値をつけることにしたのだ。しかも、ただ単に装飾するのではなく、注文に応じて好みの装飾を施すようになったのだ。
そして、こういった火縄銃を発注できるのは資金がある武士だけである。そこで、注文を受ける際に、実際に撃つ武士の体格に合わせた鉄砲を作るようになった。すなわち、国友や堺で作る火縄銃を足軽向けの安価な大量生産品と例えるならば、日野筒は武士向けのオーダーメイド品に例えることが出来る。実際、日野筒は『侍筒』と呼ばれる火縄銃の一種の特徴を持っている。すなわち、弾の重さは5匁(普通の火縄銃の弾の重さは1〜3匁)、口径は15mm(普通は8mm〜10mm)という鉄砲と言うには大きめの弾が使われている。
そして重秀に贈られた日野筒は、重秀をよく知る賦秀が重秀と似たような体型の侍に鉄砲を撃たせ、そのデータを基に作られた特注品であった。なので実際に試射したところ、重秀の身体にあっており、弾の重さや火薬の量に比べて反動が酷いということはなかった。
そこで重秀は水上戦での日野筒(というか侍筒)がどれほどの威力を持っているかを確認するために、『菅浦丸』に持ち込んでいたのである。
「今回は国友で作られた『大筒』も持ち込んでいるから、色々試してみよう」
重秀の言った『大筒』は別名『大鉄砲』と呼ばれるもので、いわゆる大砲とは違い人の手で抱えて撃つ火縄銃の一種である。弾の重さは20匁、口径は23mm程度。国友ではさらに大型の30匁の弾を撃てる大筒を開発中である。
「申し上げます。的になる丸子船が来ました」
加藤孫六の声を聞いた重秀と清正は、後方の櫓から総矢倉の屋上部分に出た。二層の総矢倉から船の横方向へ視線を向けると、一隻のボロい丸子船から、数人の船乗りが別の丸子船に移っていた。無人となったボロい丸子船には足軽用と侍用の具足をつけた案山子が乗っており、これが的となっていた。
「兄貴、いつでも行けるぜ」
鉄砲隊の指揮を執る正則がそう言うと、重秀は腰に指していた采配を右手で取り、さらに右腕を頭上に上げた。そして鋭く大声で命令を発した。
「放て!」
重秀の号令に続いて正則の号令が続き、直後に重秀の足元から火縄銃が放つ轟音が発せられた。
十月の上旬、『菅浦丸』の建造から遅れて建造された安宅船2隻も大浦湊と塩津湊で完成。それぞれ『大浦丸』『塩津丸』と名付けられ、これによって安宅船3隻体制が整ったことになる。しかし、訓練を行う必要があるので、まだローテーションを行うには至っていなかった。
この日、『菅浦丸』『大浦丸』『塩津丸』の3隻と周りを固める各湊の丸子船による陣形の訓練が行われた。鐘や太鼓、法螺貝を使っての意思疎通、及び陣形の組み立ての手順を確認したが、初日で上手くいくはずもなく、結果は散々なものであった。
長浜城で行われた反省会では菅浦の舟手衆と大浦の舟手衆がお互いを批難しあっていた。
「なんで鐘を二回叩いたら左旋回なんだよ!右だろうがよ!」
「うるせぇ!大浦じゃあずっと昔からそうだったんだよ!塩津だって我等と同じなんだから、菅浦がこっちに合わせろ!」
「法螺貝の合図じゃあ菅浦は塩津どころか長浜と一緒なんだよ!大浦が合わせろよ!」
「大浦じゃあ法螺貝を合図に使わねぇんだよ!誰が菅浦に合わせるか!」
菅浦衆の代表である松田と大浦衆の代表である竹本百助が大声で言い合っていた。側では塩津衆の代表である井上成蔵と、長浜衆の代表である渡辺加次郎が呆れた表情で二人を見ていた。
「お主等黙れ!若君の御前であるぞ!」
そう言って怒鳴り声を上げたのは訓練に参加していた前野長康であった。松田と竹本が黙り込む。その後、重秀が口を開いた。
「まあ、元々は対立した者同士、いがみ合うのは致し方ない。それに、初日から上手くいくとは思ってない」
重秀がそう言うと、井上が驚いたような顔をしながら重秀の顔を見た。まさか十四歳の若造からそんな大人びた台詞が出るとは思っていなかったのだろう。それに気がついた重秀が井上に言う。
「・・・と父上が申されていた」
「ああ、なるほど」
井上が納得したように頷いた。重秀が話を続ける。
「まあ、初日に船同士のやり取りに差異があることが分かったのはむしろ僥倖である。これからは羽柴で船の間のやり取り方法を定め、全ての舟手衆に従ってもらう。当然、軍船だけではなく全ての船でだ」
「全ての船で、ですか」
渡辺がそう言うと、重秀がすぐに返す。
「全ての船だ。そうすれば、安宅船が護衛する際に間違いが起きぬであろう」
「安宅船で護衛するのでございますか?速度が異なりまするが」
井上が驚いたような声を上げた。
「長浜城が籠城する際には羽柴領全ての丸子船で輜重を長浜城に送ってもらう。その際に護衛は必要であろう。それに、速度については安宅船に合わせてもらうか、丸子船についていけるだけの船を新たに作る予定だ」
「なるほど」
井上がそう頷くが、本人はあまりピンときていないようだ。まあ、現状長浜城が攻められるということが無いと思っているから仕方ないことであるが。
「とりあえず、今日はここまでとし、明日からは船同士のやりとりの仕方を決めようではないか」
重秀がそう言うと、立ち上がった。他の者も立ち上がろうとしたが、すぐに重秀が座ったので、皆もすぐに座った。皆から訝しるような視線を浴びる中、重秀が声を上げた。
「長浜城内の湊の側にそれぞれの舟手衆のために館を作ってある。温かい食事も用意したから、今宵は各々の館にてゆるりと休まれよ」
重秀の言葉に皆が喜んだ。
長浜城の二の丸御殿に戻った重秀は書院に入ると、そこでは孫六と大谷桂松が資料整理を行なっていた。
「二人共、骨折りだな。夜食を持ってきた。千代さんが握ってくれた握り飯だ」
そう言って手に持っていた皿を平伏していた二人に差し出すと、二人は「有難き幸せ」と言いながら、おにぎりの乗った皿を受けとった。
「んで、桂松の体調はもういいのか?」
上座に座りながら重秀が聞くと、握り飯を頬張っていた桂松が慌ててご飯を飲み込むと、頭を下げた。
「は、はい。今は大事ございませぬ。申し訳ございませぬ。船に酔ってしまいまして・・・」
「ああ、気にしなくていいぞ。俺も長島攻めで初めて船に乗った時は酔ったからな」
桂松の答えに対した、重秀は右掌を振りながら言った。そして孫六の方を見て話しかける。
「孫六は全く酔わなかったな。市や虎、弥三郎なんか最初に菅浦へ行った時はちょっと酔ってたのに」
「はあ、オイラ・・・私は初めから酔わなかったっす。初めての乗馬で酔う方もいるけど、オイ・・・私の場合もそういったことはなかったっす。恐らく何かに乗って酔うということは全く無いようでっす」
頭をかきながら孫六はそう答えた。
―――孫六の一人称は『オイラ』で許してやろうかな・・・?―――
そう思いながら重秀は桂松に右手を差し出した。
「まあ、雑談はここまでにしよう。まとめた資料を見せてくれ」
重秀がそう言うと、桂松が「これです」と言いながら紙の束を渡してきた。重秀はそれを受け取ると、1枚づつ丁寧に見ていった。
それは先日行われた船上から鉄砲を撃った時の鉄砲の発砲数と命中数をまとめたものであった。
―――やはり揺れる船上から撃てば命中率は下がるな。小筒(弾の重さが1〜3匁の普通の火縄銃のこと)ですら命中率が著しく下がっている。
その一方で大筒はそれほど落ちてはいない。やはり、船の狭間に固定させたのが良かったな。人が抱えて撃つだけでは見当違いな所に飛んでいったからな。破壊力はあるし、後は射程距離を伸ばすことか。
日野筒は当たれば結構な打撃を与えられるが、如何せん射程距離が短すぎる。まあ、銃身が短いから遠くへ飛ばないんだな・・・。ならば、銃の重さに目をつぶって銃身を長くしてみるか。どうせ船で運ぶんだし。国友で作ってもらおうかな―――
桂松と孫六を下がらせた重秀は、夜が更けるまで書類の束を片手に考え込んでいたのだった。




