第61話 弥八郎
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小谷城は小谷山にある山城であり、普段遣いにはとても不便である。なので平時には麓の屋敷を使い、有事の際に小谷城を利用していた。秀吉が長浜城に移った後は麓の屋敷はすべて長浜に移築されたが、小谷城の再利用に伴い、麓には逗留用の館が建てられるようになった。重秀は養蚕や牛、その他小谷城に用事がある場合はその館を利用していた。ちなみに館の管理は加藤教明の役目である。
その館に本多弥八郎正信を連れてきた重秀は、そこに備えられていた茶道具で茶を点てると、弥八郎と教明ら家臣をもてなした。
「・・・よろしいのですか?拙者のような余所者に対して茶を点てて」
「余所者だから茶を点てるんだろ?」
正信の質問に対して、「何言ってるんだ?こいつ」という顔をしながら答える。同席している石田正澄が話を続ける。
「若君はなにか理由をつけては我等に茶を点てます故、お気になさらず」
「こうしないと忘れるんだよ。鍛錬だよ、鍛錬」
重秀がそう言って笑うと、正信以外の同席していた者達が笑った。その後は皆で静かに茶を楽しんだ。
「結構なお手前でした」
そう言って正信が礼をすると、重秀も礼を返した。そして正信に聞いた。
「本多殿は見事に茶を受けておられたが、三河で茶を習われていたか?」
「いえ、拙者が茶を習ったのは大和の信貴山城でございます」
「信貴山城・・・?松永弾正様(松永久秀のこと)の下にいたのか?」
重秀の質問に正信はただ黙って頷いた。重秀はポカンとした顔で正信を見ていたが、納得したような顔になると頷きつつ話しだした。
「・・・松永様は茶に関してはお詳しい方だと聞いている。しかも、名物も多数持っており、その数は御屋形様以上だとも聞いている・・・。まさか、松永様から茶の手解きを受けたのではござらぬか?」
「・・・それはありえませぬ。拙者はそこまで松永様から重宝されたわけではございませぬ故」
少し黙ってから話した正信に、重秀は「そうなのか」と言って納得した。しかし、教明は正信を疑わしい目で見ていた。教明が正信に声を掛ける。
「おい、本当のことを言えよ。お主のことだ。ただ松永様の雑兵、というわけではあるまい?松平の殿様からあれだけ信任を得ていた弥八郎のことだ。松永様の側に行くこともできたのではないか?」
「・・・さすがにそこまでは。ただ、二、三度ほどお会いして仕事を命じられたことはございましたが」
「仕事とは?」
「大したことはしておりませぬ。拙者が一向門徒だったことと、霜台様(松永久秀のこと)が織田様の命により石山本願寺の監視を行っていたことから、そちらの方の仕事を」
教明の質問に正信がそう答えると、重秀がさらに質問した。
「石山本願寺の動向を探っていたと?それとも、何か交渉をしていたとか?」
「・・・それは言えませぬ、霜台様には世話になり申したゆえ」
「ああ?長兄には話せぬと申されるか?」
正信が答えるのを拒否すると、同席していた加藤清正が鋭い口調で咎めた。普段なら血気盛んな清正のこと、立ち上がって詰め寄るのだが、堺での茶の稽古の賜か、立ち上がらずに咎めていた。そんな清正に正信が鋭い視線を向けた。その視線の殺気を感じ取ったのか、清正が思わず怯んだ。
「やめよ、虎。外ではともかく、この茶の席では本多殿は私の客ぞ」
重秀がそう言うと、清正は「申し訳ござらぬ」と言って頭を下げた。正信は清正と重秀を目だけ動かして見た後、清正に軽く頭を下げた。
「それで、本多殿は何しに越前へ?」
重秀が再び正信に聞くと、正信は少し考えてから話し始めた。
「詳細はご勘弁願いたいのですが、松永様に暇乞いをした後、実は加賀に行っておりました。そこで一向一揆に加わっていたのでございますが、越前へ侵攻することとなったので、一揆勢を率いて越前へと参りました」
「・・・率いてた?え?本多殿は軍勢の指揮をしたことがあるのか!?」
重秀が思わず声を上げた。正信は苦笑いしながら答える。
「率いたと言っても、地侍や百姓、僧兵やならず者たちの混合部隊。とても戦力とは言えませぬ」
「じゃあ、負けっぱなしだったのか?」
正則が馬鹿にしたような笑いをしながら聞いてきた。正信は正則の笑いを無視して話を続けた。
「加賀一向一揆勢の総大将である七里頼周が我等を置いてさっさと逃げましたからな。負けて当然でしょう」
「それで降伏したと?」
続けて清正が軽蔑するような視線で正信に聞いた。正信は清正の視線を無視して言った。
「勝敗は兵家の常。今回は負けるべくして負けたということでござる」
「・・・確かに総大将が逃げたら負けるよな」
正則がそう言うと、正信は馬鹿にしたような笑いを顔に浮かべながら正則に言った。
「それだけで負けたわけではないわ。もっと深い訳があるわ、馬鹿めが」
「ああん!?」
正則が声を上げるが、重秀が「やめろ」と言うと、正信の方を向きながら言った。
「越前は一向一揆勢が掌握してからというもの、圧政を敷いていたからな。それを突いて羽柴は去年より越前に調略を掛けてきた。聞けば一向門徒の中からも羽柴に寝返ったものがいたと言うからな・・・。織田が攻め入った時には一向宗の上の者達は越前の民百姓からは見放されていたから、その時点で負けは必定だったのだろう」
重秀がそう言うと、正信は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに平静を装うと「おっしゃるとおりでございます」と言って頭を下げた。この時、重秀はふと気になったことがあった。そしてその気になったことを正信にぶつけた。
「羽柴の調略は長い期間行われてきたが、下間や七里といった上の者達は対応策を講じなかったのか?」
「講じておりました。密告を奨励し、密告されたものは拷問されて殺されるか、妻や子供を目の前で釜茹でにされるか、家族共々三日三晩眠らせずにお経を聞かせたりして狂わせたりするとか、色々やってましたなぁ」
淡々と話す正信に対して「うわぁ・・・」と重秀が眉をひそめながら言った。正信はそんな重秀に冷ややかな視線を送った。
「別に驚くような顔をすることではないでしょう。織田勢もなさっていたのですから」
正信がそう言うと、正則と清正の顔が歪んだ。二人は直接手を出していなかったが、そういった場面は見ていた。
「織田勢がそういった事をやっている中、羽柴勢だけはそういった事をやらずに虜囚(捕虜のこと)として囲っていると聞きましてな。まあ、拙者の指揮した者や駐屯した村の者が助かるならと、羽柴様に降ったのでございまする。虜囚の選別を行なっていたので、何かあるなとは思っておりましたが、まさか養蚕と製紙、牛を飼うためとは思いも寄らない事でござりましたが」
そう言うと、正信は鋭い目つきを重秀に向けた。殺気の籠もった視線に気がついた正則と清正は、茶の席なので刀を帯びていなかったため、身を挺して重秀を守れるよう、いつでも飛びかかれるように腰を浮かせた。
「しかし、牛を殺す役に一向門徒を使うのはよろしくないですな。確かに『肉食妻帯』は真宗の教えの一つですが、かと言ってむやみに生き物を殺すのを是としておるわけではございませぬぞ」
「それは分かっている。なので、この小谷城の曲輪のいづれかに真宗の寺を建てるつもりで今父上と相談をしている。性慶殿を始め、湖北十ヶ寺の僧達も積極的に小谷城の一向門徒を支援すると確約を頂いている。例え牛を殺めたとしても、そなた達に害が及ばぬよう、守ることを約束しよう」
重秀は正信の殺気の籠もった視線をまともに受けながらそう答え、さらに正信に頭を下げた。正信は驚きの表情を浮かべたが、重秀がそのままの格好で話を続ける。
「食肉の牛を育てることは羽柴の決定事項だ。何としても成功させねばならぬ。これから先、南蛮人が日本に来る数は多くなるだろう。その南蛮人相手に肉を売ることができれば、羽柴、いや北近江が豊かになる。そうなれば民百姓も多くの年貢を取られなくなり、飢えることなく豊かに暮らせるだろう。本多殿、そのために力をお貸し下され」
正信は頭を下げている重秀を見て、昔のことを思い出していた。桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた後、今川の支配下にあった三河国では混乱と動揺が広がっていたが、その混乱と動揺を納めるべく軍事行動を取ったのが、岡崎城へ戻っていた松平元康(のちの徳川家康)であった。この時の元康は織田の侵攻を防ぐべく軍事行動を取っていたが、援軍を全く寄越さない今川への失望感から、今川からの独立も模索していくという難しい立場にあった。そんな立場の元康は、家臣へ一致団結を訴えるべく頭を下げた。当時は鷹匠に過ぎなかった正信にも頭を下げた元康の姿と、今の重秀の姿が正信には重なって見えたのだった。
―――殿様に会いたくなってきたが、この若者にも興味が湧いてきた。面白い。もう少し寄り道していくか―――
そう思った正信は、重秀に平伏しながら話しかけた。
「・・・拙者には家族がおります。その者達は三河の大久保様(大久保忠世のこと)の元で養われておりまする。いづれ家族の元へ戻りたい故、それまではこちらでお世話になりとうございまする」
「ああ、徳川家には戻るのか」
重秀の言葉に正信は頷いた。
「ええ、若の姿を見ておりましたら、ふと我が主君の姿を思い出しました故」
「三河守様が『我が主君』か」
「ええ、色々な所に行きましたが、やはりあの方の下が良いですな」
「父や私では駄目か」
重秀が笑いながら言うと、正信は神妙な面持ちで頭を下げた。それだけで重秀には正信の気持ちは伝わった。
「相分かった。好きにするが良い。でも、出奔する時はちゃんと伝えてくれよ」
重秀の言葉に正信は頷く。そして話し始めた。
「まあ、越前から来たあの者達が、しっかりとこちらで暮らせるまでは居ようと思います。あやつらをこちらに連れてきたのは拙者ですから」
「随分と律義ではないか」
重秀が笑いながら言った。
「三河者ですから」
そう言うと、正信は楽しそうに笑ったのだった。
重秀はその日のうちに長浜城に戻ると、秀吉に正信のことを伝えた。
「ではその者はお主の客将として迎え入れよう。ただし、徳川に帰参するというのであれば、羽柴の軍事機密はその者には教えぬように。良いな?」
「しかと承りました。ところで、小一郎の叔父上が見当たりませぬが?」
いつもなら秀吉の側にいる小一郎がいないのに気がついた重秀が秀吉に聞いた。
「ああ、小一郎なら山本山城の引き渡しについて阿閉殿と話し合っておる。もうすぐ帰ってくるであろう」
秀吉がそう言うと、重秀は首を傾げながら聞いた。
「しかし、阿閉殿はよく山本山城を引き渡す気になりましたね。確か、最初は拒否されていましたよね?」
「ああ、確かにな」
秀吉がそう言うと、忌々しそうな表情を顔に浮かべた。
阿閉貞征とその子の阿閉貞大は越前一向一揆攻めでは武功を上げた。なので恩賞として近江蒲生郡の旧柴田領と長光寺城が与えられることとなった。ところが、山本山城と北近江の領地を召し上げられると聞いて、「先祖伝来の土地を奪われる筋合いはない」と言って猛反発したのだった。
信長はこれに対して特に何もしなかった。その代わり、近江高島郡清水山城城主の磯野員昌を強制的に隠居(数年後には追放)させて養子の津田信澄に家督を譲らせたのであった。員昌は浅井の旧臣であったが、織田に寝返って以降、織田家のために働いてきた武将である。また、実子行信を廃嫡して養子の津田信澄を嫡男にするなど、信長の意向を常に汲んできた武将でもあった。そんな武将ですら隠居に追い込み、自分の甥に継がせる信長の豪腕ぶりに貞征は震え上がった。もし山本山城を引き渡さなければ次は阿閉が改易されると考えたのだ。
結局、貞征は山本山城を羽柴に引き渡し、長光寺城に移ることとなった。もっとも、最初の拒否が信長の心象を悪くし、蒲生郡の旧柴田領がすべて阿閉領となったわけではなく、一部は同じく蒲生郡を治める日野城主蒲生賢秀の手に渡されることになるのだが(それでも貞征から見れば、知行は増えている)。
「これで北近江で邪魔だった阿閉殿が居なくなった。お主にも朗報であろう」
秀吉がそう言うと、重秀は「はい」と朗らかに返事した。
羽柴と阿閉は羽柴が北近江に来てから領地の境界線を巡って諍いが起きていた。その諍いは複数の境界線で起きていたのだが、その一つにはあの菅浦が含まれていた。
阿閉は「浅井の殿様から竹生島と菅浦は阿閉領として認められていた」と主張していた。しかし、元々竹生島は竹生島弁財天の寺社領であったし、菅浦は「浅井の代官は来ていたが阿閉の代官は来ていない」と言ってお得意の書面による証拠提出を行なった。書面には浅井家に対して年貢として油桐の実を毎年数十石納めたことが記されており、そこには阿閉家に納めたとは書いていなかった。
羽柴はこれを根拠に「菅浦は浅井の領地で、それを引き継いだ羽柴の領地である」と信長に訴えた。この件については信長の裁判判断はなされなかったものの、菅浦に秀吉がやってきて年貢の取り決めをしてしまってからは、阿閉は菅浦については口出しができない状態であった。そして、阿閉の国替によって解決することとなったのだった。
重秀にしてみれば菅浦には思い入れがあった。初めて参加した交渉だったし、水軍を持つきっかけにもなった。そして何より、油桐の存在を知ったからこそ紙早合が作れたのだ。今までは阿閉に遠慮して中々菅浦へ行けなかったが、これからは大手を振って行けるというものである。
「藤十郎、菅浦はお主の知行といたす故、しかと治めろよ」
「・・・よろしいのですか?越前攻めでは特に何もしておりませぬが」
「阿呆、しっかりと留守居役を務めたではないか。留守を守ったものに褒美をやらんでは、誰も留守居役を務めぬわ」
「分かりました。しかと治めてまいりまする」
そう言うと重秀は頭を下げた。そんな重秀をニコニコとした顔で見ていた秀吉であったが、何かを思い出したかのように声を上げた。
「おお、そうじゃった。長浜の湊で作っておった安宅船、完成したそうじゃ。明日にでも湖に浮かべようぞ」
「それは祝着至極。・・・なにか特別なことはするのでしょうか?」
「船大工に任せておけばよかろう。お主もあまり細かいところにまで口を出すものではないぞ」
秀吉はそう言うと、真面目そうな顔をしながら話し始めた。
「藤十郎。そなたの学びたいという意欲は素晴らしいものじゃ。だからといって細かい事まで首を突っ込んではならぬ。それは大将のすることではない。良いか、大将たるもの、広い視野を持って家臣を導くことを第一とせよ。知識を得るのは良いことじゃが、肝心なのはその知識を持つ者を上手く扱うことじゃ。そうしないと、お主の身が持たぬぞ」
「は、はい」
重秀が姿勢を正して返事をした。そんな重秀を見て秀吉は笑いながら言う。
「と、いうわけで、お主もこれからは自ら有能な人材を集めてこい。いつまでも市兵衛や虎之助、弥三郎だけがお主の家臣ではないのだからな。本多弥八郎なる者を客将にできたのは僥倖じゃが、できれば家臣にして欲しかったぞ」
「も、申し訳ございませぬ。あの者の三河守様への忠誠心が揺るぎないものと心得ました故、無理強いはできぬと思いました」
「良い良い、何事も経験じゃ。これからはもっと励むようにの。小一郎も家臣を集めるのに必死になっておるからのう」
秀吉が笑いながら言うと、重秀は「叔父上もですか?」と聞いてきた。
「おう、あいつも城持ちじゃ。一人で城を維持できぬからな。まあ、今の所二人は確保したようじゃが」
「・・・どなたですか?」
重秀が首を傾げながら聞いた。
「小堀新助(小堀正次のこと)と堀次郎(堀秀村のこと)よ」
「小堀というのは存じ上げませぬが、堀というのはあの鎌刃城の堀様でございますか?」
「うむ、あの堀殿よ」
堀秀村は元々は浅井家の旧臣であった。しかし、信長が浅井長政と争っていた時に15歳だった秀村は、家老で後見人でもあった樋口直房の意見を取り入れ、織田方に寝返った。その後は秀吉の与力となっていたのだが、天正二年(1574年)に越前国の木ノ芽城を守備していたところ、越前一向一揆勢に攻め込まれてしまう。しかも、樋口直房が一揆勢と単独で和睦してしまった。結果、樋口直房は一族もろとも秀吉に処刑され、秀村は鎌刃城と所領を没収されてしまった。その後は秀吉の庇護下にあったと言われている。
「堀も小堀も儂の推薦じゃが、二人共槍働きがいまいちでのう。出来ればお主で言うところの市兵衛か虎之助の様な若者が小一郎の側に居てくれればよいのだが。
・・・贅沢言わぬから、槍働きができて、政もできて、城も作れて陸戦も水戦もできる武将が小一郎の下で働いてくれぬかのう」
「父上、そんな都合の良い者いるわけ無いでしょう。いたらとっくにどこかの家中に仕えているか、どこかで天下を狙ってますよ」
秀吉の話に対して、重秀は呆れたような表情を浮かべながら言ったのだった。