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第60話 ポリティカル・マリッジ

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


ユニークアクセス数35万件を突破いたしました。評価ポイント合計6000pt突破いたしました。ありがとうございました。大変励みとなります。


誤字脱字チェックをして頂きありがとうございました。


大変申し訳ございませんが、来週から八月の後半まで火曜日の更新は不定期となります。更新しない日がありますので、予めご了承ください。なお、金曜日の更新は続けます。


どうぞよろしくお願い致します。

 天正三年(1575年)九月の最終日の夜。信長は本丸御殿にある『中奥』にある居間で珍しく酒を煽っていた。居間には信長の他には正室の帰蝶が側に侍っていた。侍女や小姓は居間の中にはおらず、障子の外で待機していた。


「御前様、そんなに飲んでは次の日に響きまするぞ」


 そう言いながらも帰蝶は信長の空になった盃に酒を注いだ。


「黙れ。今宵は飲みたい気分なのよ」


 そう言いながら信長は酒をすぐに飲み干してしまった。そして帰蝶に嬉しいのか悲しいのか分からない表情を浮かべながら話した。


「まさか市を権六に嫁がせる羽目になるとはな。口は災いの元とは、正にこの事よ」


「後悔しておられるのであれば、お断りなされればよろしかったのに」


 帰蝶が呆れたような声で話す。それに対して信長は首を横に振った。


「柴田は一度裏切っておるからのう。今では忠勤に励んでおるが、いつ儂に捨てられるか分からぬと思っているのであろう。故に織田と血縁関係を結びたいと思うのは当然であろう。権六の想いを無下にするな、と左衛門尉(佐久間信盛のこと)に諭されたわ。それに、母上(土田御前のこと)からも『市に新たな夫をつけて、娘たちに父親を与えなさいませ』とうるさく言われておったからのう。今となってはこれで良かったのかも知れぬ」


 そう言うと信長は笑みをこぼした。怪訝そうな顔をした帰蝶は黙って信長の話を聞いていた。


「儂としては、権六には儂の息子を養子として送り込むか、岩村城のつや(おつやの方のこと)を奪還して嫁がせるかを考えておったが」


「おつやの方様を・・・」


 信長の発言に帰蝶は眉をひそめた。


 おつやの方とは信長の祖父である織田信定の末の娘で信長の叔母に当たる。とは言え、年齢は信長に近いと言われている(年下という説もある)ので、この時は40代ぐらいと推定される。

 おつやの方は元々東美濃の岩村城城主遠山景任(かげとう)に嫁いでいた。しかし、景任が元亀三年(1572年)の夏に死んでしまい、未亡人となってしまった。二人の間に子供はいなかったので、本来ならば寺に入るか実家の織田家に戻るかするのだが、信長は自分の子供(四男とされている)の御坊丸を養子として送り込み、御坊丸が元服するまでの間、おつやの方を後見人とし、事実上の岩村城主としていた。

 しかし、その年の10月に武田信玄による西上作戦が発動。武田方の武将である秋山虎繁が岩村城を攻めた。信長はこの時浅井やら朝倉やら石山本願寺やらで、とても岩村城へ援軍を送ることができず、おつやの方は虎繁の妻となることを条件に降伏してしまった。そして、御坊丸は人質として甲斐へ送られてしまった。それ以来、岩村城は美濃国内にある武田方の拠点として機能することとなった。

 しかし、天正三年(1575年)の長篠の戦いで織田が武田に勝利したことで、岩村城奪還の機運が生まれ、信長は信忠に対して岩村城奪還の命を下していた。今頃は信忠は岩村城を囲って兵糧攻めにしているはずである。


「・・・岩村城を落とした後、おつやの方様は如何なさいまするか?」


「・・・まだ何も考えておらぬ。が、もはや織田には必要のない者よ・・・」


 ―――お市の方様を柴田様に嫁がせた以上、おつやの方を嫁がせる先はない、ということですか・・・―――


 帰蝶はそう思うと、おつやの方の未来が碌なものではないと確信した。


「さて帰蝶よ。経緯はどうであれ、柴田はこれで織田の一門よ。これを機に、重臣たちと血縁関係を結んで、さらに結束を固める必要がある。次に狙うは羽柴よ」


 信長に声を掛けられた帰蝶は考えることを止めて信長の方を見た。


「羽柴殿ですか?明智殿や滝川様もいらっしゃますでしょうに」


 帰蝶の言葉に信長は苦笑しながら答えた。


「金柑頭(明智光秀のこと)には病弱とは言え妻がいるし、息子もまだ幼い。まあ、あそこは娘がまだいるから、その娘と我が一門と娶せれば当面は大事ないであろう。左近尉(滝川一益のこと)は息子共々すでに他家より娶っておる故、もはや血縁は難しいであろうな。まあ、娘がいたはずだから、これも織田一門の誰かに娶せればよかろう。

 だが、猿は違う。猿と息子両方に織田の姫を娶せる事が出来る。あそこには娘がいないから、織田の血縁とするにはあの親子にこちらから妻を送らねばならない」


 信長は一気にそこまで話すと、酒を飲んで喉を潤した。そして帰蝶に尋ねる。


「ときに帰蝶。(ふじ)は今何歳(いくつ)だ?」


 藤とは信長の三女の名前である。


「・・・確か十歳だったかと」


「え?もうそんな歳だったか?」


 帰蝶の答えに対して、信長が高い声で驚く。これが素の信長の声であることを長年の連れ合い故に知っている帰蝶は、特に驚かずに信長に話かける。


「御前様は本当に自分の娘には興味をお持ちになりませんね。興味を持つ時は誰かに娶わせる時だけ・・・。ということは、羽柴に娶わせるおつもりですか?」


「話が早くて済む。(うぬ)の賢いところは嫌いではないぞ」


「おだてても何も出ませんよ」


 呆れたような声で返事をする帰蝶に笑顔を向ける信長。しかし、すぐに真面目な顔に戻ると、帰蝶に話し始めた。


「藤は猿めの嫁にと思っている」


「羽柴筑前守様でございまするか?年の差をお考えになってくださいまし」


「嫁だ、よ・め!猿の妻にするとは言っておらん!」


「ああ、息子の方ですか。一度会いましたが、愛らしい方でした」


「・・・どこで会った?」


「勘九郎殿(織田信忠のこと)に会った時に、小姓として傍に控えていたのを見たことがございます。話もしましたが、中々聡明そうでしたね」


「・・・で、あるか」


 帰蝶にあまり他の男と会話して欲しくない信長がすねながら言うと、帰蝶は「あらあら」と苦笑した。しかし、帰蝶は少し困った顔になると、信長に言った。


「しかし御前様。お藤殿は筒井家に嫁に出す、とおっしゃっていませんでしたか?」


 帰蝶の質問に、信長は面倒くさそうな表情をしながら答える。


「ああ、陽舜房(筒井順慶のこと)が霜台(松永久秀のこと)との戦いで武功を立てたから、その養子(筒井定次のこと)に娘をやるとは申した。しかし、藤をやるとは言ってないからな。どこぞの姫を養女とした後に、儂の娘として嫁がせればよかろう」


 それを聞いた帰蝶は、溜息交じりに信長に言った。


「・・・分かりました。しかしながら、お藤殿の祝言、一年、いえ半年は先延ばしにできませぬか?」


「・・・なんだ。何かあるのか?」


「花嫁修業をさせる必要がございます故」


「させていなかったのか!?」


 信長が驚くのは無理もない。当時の大名の姫たちは大体十五歳前後で結婚するのである。なのでそれまでの間、姫たちは花嫁修業という名の教育を受けるのである。そこでは家事はもちろん、武家の礼儀作法や四季折々の行事について、みっちりと鍛え上げられるのである。そして、こういった教育は大体7〜8歳の時から行われる。


「もちろんさせておりまする。しかし、羽柴家は他の家とは違いまする故」


 帰蝶の言葉に首を傾げる信長。そんな信長に帰蝶は詳しく説明した。


 大名を始めとした武家の娘は嫁入り前までに嫁として必要な知識を詰め込まれる。しかし、あくまで教えられるのは生まれた家での作法であり習慣である。家にはそれぞれ独自の作法や習慣があり、それは地域的なものであったり家が信じる宗派によるものもある。そういった家々の作法や習慣を嫁いだ先で教わらなければならないのだ。

 これが下級武士なら嫁いだ先に元からいる女性から学ぶことになる。例えば姑であったり大姑であったりする。小姑の場合もなくはない。では上級武士や大名はどうなるか?

 基本、広いお城かお屋敷で嫁と姑が顔を合わすことなどほとんどない。せいぜい新年の挨拶か法要を営むときぐらいである。当然、嫁が姑に習いに行くということはないし、逆もない。ではどうやって嫁は嫁ぎ先の習慣や作法を学ぶのか?実は、大体嫁ぐお姫様には乳母がついていくものである。この乳母を通して嫁ぎ先の作法や習慣を学んでいくのである。

 とは言え、武家同士の結婚ならば特に問題はない。大体習慣や作法は同じだからである。これが異なる身分となると厄介なことになる。例えば公家の娘が武家に嫁ぐとなると、わざわざ武家から乳母を雇い入れてから嫁がせなければならなくなるのだ。


「ああ、なるほど。羽柴には羽柴の作法や習慣・・・、いや、あそこは元々百姓の出、そういった作法や習慣すら無いのやも知れぬ、であるか」


 何となく帰蝶の言いたいことが分かってきた信長がそう言うと、帰蝶は頷いた。


「はい。これで筑前殿の奥方・・・()()殿でしたっけ?その方が生きていればまだ案ずることはなかったのですが・・・」


「確かに、()()も下級とは言えしっかりとした武家の娘。そういった作法や習慣には詳しかったかもな。いや、吉乃(信長の側室、生駒殿のこと)に仕えていたのだ。詳しくて当然だな。・・・とすると、筑前の家の作法や習慣は織田の作法や習慣がそのまま入ることになるのか?」


「そうなりますでしょうか。しかし、お藤殿一人ではそれは覚えきれませぬ。そういった事に詳しい侍女や乳母を一緒に送り込む必要がありまする。ですが、織田の作法や習慣を知っている者とは、すなわち織田に長年勤めていた者となります。そういった者とお藤殿と一緒に羽柴に行かせたら・・・」


「織田家の内で作法や習慣の知る者が減るか・・・。それは困るな。勘九郎や他の姫が苦労することになる」


「なので、作法や習慣をお藤殿だけではなく、一緒についていく侍女や乳母に改めて花嫁修業として教える必要があるのです」


 面倒だな、と信長は帰蝶の話を聞いて思った。まさか秀吉の息子に自分の娘を嫁がせるのに、こんなに苦労するとは思ってもいなかったのだ。長女を徳川家康の息子(徳川信康のこと)に、次女を蒲生賢秀の息子(蒲生賦秀のこと)に嫁がせた際にはこんな事を言われたことなかった。


 ―――身分差のある婚姻とは、この様な苦労があるのか。これは、有能だからと言って身分の違う者を登用するのは考える必要があるな・・・。いや、猿の場合は()()という武家の娘を嫁がせることで何とかなった筈だ。・・・()()が生きておれば、こんな苦労はしなくて済むものを・・・―――


 信長はそう思うと、酒を煽って飲み干した。そして帰蝶に話しかけた。


「相分かった。藤については汝に任せる。輿入れは来年以降とし、遅くても来年秋までには羽柴と姻戚関係となるぞ」





 岐阜城で自分の妻について話し合われているなんて全く知らない重秀は、この時小谷城にいた。無論一人ではなく、石田正澄、福島正則、加藤清正、加藤孫六を伴いつつ、越前で助け出してきた(?)一向門徒を引き連れて来たのである。

 彼女等(若干名男もいたが)の表情は長浜に来た頃よりかは良くなっていた。越前では羽柴勢の兵に捕まった者はそこそこ大切にされたものの、他の軍勢から買われた者の中には目の前で家族が殺されたり、戦場にありがちな暴行を受けたりと散々な目に合わされてきた者達である。長浜に着いたら何をされるか分からなかったため、彼女達には絶望感しかなかった。

 しかし、蔵や地下牢に閉じ込められた彼女達の目の前に現れたのは、性慶を始め湖北十ヶ寺の僧であった。彼等は秀吉が彼女達を大切に扱うこと、近江でも信長や秀吉に逆らうようなことをしなければ今まで通り一向宗を信じても良いこと、身元は湖北十ヶ寺が証明すること等、彼女達の心象を良くするために説得にかかった。最初は警戒していたものの、他に行く宛もないため結局は僧達の言う通りにすることとなった。


「これは若君。わざわざのお越し、恐悦至極にございまする」


 小谷城にて養蚕の監督をしていた加藤教明が頭を下げて出迎える。重秀は馬から降りながら「三之丞、大義」と言った。重秀は教明に近づきながら話す。


「越前から女子供、あと若干の男共もいる故、小谷城ここで働かせてやってくれ」


「承知致しました。すでに住む場所は確保しております」


「・・・早いな。百人も住める場所はなかったのでは?」


「養蚕場を改造しました。蚕の数は少ない故」


「そうか。ところで、牛も連れてきてるんだが」


 重秀が視線を移すと、女子供の後ろに牛が9頭ほど立っていた。


「ああ、ご心配なく。すでに牛舎の準備はできておりまする。女子供は本丸の養蚕場の一階部分に住んでもらいます。男共は数が少ない故、出丸にある番屋の近くに住んでもらいます」


「なら良いか。では三之丞、こいつらを連れて行ってくれ」


 重秀が教明に命じると、「承知致しました」と言って教明は女子供の列に近づいていった。列にいる者達の顔を見ていく教明は、ある男―――長浜城で重秀と目のあった、飢えた野武士風の男の前で止まった。そして、声を上げた。


「本多殿?本多弥八郎殿ではござらぬか!?」


 そう言う教明を、弥八郎と言われた男はまじまじと見た。そして思い出したかのような声を出した。


「・・・お前は、よもや岸殿か?」


「なんだ?三之丞はそいつを知っているのか?」


 教明が声を上げているので、何があったか気になった重秀が教明に近づいて聞いてきた。


「はっ、若君。この者は本多弥八郎なる三河の松平家の元家臣にございまする」


「・・・えっ?まさか、三河守様(徳川家康のこと)の家臣か?」


 重秀がそう言うと、教明は頷きながら答えた。


「はい。鷹匠として側に居りました」


「・・・なんでそんな奴が越前くんだりまで来てるんだ?」


 重秀の隣で正則が呟くと、教明が困ったような表情を顔に浮かべながら答えた。


「市兵衛、弥八郎は越前で捕まってここに来ている。ということは、どういうことか分かるだろう?」


「うん?そりゃ、ここにいる連中は一向門徒で・・・。え?じゃあ、こいつも?」


 正則の言葉に教明が黙って頷いた。しかし、正則はよく分かってないようで、首を傾げて黙ってしまった。代わりに隣に来ていた清正が尋ねる。


「・・・じゃあ、一向門徒だからわざわざ越前のお仲間のために越前に行ってたってことか?」


「虎、それは違うだろう」


 清正に対して重秀が話しかける。そして教明と弥八郎という男に視線を向けると、真面目な面持ちで話した。


「三之丞と同じ理由で、三河を出奔したのではないか?」


「ご明察です、若君。我等は一向門徒として三河の一向一揆勢に加わり、主君である三河守様と戦ったのでございまする」


 永禄六年(1563年)、三河国の西三河にある本證寺、上宮寺、勝鬘寺の守護使不入(守護の役人が徴税、犯罪者逮捕のために立ち入ることを禁止すること)の権利について松平元康(のちの徳川家康)と揉めたことに端を発する三河一向一揆が勃発する。ここまではよくある一向一揆なのだが、三河一向一揆の特徴として、一向門徒の家臣や松平元康による三河統一に反対する国衆までもが一向一揆に参加していたのである。その結果、一揆は翌年まで続き、一時期は元康は本拠地の岡崎城にまで追い詰められるところでもあった。

 しかし、その後は元康による反撃がうまくいき、一揆は鎮圧されることとなるが、この時数多くの一揆勢に加わった家臣が出奔している。元康は罪に問わないことを条件に帰参を認めたため、多くの家臣が出戻ったものの、一部の者達が他家へ仕官してしまったのだった。


「それがしも、一揆勢に加担したため、殿に帰参することはできず、公方様(足利義昭のこと)にお仕えした後、今の殿の下で働かせていただいておりまする」


 教明がそう解説した後、重秀がさらに話を進める。


「その後、馬の行商人の手伝いをしている孫六を見出した作内殿(加藤光泰のこと)の父が猶子(相続権のない養子のこと)として父上に仕えさせたのを機に、岸から加藤に名を改めたんだっけ?」


 重秀がそう言うと、教明が「おっしゃるとおりです」と言って頭を下げた。重秀は弥八郎の方を見ると、その弥八郎に話しかけた。


「ふむ、徳川家に帰参せず、かと言って三之丞のように他家に仕えず、越前で一揆勢に加わるとは、よほど一向宗に帰依しているのだな」


 そう言った重秀に対して、意外にも弥八郎は首を横に振った。


「そうではございませぬ・・・。これには深い訳がございまして」


「へぇ・・・。興味あるな。話してはくれぬか?」


 重秀が弥八郎にそう尋ねるが、横から正澄が口を挟んできた。


「恐れながら、この様な場所で話が進んでは、女子供を立たせて待たせることになりまする。いくら一向門徒とは言え、羽柴で保護した以上、無碍な扱いは為さるべきではないかと」


 重秀は正澄に言われてキョトンとしたが、「もっともである」と言うと、取り敢えず話を切り上げて女子供達を住む場所へと案内したのだった。


注釈

おつやの方の養子となった御坊丸(のちの織田信房。織田勝長とも)については、今までは五男とされていた。しかし、最近の研究では四男とする説が有力である。これは、今まで四男とされていた於次丸が五男であると明示している資料が残っていること、また天正十年(1582年)時点では於次丸が15歳だったのに対し、信房には源三郎勝良という子がいたことから、生年は不明ながらも於次丸よりは歳上なのでは、と思われているからである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 流石は史実であれだけ急拡大した織田家の奥で問題一つ起こさせなかった帰蝶さま。流石です。 養女ではなく実娘。秀吉、感涙で沈むんじゃ
[気になる点] 本多正信さん弟の正重さんとは離れ離れ?
[良い点] 史実の筒井順慶の息子の奥さんでしたが、晩年は江戸幕府にの命令で旦那と息子が切腹させられて改易と、悲惨なんですよね 次期天下人の正室様として、この世界線では幸せになって欲しいです [気にな…
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