第59話 恩賞
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天正三年(1575年)九月二十四日、秀吉が率いる羽柴勢が長浜城へ帰還した。
「父上、そして皆様。お戻りなさいませ」
城門で留守番組や南殿と石松丸らと共に出迎えに来ていた重秀が、馬上の秀吉にそう言うと頭を下げた。周りの者達もあわせて頭を下げる。
「おお!藤十郎!出迎え大義!留守居役も無事勤め上げたようじゃのう!」
秀吉がそう言いながら馬から降りて重秀に駆け寄る。周りにいた小一郎達も馬から降りて近寄ってきた。そんな秀吉に重秀が言葉をかける。
「父上もお元気そうで何よりでございます。小一郎の叔父上から『病で倒れた』と文が来たので案じておりました」
「あっはっは!少し寝たらすぐに治ったわ!この程度で倒れる儂ではないわ!」
―――お市の方様の件で都合五日間寝込んでたのに、よく言うわ―――
笑っている秀吉の斜め後ろで小一郎がそう思っていることを知らない秀吉が、視線を南殿と腕に抱いている石松丸に移した。
「おお、せんよ!石松の具合はどうじゃ!?」
「はい、今は良いようでございまする。ほら、この通り」
そう言うと、南殿は石松丸を見せた。顔色が良さそうな様子を見た秀吉は、思わず石松丸を抱き寄せた。
「おお、おお!大事なくて良かったのう!藤十郎の文で病になったと報せがあったから、案じておったぞ!本当に良かったのう!」
南殿から石松丸を受け取って頬をすり合わせる秀吉。そんな秀吉に小一郎が声を掛けた。
「兄者。そろそろ城内に入ろう。後ろの兵達を帰さにゃいけんし」
「おお!そうじゃった!藤十郎にも土産があるからのう!」
秀吉はそう言うと、兵を城内に入れるよう指示を出した。
長浜城の馬場で、重秀は異様な光景を目にしていた。目の前には百名前後のみすぼらしい姿で縄で繋がれている老若男女が並ばされていた。重秀が隣りにいた秀吉に思わず聞いた。
「父上、なんですかこれ?」
「お主への土産よ。女と子供、若干男もいるがの」
「いや、聞きたいのはそこじゃないです」
呆れたような声を出した重秀に対して、秀吉は説明を始めた。これらの者達は一揆に加担した越前の百姓で、本来ならば首を刎ねられるのであったのだが、秀吉は乱妨取りの戦利品として持ち帰ったのだった。
「・・・良いんですか?乱妨取りはご禁制でしょうに」
重秀がそう尋ねるが、秀吉は笑って答えた。
「心配せんでもええ!御屋形様を説得して乱妨取りの許しを得ているわ!それに、こいつらはただの戦利品ではない」
そう言うと、秀吉は重秀の耳元で囁いた。
「こやつらは越前で養蚕や紙を作っていた者たちよ。殺されそうになったのを儂が助けたのよ」
そう言っていたずらっぽい笑みを浮かべる秀吉。隣では小一郎が呆れたような顔をして「よく言うわ。ほとんど拐ってきたようなものじゃろ」と呟いた。秀吉は小一郎の独り言を無視してさらに言う。
「ついでに機織用の機械や紙漉きの機械も助け出してきたわ。すべてお主に任せる故、北近江をもっと豊かにしてくれ」
「はあ、分かりました」
無茶振りしてくるな、と思いながら重秀は戦利品とされた者達を見渡した。そのほとんどが俯いていて表情がよく分からなかった。恐らくこれから起きる己の待遇に絶望しているのだろう。
―――とりあえず、小谷城に移そう。いや、まずは、恐怖心を取り除いてやらないとな―――
生命の保証と住む場所の確保。まずはそこから始めようと思った重秀は、ある男と目が会った。全ての者が俯いている中で唯一顔を上げていた男は、顔に髭を蓄えてはいるものの、全体的にやせ細っており、まるで飢えた野武士のようであった。だが、その見た目に反して目には生きていく意思を伝えんと力強く光り輝いていた。重秀はその男の目をじっと見ていた。
「よし、こいつらは城の空いている蔵と地下牢に閉じ込めておけ。本丸御殿へ参るぞ」
秀吉の発言に我に返った重秀は、野武士風の男の目を気にしつつ、秀吉達と共に城の本丸御殿へと向かっていった。
長浜城の小広間。上段の間に秀吉が座り、それ以外がすべて下段の間に座ってまず行われたのが秀吉に対する戦勝の祝いであった。次に秀吉から今回の戦における恩賞が各家臣に目録として渡された。その中で一番の恩賞は、小一郎の山本山城城主就任であった。
「山本山城?・・・山本山城!?」
それを聞いた重秀を始め、留守番をしていた者達が一斉に驚きの声を上げた。
「待って下さい!山本山城は確か阿閉淡路守様(阿閉貞征のこと)の城!阿閉様はどうされたのですか!?」
重秀の言葉に秀吉がニヤリと笑いながら答える。
「阿閉殿は加増領地替えの上、長光寺城が与えられた。よって、北近江にある阿閉の知行地すべてが羽柴の物となったのじゃ。というわけで、阿閉が居た山本山城も我等の物となったのじゃ」
「儂は城はいらんと言ったのじゃがのう。兄者がどうしても、というんでのう」
小一郎が面倒くさそうな表情を浮かべながらそう言うと、秀吉が困ったような顔をした。
「しかしのう、俸禄は変わってないんじゃ。俸禄も増やそうと思ったら『儂より家臣にやってくれ』と言っておったからのう。せめて城だけでも持ってほしいんじゃ。それに、城持ちであれば、良き家から妻を持てるじゃろうて」
「兄者、儂は祝言を上げる気は・・・」
小一郎が困惑した表情を浮かべながら言うと、秀吉は大声を上げた。
「小一郎!お主が藤十郎に遠慮して子を成すどころか祝言すら上げないことは儂にも分かっておる!しかしな、お主が儂や藤十郎に代わって羽柴を乗っ取るなぞありえんと思っておる。それに、羽柴の先のことを考えてくれんか?藤十郎や藤十郎の息子が羽柴を継いだ時、力になれる親族が欲しい。その親族の筆頭が、小一郎の子や孫じゃ。頼む、藤十郎のために山本山城を貰ってくれ!」
若干論理が破綻しているように思えるが、秀吉が必死になって頭を下げるので、小一郎は首肯せざるを得なかった。
「分かった。だから頭を下げるな、兄者。ただ、祝言を上げる相手については儂が自ら探すから、それに口を出さないでくれれば、儂は兄者の言に従おう」
「おお!そうか!・・・ところで、その口ぶりからすると、妻のなり手に誰か目星のついているものがいるのか?」
秀吉が頭を上げながらそう聞くと、小一郎は明らかに動揺したような表情を浮かべながら答えた。
「い、いや、今はまだおらぬが・・・。し、しかし、この件については兄者の手を煩わしたくないんじゃ。ここは儂にすべて一任してくれんか?頼む!」
珍しく必死に懇願する小一郎に、秀吉だけではなく重秀や古参の家臣達も怪訝な表情を浮かべたが、あの真面目で誠実な小一郎のことである。間違いはないだろう、ということで小一郎の妻選びには口を出さないことを秀吉は約束した。
「しかし、あの阿閉殿がよく領地替えを承諾いたしましたな。それに長光寺城と言えば柴田修理亮様(柴田勝家のこと)の居城だったはず。柴田様はどこに国替でございまするか?」
広間にいた宮部継潤の質問に、秀吉の表情は曇った。継潤が何か変な事を聞いたのかと不安げな表情になるのを見た秀吉は、継潤だけではなく小広間にいるすべての者に聞こえるように言った。
「そうじゃな、此度の恩賞については織田家中の配置換えが色々影響を与えておる。この件では御屋形様もだいぶ頭を悩ませておったわ。そこで、これからお主らに越前で何があったか話しておこう。とはいえ、一部儂の記憶にないこともある故、それは儂や小一郎、半兵衛が又左衛門等から聞いた話で補強する。長い話になるから、心して聞くように」
―――記憶にない?どんな些細なことでも覚えている父上にしては珍しい物言いだな―――
重秀がそう思いながらも、重秀は秀吉の言葉に耳を傾けた。
時間は九月三日まで遡る。この日行われた論功行賞で、織田信長が柴田勝家に示した恩賞、『越前国八郡四十九万石またはお市の方』に対して、勝家は信長の予想に反してお市の方を選んだ。直後、信長は怒りだして太刀持ちの小姓から刀を奪って勝家に罵声を浴びせながら斬りかかろうとした。しかし、すぐに丹羽長秀と佐久間信盛に止められた。
一方、勝家はその場に座りながらも視線を信長から逸らさず、まるで敵将と一騎打ちをするがごとくの殺気を身にまとっていた、と前田利家が後で小一郎に語っていた。利家は佐々成政と共に勝家を別室に連れて行き、すぐに「お市の方様を諦めて、越前一国四十九万石を選ぶべきだ」と説得を始めた。これに対して、勝家は首を横に振ると、静かに言った。
「柴田家の存続を考えた場合、国持ちになるよりよりも御屋形様の縁者になりたい」
これを聞いた利家と成政は強く説得することはできなかったと言う。
柴田勝家は若い頃から信長の父信秀の家臣として織田弾正忠家を支えてきた。のちに信長の弟である織田信行の家老として仕えることとなった。
その信行を信秀の後継者として、信長に反旗を翻したのが勝家と林秀貞であった。稲生の戦いで勝家は信行軍の一員として信長と戦ったが、信長に敗れてしまった。その後は信行共々許され、その後は信長の忠臣として第二の人生を歩むこととなった。
再度謀反を起こそうとした信行を密告して信長に謀殺させたものの、尾張統一戦や桶狭間の戦い、美濃斎藤攻めでは勝家は意外にも用いられていない。つまり、それだけ信長に信用されていなかった。しかし、その後の上洛戦、畿内平定戦では最前線で戦い、武功を挙げ続けた。それ以降も信長の主要な戦いには必ず参加し、ただ信長のために戦い続けた。
しかし、勝家にはやはり不安があった。いくら武功を挙げたとは言え、一度は裏切った身、いつお家取り潰しになるかは分からない。しかも、滝川一益や明智光秀、そして木下(羽柴)秀吉といった外様や小身の者達がどんどん出世していくのを見ていれば、いづれ柴田家は不要の臣となるのではないか?潰しても惜しくない家、と信長に思われていないか?という不安があった。そんな不安を解消するには、主家である織田家と縁戚になるしかなかった。
そんな勝家には一つの希望があった。永禄十一年(1568年)に生まれた於国丸(のちの柴田勝敏)である。唯一の実子(ただし、養子という説が有力である)であり、将来的にこの子に織田家の姫を嫁がせれば、柴田家は安泰である、と勝家は考えていた。
ところが天正元年のある日、信長が秀吉に恩賞として妹君、お市の方を与えようとしたことが勝家にとってショックであった。秀吉がお市の方ではなく北近江3郡12万石を選んだから良かったものの、もし秀吉がお市の方を選べば、秀吉は信長の義弟になる。勝家は下賤の出身だと思っていた秀吉が、かつて仕えていた信行と同じ『信長のおとうと』になることに我慢ができなかった。
しかも、秀吉の実の息子の噂が耳に入ると、勝家は一層柴田家の将来に不安を感じるようになった。嫡男信重(織田信忠のこと)の小姓として気に入られ、信重から『重』の字を頂いたことから、どう考えても次期織田家当主の側には秀吉の息子が侍っている未来しか見えなかった。そして、その未来では於国丸は一体どうなっているのか?長篠の戦いの直前、紙早合の演武で見事な鉄砲の腕を見せた重秀の姿を見た勝家は、さらに未来への不安を募らせていった。
そして運命の九月三日、信長が本気なのか冗談なのかは分からなかったが、勝家にお市の方を選ばせようとした言質を、勝家は千載一遇のチャンスと思って見逃さなかったのだった。
さて、勝家が利家と成政に別室に連れて行かれた頃、北ノ庄城の広間で行われていた評定は想定外のトラブルにより中止となっていた。信長は別室に引き上げ、その後を長秀と信盛が後を追いかけていった。その他の者達は皆自陣に戻っていった。ただし、明智光秀だけは隣で卒倒していた秀吉を介抱していた。
別室に引き上げた信長は、長秀と信盛の説得を受けていた。二人共「権六(柴田勝家のこと)を咎めないで欲しい」とのことだった。ただし、長秀が「必ず説得し、翻意させる」と信長に言っていたのに対して、信盛は「権六の想いも汲んで欲しい」と言っており、必ずしも長秀と信盛との間に一致した意思はなかった。
最初は長秀と信盛が共に信長を説得していたものの、そのうちに長秀と信盛の考えの違いから二人の間で口論が始まってしまった。最後には信盛が信長と長秀を説得するような形となってしまった。
信長は自分の考えをまとめるべく、取り敢えず部屋から長秀と信盛を追い出した。そして信長の様子を見に来た長谷川秀一に、「部屋に誰も入れるな」と言うと、信長は一人考え出した。
即断即決の信長にしては珍しく、散々悩んでいたらしい。その後三日間は部屋から出てこなかった。もっとも、秀一曰く「小姓が運んだ食事はしっかりと摂っていらっしゃった」そうだが。
三日後、信長は再び家臣を北ノ庄城の広間に集めた。そして、改めて恩賞を申し伝えた。
まず、越前国8郡49万石と北ノ庄城は佐久間信盛に与えられた。その代わり、佐久間信盛が有していた近江の領地は召し上げられることとなった。そして、佐久間信盛の領地のうち、近江の栗太郡と野洲郡、そして佐久間信盛の居城であった永原城は柴田勝家へ、滋賀郡の佐久間領は明智光秀への加増となった。越前国のうち、越前府中城と南仲条郡と今立郡の合計10万石が前田利家、佐々成政、不破光治ら三人に与えられると同時に信盛の与力とされた。さらに大野郡のうち3万石を金森長近が、同じく大野郡のうち2万石が原長頼に与えられ、同じく信盛の与力となった。そして秀吉には勝家の城であった長光寺城と近江国蒲生郡の一部が与えられることとなった。
そして最後に、お市の方の柴田勝家への輿入れが発表された。その瞬間、秀吉は卒倒しそうになりながらも、何とか自我を保ちつつ評定を乗り切った。もっとも、自陣に戻った後に二日ほど寝込んでしまったが。
「・・・では、お市の方様は柴田様の妻になられたのですか」
重秀の言葉に、秀吉は涙ぐみながら答える。
「・・・すまぬ、藤十郎。お主の母と妹達を柴田の爺に寝取られた」
「兄者、言い方が酷すぎるぞ。だいたい、柴田様は娘達に手を出さんじゃろ」
小一郎が思わず声に出したが、秀吉はそれを無視して話を続ける。
「とは言え、儂も柴田殿の気持ちは分からんでもないのじゃ。柴田殿は一度裏切っておるし、正妻とその間に生まれた子は皆夭逝しておる。尾張最大派閥の佐久間一門と縁戚は結んでおるが、それ以外とはあまり結んでおらぬ。柴田家の立場はそれほど強くはないのやもしれぬ。主家の織田家と縁戚関係を結びたいと思うのは、儂と同じなのかも知れないのう」
しみじみという秀吉に、重秀は「そういうものでございますか」と首を傾げて言った。
「・・・柴田様が長光寺城を出られた理由は分かりましたが、その長光寺城を阿閉殿に与えられた理由が分かりませぬが」
宮部継潤の質問に、秀吉は思い出したかのような表情を浮かべながら答える。
「ああ、儂が御屋形様に進言したのよ。『それがしに頂いた長光寺城、阿閉殿にお譲りしとうございまする』とな。すでに儂と阿閉とは領地で揉めとることは知っておられたから、二つ返事で認めてくれたわ」
「それは考えましたな。しかし、長光寺城を含めた柴田様の領地は阿閉殿の領地よりも広くありませんでしたか?」
継潤の疑問に秀吉がまた答える。
「ああ、その辺は御屋形様が調整されておる。一部であるが、蒲生殿にも与えられるから阿閉の奴が大身になることはないだろう。儂としては加増が減るが、揉め事も減るなら願ってもないことじゃ。ついでに言うと、これによって阿閉は儂の与力から外れる。もうあいつの顔を見なくて良いのじゃ!」
お市の方が勝家に嫁ぐと話した時と違い、秀吉は晴れ晴れとした表情でそう言った。秀吉の話はまだ続く。
「んで、加増が少なくなった儂を御屋形様は哀れんでくれてのう。これを貰った」
秀吉はそう言うと、後ろに置いてあった木の箱を皆に見せた。
「御屋形様から拝領した茶碗よ。元々柴田様に与えられる予定であったが、お市の方様を選んだ柴田殿ではなく儂に下されたのよ。藤十郎、この茶碗がなにか分かるか?」
そう言って秀吉は重秀に木の箱を渡した。秀重は慎重に木の箱から茶碗を取り出し、確認した。そして見ていくうちに重秀の顔に興奮の表情が浮かんだ。
「・・・凄い。ここまで教えられた通りの特徴を持った井戸茶碗を見るのは初めてです。淡い枇杷色の中に青みがかっており、しかも高台のこの梅花皮、主張しすぎず、かといって目立たないというわけでもなく、絶妙に均衡が取れておりまする」
「ほう、さすがは宗易殿から茶を習っただけのことはあるのう。それは確かに井戸茶碗よ。御屋形様は『柴田』と名付けられた。ま、名前は気に入らぬが、羽柴が『柴田』を支配しているようじゃから、悪くはないのう。ついでにこれで茶会を開く許可ももらえたわ」
「茶会もですか。これで羽柴殿は織田家で最初の茶会を許された武将と相成りましたな」
継潤の言葉に秀吉はニヤリと笑った。
「いづれ、宗易様を長浜へ招待し、堺や京、長浜の商人を集めて大々的に茶会を催そうぞ。その時は、御屋形様にも来ていただきたいものじゃ。そして、永原城(近江野洲郡にある城)に移った柴田殿に見せつけてやるんじゃ」




