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第5話 一豊と千代

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。

誤字脱字、誤解を招くような表現を指摘して頂きありがとうございました。


 永禄十三年(1570年)、9歳となった大松は、岐阜の木下屋敷で勉学に励んでいた。

 大松自体は岐阜に来た頃から何も変わっていないが、周りの環境に変化が訪れていた。


 永禄十一年(1568年)九月、それまで明智光秀を介して足利義昭と連絡をとっていた織田信長がついに上洛するために挙兵。同盟相手であった浅井長政、徳川家康の援軍とともに、上洛を妨害する南近江の大名、六角氏を攻めた。この時、六角氏は本拠地である観音寺城に本陣を置き、周りの支城に配下を置いて織田連合軍を迎え撃つ戦法をとった。この時、織田軍が最初に攻めるのは和田山城である、という予想を立てていたと思われる。

 ところが、織田軍主力は六角氏の立てた作戦の裏をかくようにして箕作(みつくり)城を攻めた。一応、和田山城を支援するために三千名の兵は入れていたのと、堅固な山城だったということで織田軍の迎撃には成功した。しかし、迎撃に成功した日の夜、木下秀吉率いる部隊が夜襲を決行。まさかの夜襲に驚いた六角軍は逃げ出し、箕作城は陥落した。

 防衛ラインを崩された六角軍は総崩れとなり、和田山城も城兵が逃亡したためあっさりと陥落。六角氏の当主、六角義治と父の六角義賢、弟の六角義定は観音寺城を捨てて近江国甲賀郡へと退いた。

 こうして上洛への道を作った織田信長は、南近江を領有化するとともに、当時畿内に勢力を誇っていた三好三人衆の軍勢を撃破していった。そして十月、足利義昭を室町幕府第15代征夷大将軍に就けることに成功した。

 さて、大松にとってこのときの影響は、周りの大人達が信長のことを『殿』ではなく『御屋形様』と呼び始めたこと、秀吉が武勲を立てたおかげで家禄が増えたこと、秀吉が京の奉行の一人になったことで、秀吉が岐阜の屋敷に中々戻らなくなった、ということであろう。子煩悩の秀吉のことであるので、ちょくちょく岐阜には戻っていたものの、やはり大松とのふれあいの時間は減ってしまった。


 永禄十二年(1569年)、織田信長は荒子城主である前田利久に対して、家督を前田利家に譲るよう命じている。なぜそういった命令を出したのかは不明であるが、一説では利久が病弱で武功を挙げられていないことが原因だとされている。

 利久の妻が前田家代々の家宝の引き渡しを拒否したり、城代であった奥村永福(おくむらながとみ)が城の明け渡しを拒否したりとトラブルがあったものの、前田利家が家督を継承し、荒子城主となった。なったはいいが、なった後もトラブルは続く。荒子城代として、前田領を統括していた奥村永福が出奔してしまい、領地の統治が覚束無くなってしまったのである。結局、前田城を本拠地とする前田本家の支援を受けることとなる。

 さて、この時点で大松に起きた影響といえば、前田利家一家の引っ越しであろう。つまり、幼馴染との別れである。岐阜の前田屋敷はそのまま前田利家が岐阜滞在の時に使うので、前田利家とはその後も会うことができたが、()()や犬千代、幸や蕭といった面々とは会えなくなってしまった。長年、兄弟姉妹としてともに育った犬千代、幸、蕭はもちろん、命の恩人とも言える前田の母上、()()とも会えなくなることに、大松は寂しさを感じた。


 永禄十三年(1570年)四月、元号が元亀となり元亀元年となった。ちょうど改元した直後に、大松は運命的な出会いをしている。





 五月に入り、そろそろ梅雨入りか?となったある朝。大松は日課となっている木刀の素振りを終えると、汗を拭いて身を整えた。そんな大松に一人の若侍が近づいてきた。


「若、朝早くからの鍛錬、お疲れ様でございました」


「甚兵衛殿、夜間のお勤めご苦労さまにございます」


 大松に声をかけてきた若侍は副田甚兵衛吉成。秀吉に仕える数少ない家臣の一人だ。残念ながらこの人の出生に関する資料は残っていないが、一応武家出身だったと言われている。

 現在、秀吉と小一郎は織田信長に従って若狭国へ軍勢を率いて出陣している。蜂須賀正勝、前野長康、竹中重治、杉原家次、杉原家定、浅野長吉らも秀吉に従っているため、現在、岐阜屋敷に残っている武士は吉成だけである。


「若、もうすぐ朝餉の準備が終わりまする。どうぞ居間へ」


「分かりました」


 吉成はこの木下屋敷で、大松を主君の子としてちゃんと立ててくれていた。大松はそれに応えようと、子供ながらにしっかりとしたもの言いで答えた。背筋も伸ばし、前をしっかりと見て居間へと進む。秀吉も小一郎もいない今の木下屋敷で、大松は屋敷を預かる主君代理なのだ。気を引き締めていこう、と大松は思っていた。しかし、居間の障子を開けた瞬間、その思いはどこかへ飛んでいってしまった。

 居間に入ると、そこには一人の女性が上半身裸となっており、乳房の片方づつに赤ん坊が吸い付いていた。吉成が思わず目をそらす。


「・・・伯母上、居間でそういう格好をなされないで下さい。小一郎叔父上から見苦しいときつく言われたではありませんか」


「な~に言っとるね。親が子に乳さあげるのに、見苦しいもなにもないぎゃ。治兵衛と小吉がお腹空かして泣いとるんやぞ。ほっといたらかわいそうだね」


 大松の抗議に対して、女性はそう反論した後、「お〜、よしよし」と言いながら赤ん坊たちに乳を与え続けていた。

 彼女の名は()()。秀吉、小一郎、()()の姉に当たる人物である。つまり、大松から見れば伯母にあたる。そして、彼女の乳に吸い付いている赤ん坊こそ、彼女の子である治兵衛(後の三好秀次)と小吉(後の豊臣秀勝)である。

 大松は溜息をつくと、居間にある()()の位牌に手を合わせ、居間の上座に座った。ちょうどその時に乳やりが終わったので、()()は着物を着直すと、居間の外にいた吉成に声をかけた。


「すんませんねぇ。今終わりましたよ」


 その声を聞いて吉成が居間へと入ってくる。立膝をついて障子を開け、入ってきて障子を閉めると立膝から立ち上がって居間の下座に着座した。ちゃんとした作法に大松は一種の清涼感を感じていた。


「そういえば、伯父上は?」


「弥助なら馬小屋いっとるぎゃ。もうすぐこっち来るんでねえか?」


 ()()の言った直後、バタバタと足音を立てながら、一人の男性が居間へと駆け込んできた。


「いや〜、すんません。馬小屋の軒が壊れてたもんで、直すのに時間食いやした」


「あんたぁ、それなら飯食ってからでええね。みんな腹空かしてるね、さっさと来んといけん」


()()よ〜。そういう訳にもいかんぎゃ。せっかく殿さん(秀吉のこと)に拾ってもろうたんじゃ。少しでもお役に立てないかんぎゃ」


 そう言って()()の隣りに座った男性の名は弥助。()()の夫である。元は馬貸しの百姓だったのだが、秀吉の姉の()()と結婚したのが縁で今は木下家の馬丁を務めている。

 秀吉と小一郎と違い、未だ武士となっていない。なっていないが真面目な性分なのか、馬を大切にしており、また大松を甥としてではなく主君の子として立ててくれているため、大松は弥助のことを好ましく思っていた。


「・・・みなさん、ご飯ですよ・・・」


 弥助が座ったところに、ちょうど叔母の()()が侍女たちとともに朝ご飯を持ってきた。この頃には木下家でも侍女や奉公人を数名雇っている。そのため、大松が家事仕事をすることがなくなっていた。もっとも、空いた時間は勉学に費やされるのだが。





 朝飯も終わり、寺へ向かう準備をしていた大松。その大松の部屋に、吉成が慌てやってきた。


「若!大変です!」


「甚兵衛殿、長屋に帰られたのでは?」


「帰ろうと門に出たところ、数人の男女が門先で行き倒れておりまする!」


「ええっ!?」


 甚兵衛の先導で門先に行くと、吉成が言ったとおり、男性三人、女性一人が門の前で倒れているか座り込んでいた。服装はとても汚いものの、ひと目で武士が身につけているような着物であることが分かった。また、男たちが腰に二本の大小の刀を身に着けていた。そして、その中の一人、決して身長は高くないが、体つきのガッシリとした若い男の手には、長い槍がしっかりと握られていた。


「甚兵衛殿、伯父上やおば上達、屋敷にいる者すべてを呼んで下さい!」


 大松は甚兵衛にそう言うと、取り敢えず近くで倒れていた、老けている男性に駆け寄った。見たところ、怪我はなさそうだ。


「しっかりなさいませ!いかがされましたか!?」


 大松が老けた男性を揺さぶると、目を開けて話し始めた。


「・・・それがしより、殿と奥方様を・・・」


 そう言って老けた男性はある方向に指を差した。そこには、長い槍を持った若い男性が倒れており、そのそばで小柄な女性が座り込んでいた。

 大松はまずは女性に近寄ると、声をかけた。


「いかがなされましたか?」


「私より、夫を・・・。もう何日も食べておりません故・・・」


 大松の問いかけに、女性は弱々しながらも聞き取りやすい声で返事をした。


 遠国よりの流れ者かな?と思いながらも大松は若い男性に近寄った。


「もし、お気を確かに」


 男からは反応がなかった。その代わり、お腹のあたりから大きな音がなっているのが聞こえた。

 この頃になると、木下屋敷から吉成や弥助、おば達などが出てきて、行き倒れてた人を次々と屋敷に担ぎ込んでいっていた。





 木下家では毎朝、麦飯を大量に炊くことになっている。無論、朝飯時に食べるのであるが、余った麦飯はお櫃に移して晩飯に回したり(晩飯時には湯漬けにして食べる)、日中に庭で干飯(ご飯を乾燥させた保存食。陣中食でもある)にして保存したりしている。

 そして今、居間で干飯にしようとしていた麦飯を、さっきまで門先で行き倒れていた四人が、一心不乱で口にかき込んでいた。大松を始め、木下家の面々は只々唖然としてその様子を見ていた。

 結局、干飯どころか今日の晩飯の分の麦飯すら平らげてしまった四人は、一息つくと一斉に頭を下げた。そして、若い男性が話し始めた。


「いや、かたじけない。ここ数日水しか口にしていなくて、ついついお見苦しいところをお見せ致しました」


「いえ、お気になさらず。私は木下藤吉郎が息、木下大松と申します。どこぞのお武家様とお見受けいたしまするが」


「おお!ここは木下屋敷でございましたか!いや、失礼。それがし名を山内伊右衛門一豊と申すもので、織田伊勢守に仕えし山内猪之助盛豊の息でございまする。側に侍るは妻の千代と、家臣の祖父江勘左衛門に五藤吉兵衛にございまする」


「千代です。助けて頂きありがとうございまする」


「祖父江勘左衛門にございまする」


「五藤吉兵衛為浄(ためきよ)にございまする」


 一豊の紹介でそれぞれが頭を下げながら、自己紹介をしていった。


「それで・・・、ここが木下屋敷だと知ってだいぶ喜んでおられましたが、何か当家にご用向が?」


 大松が当主のようなことを聞いた。まあ、秀吉と小一郎がいない間、大松が当主代理なのだから間違ってはいない。一豊もその点は心得ていたらしく、大松に対して礼を失するような態度は取らなかった。


「は、実は・・・」


 一豊の話はこうだ。元々山内家は岩倉織田氏に使える家老の家柄であった。岩倉織田氏(または織田伊勢守家)とは、清洲織田氏(または織田大和守家)と同じ尾張国守護代(守護の下に置かれた役職。現代で言う副知事みたいなもの)を代々務める家柄である。ただ、織田信長(信長は清洲織田氏の家老であった織田弾正忠家の出身)による尾張国統一戦争にて敗北し、織田伊勢守家の家老であった山内盛豊が戦死してしまった。

 父と兄が戦死したことで、一豊は山内家を継ぐのであるが、主家が滅ぼされてしまったので一族が離散。長い間、他家を転々としていたらしい。その中には、秀吉の与力となった前野長康にも仕えたことがあったとか。その後は近江の国人、山岡景隆に仕えていたものの、景隆が永禄十一年の信長による六角討伐に巻き込まれて大和国へ逃亡してしまったため、牢人(主家から離れた侍のこと)となって岐阜まで来たらしい。


「前に世話になった前野様が木下様の与力になったということで、その伝手を頼って、木下様の配下に加えていただきたく、近江より参上した次第にございまする」


 一豊の説明を聞いた大松は「そうですか・・・」というと、右手の拳を口に当てながら首を傾げる。


「・・・すでにお気づきかと思いまするが、我が父藤吉郎は現在、御屋形様の若狭国遠征に従っており、この屋敷にはおりませぬ」


 大松は現在、若狭国守護である武田元明が、越前の朝倉義景によって拉致監禁され、若狭国が不当に朝倉義景によって占拠されているため、公方様(足利義昭のこと)の命に従って、御屋形様は三河守様(徳川家康のこと)とともに若狭国へ遠征に行っている。父秀吉はそれに従っている、と一豊に説明した。

 大松は知らなかったが、実際は信長の軍勢は若狭国ではなく越前国を攻めていた。これは、武田元明が越前の一乗谷にいるので、それを解放するため、もしくは若狭国へ越前国から朝倉軍が移動しようとしていたため、これを攻撃するために越前国へ攻めたものと思われる。


「・・・なので、父がお戻りになるのがいつ頃になるのか、私にも分からないのです」


 申し訳無さそうに大松が言うと、一豊と勘左衛門、為浄は露骨に残念そうな顔をした。


「・・・いかがなされまするか、殿。もう路銀は底を突きつつありまするぞ」


「やはり、弾正忠様(織田信長のこと)のお慈悲にすがるしかないか・・・」


「殿!信長は先代の仇ですぞ!百姓上がりの木下に仕えるのも苦痛なのに、仇の直参になるのは・・・!」


 大松の目の前で一豊主従は言い争いを始めた。困惑した顔を浮かべる大松を見た千代が、一豊達に言った。


「お前様、大松様が困っておりまする。それに吉兵衛殿、木下家の飯を食っておきながら、そのようなもの言い、山内家は恩を仇で返すのかと人々に後ろ指を指されまする」


 凛とした千代のもの言いに、一豊主従はハッと我に返り、大松に「申し訳ありません」と頭を下げた。大松が何かを言おうとした時、外から馬のいななき―――それも複数頭の馬のいななきが聞こえてきた。


「何事か!?さては織田が我らを討ちに来たか!?」


「それはないと思いますよ」


 為浄が立ち上がって叫んだが、それを大松が冷静な声で否定した。


「・・・何故そう思う?」


 為浄の疑問に大松が答える。


「皆様をこの屋敷に入れた時、確かに周りには人の往来がございました。しかし、その時は皆様が山内の方々とは誰も口にしておりませんでした。また、皆様が山内の方々だと知っている方は大体織田家の重臣でしょう。重臣の方々は御屋形様とともに若狭国へ行っておりまする。更に・・・」


 大松はここで発言を躊躇したが、意を決して話を続けた。


「・・・この岐阜には連日、近隣は元より遠国より仕官を望む牢人が多く入ってきております。中には路銀が尽きたのか、野宿したり飢えて倒れたりする牢人がそこかしこにおりますれば、例え織田伊勢守様の御家老の家の方が行き倒れても、織田家中や岐阜城下の方々はいつもの事だと誰も気にしないかと・・・」


 織田家と岐阜の民は山内家なんぞ眼中にねーよ、と聞き取れる大松の発言に、為浄どころか一豊や勘左衛門が色めき立った。そんな中、千代が感心したような声を出した。


「大松様は頭がよろしいですね。そこにお気づきになられるとは」


 千代の場違いな褒め言葉に大松を含め、全ての男たちの肩の力が抜けた。そんな事になっている居間に、ドスンドスンという重い足音と、ガシャンガシャンという鎧の金属部分がぶつかり合う音が近づいてきた。そして、居間の障子が開けられると、そこには当世具足を身に着けた大男が立っていた。それは前田利家だった。利家の背後には村井長頼も立っていた。


「大松!・・・って、なんだ客人か?」


「前田の父上!?若狭国からいつお戻りに!?」


「ついさっきだ。っていうか、こいつらは何者だ?」


「・・・門先で行き倒れていた牢人たちです」


 大松の答えに少し黙り込む利家。一通り一豊達を見渡すと、一豊に目をつけた。


「・・・荒子城主、前田又左衛門だ。貴殿の名は?」


「・・・山内伊右衛門」


「・・・山内但馬守(山内盛豊のこと)の息子か。何故ここにいる?」


 利家の目から殺気が溢れ出す。一豊はその目から目を離さずに答えた。


「・・・木下藤吉郎殿にお仕えしたく」


 一豊がそう言ってから、しばしの沈黙が居間を支配した。そして、最初に口を開いたのは利家だった。


「・・・すまぬが日を改めてくれぬか。大松に大事な話がある」


「・・・承知致しました。それがし達はこれにて」


 利家の尋常ならざる気配を察知したのか、一豊が立ち上がる。勘左衛門や為浄も立ち上がり、千代も遅れて立ち上がった。


「お待ち下さい。路銀がないと申されてましたが、行く当てがあるのですか?」


 大松が一豊に聞いた。


「・・・隣りにある我が屋敷にて待たれるがよい。路銀については、後で相談に乗ろう。又兵衛、案内いたせ」


 利家の言葉に長頼が「はっ」と返事をすると、一豊達を促した。一豊達が居間から出ていくと、利家は大松に深刻そうな顔で言った。


「家人をすべて客間に集めよ。大事な話がある」

注釈

山内一豊の妻の名前については、千代の他に、まつという説もある。しかし、前田利家の正室であるまつと区別するため、この小説では千代とする。

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[良い点] 燕雀いずくんぞ、、な十八史略は入ってきてないんかな。 うんたら種あらんやも。たまらん。高校時代よんで痺れたなあ。
[良い点] 面白い! [気になる点] 山内と大松の今後の進展ってあるのかな〜 [一言] 一週間に一回の更新が待ち遠しい
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