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第58話 越前一向一揆

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 天正三年(1575年)八月十四日、織田信長率いる織田軍三万強は越前国の金ヶ崎城に入城した。織田軍には羽柴秀吉・小一郎長秀兄弟はもちろん、佐久間信盛、柴田勝家、滝川一益、明智光秀、丹羽長秀、前田利家・利勝親子、佐々成政、不破光治・不破直光親子、阿閉貞征(さだゆき)貞大(さだひろ)親子などなどが参加していた。ちなみに今回の戦は津田信澄も養父である磯野員昌(かずまさ)と共に参加しており、これが初陣となっていた。

 また、若狭からは若狭国と丹後国から参加してきた水軍が敦賀湊に集結。その中には少数であるが前野長康率いる羽柴水軍が含まれていた。


「明日、八月十五日を持って越前へ攻め込む!すでに越前の一向門徒は四分五裂となっており、もはや我等の敵ではない!勝って当然の戦ぞ!皆の奮闘を期待する!なお、一向門徒は根切りといたせ!また、乱妨取りも許すぞ!」


 金ヶ崎城内で開かれた軍議で、信長がそう叫ぶと諸将の間に驚きの声が広がった。というのも、織田軍では基本的に乱妨取りを禁止していたからである。

 乱妨取りというのはぶっちゃけて言えば戦に伴う略奪である。その対象は敵領内の財物だけではなく、領民そのものも含まれている。


「恐れながら、お尋ねしたき儀がございまするが・・・」


 柴田勝家がおずおずと信長に聞いてきた。


「なんだ?権六?」


 信長が勝家の方を見る。


「あの、我が軍では乱妨取りは禁制とされておりまする。それは、新しく治めた領地が荒れ果て、土地を耕す百姓がいなくなるのを防ぐためと御屋形様から伺っておりまする」


「で、あるな」


「では、今回に限って、何故乱取りを許されまするか?」


「ふむ、権六よ。良き質問ぞ。猿、(うぬ)が答えよ」


「ははっ」


 信長の指名を受けた秀吉が話し始めた。


「すでに皆様御存知かと思われまするが、越前の一向門徒共は内紛で四分五裂しておりまする。これは加賀や石山本願寺から派遣された坊官が越前に圧政を敷いており、地元の百姓や地侍、他の宗門徒が反旗を翻したからでございまする。そして、羽柴はこれら反本願寺勢を取り込んでおりまする。実際、この金ヶ崎城には反本願寺派の者共が兵を率いて集結しておりまする」


 秀吉がそこまで言うと、勝家が「それぐらいは知っている」と憮然と言ってきた。予想通りの反応に秀吉は苦笑しつつ、話を進めた。


「また、我等にすでに降っている村々には、我等が乱妨取りしないよう取り決めておりまする。後で皆様にはその村々をお教えいたしまする。というわけで、すでに越前を攻めた後にはすぐに復興できるだけの人と村々の物資は確保しております故、今回は御屋形様も乱妨取りを認められたのでございまする」


「とはいえ、一向門徒を乱妨取りしても自らの領内に取り込むようなものだし、売り飛ばそうにも買い手は石山本願寺よ。後々面倒なことになる故、扱いが手に余るという者は根切りを選ぶが良いかも知れぬな」


 秀吉の解説を聞いていた信長が、なぜか秀吉の方へ冷たい視線を向けながら諸将に言った。


「さて、なにか質問や意見はないか?なければ解散とする」


 信長がそう言うが、諸将からは特に何も出なかったので、軍議は解散となった。





 八月十五日、織田軍はすでに織田軍に寝返っていた越前の反本願寺派を先頭に、越前国に侵攻を始めた。雨風が強い日であったものの、主力の陸上兵力はもちろん、水軍も雨風をもろともせずに侵攻を始めたのであった。


 その報せは、すぐに長浜城の重秀にも伝えられた。


「父上達が明智様と共に越前に入ったらしい。今頃は海岸沿いの砦を水軍や明智勢と共に攻めているだろう」


 二の丸御殿の広間の上段の間に座っていた重秀が下段に座っている留守番組(浅野長吉、木下家定、石田正澄、加藤教明・孫六親子、大谷桂松、木下弥助、副田吉成など)に伝令から聞いた話を伝えた。

 重秀が落ち着いた口調で話しをしているのを聞いた長吉が、重秀に話しかけた。


「今日は随分と落ち着いているな。殿が出陣する直前まで荒れていたのに」


 長吉の言葉に重秀が諦めたような表情を浮かべた。


「浅野の叔父上、決まってしまった以上は致し方ありませぬ。それに、与えられた務めを果たさなければなりません」


 重秀の仕事は多い。長浜城の城代として城主たる秀吉の仕事をしなければならない。とは言え、大体の仕事は出陣前にほぼ終わらせているため、あとは書類の決裁だけを重秀がやるだけである。家定の補佐を受けながら、膨大な書類の決済は一日仕事で済むようなものではなかった。

 また、重秀そのものの仕事も多くあった。蚕や牛、安宅船の建造、フスタ船の解析、桐油の増産、さらには紙早合の増産と改良も押し付けられていた。特に蚕は晩秋蚕の飼育が始まっており、今年の春とは違って大量に孵化した蚕の幼虫の世話と管理に明け暮れていた。

 養蚕は小谷城跡に建てられた牛舎や養蚕小屋を中心に開始していた。また近隣の農家にも蚕種(蚕の卵を産ませた紙のこと)が売られていた。さらに、城内で専用の蚕小屋を作り、侍女や希望する家臣の妻や娘に蚕飼育の指導も行っていた。

 また、堺の薬問屋である小西隆佐の代理の者が長浜にやってきて、生薬となる蚕の糞や脱皮殻、白カビに冒された蚕の幼虫の死骸を買い取りに来ていた。重秀はこれらの代理の者に対しても接待をしなければならなかった。


 さらに、今回の越前攻めでは長浜城と小谷城跡は織田軍の兵站基地として機能していた。小谷城にある牛舎に牛を移すなと秀吉が命じたのは、牛舎を武器庫や弾薬庫として使うためであった。ちなみに兵糧は長浜城に集中させているが、これは水運を使って兵糧を運ぶための他に、養蚕小屋の一階は倉庫や桑の一時保管場所となっており、一階部分に兵糧を入れては蚕の天敵であるネズミを呼び寄せることになるため、それを防ぐための処置である。

 この兵糧や武器弾薬を羽柴領内で滞りなく輸送、管理するのが重秀の仕事である。有り難いことに金ケ崎城には『名人久太郎』こと堀秀政が越前内での兵站管理を行っており、重秀のことを知る秀政は重秀に分かりやすい指示を送ってきてくれていた。また、羽柴領内での兵站管理の実質的な管理は、これまた優秀な宮部継潤が行なっていた。重秀は継潤に秀政の言葉を伝えるだけで兵站管理は滞りなく行われていた。


「我等も輜重(兵糧や武器弾薬、その他軍需品の総称)の管理は行なっているが、宮部勢がいるおかげで輜重の運搬等に支障は出てきていない。まったく、宮部殿がいなければ、どうなっていたことやら」


 家定がそう言うと、長吉が苦笑しながら話を続けた。


「あそこには田中久兵衛(田中宗政のこと)という優秀な家臣がいるからな。しかし、宮部殿は何故か朝餉の時にしか長浜城に顔を出さないな。藤十郎も朝飯をあのいかつい坊主と一緒に食べるのは嫌だろうに」


 長吉がそう言うと、重秀は笑いながら答えた。


「しかし、堀様の指示を伝えればすぐに対処していただけますし、あの方の戦話や説法はなかなか面白いですよ。善祥坊殿と一緒に朝餉を取るのは悪くないです」


 その後、細かい話が行われた後、重秀達は自分たちの仕事をするべく解散した。





 八月十六日、織田軍が越前に雪崩込んだ次の日にはすでに一向一揆勢は総崩れとなっていた。七里頼周、下間頼照・頼俊親子ら本願寺の坊官らは逃亡(そのうち下間親子はすぐに捕まって首を刎ねられている)、加賀から来ていた杉浦玄任は戦死するなど、一揆の指導者達がいなくなり、しかもこれらの下で働いていた国衆達も一揆勢から寝返っていった。とはいえ、寝返ったからといって許される訳もなく、信長の前で自害させられたり首を刎ねられたりしていた。

 そんな中、一揆勢の百姓達は、山の中に逃げていったが、信長の「山林をくまなく探し、見つけ次第男女構わず斬り捨てよ」という命令のせいで次々と殺されていった。討ち死にするのはまだマシな方で、織田軍に捕った者は大体斬首か磔か釜茹でで命を落としていった。特に前田利家率いる前田勢は二十日に一揆勢1千人を討ち、生け捕りにした百人ほどを斬首している。また、乱妨取りの対象として捕まった者も多くいた。


「・・・父上はこうなることを知ってて私を留守居役にしたのか・・・?」


 秀吉からの手紙を読みながら、重秀は二の丸御殿の自分の部屋で一人呟いた。手紙には、根切りや乱妨取りについて、淡々と事実のみが書かれていた。しかし、その無機質な書き方がかえって凄惨さを際立たせていた。

 重秀も伊勢長島の一向一揆鎮圧戦に参加していた。直接百姓に手を下したことはないが、それでも砦が陥落した後の悲惨な状況を何度も見ていた。幼少の頃から死体や生首を見慣れていたとは言え、やはり大量殺戮のあった場所の雰囲気や臭いは、最初の頃は慣れていなかった。ひょっとしたら、今でも慣れていないかも知れない。そんな重秀を秀吉は見抜いていたのかも知れなかった。


「・・・俺は良いとして、市や虎、孫四は果たして大事無いのだろうか・・・?」


 重秀と違い、福島正則や加藤清正、前田利勝は越前攻めに従軍している。正則や清正は秀吉の配慮があるかも知れないが、利勝にその様な配慮をするような利家でないことは重秀も知っていた。重秀はこの時、親友であり、兄弟の様に育てられた幼馴染の身を案じていた。





 八月十八日、越前鳥羽城が陥落。さらには金森長近が大野郡にあった一揆勢の砦を次々と陥落させていった。結果、一揆勢の城や砦はほとんどが陥落した。そして九月二日、下間頼照の本陣として利用されてしまった事を理由に、豊原寺が焼き討ちにされたことをもって越前一向一揆は鎮圧された。

 この戦いで一向一揆勢は1万2千名を超える戦死者と3万〜4万人が乱妨取りの戦果として尾張や美濃に連れて行かれたとされている。


 九月三日、豊原寺が炎上したのを見届けた信長は、越前国足羽郡にある北ノ庄城(城と言ってもこの頃はまだ館のようなものであったが)に逗留していた。そして評定を開くべく、すべての諸将を集めていた。


「筑前殿、此度は骨折りでございましたな」


 先に広間に来て座っていた秀吉の隣に、明智光秀が座りながら話しかけてきた。


「おお!これは明智殿・・・。いや、今は惟任(これとう)日向守殿でしたな。此度の戦では助けていただき、大変かたじけのうございました」


「いえいえ、こちらこそ羽柴勢の支援なくば、府中では二千余りの兵を残らず討ち取ることはできませんでした。厚く御礼申し上げまする」


 秀吉と光秀が互いに頭を下げ合うと、お互いに笑い出した。ひとしきり笑い終わると、光秀が秀吉に話しかけた。


「ときに筑前殿、此度はご子息は連れてきておられぬのですかな?」


「ああ、我が愚息には長浜の留守居を命じておりまする。そろそろ(まつりごと)や輜重の管理も学ばせたいと思いましてな」


「筑前殿のご子息は優秀で羨ましい限りでございますな。一度若江城でお目にかけましたが、立派な若武者でございました」


「あっはっは!礼儀作法にお詳しい日向殿にそう言われると、世辞と分かっていても照れまするな!しかし、我が愚息はまだまだ甘いところがございましてなぁ、修行が足りておりませぬで」


 重秀を褒められた秀吉は謙遜しつつも、嬉しくてしょうがない、という表情を顔に出していた。光秀がさらに話を進める。


「我が愚息も藤十郎殿のような立派な若武者になってくれればよいのですが・・・」


「確か、今年で七歳でしたか?我が愚息も七歳から寺で勉学を行なっておりましたな。そろそろ学問の師をお付けなされるのではありませぬか?」


「ええ、京から何人かは呼び寄せておりますが、如何せん座学は苦手なようでしてなぁ・・・。朝から外で木刀を振り回しております」


「あっはっはっ!それはそれは。案外猛将となれるやも知れませぬなぁ!」


 光秀と秀吉との間で父親同士の話をしている間にも、広間には多くの家臣が集まってきていた。そんな中、光秀がさっきとは打って変わって小声で秀吉に話しかけてきた。


「そう言えば、織田家中に流れている噂をご存知ですかな?」


「噂?もう色んな噂を聞いております故、噂と一口に言われましても」


 苦笑いする秀吉に、光秀はさらに小声で囁いた。


「御屋形様が、家臣から養女を取るべく調べているとか」


「・・・え?」


 織田家の中に独自の情報網を持つ秀吉ですら、その噂は初めて聞いたものであった。


「どうやらその養女をどこかの家中なり近隣の大名の妻として送り込むとの噂にございます」


 ―――ひょっとしたら、藤十郎の妻とするために養女を取ろうとしているのでは?とすると、御屋形様には実の娘がもういないのか、それとも祝言を挙げる歳にまだなっていないのか・・・?―――


 秀吉は光秀の言葉を聞いて考え込んだ。そんな秀吉に光秀がさらに囁いた。


「実は当家にも御屋形様の使者として万見殿(万見重元のこと)が来られましてな。娘について色々聞かれました。長女、次女はすでに婚姻していること、三女はすでに婚約者がいること、四女はまだ坂本にいることを伝えました。そこで筑前殿、それがしの四女を御屋形様の養女にし、羽柴家に・・・」


 光秀が言い続けようとしたが、側近である長谷川秀一が「御屋形様の御成りー!」と声を上げた。光秀と秀吉は会話を止めて平伏し、信長がやってくるのを待つことにした。





「一同大義!此度の戦で越前は再び織田のものとなった!これも皆の衆の働きのおかげよ!礼を言う!」


 広間の上段の間に座っている信長が少し高い声で大声を上げると、下段に座っている家臣はすべて「ははぁ!」と言って平伏した。


「さて、本来ならば恩賞は論功行賞をやってから渡すのであるが、今回は抜群の働きを行なった者がいた。権六!前へ!」


 信長に呼ばれた勝家が「ははぁ!」と大声を上げて答えると、信長の前面にまでやってくると、その場に座って深々と頭を下げた。


「権六!此度の越前攻めでは汝の軍勢が一番多くの一揆勢の首を挙げておったわ!また、鳥羽城攻めでは七兵衛(津田信澄のこと)の補佐に回っただけではなく、一番槍を譲るとは、正にあっぱれな振る舞いよ!また、長年の織田家への忠勤に対して、今こそ汝にデカい恩賞をくれてやるわ!」


 機嫌が良いのか、高い声でそう叫ぶ信長。続けて信長は勝家に言う。


「さて、お前のためにデカい恩賞を二つ用意した。一つだけ選べ」


 ―――あれ?どっかで聞いたぞ?御屋形様の言葉―――


 秀吉やその他数名の武将がそう思っていることも知らず、信長は話し続けた。


「一つは越前国のうち八郡を領地として認める。まとめて四十九万石。お前のものだ。ついでに北ノ庄城をくれてやる故、織田の権威を北国に示すよう、巨大な城として建て直す事を許す!」


 信長がそう声を上げた時、家臣の中から「おお・・・!」とどよめきが上がった。しかし、秀吉はそれどころではなかった。秀吉が気になったのはもう一つの恩賞であった。


 ―――お、御屋形様。まさかお市の方様を柴田殿に娶せるなどと申しますまいな!?柴田殿は五十代近く(柴田勝家の生年は諸説あり)。お市の方様は二十代後半ですぞ!親子ほどの差があるのですぞ!お、お止めくだされ!それだけは、それだけは・・・!―――


 秀吉の願いも虚しく、信長は秀吉が一番聞きたくない台詞を吐いた。


「さて、もう一つの恩賞は我が妹の市だ。権六、汝も正室を亡くしてもうだいぶ経つだろう?継室を持っても良いだろう。ま、猿めに聞いた以上、汝にも聞かなければ不公平というもの。とはいえ、汝のことだから・・・」


「お市の方様を頂きとうございまする」


 勝家がそう答えたが、信長の耳には入っていなかったようだ。


「うむ、そう言うと思った。では越前一国、しかと治め・・・、今なんて言った?」


「お市の方様を頂きとうございまする」


 信長はこの時、自分が聞き間違えたと思った。勝家はこの時平伏しており、あまり声が通っていなかった。そこで信長は、声が籠もってよく聞き取れなかったに違いない、と思ったのだ。いや、そう信じていた。なので信長は勝家に命じた。


「・・・権六、儂の顔を見てもう一度言ってみよ。なるべく、皆に聞こえるような大きな声で、な」


 鋭い目つきをしながら信長は低い声で勝家に言った。勝家は背を伸ばし、顔を上げて信長の目を見つめた。そして、万の軍勢に命じるが如く、大声を上げた。


「この柴田修理亮(しゅりのすけ)勝家、御屋形様の妹君、お市の方様を妻に頂きとうございまする!」


 勝家の大声に広間は一瞬だけ静かになり、その後で勝家の大声以上の大声が複数も広間に鳴り響いたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] やったぜ勝家 [一言] しかし本当に柴田が越前に入らん場合、誰が越前に入るのか・・・ この頃の織田で一国の采配を任せられるだけの人物と言えば柴田含めて数名ほどだが
[良い点] 勝家、漢だよ
[一言] 試す事をしたから…
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