第54話 長篠の戦い(その7)
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天正三年(1575年)五月二十日、武田勢が長篠城の包囲を解き、織田・徳川連合軍が築いた防衛ラインより2km先に布陣していることを知った信長は、先ずは敵の陣容をつぶさに物見させた。結果、およそ1万3千の兵がいることが分かった。さらに長篠城周辺を探らせたところ、長篠城の南東部あたりに武田方の砦が集中して築かれていることも分かった。
信長はさっそく織田・徳川連合軍の諸将を本陣のある極楽寺に集結させた。
「勝頼率いる武田勢がこちらに向かってきたのはまさに天が与え給うた好機である。これを機に、一気に討ち果たしてくれようぞ!」
夜の本陣にて、織田・徳川連合軍の諸将を前にそう獅子吼する信長であった。織田・徳川の諸将はそれを聞いて困惑の表情を浮かべた。あの武田相手にどうやって戦うのか、詳細を聞かされていないからだ。
「御屋形様、武田を討ち果たすのは願ってもいないこと。我ら一同この日のために研鑽を積んでまいりました。喜んで雌雄を決しまする。しかしながら、どの様に武田を討ち果たせばよろしいのでしょうか?」
佐久間信盛がそう聞くと、信長は信じられないようなものを見るかのように信盛を見つめた。
「右衛門尉(佐久間信盛のこと)、汝は今まで何をやっていたのだ?何を見ていたのだ?何のために馬防柵を築き、空堀を掘り、しかも土塁まで作ったのだ?そして我らは何故一千丁、いや二千丁近くまで鉄砲をかき集めたのだ?ここまで言ってもまだ分からぬか?」
信長の発言を聞いた信盛は、首を傾げると自信なさげに答えた。
「・・・馬防柵から鉄砲を撃って、突撃してくる武田勢を防ぐ?」
「なんだ、分かっているではないか」
信長は鼻を鳴らしながら言った。それに対して、今度は柴田勝家が発言した。
「御屋形様、恐れながらそれでは武田の騎馬武者を討ち果たすことは不可能ではございませぬか?騎馬武者が、馬防柵を迂回して背後に回る恐れがあるかと。特に武田は騎馬武者を集団で迂回させ、後方や側面を襲うことが多いと聞き及びまするが」
「分かっておるわ。だから汝と右衛門尉を馬防柵の北の端に陣取らせているのではないか。迂回させぬように気張れよ」
勝家が「承知致しました」と言うと、信長は家康の方に顔を向けた。
「三河殿には馬防柵の南端の防御をお願いしたい。あそこは連吾川と宮川に挟まれた小高い丘だったはず。三河殿の軍勢なら十分守れよう」
「承りました。大久保七郎右衛門(大久保忠世のこと)と弟の治右衛門(大久保忠佐のこと)の隊を置きまする。七郎右衛門、治右衛門、良いな?」
信長からの要請を受けた家康が、忠世と忠佐にそう尋ねると、二人揃って「承知!」と勢いよく答えた。
「しかし御屋形様。そう都合よく武田は馬防柵の前まで突撃してくれましょうや?」
そう疑問を呈したのは、丹羽長秀であった。
「一応、兵は隠しているし、勝頼もこちらの総兵力を少なく見積もっているはずだ。必ずや、敵はこちらに突撃してくる」
信長が自信ありげにそう言うと、諸将はお互いの顔を見合わせた。敵はそう都合よくこちらの思惑通りに動いてくれるであろうか?
「・・・恐れながら、参議様」
家康がおずおずと信長に声を掛けた。
「先日来た鳥居強右衛門の話では、長篠城の兵糧庫はすでに武田方により燃やされたとのこと。もはや設楽原にて悠長に敵を待ち構えている余裕は無いものと存じまするが」
「・・・で、あるか」
信長はそう言うと渋い顔をした。正直に言えば武田を討つことができれば長篠城はどうでも良いと思っていた。しかし、そうなると長篠城を見捨てたとして家康の国衆への立場が悪くなってしまう。そうなってしまえば徳川との同盟関係にひびが入る可能性が出てしまう。信長にしても、徳川との同盟はまだまだ大切にしていきたかった。
信長が黙っていると、徳川の重臣である酒井忠次が口を開いた。
「殿、それがしに策がございますが・・・」
さすがに参議たる信長に直接言うのを憚ったのか、忠次は自分の主君である家康に言った。家康は何も言わずに信長の方を見た。信長は少し考えた後、ゆっくりと首を縦に振った。
「小五郎(酒井忠次のこと)、申してみよ」
家康が忠次に発言を促すと、忠次は自分の意見を述べた。
「はっ、聞けば敵は長篠城周辺、特に南側の山に砦を築いてそこに二千の兵を置いているとか。そこで、別働隊を組織し、砦に対して夜襲を仕掛けて焼き払ってしまいましょう。そうすれば、敵は長篠城の攻略を諦め、我らへ決戦を仕掛けてくるものと思われまする」
忠次の言葉に家康が膝を打った。
「なるほど、それと敵の退路を断てることもできよう」
「御意にございまする。何卒、それがしに別働隊をおまかせくださいませ!」
忠次がそう答えると、家康は信長の方に視線を向けた。
「如何でございましょうか。ここは、この酒井の策を使ってみては?」
信長はそう言われると、両目を瞑って考え出した。そして両目を再び開くと、家康に答えた。
「却下する。その様な小細工をしなくても、武田は来る。きっと来る」
信長が低い声でそう言うと、家康は一瞬だけ失望の表情を浮かべた。しかし、すぐに表情を引き締めると、忠次に「参議様に従え」とだけ言った。忠次は「ははっ」と頭を下げた。
その後、軍議は細かい話をして終わった。諸将がこれから起こる武田との決戦に向けて、興奮と不安の混ざった表情を浮かべている中、秀吉だけが普段どおりの表情を顔に表していた。秀吉がさっさと自分の陣へと戻ろうとした時、信長から声を掛けられた。
「猿、五郎八(金森可近、のちの金森長近のこと)。お前らは残れ」
そう言われた秀吉は、再び自分の座っていた床几に座り直したのだった。
信長の本陣から諸将が自陣に帰った後、軍議の場に残っていたのは信長と秀吉と可近、そしておなじみの堀秀政であった。
「猿、陣はすでに出来ているな」
「はっ、ご命令通り、茶臼山に御屋形様の、その北にそれがしの陣を構築しておりまする」
秀吉の言った茶臼山とは、馬防柵のある設楽原から約1km西にある小高い山のことである。信長は決戦当日には極楽寺から茶臼山に移り、そこで指揮を執る予定であった。
一方、秀吉の陣は茶臼山より北、牛倉と呼ばれる地域で、山の中腹辺りに陣を構えていた。ちなみに馬防柵から約1.2km西にずれた場所である。
要するに秀吉の軍勢は主戦場である設楽原から外されていたのである。信長は秀吉の軍勢を予備として使う予定であった。別に予備軍は秀吉だけではない。織田信忠、北畠具豊(のちの織田信雄)が茶臼山の南西に陣取っていたし、徳川信康も茶臼山の南側に陣取っていた。これらも戦略予備として後方に置いたものと思われる。もっとも、息子や女婿を前線に出したくない信長の親心という側面もあるが。
信長にしてみれば本陣の北を守ることと、馬防柵の北側が突破されたときに備えて信頼できる秀吉を予備として手元に置いてみた形なのだが、秀吉やその部下にしてみれば、せっかく国友の鉄砲や紙早合を用意して前線で戦えると思っていたのに、前線から外され予備隊に回されたことに不満を持っていた。特に鉄砲隊を特別に組織していた蜂須賀正勝は、予備隊に回されたと知った瞬間に激怒し、極楽寺の信長の所へ直談判に行こうとして周りの者達に止められていた。
「で、あるか」
秀吉の報告に満足したかのように信長は頷いた。そして、信長は秀吉に話を続けた。
「ときに猿、そして五郎八。汝に命を下す」
信長の言葉に反応した秀吉達は、床几から立つと信長の前に行き、片膝をついて跪いた。
「酒井が先程申した別働隊。汝らに任せる」
「承りました。ですが、御屋形様にお願いしたき儀がございまする」
秀吉がそう言うと、信長が「申せ」と言った。秀吉が話を続ける。
「何卒、徳川家家臣、酒井左衛門尉様をお貸しくださりますよう、三河守様にご命令下さい」
秀吉の願いを聞いた信長の片眉が跳ね上がった。
「・・・猿よ。儂が酒井の策を却下した理由を分かっておらぬな?」
「理由でございまするか?はて、徳川方で武田に内通しているであろう家臣の目を欺くためでは?」
秀吉はそう答えた。とぼけているのか、それとも本気でそう思っているかは表情からは分からなかった。
「・・・それもあるが、真の目的はこの戦を織田の戦とするためよ。三河の連中に、手柄を立てさせとうない」
「はあ、なるほど」
信長の理由を聞いた秀吉が感心したように言うが、どことなく返事に重みがなかった。
「そういうことでしたら、羽柴筑前、謹んでお受けいたしまする。しかしながら御屋形様、猿めはここら辺の土地勘にはとんと疎く、どなたか道案内を頼みとうございまする。酒井左衛門尉様なら、東三河の国衆の取りまとめ役でございまするから、ここら辺の土地勘はございましょう。何卒、酒井様をお貸しくださいませ」
秀吉がそう言って頭を下げた。信長は可近に顔を向けた。
「五郎八、汝の意見は?」
「恐れながら申し上げまする。それがしもこの地には疎うございまする。道案内は必要かと」
可近からも同じ様に言われた言われた信長は、溜息をついてしばし考え込んだ。しばらく経って信長は口を開いた。
「やむを得ん、酒井に別働隊を任せる。五郎八は兵を率いて目付として酒井に同行せよ」
「承りました」
可近の返事を聞いた信長は、秀吉の方を見ると「手柄を立て損ねたな」と笑いながら言った。秀吉も笑いながら信長に言う。
「長篠で取り損ねた手柄は、越前にて倍にし申す」
「で、あるか」
信長が笑いながら答えると、秀政に家康と忠次を本陣に呼ぶように命じたのだった。
酒井忠次と金森可近が率いる別働隊四千名は真夜中に設楽原を出発すると、南側へ大きく迂回して長篠城を包囲している武田軍の背後に回った。そして第一目標を鳶ヶ巣山にある砦と定めると、天正三年(1575年)五月二十一日未明に奇襲を開始した。
長篠城の南側、鳶ヶ巣山の山頂付近にあった鳶ヶ巣山砦は、武田軍の長篠包囲陣の中では要となる砦であり、守将も武田勝頼の叔父に当たる河窪信実が務めていた。しかも、周辺には支援用の砦として中山砦、久間山砦、姥ケ懐砦、君が臥床砦が設置してあった。
しかし、織田・徳川連合軍が襲ってくるとは全く思っていなかったのか、鳶ヶ巣山砦と4つの支援砦は酒井勢の攻撃によりあっという間に陥落した。そして河窪信実を始め、武田方の有力な武将が戦死、混乱する武田勢に対して、酒井の奇襲を知った長篠城内の将兵が打って出た。結果、武田兵は勝頼のいる方面へ敗走した。
その後、忠次は各砦を燃やすと、長篠城へ入城。長篠城の将兵と合流したのだった。
一方、武田勝頼は早朝には長篠城が解放されたことを知ると、家臣たちを本陣に招集して今後の対応を話し合った。と言っても勝頼が取れる選択肢は多くない。長篠城の横を全力で駆け抜けて甲斐まで撤退するか、一か八かの賭けに出て設楽原の織田・徳川連合軍を討つか。
「撤退するにしても設楽原の織田勢や徳川勢を討っておかなければ、追撃を食らうのは必定。結局、設楽原での決戦は避けられない!」
勝頼はそう叫ぶと、重臣らの反対を押し切って織田・徳川連合軍と戦うことに決めたのだった。
武田勢は北に馬場信春、南に山県昌景、真ん中に一門(武田信廉、穴山信君など)を配置につけた。一方の織田・徳川連合軍は北に水野信元、佐久間信盛を配置。南には大久保忠世を中心とした大久保一門、そして真ん中には徳川家康を中心とした徳川家臣団(本多忠勝や鳥居元忠、石川数正など)が配置された。そして、酒井忠次が鳶ヶ巣山砦を奇襲している同時刻に、信長は本陣を茶臼山に移動させていた。
さて、秀吉であるが、すでに述べたように茶臼山の北、牛倉の山腹に陣を構えていた。そしてそこからは、設楽原の全てが見通せた。朝日が登るにつれて、両軍の陣営が明らかとなっていった。
「さて、若君。我らの出番が始まるまで、ここで戦の解説を致しとう存じます」
「・・・半兵衛殿は余裕がございますな」
秀吉の本陣にある物見櫓の上で、竹中重治が楽しげに言っている一方で、重秀は緊張気味に答えた。
「まあ、今回は我らは味方が崩れそうな所に兵を派遣するだけにございまする。殿や若君に出番はなさそうですな」
のんびりとした口調で話す重治。そんな重治を見て重秀は若干緊張がほぐれた。
「それでは、解説していきましょう。長篠城の方を御覧ください。空に黒き煙がたなびいておりまする。恐らく、武田方の砦が燃えているのでしょう」
「・・・確かにそんな煙でございまするが、何故燃えているのが武田の砦だと分かるのですか?」
重秀がそう聞くと、重治が微笑みながら答えた。
「殿から今日の未明に酒井殿の軍勢が長篠城周辺の武田方の砦を攻めると、さっき聞きました故。そして、それは御屋形様の狙いでもあります。では、御屋形様は何を狙って武田方の砦を攻めたのでしょうか?」
重治の問題に重秀が首を傾げながら答えた。
「えーっと、敵の退路を断つため・・・、だけじゃないな。あ、我らの目的は長篠城の救援ですから、まずは長篠城を解放し、我らの目的を達成するためでしょうか?」
「間違ってはいませぬが、正解とまでは言えませぬな。武田方の砦を燃やしたのは、武田に決戦を強要するためです」
そう言うと重治は重秀に解説をしていった。
すでに初陣を果たした重秀にとって戦場は初めてではない。しかし、初めての戦場では周りを見る余裕などなかった。しかし、今回の戦では羽柴の将として戦場の全体を見渡すところにいた。遠目で見える織田・徳川連合軍の将兵と、武田軍の将兵が、ちょこまかと動いているのを見ていると、まるで自分が戦場にいることを忘れてしまうような感覚であった。
「・・・将となると、戦場を頭に描き、頭で兵を動かしまする。しかし、実際にどの様に兵が動くかは、数多くの戦場に出なければ分かりませぬ。地形や気象、その他の事柄で兵の動きは遅くなったり早くなったり致します」
「・・・なるほど、勉強になります」
重治の言葉に我に返った重秀は、反射的にそう答えた。話は聞いていたが、少しボーッとしていたのだ。そしてそれを見逃す重治ではなかった。
「初めて戦場の全貌を見た故、気がそちらの方に向いていたのは致し方ありませぬが、それがしの話はちゃんと聞いていただきませぬと、困るのは若君ですぞ」
「も、申し訳ありませぬ」
重秀があわてて頭を下げると、重治は目尻を下げて語りかけてきた。
「若君、これから先、いろいろな戦場を見ることになりましょう。ですがこれだけは覚えていて下さい。あの先に小さく見える兵たちも、我らと同じ人なのだということを。将は得てして兵の命を軽んじてしまうものです。むろん、時には非情な決断をすることもありましょう。ですが、兵の犬死だけは避けて下さい。よろしいですね」
「はい」
重秀は重治の目を見ながらしっかりと返事をすると、視線を再び設楽原の方へと向けた。その時、重秀の耳にかすかながら太鼓を叩く音が聞こえた。重秀は思わず「太鼓?」と呟いてしまった。
「ああ、武田の御諏訪太鼓でしょう。武田信玄は太鼓衆という者達を使って太鼓を叩かせ、太鼓の奏でる音で軍勢を指揮したと言われてます。そろそろ武田の攻撃が始まりますよ」
重治の言葉の通り、太鼓が鳴り止むと、鬨の声が設楽原の方から聞こえてきたのだった。