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第53話 長篠の戦い(その6)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


とら姫について、誤字脱字報告をいただきました件につきましては、活動報告をご参照ください。


どうぞよろしくお願いいたします。

 信長からの下知が飛んだ後、織田・徳川連合軍の各部隊は一斉に各持ち場で馬防柵を組み立てては地面に突き刺していった。また、追加の命令として、馬防柵の東側に空堀を掘ることも命じられた。


「・・・あー、そういうことだったのね。分かる分かる」


「本当に分かっておりますか?若君」


 馬防柵の構築を指揮しながら、重秀はそう呟くと、隣で実質的な指揮をとっていた竹中重治に聞かれた。


「はい。『設楽原』は高低差のある地。しかも、南北に流れる小川が複数あります。故に西へ向かおうとする武田勢、特に武田の騎馬武者にとって、馬を消耗しやすい地となりましょう」


 日本在来馬は粗食で頑強というのが特徴であるが、そんな在来馬であっても、重い鎧武者を背に乗せながらアップダウンの激しい地面を全力で駆け抜けるのは難しい。特に、雨で泥濘(ぬかる)んだ地面では、馬の体力消耗はより激しくなるだろう。


「そして、動きにくいということならば人も同じ。これならばここで守りに徹することが・・・でき・・・る・・・?」


 重秀は自信たっぷりに言っていたが、言っていくうちに疑問が湧いてきた。はて、長篠城へ救援にいくべきなのに、何故その手前の設楽原で陣を構えて守りに入らなければならないのだろうか?

 重秀がそう思い重治に聞くと、重治は微笑みながら言った。


「よくぞ気付かれた。これこそが御屋形様の狙いです。御屋形様は、この設楽原にて武田勢を引き寄せるおつもりです」


「・・・武田はこちらに来ますでしょうか?」


 重秀がそう質問すると、重治はある部分を指差した。


「御覧下さい、若君。味方陣内にも高低差のある地は多く存在しております。これは何を意味するかお分かりですかな?」


 重秀は重治が指を指した所をじっと見たが、よく分からなかった。


「・・・よく、分かりません」


「若君、高低差の低い部分は今どう見えてますか?」


 重秀が正直に言うと、重治は優しい口調で重秀に聞いた。


「・・・低い部分は見えませぬが」


「そこに兵がいても、気が付きませぬね」


「はい・・・。え?ひょっとして、伏兵ですか?」


 重秀がそう言うと、重治は頷いた。


「いや、だったら馬防柵は必要ありませぬか?武田勢を馬防柵で防いだら、伏兵がいる所まで武田勢来ませんよ?」


 重秀はこの時、伏兵を『三国志』に出てくる使い方しか考えていなかった。即ち、敵の進路上に兵を伏せて、来たら奇襲をかけるという感じである。


「今回の場合、伏兵は予備兵力として使うことになります。そして、武田勢からは予備兵力は見えず、馬防柵付近の兵しか見えなくなります。さて、武田勢はどう思いますかな?」


 重治がまた聞いてきた。重秀が少し考えてから口を開いた。


「・・・我らの数を少なくみる・・・。ということは、少数の敵だからと言ってこちらに攻めかかる?」


「おっしゃるとおりです、若君。恐らくは御屋形様の狙いはそこかと」


 頷く重治に重秀は「ちょっと待って下さい」と慌てるように言った。


「我らの軍勢が三万を超えていることは、武田も知っているのではありませぬか?ここまで来るのに時間はかかっておりますし、三河に武田の間者はいるでしょう。長篠城への援軍が少ないって、思いますでしょうか?」


 重秀の疑問に対して、重治が答えようとした時だった。二人のもとに、伝令がやってきた。


「申し上げます。若君、竹中様、両名を殿がお呼びです」


「・・・相分かった。若君、話は後にしましょう」


 重治が伝令にそう伝えると、重秀を促しつつ歩き出した。重秀もつられるように歩き出したのだった。


 重秀が秀吉のもとに来ると、秀吉以外にも主だった家臣や与力が集まっていた。


「皆、急に呼び出してすまぬな。先程、御屋形様に呼び出されて本陣に行っとった。そこで、御屋形様より命を受けた。これは上意である。心して聞くように」


 秀吉がそう言うと姿勢を正したので、重秀達も姿勢を正した。その様子を見た秀吉が、ゆっくりと口を開き、信長からの命令を伝えた。

 信長の命令を聞いた後、一瞬だけ静まり返り、直後に「はあぁ〜!!」と驚愕の声が轟いた。





 次の日の五月十九日、昨日まで降っていた雨は上がり、視界が広く取れるようになった。そしてそれは、武田勢に織田・徳川連合軍の設置した馬防柵を認識されるということでもあった。

 早朝、連吾川の西岸に1里にも渡って設置された馬防柵を見つけた武田方の物見が、長篠城の北にある医王寺に駆け込んだ。ここには、武田勝頼の本陣が置かれていた。

 物見からの情報を得た勝頼は、すぐに長篠城を囲むように設置されている陣や砦から家臣を呼びつけると、早速軍議を開いた。


「設楽原の連吾川西岸に馬防柵、ですか?」


 勝頼からこう聞かされた馬場信春(信房とも言う)が首をかしげながら勝頼に聞いた。勝頼は「うむ」と言うと、話を続けた。


「いまさら言うまでもないが、織田の援軍が岡崎に入ったことは透破すっぱ(忍者のこと)からの報せで分かっている。ということは、馬防柵を作ったのは織田と徳川の軍勢だというのは言うまでもない」


「はぁ」


 勝頼が当たり前のことを今更のように言ってきたので、信春は思わず気の抜けた返事をしてしまった。それを勝頼の側近である跡部勝資あとべかつすけが咎める。


「美濃殿!(馬場信春のこと)御屋形様に対してその態度は如何なものか!」


「まあまあ、大炊殿(跡部勝資のこと)。今はそのようなことを行っている場合ではござらぬ。御屋形様の言うとおりならば、これは由々しき仕儀でござるぞ」


 内藤昌豊(昌秀とも言う)が勝資を宥めると、自らの考えを口にした。


「織田と徳川の軍勢が設楽原にまで来ているということは、我らの背後を突いて長篠城を助けるのであろう。ならば、これを迎え撃たなければならない。陣替えすべきと考えるが」


「そこまでしなくともよいだろう」


 昌豊の意見に、山形昌景が異を唱えた。昌景が話を続ける。


「どうせ長篠城は今日明日で落城よ。援軍など気にせず、そのまま落としてしまえばよかろう」


「それはちと無謀すぎる。援軍を無視するのはどうかと思うぞ」


 そう言って昌景の意見に異を唱えたのは、信春であった。


「・・・援軍の数はどのくらいであろうか?」


 それまで黙っていた勝頼が口を開いた。本陣にいた皆が一斉に勝頼の方を見る。勝頼はそのまま話を続けた。


「・・・なんだっけ、えーっと、三日前だか二日前だかに、俺との約束を破って長篠城に援軍が来ると叫んだ阿呆がいたろう」


「・・・鳥居強右衛門でございますか?」


 顔を(しか)めながら、昌景がそう答えた。自らの命を捨ててでも、仲間の城兵に「援軍が来る」と叫び、籠城下の城兵に希望をもたらした強右衛門を『阿呆』呼ばわりする勝頼に、昌景は内心反発していた。勇者を(さげす)むのは武士の取るべき態度ではない、と考えていたのだ。

 そんな昌景の態度に内心ムカつきながらも、勝頼は話を続けた。


「そう、そいつだ。まったく、俺が命を助けるだけではなく、家臣に取り立ててやろうと言ったのに、あの阿呆は一体何を・・・」


「その話、長くなります?さっさと軍議を進めていただきたいのですが」


 昌豊がそう言うと、勝頼は黙り込んでしまった。一度だけ昌豊を睨むと、溜息をついてから話し始めた。


「あの阿呆が長篠城に向かって『三万の援軍が来る!』と叫んでなかったっけ?」


 勝頼の言葉に、皆が黙ってしまった。当然である。勝頼が強右衛門に裏切りを強要し、長篠城に向かって「援軍は来ない!」と叫ばせようとした時、他の武将達は自分たちの持ち場について長篠城を包囲していたのだ。つまり、強右衛門の叫び声を近くで誰も聞いていなかったのだ。ただ、勝頼だけが本陣で強右衛門の叫び声を聞いていたのだった。


「大炊殿は聞いておられぬのか?」


 昌豊の言葉に勝資が首を横に振りながら言った。


「いいえ、その時それがしは別の任務で真田殿の陣におりました故」


 勝資がそう言うと、信春が「肝心なときに側にいないとは、役に立たん奴め・・・」と呟いた。勝資には聞き取れなかったが、信春が何か文句を言っていることは分かった。


「美濃殿、何かおっしゃったか?」


 勝資がそう言うと、信春は「いや、何も」と白を切った。勝資がさらに何か言おうと口を開いたが、昌豊がそれを止めた。


「大炊殿、それよりも今後のことを考えるべきであろう。御屋形様の言う通り、三万の援軍が設楽原にいるとなれば、それに対抗する策を講じるべきであろう」


「策なら簡単であろう。さっさと長篠城を落として、城を修繕して籠城すれば良い。さすれば敵は引き上げるだろう」


 昌景がそう言うと、「お待ち下さい」と声を上げたものがいた。去年、父である真田幸綱の死去に伴い、名実ともに真田家を継いだ真田信綱であった。信綱は昌景に言う。


「長篠城に一万以上の兵を入れるだけの余裕はございませぬぞ。それに、長篠城を攻めているうちに、敵の三万に背後を突かれては、我らは大損害を蒙りまする」


「左衛門尉(真田信綱のこと)の言うとおりじゃ。となると、我らが取れる策は二つ。敵の援軍を迎撃するか、長篠城を諦めて撤退するか」


 昌豊がそう言うと、勝資が「撤退はありえません!」と叫んだ。


「ここで長篠城を取れずに甲斐に引いては、もう長篠城を攻める機会はございませぬぞ!畿内を制した織田の力は侮れませぬ!」


 勝頼の元で外交や内政を担当していた勝資は、織田の経済力は武田のそれを遥かに上回っていることを知っていた。ここで撤退しても、再び長篠城を攻め時には、武田と織田との間に絶望的な兵力差が生じていることは火を見るより明らかであった。


「ここは織田と徳川の援軍を叩き、少しでも織田と徳川の力を削ぐべきです!撤退するならば、その後にするべきです!」


 勝資の発言に、本陣にいた諸将は顔を見合わせた。勝資の言っていることは戦略目標を長篠城から織田・徳川連合軍の殲滅への変更するものであった。急にそんな事を言われても困る、というのが諸将の本音であった。


「大炊殿、簡単に援軍を叩けと言うが、具体的にどう叩けと言うのか?」


 昌豊の質問に、勝資が胸を張って答える。


「こちらも馬防柵を張り巡らし、敵の援軍を迎撃する」


「阿呆か、お前は!今から馬防柵作って間に合うわけなかろう!しかも、周辺の木々は全て長篠城を包囲するための砦を築くのに使ってしまったわ!材料がなくてどうやって馬防柵を作れというのか!」


 信春がそう怒鳴ると、勝資が何かを言い返そうとしたが、勝頼が止める。


「やめよ。・・・実は俺には二つ疑問に思ったことがある」


 勝頼がそう言うと、信春と勝資が黙り込んだ。勝頼が話を続ける。


「一つはあの援軍が本当に三万も兵がいるのか?もう一つはあの援軍、誰が指揮しているのか?ということだ」


 勝頼の質問に、誰も答えることが出来なかった。少し経って、勝資が口を開いた。


「恐れながら、それがしは兵の数は三万より少なく、指揮を取っているのは三河の将・・・徳川家康と考えます」


「理由は?」


 勝頼の質問に、勝資が明瞭に解説した。勝資が手に入れた情報によれば、四月に信長が石山本願寺を攻めるべく10万の大軍勢を率いて摂津にいたこと。その後は京を経由して岐阜に戻っていることまでは分かっていた。恐らく、家康から援軍要請を受けての行動であろう。

 信長にとっての主敵は石山本願寺。そしてその石山本願寺を攻めるべく10万の大軍を摂津に貼り付けている以上、家康への援軍は少ないはず。また、三方ヶ原の戦いでは織田の援軍は佐久間信盛が指揮していた。今回もそれと同じだろう、というのが勝資の意見であった。


「・・・では何故、あの阿呆は『援軍は三万!』と叫んだのだ?」


「誇張したのでしょう。援軍が来ると言っても我らより数が少なければ城内の兵の士気は上がりませぬ故」


 勝頼の質問に勝資が即答した。


「・・・一理ある。他に意見は?」


「それがしは援軍は三万、指揮している将は織田信長と見受けまする」


 勝頼の質問に今度は信春が答えた。そして信春も理由を述べた。しかし、その理由付けは要約すれば「最悪のケースを想定すべき」というものでしかなかった。


「よろしいか、御屋形様」


 勝頼が勝資と信春の意見を聞いて思案していると、一人の老将が口を開いた。勝頼の叔父、武田信廉(逍遙軒として有名)であった。


「とりあえず、物見して敵情を探るべきかと。それから決めても遅くはありませぬ」


「・・・それもそうだな」


 同意した勝頼は、信綱に物見を命じた。これを受けて、信綱は自分の陣地に戻るべく、本陣を後にしたのだった。





 二刻経った後、物見からの情報をまとめた信綱が本陣のある医王寺に戻ってきた。信綱は勝頼以下、武田の諸将に物見の結果を話した。


「兵の数は一万ほど、徳川家康と織田信長の馬印が見えた、か。大炊と美濃、双方の考えが半分だけ当たったな」


 勝頼がそう言うと、勝資と信春が黙って頭を下げた。


「さて、これで敵の援軍の陣容が掴めた。俺はこれを機に織田と徳川の援軍を叩こうと思う」


 勝頼の言葉に諸将が驚いた。信春が思わず大声を上げた。


「何を言われるか!元々我らは長篠城を取りに来たのではありませぬか!今更そのようなことを言われても・・・!」


「落ち着け美濃。これは熟慮してのことだ」


 勝頼がそう言うと、信春は黙った。もっとも、心の中では「熟慮する時間あったか?」と疑問を呟いていたが。


「大炊が言っていたように、信長の主敵は石山本願寺。ならば、織田の主力は摂津に貼り付けたままだろう。とは言え、徳川家康を見殺しにすることは出来ない。とするならば、あの小賢しい信長のこと、策は考えるであろう。そして、設楽原にてその策を行った、と見るべきだろうな」


「・・・その策とは?」


 昌豊が尋ねると、勝頼は自信たっぷりと自分の考えを述べた。


「援軍を信長自身が率いること、だ」


「・・・設楽原に信長が来ているということですか?でもそれのどこが策なのでございますか?」


 勝資が疑問を呈すると、勝頼が空に向けて指を指した。


「この時期は梅雨よ。あの信長は桶狭間の戦いで雨の中を移動、今川治部大輔(今川義元のこと)を討ち取ったではないか。今回も、雨を利用し、自らが先頭に立って我らを強襲しようとする魂胆であろう。人というものは、一度味をしめた成功にすがりたくなるものよ」


 勝頼の考えを聞いた諸将はお互い顔を見合わせた。勝頼の考えが正しいかどうか判断しかねたのであった。そんな中で、勝資が声を上げた。


「さすがは御屋形様!そこまでお考えだったとは!いや、この跡部大炊助、感服(つかまつ)った!ではさっそく陣を払い、敵に攻め掛かりましょうぞ!」


「待て待て待て、そう結論を急ぐことはないだろう。大体、信長が本当にいるのかも分からないではないか」


 そう言って勝資を止めたのは昌豊であった。しかし、勝資はさらに言った。


「大和殿(内藤昌豊のこと)、信長がいなければそれでもよろしいではありませんか。信長がいなければ、援軍の指揮を取っているのは徳川家康。家康めは三方ヶ原にて惨敗し逃げた臆病者。我らが押し出せば、また逃げましょう」


「しかし・・・、信長は本当に雨に紛れての強襲を考えているのであろうか?あやつはうつけ者と言われてきた割には戦には強い。もしかしたら、また別の策を講じているのではないか?」


 昌豊の発言に、信春と昌景、信綱までもが同意した。そんな彼等の様子を見た勝頼が床几から立ち上がって怒鳴り散らした。


「なんだ貴様ら!それでも栄えある武田の宿老か!?雨が降れば信長に勝機が生まれるが、今は降ってはおらん!雨が降る前にさっさと援軍を片付けたほうが良いであろう!」


「いや、御屋形様。今日は降ってなくても明日か明後日は分かりませぬぞ」


 信綱がそう言うと、勝頼は笑いながら答えた。


「左衛門尉、心配しなくても良いぞ。諏訪大社の神官の話のよれば、当分は雨は降らぬということだ。これこそ諏訪大明神の御加護であるぞ!」


 ―――諏訪大明神は水の神でもあらせられる。ならば、雨が降らないというのは凶事に繋がるのではないのか?―――


 信綱がそんな事を思っていることも知らず、勝頼は大声で命を下した。


「我が軍勢は今より織田と徳川の援軍を撃つべく設楽原へと向かう!長篠城の押さえとして二千ほど兵を置く!残りはこれより陣払の支度を行え!これは武田当主としての命である!」


 勝頼の下知に対し、勝資以外の者は戸惑いながらも「ははぁ!」と返事をしたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] え?何か突然知能がなくなった?武田はこんなにアホなん?
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