第52話 長篠の戦い(その5)
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岐阜から岡崎への行軍日程がおかしいとのご指摘を受けました。貴重なご意見をありがとうございました。この件については既に活動報告にて見直した旨、書いておりますのでそちらをご参照ください。
今後とも宜しくお願い致します。
天正三年(1575年)五月十五日の昼頃、岡崎城から伝令がやってきた。秀吉にすぐに岡崎城へ来るようにとのことだった。秀吉はすぐに岡崎城へと向かった。そして半刻もせずに戻ってきた。
「明後日の朝出立じゃ。その前に岡崎城で各軍勢に引き渡すものがある故、藤十郎は伊右衛門と共に岡崎城へ向かい、その物を取ってくるように。足軽を多く連れて行け」
秀吉の命を受けた重秀は、一豊や山内衆、羽柴勢の足軽らと共に岡崎城へ向かった。そして岡崎城に着くと、徳川の足軽の案内で岡崎城の馬場へと通された。そこには、多くの丸太が置いてあった。
とりあえず、重秀はそこで采配を取っている壮年(ここでは30代のこと)の武将に声を掛けた。
「羽柴藤十郎でござる。父筑前守の命により、受け取りに参りました」
「おお、儂は大久保治右衛門(大久保忠佐のこと)じゃ。羽柴様の持っていく丸太はあっちじゃ。おい、新十郎(大久保忠隣のこと)。羽柴殿をご案内しろ」
忠佐が側にいた若武者に声を掛けると、新十郎と呼ばれた若武者が重秀達を馬場の端の方へ案内した。
「こちらが羽柴様の受け持つ丸太でござる」
「・・・これ全部でございますか?多くありませんか?」
重秀は目の前に置かれている丸太の山を見て思わず聞いてしまった。丸太一本は長さ7尺(約2m10cm)ほど、太さは3寸(約10cm)から5寸(約15cm)前後。人一人で持っていけなくはない大きさの丸太であったが、それが山ほどあった。しかも、その山が複数もあったのだ。少なくとも100本は軽く超えていた。
「そうは言っても羽柴様は少ない方でございます。徳川も織田も、これより多く持っていく軍勢はたくさんおりまする」
「はあ」
―――何に使うんだ、これ―――
そう思いながらも、重秀は気の抜けた返事をすると、一豊や山内衆、足軽達に丸太を運ばせた。もちろん、重秀も一本担いでいったのは言うまでもない。
丸太運びを始めた重秀であったが、丸太を羽柴の陣に持ち込むのに一往復ではとても足りず、さらに羽柴の足軽達を増員して複数回に分けて往復し、何とか羽柴の陣に丸太を全て持ち込むことが出来た。しかし、終わった時には日が暮れていた。
「おう、藤十郎よ。骨折りであったな」
一仕事終えてホッとしている重秀に、秀吉が近づきながら話しかけてきた。
「父上、御屋形様からの命とはいえ、これほどの丸太、何に使うのでしょうか?」
重秀が秀吉に尋ねると、秀吉は重秀の耳に口を近づけて小声で話した。
「まだ秘密なのじゃが、お主にだけは話しておこう。この丸太は馬防柵よ」
「馬防柵?ああ、武田の騎馬武者を防ぐのですね。しかし、迂回されませんか?」
重秀が小声でそう言うと、秀吉は片目をつぶりながら返した。
「そうならんよう、御屋形様は策を考えておられる。まあ、設楽原に着いたら分かるわ」
いたずらっぽい笑みを浮かべていた秀吉であったが、その後真面目な顔をして重秀から離れると、重秀に言った。
「さて、丸太の持ち出しが上手く行ったのは重畳だったが、次はどの隊がどれだけ丸太を持っていくか分配せねばならんぞ。藤十郎や弥七郎(杉原家次のこと)の小荷駄隊だけではなく、全軍挙げて持っていかなければならないからな。というわけで、気張れよ」
「・・・え?これからですか?もう日は暮れておりますが」
重秀が質問すると、秀吉がサラッと答えた。
「当たり前じゃろ。明日朝から始めても到底間に合わんわ。よいか、一本でも置いていけば、置いていった者は打首じゃし、それを咎めなかった我らも罰を受けるのだぞ。一本残らず、割り当てろよ。何、藤十郎だけではなく、皆を動員しなければ間に合わぬから、お主一人でやれとは申さんわ」
秀吉が笑いながらそう言うと、重秀は「わ、分かりました・・・」と返事をした。
結局、丸太の割当は夜を徹して行い、終わったのは次の日(五月十六日)の未明であった。若い重秀はそのまま起きているつもりであったが、秀吉から「寝れる時に寝ておけ」という言葉を受けて、少し仮眠を取った。その後は明日の進軍の準備を行った。
そしてその日の夕暮、羽柴勢が駐留している寺へ、ふらりと前田利勝がやってきた。
「おお、よく来たな、孫四・・・って、随分と疲れた顔をしているな。丸太の管理は大変か?」
寺の一室に迎い入れた利勝に重秀が声を掛けた。
「いや、我らは丸太の持ち出しはそれほど多くなかったからな。昨日中には終わっていた。羽柴勢は割合が多かっただろ?時間かかったんじゃないのか?」
「まあな。おかげで昨日は徹夜だったよ。今日休めたのは幸いだったな。で、どうしたんだ?明日はいよいよ長篠城へ向けて進軍だろ?早めに休まなくて良いのか?」
「そうなんだが、進軍前に藤十に会ってこいって父上がな。今生の別れになるかも知れないって」
「縁起悪いことを言うなよ。出陣前だぞ?」
重秀が呆れたように言うと、利勝は疲れた顔から笑みをこぼした。
「まあ、戦ゆえ、何が分からんからな。それより、酒を持ってきた。一緒に飲もう」
利勝はそう言いながら右手に持っていた一升徳利と掲げて見せた。その後、部屋で重秀と利勝が酒を飲み交わしていると、利勝が口を開いた。
「そう言えば、岐阜では挨拶回りに行っていたのか?一度羽柴屋敷を訪れたけど、藤十いなかったぞ」
利勝の疑問に重秀が酒を飲みながら答える。
「ああ、挨拶回りもしてたけど、孫四が来た時は若殿様の所へ挨拶に行ってた。後で虎之助から孫四が来たことは聞いていたよ」
「ああ、若殿様のところか。どんな話をしたんだ?」
「紙の早合と、それと若殿様の新しい小姓見習いのことさ。あの長岡兵部大輔殿の長男だとさ」
「うわあ、いかにも良いとこのお坊ちゃん、って感じがしそうだな。そういうの苦手だわ。しかも弱そう」
利勝が顔をしかめながら酒を煽る。重秀が苦笑しながら利勝に聞いてきた。
「ところで、利勝は岐阜では挨拶回りは出来たのか?だいぶ忙しそうだったけど」
「出来るわけ無いだろ。あんな量の鉄砲や鉄砲兵を管理しなきゃいけないんだから」
「鉄砲兵?前田勢にそれだけの鉄砲足軽がいたのか?」
「まさか、各地から集めた鉄砲の腕利きさ。根来衆もいるぞ」
「根来衆って・・・、紀伊の根来衆か!?まあ、確かに我らとは誼を通じているが、三河まで来るかねぇ・・・」
根来衆とは、紀伊国にある根来寺及びその周辺の寺院にいる僧兵の総称である。この時は紀伊の傭兵集団である雑賀衆が石山本願寺に味方していたので、信長は雑賀衆対策として根来衆を味方に引き入れていた。
「ま、そんな訳でまともに挨拶には行ってないって訳さ。とはいえ、向こうからはやってくるんだよね・・・」
そう言うと、利勝がうんざりとした顔をした。重秀が不思議そうな顔をしてきたので、利勝は話を進めた。
「・・・ただの挨拶なら俺だって我慢するさ。問題は、縁談話を持ち込んでくる奴等が多いこと多いこと」
利勝がそう話すと、重秀はピンときた。
「ああ、孫四の妻に己の娘なり妹なりを紹介しに来るってわけか」
「そういう事。・・・何、お前のところには来ていないのか?」
「今の所一件だけだな」
「・・・一件だけ?北近江十二万石の大名の御曹司にしては少ないじゃないか。どこ?」
「その『御曹司』って呼び方はやめろ。・・・日野城の蒲生様だよ」
「日野城の蒲生様?へー、どんな姫よ」
利勝が興味を持って重秀に近寄りながら聞いてきた。重秀が思い出しながら答えた。
「えっと、確か忠三殿の妹で、名前はとら姫。永禄九年(1566年)生まれだから、今は十歳か」
「永禄九年?ああ、寅年生まれだからとら姫なのか。しかし、四歳差か・・・。悪くないな。で、どうするんだ?」
「どうするも何も、父上は織田の姫君狙いだからな。蒲生様には断りを入れてるんだけど・・・」
「・・・向こうは推して来てるみたいだな」
重秀の雰囲気から察した利勝が言うと、重秀は頷きながら話を続けた。
「昨日も来てたよ。左兵衛大夫様(蒲生賢秀のこと)と忠三殿が。特に左兵衛大夫様に気に入られてね。以前から忠三殿が堺から俺の情報を文で送ってたらしいのと、岐阜城での紙早合を使った鉄砲の演武で俺を見て、とら姫の婿にふさわしいと確信したらしい」
「まあ、蒲生様は元々近江南東部の蒲生郡の南半分を治める方だからな。北近江の羽柴とは縁を結びたいのだろう。しかも忠三郎殿は御屋形様の女婿。蒲生と羽柴が縁戚になれば、間接的ではあるけど織田とは縁が結べるな」
利勝が腕を組みながら納得したような表情で呟いた。重秀は肩をすくめながら言う。
「父上はその『間接的な縁』を望んでいないからな・・・」
「しかし藤十よ。忠三郎殿がその気になれば、そのとら姫とやらを御屋形様の養女にするのではないか?忠三郎殿は御屋形様のお気に入りだからな」
利勝の話に重秀は「うーん」と唸った。しかし、あることに気がついた重秀は利勝に尋ねた。
「・・・そう言えば、お前、婚儀の話になったら必ず『蕭と夫婦になれ』と言ってたけど、今回は言わないんだな」
「お、覚悟を決めてその気になったか?義弟よ」
利勝が嬉しそうにそう言うと、重秀は「誰が義弟だ」と呆れながら言った。利勝は嬉しさを引っ込め、真面目そうな顔つきで話した。
「父上も母上も藤十の婚儀については一切口に出さなくなったな。多分、藤吉おじさんに気を使っているんだろう。織田家の姫を狙っているのは知っているから。まあ、藤吉おじさんなり藤十が『蕭を貰いたい』と言えば、父上のことだ。きっと蕭を御屋形様の養女にするんじゃないかな。父上も御屋形様のお気に入りだし」
この時、利勝は知らなかった。水面下で蕭を中川光重に嫁がせるべく、中川家が前田家と交渉中であることを。そして、それが決まりつつあるということを。
そんな話を酒を飲みながらしていた重秀と利勝であったが、夜遅くまで酒盛りをしていると両方の父親に怒られること間違いないので、1時間ほどで切り上げると、利勝は前田勢の駐屯している寺まで帰っていった。
次の日(五月十七日)の未明、織田・徳川連合軍が岡崎城を出立。一路長篠城・・・ではなく、一旦吉田城へと向かっていた。
「え?我らの目的地は長篠城ではなく設楽原でございますか?」
丸太を担ぐ兵たちに囲まれながら、馬上の山内一豊は同じく馬上の重秀に聞いた。
「父が言うには、『今日中に吉田城に入り、明日には設楽原に着く。その後は設楽原に陣を敷く』とのことだ」
重秀がそう返すと、一豊は右手を顎に添えながら言った。
「・・・我らは大軍。そのまま長篠城へ向けて進軍すれば、武田勢は長篠城の囲いを解いて甲斐に引き上げるのでは?」
「それでは我らが引き上げたら、また武田は三河へ攻め込む。そしてまた我らが徳川様の援軍として向かうことになろう。そんなこと繰り返していたら、いつまで経っても越前や石山の本願寺勢と戦えぬからなぁ」
この時、重秀は織田の主敵が石山本願寺を中心とした一向門徒である、と考えていた。そしてそれは間違ってはいなかった。
「つまり、御屋形様はこれを機に武田に決戦を挑み、武田の力を削いで東の脅威を除こうという訳ですな」
「・・・だと思うんだけどね」
一豊は納得したかのように言うが、重秀は逆に納得していないかのように答えた。
「・・・若君には、何か引っかかることがあるのですか?」
「決戦で鉄砲を使うかなあ?」
重秀の言葉に一豊が「ああ・・・」と声を漏らした。
火縄銃は発射速度の遅さから、戦場では限定的な使われ方しかされていなかった。即ち、敵の突撃を阻止したり、待ち伏せに使ったり、攻城戦での城の防御に使われたりと、主に防御用の武器としかみなされていなかった。無論、攻撃的にも使っているのだが、例えば敵の陣形を乱れさせるためとか、敵の城や砦の弱い壁や門、矢倉に撃ち込んで破壊するぐらいしか使い道がなかった。
重秀と一豊の間にしばし沈黙が流れた。少し経って、重秀が口を開いて呟いた。
「ひょっとしたら、鉄砲は武田を釣り出すための餌なんじゃないかと思ってるんだ」
重秀がそう言うと、一豊は「は?」と聞き返した。重秀が話を続ける。
「武田も我らが鉄砲を主力とした軍勢で来ることは分かっているはずだ。とすると、武田はこちらの意図を、野戦による攻勢ではなく、陣地に籠もっての防戦だと思うはずだ。とするならば、武田は陣地を作る前にこちらを攻撃してくるはず。それを狙っているのではないかな?御屋形様は」
「・・・つまり、鉄砲と丸太はただの目くらまし。本命は野戦で数の優位を生かした包囲殲滅だと思われるのか?確かに、敵の目の前で陣地を構築しているという隙を見せれば、敵はこちらの方に攻撃を仕掛けてくるでしょうし、そうなれば長篠城への攻撃は少なくなりますから、一石二鳥となりますな。しかし、あれだけ揃えた鉄砲や弾薬の類い、使わないという事がありましょうや」
「・・・使わないじゃなくて、使えないんじゃないかなぁ・・・」
一豊の疑問に対し、重秀はそう答えると、空を見ながら視線の方へ人差し指を指した。一豊がそちらの方へ目をやると、空には梅雨の時期特有の黒い雲が、空を覆い尽くそうとしていた。
織田・徳川連合軍が吉田城に到着した時、既に雨が降り始めていた。もっとも、行軍及び戦闘には支障がないほどの小雨であったが。
「何?武田との戦いで雨が降ったらどうするのか、だと?」
重秀は秀吉と側にいた竹中重治に、行軍中に一豊と話した時に思った事を聞いてみた。
「はい。鉄砲を主力とした我軍ではございますが、この時期は梅雨ですので雨が降りやすい時期にございます。されば、鉄砲が使えないほどの雨が降った場合はいかがするのかと思いまして」
重秀がそう言うと、秀吉と重治は顔を見合わせた。そして二人は大笑いした。
「なんじゃ!そんな事を気にしておったのか!?心配せんでも、鉄砲が使えないほどの大雨ならば、そもそも戦も始まらんわ!」
「若君はご存知ではありませんでしたか?我が織田の鉄砲は、多少の雨でも使えるように改良がされていることを」
秀吉と重治がそう言うと、重秀はキョトンとした顔になり、直後、声を上げた。
「え?そうなのですか?岐阜ではその様な改良がなされたとは聞いたことがございませぬが」
「まあ、これは石山本願寺との戦いで雑賀衆の鉄砲撃ちの死体を回収して、その装備を調べたり、根来衆から教えてもらったりして改良したからのう。藤十郎が知らなくて当然といえば当然じゃ」
秀吉の言う通り、この頃になると火縄銃の弱点であった雨天で使用できない、ということはだいぶ緩和されてきた。例えば火縄に硝石を溶かした水を含ませた後に乾かして、雨が降っても火が消えないようにした雨火縄(雨火縄の作り方は他にもある)といったものや、火縄銃の火縄や火皿と言ったからくり部分をすっぽりと覆ったりすることが出来る『雨覆い』といったものが開発されている。
「御屋形様は確かに此度の戦を『鉄砲の戦』とおっしゃったが、鉄砲だけに賭けているわけではないわ!兵力も武田の倍にしたし、陣地のための馬防柵も作ることになっておる!しかも、設楽原に着いたら、藤十郎なら御屋形様の考えがどのようなものか、知ることができよう!」
「若君、此度の戦は若君にとって学びがいのある戦となりましょう。それがしがお教え致します故、ゆめゆめ怠りなきよう」
秀吉と重治にそう言われた秀重は、ただ「は、はい」と答えることしか出来なかった。
次の日、五月十八日の未明に吉田城を出た織田・徳川連合軍が設楽原に着いた時、雨はまだ降っていた。とはいえ、活動できないほどひどい雨ではなかったので、信長は予定通りに各武将に命じた。
「南北に走る連吾川の西岸沿いに馬防柵を一里(約2km弱)設けよ。必ず三重にするように」
注釈
蒲生賢秀の娘”とら”の誕生年と年齢は小説オリジナルである。