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第46話 堺にて(その5)

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 千宗易の屋敷にやってきた重秀。客間に通されると、そこには宗易の他に二人の人物が座っていた。また、部屋の左側には蒲生賦秀と山上宗二が座っていた。

 下座に座った重秀達に、宗易が早速話しかけた。


「お呼びだてして申し訳ありませんでした。まずはご紹介致します。今井宗久殿と津田宗及殿でございます」


 宗易がそう言うと、隣りに座っていた人物二人が礼をした。


「今井宗久でございます」


「津田宗及でございます」


「羽柴筑前が息、羽柴藤十郎でございます。お二方のお名前はかねがね聞いておりました。何卒、お見知りおき下さい」


 重秀がそう言って平伏すると、宗久が驚いたような表情をして言った。


「これはこれは、ご丁寧な礼をして頂き恐縮でございます。いや、お父上に似ていないと思うておりましたが、なかなかどうして、腰の低さはお父上似でございますな」


「まったくまったく。それにしても中々美しき礼でございますな。これは宗易殿の薫陶の賜でございますかな」


 宗及の言葉に、宗易は「いえいえ、元々藤十郎様は礼が美しゅうございます故」と言って微笑んだ。


「して、このような夜更けに、御屋形様の三茶頭がお揃いとは、一体いかなる仕儀にございますか」


 重秀がそう尋ねると、宗易が話しだした。


「実は、御屋形様が京に御わしますれば、私めと今井様、津田様で陣中見舞いに参ろうかと思っております」


「え!?御屋形様が京におられるのですか!?」


 重秀がそう言うと、宗易が「はい」と答え、そのまま話を続けた。


「御屋形様は、石山本願寺と戦するために京へ入られたようでございます」


 そう言うと宗易は重秀に説明を始めた。


 元々、織田信長は天正三年(1575年)、つまり今年の秋に石山本願寺を攻めることを長岡藤孝に書状で知らせていた。ところが、今年の三月に信長方である有岡城主の荒木村重が、本願寺勢の大和田砦と天満砦を計略で攻め落とす事に成功。この報せを聞いた信長が急遽軍を編成し、京へとやってきたのであった。


「では、御屋形様は石山本願寺を攻めるおつもりなのですか?」


 重秀は信じられない、という表情を顔に出しながら聞いた。父秀吉や竹中重治からは、先に越前の奪還が行われると聞いていたからであった。


「ええ、でも、その前に河内の高屋城を攻めるおつもりのようでございます」


 宗易の言った高屋城とは、室町時代に河内守護であった畠山氏によって築かれた城である。安閑天皇陵とされる古墳の上に築かれた城は、守護代の遊佐氏の居城であったが、応仁の乱以降は河内守護の畠山氏の居城となっていた。その後、色々あって城主が目まぐるしく代わったが、今では反信長派の遊佐信教が、同じく反信長派の三好康長を高屋城に入れて本願寺側として信長と対峙していた。


「高屋城は摂津の石山本願寺と紀伊の雑賀衆を結ぶ線上にある城。これを落とせば紀伊からの兵糧等を絶つことができますな」


 賦秀がそう言うと、重秀が「なるほど」と言った。重秀は高屋城の詳しい場所は知らなかったが、河内が摂津と紀伊の間にあることぐらいは知っている。そして、石山本願寺で最強を誇る鉄砲集団、雑賀衆の出身が紀伊であることも知っている。そこから高屋城の戦略的価値を導き出すことぐらいは重秀でもできるのだ。


「・・・それで、私が呼び出されたのはそれを報せるために?」


 重秀は疑問を呈した。宗易が、宗久や宗及と一緒になって御屋形様の動向を報せるためだけに重秀達を呼んだとは思えなかったからだ。重秀の思ったとおり、宗易は首を横に振って言った。


「いいえ、実は羽柴様には蒲生様と共に我らと一緒に来ていただきたいのでございます」


「はあ、それは構いませぬが・・・。我ら実戦経験ありませぬ故、皆様を護衛できるか自信がございませぬ。それでもよろしいか?」


 重秀が戸惑いながら聞いた。重秀はこの時、宗易達の護衛を頼まれたのだと勘違いしたのだった。一応、重秀は初陣は済ましているが、実際の斬合などはしていないし、正則や清正は腕っぷしが強いとは言え実戦経験は皆無だ。前線で戦いをくぐり抜けてきた賦秀とはレベルが違うのだ。重秀はその事を不安視していた。

 そんな不安げな重秀に対して、宗易は笑いながら言った。


「何を言っておられるのですか。護衛を頼んだ訳ではございませぬ。実際の護衛は我らが雇った牢人衆を使いますし、そもそも羽柴筑前様と蒲生左兵衛大夫様(蒲生賢秀のこと)の嫡男を護衛に頼むわけがございませんでしょうに。羽柴様と蒲生様には、向こうでの茶の湯の手伝いを頼みたかったのでございます」


 宗易の言葉にキョトンとなった重秀だったが、すぐに立て直すと、平伏しながら言った。


「承知いたしました。未熟者ではございまするが、精一杯務めさせていただきます」


 重秀の言葉を聞いて、宗易はホッとした顔をする。


「受けて頂き有難き幸せ。断られるものと思いました」


「宗匠のお頼み、どうして断れましょうや。それで、出立は何時に?」


 重秀が宗易に質問した。宗易がすぐに答える。


「明日には発ちます故、お支度のほど、よろしくお願い致します」


「承知致しました。では早速準備致します故、これにて。明日の未明にまたこちらに参ります」


 そう言うと重秀は立ち上がって部屋を出た。正則と清正が慌てて後をついていった。残された皆が一様に顔を見合わせた。


「おやおや、肝心の資金援助の話も聞かずに出ていきましたなぁ」


 宗久が苦笑いしながら言うと、同じく宗及も苦笑いしながら頷いた。


「申し訳ございませぬ。お二方がわざわざ我が屋敷にご足労いただいたというのに・・・」


 宗易が恐縮しながら謝ると、宗及が笑いながら首を振った。


「いやいや、あそこで我らに銭をせびらなかっただけマシですわ。遠くから来る人達、儂等の顔見ちゃあ銭寄越せ、言いますからな」


「ま、資金については道中でも話はできますからな。追々話していきましょうか。では、我々も一先ず戻りますよって」


 宗久がそう言うと、「よっこらせ」と言いながら立ち上がった。





 京へ向かった三茶頭達であったが、途中で信長率いる軍勢が河内国の若江城に入ったと聞いたことで、急遽若江城へと向かった。

 若江城に入った三茶頭は、宗二と賦秀、重秀を連れて信長への謁見を求め、信長もすぐに応じた。

 若江城内の本陣にて、三茶頭と宗二は立礼し、賦秀と重秀は片膝をついて跪いた。


「御屋形様のご着陣、祝着至極にございます」


 三茶頭を代表して宗久が述べると、信長は「大義」と低い声を作って答えた。その後は三茶頭と陣中での労いの茶会をすることについて意見を交わした。そして、話が終わって三茶頭が陣を出ようとしたその時だった。


「待て。そこで跪いている二人、近う寄れ」


 三茶頭と宗二の後に続いて陣から出ていこうとした賦秀と重秀を見つけた信長が、それらを呼び止めたのであった。信長直々の呼び出しである。二人はすぐに信長の側に行くと、今度は地べたに胡座をかいて平伏した。


「・・・誰かと思ったら忠三郎と藤十郎ではないか。何しにここに来たのか?直に答えよ」


 お気に入りの娘婿むすめむこに会えたのが嬉しいのか、若干高い声で聞いた信長。それに対して賦秀が答える。


「恐れながら、それがしと藤十郎は堺にて宗易様から茶の手解きを受けておりますれば、此度は三茶頭の慰問の茶会の手伝いをしに馳せ参じましてございます」


 賦秀がそう答えると、信長は上機嫌に「で、あるか」と言った。そして、視線を藤十郎に向けた。


「藤十郎、銭は確保できたか?」


「は、はい!?」


 いきなりそんな事を言われた重秀は思わず動揺してしまった。その動揺が声に出てしまい、信長に聞かれてしまった。


「あっはっはっ!そんな顔をするな!北近江でお前たちが色々やっているのは猿からの文で知っているわ!」


 そう言う信長に対して、重秀は「お、恐れ入りまする」と呟いた。


「で、銭は確保できたのか?」


「・・・多少は。しかし、実際に絹がなければ中々銭を集めることはできませぬ」


「で、あるか。しかし、水軍も作るのであろう?銭を稼がなければ、水軍はできないぞ。すでに猿には安宅船を作る許しは出しておるのだからな」


 信長の発言に、周りにいた諸将はざわめいた。信長はそんな声を無視して重秀と賦秀に語りかけた。


「二人共、下がって良い。茶のもてなし、しかと働けよ」


 賦秀と重秀は「ははっ」と言うと、立ち上がって信長の前から去っていった。





 戦の前にゆっくりと英気を養う、という目的で、少人数で執り行う茶事がその日のうちに執り行われた。当初は千宗易の手伝いを山上宗二が、今井宗久の手伝いを蒲生賦秀が、津田宗及の手伝いを羽柴重秀が行う予定であったが、信長の「今日は宗及の茶が飲みたい」と言い出した。それを聞いた宗久が「御屋形様の茶事の手伝いは娘婿が良いだろう」と提案したので、急遽賦秀と重秀が交代、宗久の手伝いは重秀が行うこととなった。

 さて、三茶頭はそれぞれ分担して武将たちをもてなすことになったのだが、宗久がもてなしたのは明智光秀と荒木村重であった。宗久が二人のもてなしをしている間に、重秀がその手伝いをした。

 茶事の手伝いは茶事の準備から始まる。さすがに陣中なので簡易的ではあるが、部屋に茶道具を一式揃えたり、灰、炭、釜、風炉(運悪く炉のない部屋での茶事だった)、水の準備やお茶のダマを取ったり、ふるいにかけて茶入に入れ直したりとやることは多かった。しかも、茶事は懐石(茶を飲む前にする軽い食事)を含むため、その準備もしなければならない。重秀は岐阜城や宗易の屋敷で習った知識をフル動員して宗久の茶事の準備を手伝った。

 そして、準備ができればいよいよ茶事の始まりである。この時も重秀は手伝いを行った。茶碗や茶道具を客が入った後の部屋に持ち込んだり、懐石やお菓子を客に運んだり、懐石や茶菓子の食器や茶碗を片付けて奥で洗ったり、道具やお茶、お菓子の問いに答えることもあった。特に、客の明智光秀と荒木村重は茶の湯に関しては織田家中でも屈指の知識を有しているし、荒木村重は名物の蒐集家でもある。一切のミスは許されるものではなかったが、重秀は緊張しながらも何とかミスもなく、宗久の手伝いをこなしていった。


「・・・結構なお手前でございました」


 茶事のすべてが終わり、明智光秀がそう言いながら宗久に平伏する。隣の荒木村重も満足げな表情を浮かべて宗久に平伏していた。


「陣中ゆえ、大したもてなしができませんで申し訳ございませんでした」


 宗久がそう言って二人に平伏すると同時に、重秀も部屋の下座、しかも障子戸の近くで二人に平伏していた。ちなみに今回の手伝いに正則や清正は参加していない。二人の茶の湯の経験値ではついていけないからだ。


「いやぁ、それにしても宗久殿が誇る天目茶碗で茶が飲めるとは。これで此度の戦で死んでも惜しくはないな」


 村重がこれっぽっちも自分が死ぬことを考えていなさそうな顔でそう言ったものだから、宗久と光秀が思わず笑ってしまった。そして一通り笑った光秀が、重秀の方へ顔を向けた。


「羽柴殿も、茶事の手伝い骨折りでしたな。見事な振る舞いでございましたぞ」


 光秀から急に話しかけられた重秀。思わず「ひゃい」と変な声を上げてしまった。そして平伏してから話し始めた。


「な、何分未熟者ゆえ、明智様や荒木様にはたいへん見苦しいお姿を見せたものと恐縮しております」


「とんでもない。確か羽柴殿は齢十三・・・、いや十四でしたか?その年齢であれだけの事ができれば大したものでございますぞ。しかも、御屋形様から聞いた話によれば、長浜にて養蚕や牛の飼育を始めなさるとか」


 光秀の言葉に、村重が「ほ〜」と言いながら重秀をジロジロと見る。


「こう言っては何だが、筑前殿と違って、中々の美形ではないか。で、歳が十四ねぇ・・・。そう言えば、明智殿の三女は齢十三だったよな?」


 村重がそう言うと、光秀は「はあ、そうですが」と言った。村重が光秀に提案する。


「ならば、その三女をこの若者に嫁がせてはどうだ?そうなれば、儂とも縁続きとなろうて」


 光秀の長女は村重の嫡男である荒木村次に嫁いでいた。なので、もし重秀と光秀の三女が結婚すれば、重秀は村次の義理の弟となる。


「それは良い考えでございますが、残念ながら我が三女、たまには既に婚約者がおりまする」


 それを聞いた重秀は内心ホッとした。ただでさえ自分の婚儀については父親である秀吉が気を揉んでいるのに、秀吉の知らぬところで婚儀の話が出れば、秀吉が何を言い出すか分かったものではない。


「ただ・・・。四女がおりますれば、それでよろしければ・・・」


「申し訳ございませぬが、私めの妻については御屋形様のご意向が関わっておりますので、羽柴の一存では決めかねまする」


 光秀が四女の存在を明かそうとしたところで、重秀が慌てて言った。


「それは残念ですね」


 さほど残念そうでもない口調で言う光秀に対して、重秀は「気にしてなさそうだな」と心の中で呟きながら安堵していた。


「お話も尽きぬところではございまするが、そろそろお開きにしとうございます」


 宗久がそう言うと、光秀と村重は「良き茶でございました」と、改めて宗久に向かって平伏した。





 次の日、三茶頭は賦秀や重秀らを連れて堺へと帰っていった。一方、信長の軍勢は若江城を立つと駒ケ谷山に布陣、高屋城攻略を開始した。その後、直接高屋城を攻め落とすのが難しいと考えた信長は、本陣を大坂の住吉に移すと、畿内はもちろん遠く美濃や尾張、丹後と言った領国からも援軍を呼び集めた。結果、信長の総兵力は10万人まで膨れ上がった。そして、石山本願寺と高屋城を結ぶライン上にある新堀城を攻め落とした。

 新堀城には十河一行と香西長信が守将として入っていたが、十河一行は戦死、香西長信は捕虜となった後に斬首とされた。そして、石山本願寺との連絡が切断された高屋城の三好康長が信長に降伏した。この時、遊佐信教が死んだとも落ち延びたとも言われている。

 そして、石山本願寺の南側を抑えた信長が10万の大軍で石山本願寺を総攻撃しようとした正にその時、徳川家康より急使がやってきた。甲斐の武田勝頼が大軍を率いて三河へなだれ込んだとの報であった。信長はやむを得ず石山本願寺への攻撃を中止、軍を引き上げて京へと戻っていった。

 そして、この報は重秀にとって大きな影響を与えることになる。


「御屋形様より書状が届きましてございます」


 信長が京に戻った同じ日、宗易の屋敷では、宗易の前に賦秀と重秀が並んで座っていた。二人を前に、宗易は信長から書状が来たことを話した。


「書状によれば、お二方を直ちに領内へ戻せとのことでございます」


「・・・しかし、まだ茶の湯の修行は終わってないのでは・・・?」


 賦秀が困惑したような表情を浮かべながら言った。それに対して宗易は微笑みながら答えた。


「茶の湯というものは、ただ習えば良いというものではありません。己で如何に客をもてなすのかを考えることこそ、茶の湯の真髄にございます。お二方には基本を教えました。後は己の思う茶の湯を見つけて下さい。そして、客と共に茶の湯を楽しんで下さい」


「・・・分かりました。それがしのもてなしを見つけてまいります」


「私めも、客のことを第一に考えた茶の湯を考えてまいります」


 賦秀と重秀が思い思いの言葉を宗易に伝えると、宗易は微笑みながら頷いた。そして、視線を重秀に移すと再び口を開いた。


「羽柴様、羽柴様にお渡ししとう物がございまする」


 そう言うと宗易は懐から何かを取り出した。それは、紙に包まれた書状であり、4つあった。


「銭を譲渡する証文にございます。これはそれぞれ私と小西殿、今井殿と津田殿からの餞別にございます。蚕と牛の足しにお使い下さい」


「こ、これはかたじけのうございます」


 賦秀がゴクリと唾を飲み込む音を聞きながら、重秀がその書状を受け取った。中を改めると、100貫文の譲渡証文が2枚、50貫文の譲渡証文が2枚出てきた。つまり、重秀は300貫文(約3600万円)貰ったことになる。


「よろしいのですか!?こんなに頂いて!?しかも貸借ではなくて譲渡!?」


 重秀が思わず叫んだ。隣りにいた賦秀は呆然としている。


「はい。その代わり、蚕と牛は成功させて下さい。牛は小西殿が、蚕は私が特に所望致しますゆえ」


 ちなみに宗易と隆佐が100貫文、宗久と宗及が50貫文を譲渡していた。


「ああ、それと、その三百貫文とは別に、銭を貸すこともできます。一応、羽柴様のために五千貫文(約6億円)を準備しておりますので、お困りの時はいつでもどうぞ」


「あ、有難き幸せ・・・」


 そう言って平伏したが、金額の多さがプレッシャーとなった。


 ―――これ、是が非でも上手く事を運ばせないととんでもないことになるぞ―――


 心の中で重秀がそう思っていると、宗易がさらに話しかけた。


「最後に、お二方に今井殿と津田殿から言伝でございます。『若江城での茶事の手伝い、大変助かりました。今後とも、羽柴様と蒲生様とは良きお付き合いをしとうございます』とのことでございます」


 宗易からそう聞かされた重秀と賦秀は、二人揃って頭を下げるのであった。


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[良い点] 先行投資という名の大金の借金。 大名の嫡男だけに金額が震える
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